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    タカムラ セイ

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    タカムラ セイ

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    めちゃくちゃ遅刻しましたが獪善春のちゅう祭りの話です
    遅刻した分文字数が当初の2.5倍になっています!
    テーマには合ってるけどちょっとオチが弱い気がします💦
    20240703

    #獪善
    cunning

    それはスイッチ 最近のオレは獪岳に対してちょっと思うことがある。
     キスってもんはさ、二人の間の雰囲気が甘ーい感じになってキスするぞーって盛り上がってからするもんだとオレは思ってるんだけど、どうも獪岳は違うらしい。
     例えばオレがしわくちゃのシャツに一生懸命アイロンをかけている時やシーツを物干し竿に引っ掛けて悪戦苦闘している時だとか。ハンバーグのタネを捏ねていたりトンカツやエビフライの衣をつけている時とか。そういうオレの両手が塞がっててすぐに反応できない時に限って獪岳は音も立てずに近づいてきてキスするんだよ。チョンと小鳥が啄むような可愛いキスの時もあればちょっとエッチなキスの時もあってさ、いやそれ今すんの⁈ もっとこう、雰囲気づくりとかあるデショ⁈ って大声で叫んでやりたいんだけど、獪岳からは滅多にキスしてこないもんだから、オレは黙って受け入れちゃってんだよね。
     ほら、今だってそうだ。
     いちごを持つ手に影が落ちたので顔を上げたら、いきなり唇にやわらかい感触があたった。視界にはぼやけて見えるまあるい翡翠色が二つ。びっくりして開きかけた口の僅かな隙間に少し冷たい舌が入ってきた。オレの舌をちょんとつついた後、何かを確かめるように口の中をぐるりと探ると満足したのかあっさりと舌を引っ込めてしまった。ちゅ、と小さなリップ音を立てて唇が離れる寸前にオレの唇をぺろりと舐めて、獪岳はテーブルの向こうから乗り上げていた上半身をゆっくりと後ろに引いていった。
    「あっま。おいカス、ヘタ取りしながらいちごのつまみ食いしてんじゃねぇよ」
    「は、へ?」
     何を言われたのか一瞬理解できなくて口からは間抜けな声が出た。声だけじゃなくて顔も間抜けだったかもしれない。獪岳は眉間に皺を寄せながらオレを一瞥すると、右手に持っているエコバッグをいつもより丁寧にテーブルの上へ置いた。ゴトリとテーブルにぶつかる硬い音でフリーズしていたオレの脳がやっと動き出す。ちょっとちょっと、何してくれてんだよ。
    「なにアンタいきなりあぶねーことしてくれてんのよ! オレいま刃物持ってんのよ⁈」
     ほら見ろと言わんばかりに右手のペティナイフを前に出したら、「そっちの方がよっぽど危険だろーが」と手刀を頭に落とされた。あまりの痛さに「ぐえっ」っとヒキガエルみたいな声が出て、視界がちょっぴり涙で滲んだ。危なくなんかねーよ、そっちに刃は向けてねーし。なんて言い返してやりたいけど百倍の文句が返ってきそうなので、オレは口をへの字に曲げて我慢した。
     涙目で頭をさするオレを獪岳はまるでゴミでも見るような目で睨んでくる。オレにナイフは危険と判断したのか、油断した隙に取り上げられてしまった。
    「あっ、なにすんだよ」
    「去年ヘタ取り買ってやっただろうが。なにちまちまナイフでやってんだよ」
    「探したけど見つからないから諦めた」
    「はっ、カスのくせに諦めてんじゃねぇ」
     オレのやる気のない返答に悪態をついてから、獪岳は食器棚の滅多に使わないカトラリーが入っている引き出しを開けた。ガチャガチャと金属音をさせながら中を漁り、でかいとげ抜きのようなものを持って戻ってきた。
