【WEB再録】(フ)ケンゼン「こればっかりは仕方ねぇっつぅか……」
互いに横たわったベッドの中。俺は向かい合う十四をなだめていた。
「わかってる、わかってるっすけど……」
そう言う十四は間接照明が照らす薄暗い室内でもはっきりとわかるほど瞳を滲ませていて、それに俺の胸はズキリと痛む。
その瞳を隠すように十四の頭を胸元に引き寄せると、十四はビクリとその肩を小さく震わせた。
腕の中の強張る身体に、さらに胸が痛い。
「別にお前が嫌とかそういうわけじゃねぇンだ。それだけは、分かってくれ」
手入れの行き届いた髪の滑らかさとデカい上背の割に小さい頭の形を手のひらでゆっくり確かめていると、十四は「ん」と小さく返事をして、少しずつ身体から力を抜いていく。
それに胸を撫で下ろしながら、つむじに唇を寄せ、一つリップ音を立てる。
そのまますうっと息を吸い込むと、今度は跳ねるように十四の身体が揺れた。
同時に、いつのまにか絡ませていた脚で俺の膝に触れる十四のものが僅かだが反応をみせる。
――だがその一方で、十四の太腿が触れている俺の中心は至極、大人しかった。
「なぁ、お前もう枯れたんか?」
寺に呼び出されて来てみたら、開口一番がこれだ。
「何が」と聞くのも阿呆らしく、「誰がそんなこと」と問いただすには心当たりが一人しかいない。
「お前のその発言は、刑法二三〇条、名誉毀損罪、及び刑法二三一条、侮辱罪に該当するが?」
人を呼びつけておきながら縁側で寝転がったままのそのアホ面を見下ろして、冷淡に返す。
「拙僧を訴えんのか?別にいいぜ、テメェが裁判で『私は十九のガキに性的不能であると指摘されて心身共に傷付きました』って大勢の前で言えるってンならなぁ?」
空却は両脚をぐっと胸にひきつけ「よっ!」と声を上げると、頭の横についた両の手で勢いよくその身体を宙へ浮かせた。バネのようにしなった身体はトンッと綺麗に両足から着地し、そのままグンッと上体を起こして立ち上がる。
そして、くわぁっとデカい口を開けて欠伸をすると、後頭部をガシガシと雑に掻いた。
「……猿かよ」
チッと舌を打ち、吐き捨てる。
チラリとこちらを向いた目を一瞬だが睨みつけ、空却から少し離れて縁側に腰掛けた。
「さっさと用件を言え。俺は忙しいんだ」
ジャケットの内側に手を伸ばしかけたが境内は禁煙であることを思い出し、そのまま両腕を組む。
「だから、テメェが枯れてんのかそうじゃねぇのか聞いてンだろうが」
「なんでお前にンなこと言わなきゃいけねぇんだよ!マジで訴えんぞ」
「やっぱ枯れてやがったか」
「ンなわけあるか!現役バリバリだっつぅ……」
そこまで言って咄嗟に口を片手で覆う。
しまった、乗せられた。
口喧嘩もとい理性的な討論を生業としているくせに、こんなガキ相手に口を滑らせるなど。
両方の口端を吊り上げた空却が目端に映り、背中に嫌な汗をかく。
「クソっ……!」
すぐ右からの嘲るような嫌な視線と、こんなことで冷静さを欠いた己の両方に悪態をついた。
目の前のクソガキは、大方十四に愚痴られて俺を揶揄う恰好のネタだと思ったのだろうが、なんで昼間から、それも由緒正しい寺の縁側でこんな話をしなくてはならないのか。
だが、本当に不能というわけではない。
定期的に処理する必要もあるし、そういったものを見ればきちんと反応する。
だが、十四にそういうことを望まれると、なぜか、ダメなのだ。
「おい、アイツに何を言われた」
「さぁな」
「いいから答えろ」
口を滑らせてしまった以上切り通すものはなく、俺はにやけている空却の目を鋭く見据えた。
吊り上がり気味の目尻を口元ともども緩ませていた空却だったが、俺の威圧的な視線に少々大袈裟に息を吐くと漸くそのにやけ面を納めた。
「自分に魅力がどうとかほざいてやがったが、別に十四がどうとかじゃねぇよ。拙僧は獄、テメェのことを聞いてんだ」
「は?俺?」
「『心、これ健全なれば、その身、等しく健全なり』ってな」
「ネタ切れでついにパクリに走るようになったのか?それにそもそも意味が逆だろ」
腐っても仏教徒のくせに、ローマ詩人の言葉を、それも改竄とは。
「どちらかだけでも人はダメだって話だ。気持ちが強くてもそれを支える身体がないと戦えねぇし、どれだけ身体を鍛えても自分に自信がなけりゃ喧嘩には勝てねぇ」
そう言うと空却は左右の拳を素早く交互に突き出す。
「歳のせいで勃たねぇってンならそりゃもう仕方のねぇ話だが、もしそうじゃねぇなら、なぁ?」
顔は正面を向いたまま、吊り上がった目尻の端でその黄金色だけを俺に向ける。
「別に拙僧はテメェらのどっちが掘られようがどうでもいいし、それこそ、おっさんのシモになんぞこれっっっっぽっちも興味はねぇがな」
空却は片目を瞑り、目の前で合わせた右手の親指と人差し指の先を力一杯押し付ける。
そんなこと、こっちの方こそ興味を持たれたくないが、呼び出してまで話を振ってきたのはそっちだろうがと俺の右の頬がヒクリと引き攣る。
「ま、胸に手ぇ当ててよーく考えてみるんだな、不能弁護士よぉ」
黙ってろと目の前の生臭坊主の煽りを短く突き返し、俺は組んだ足にのせた肘に頬杖をついて顔ごと視線を逸らした。
数日後、再び十四が俺の家に泊まりに来た。
久々に共にする夕食は俺が仕事帰りに買ってきた惣菜と、十四が実家から持たされたもので随分と豪勢なものとなった。
修行の愚痴や新しく始めたバイトの話、バンドの新曲や次のライブの構想など、十四の口からひっきりなしに語られる近況に耳を傾けつつ、俺はアルコールを舌の上で転がす。
箸はさほど進まなかったが、身振り手振りを交えながらくるくると変わる十四の表情だけであっという間にグラスは空になった。
夕食後、十四を風呂へ送り出し俺はその間に後片付けをする。
『心、これ健全なれば、その身、等しく健全なり』
『どちらかだけでも人はダメだって話だ』
『歳のせいで勃たねぇってンならそりゃもう仕方のねぇ話だが、もしそうじゃねぇなら、なぁ?』
皿を洗っていて、ふと先日の空却の言葉が蘇る。
今でこそ性交渉はコミュニケーションの一つとされているが、本来は動物が種を残すための方法であってそれが不可能である俺たちのような関係では必須ではない。
それに恋人という関係は必ず性愛を伴わなければ成り立たないとは辞書にも法律にも書かれていないし、異性でもプラトニックな関係で一生添い遂げる人もいる。
つまり、身体を重ねることは「一般的」かもしれないが、必ずしも「正解」ではないわけだ。
それにもし行為が可能になるとして、負担を強いられるのは十四の方だ。アイツが俺に抱かれる選択をする以上、俺は十四の身体を傷つけてしまう。
俺の半分しか生きていない人生で十分傷ついてきたアイツを、俺は大切にしたい。
そんな今の俺の心は、そして身体は十四に対して、空却曰く「健全」だろう。
――この先を望んでいる十四には悪いが。
そう思考しながら、皿やグラスを水切りラックへ立てかけていく。
片付いたダイニングとキッチン、そして結論に俺はスッキリした表情を浮かべた。
「お風呂、ありがとうございましたっす!」
ソファで待っていた俺の隣にすとんと十四が納まると風呂上がり独特の香りがふわりと漂った。
自然と空いた手が十四の肩に伸び、そのまま俺の方へと引き寄せると、十四は抵抗するでもなくむしろフフっと小さく笑って俺の肩に頭を預けてきた。
「なぁ、十四。一つ、聞きたいんだが」
先ほど結論付けた問題。
「なんで、お前は俺に抱いてほしいんだ?」
思ったより深刻な声が出てしまった。
撫でていた十四の頭が少し、揺れる。
確かに結論には達したがあれは俺の中だけの話なので、十四の気持ちをきちんと聞いておく必要がある。
心地よかった肩の重みがフッと離れたのでそちらに視線を向けた。
「あの、笑わないっすか……?」
「俺の方から聞いてんだから、笑わねぇよ」
若干俯いた十四は、目を泳がせる。それはまるで目の前にいくつか言葉が転がっていて、その中から適切なものを探しているかのようだった。
「あの、その、好きな人とやるのは気持ちいいって聞いたので……」
まず一つ、興味関心。
まぁこの歳なら気になって当然か。
「あとは、えっと、その」
十四はさらに顔を伏せてしまったので表情は窺い知れないが、しどろもどろの声は上擦り、震えている。
「やっぱりひとやさんには、その、自分の、ナカまで知ってほしくって……」
思わず、目を見張った。
同時にくっと微かに身体が引かれる感覚がして視線を下げると、俺のシャツが黒く彩られた指の先で握られていた。
時間がかかった割には選んだ言葉は分かりやすいものだったが、それ故か俺の中で何かズシリとしたものが落ちてくる。
十四は質問に答えたので次に声をかけるべきなのは俺なのだが、今度は俺の口から上手く言葉が出てこない。
回らない頭とリビングの沈黙に対して、胸の左側だけがやけに忙しない。
「あ、あの、お風呂!お湯、冷めちゃうっす!」
気まずい空気を破ったのは十四で、勢いよく立ち上がりそのまま強引に俺の背を押して脱衣所へ押し込むと「ごゆっくり!」とドアを閉めた。
『ひとやさんには』
閉じられたドアを前に、先ほどの十四の声が俺の頭の中でリフレインする。
「俺、だけ――」
それまで詰まらせていた喉から漸く出た声は随分掠れていた。
自分で呟いた言葉に結論付けたはずのものがぐらりと揺らいだ気がして、これではいけないと頭を振る。
食い物をほとんど腹に入れずに酒を飲んだせいだ、風呂につかれば頭も冷える、と俺は着ている服に手をかけた。
ベルトを外してスラックスを脱ぎ、そのまま下着をいつものように引き下ろすと、ウエスト部分のゴムが一瞬、引っかかる。
『歳のせいで勃たねぇってンならそりゃもう仕方のねぇ話だが、もしそうじゃねぇなら、なぁ?』
数日前に聞いた小生意気な声が、鈍い痛みを伴いながら上を向く己と対峙した俺を耳の奥からあざ笑った。