    「あと四パックもあるんだから使えよ」
    「なんでオレだけにいちごのヘタ取りさせようとすんのさ。お向かいのばぁちゃんから受け取ってここに置きっぱにしたのアンタでしょ」
     オレは知ってるんだぞという目で睨みつけてやるけど獪岳は無表情な上に無視をきめやがる。ダイニングテーブルにはドンと重ねられたいちごの箱が三つと一つ。一箱には四パック入ってるので計十六パック。ジャム用のいちごはひと粒が小さいから個数にすれば四百粒以上あるかもしれない。三箱まではオレが頑張ってヘタ取りをした。残りは一箱、四パック。そのいちごを挟んでオレと獪岳は今、睨み合っている。
    「家を出たところで渡されたんだからしょうがねぇだろ。待ち合わせには遅刻できないから帰ったらやるつもりだったんだよ。おまえにヘタ取りは頼んでないし、勝手にやり始めたんだからおまえが最後の一粒までちゃんとやれよ」
    「えっ、そういうこと言う⁈」
     たしかにオレは獪岳に頼まれてないから、おまえが勝手にしただけだと言われれば返す言葉がない。でもさ、毎年いちごジャム作ってて今年もテーブルの上に大量のいちごがあったら、少しくらいやっとこうかと思うのは人情なんじゃないの? それをそんな風に言われたらオレのやる気が一気に失せていくでしょーが。
    「じゃあアンタが帰ってきたんならオレは用無しだよね。後はよろしくお願いしますね、獪岳さん」
     四分の三もヘタ取りしたのに礼のひとつも言えないやつなんか知るもんか。どうせできたジャムの半分は獪岳が食べるんだから残りの作業は獪岳がやればいいんだ。
     オレは両手を小さく上げてイスを倒さないようにゆっくりと後ろに下がった。手のひらが果汁でベタベタして気持ち悪い。そんな手だから背もたれを掴めなくて、イスの足底が床板に擦れて不快な音を立てた。
    「おいカス、どこに行こうとしてんだ」
    「どこってオレはもうやんねーよ。だって獪岳になんも頼まれてねーんだから。あとはアンタが一人で全部やればいいだろ」
     オレに断られるなんて思ってなかったのか、獪岳が面食らったような顔をした。でもその顔も一瞬だけで、猫のように切れ長で大きな瞳を数回目瞬かせると、「今さっきやれって言った」なんて図々しいことを言う。
    「そもそもおまえだって食うんだから頼まれなくてもやるんだよ」
    「なにそれ横暴!」
    「働かざる者食うべからずって言うからな」
    「いやもうオレは既に十分働きましたけどね?」
     少しイヤミっぽく言ってやったから、さすがにこれはカチンとくるに違いない。怒った獪岳がどんな返しをしてくるのか窺っていると、ヘタを取ったいちごが入っている鍋をちらっと見て、「まあ、おまえにしてはがんばったほうだな」と呟いた。
    「いちごを煮るのと瓶の煮沸は俺がやる。それで公平だろ」
    「へっ、あ……うん」
     思っていたのと全然違う方向の返しをされて、オレは肩透かしを食らってしまった。獪岳ってばなんか変なものでも食べたのかしら。いつもだったらここで態度が悪いと言われて更にケンカになるのに、なんとなく獪岳の機嫌が良さそうな感じがして気味が悪い。獪岳は訝しむようなオレの視線を気にもしないでテーブルの端にあるボウルをひょいと持ち上げた。ボウルの中にはまだヘタを取っていない洗ったいちごが数粒残っている。獪岳はそこに残り四パック分のいちごを放り込み、シンクに運んで丁寧に洗いはじめた。しっかり水気を切ると振り返り、オレの目の前にドンとボウルを置き直した。やれ、という無言の圧力をひしひしと感じる。
    「あと四分の一だ。すぐ終わる」
    「獪岳が買ったヘタ取り器もあることですし?」
    「ちゃんと活用しろよ。年に一度しか使いどころがねぇんだからな」
    「へぇへぇ」
     投げやりなオレに対してやっぱり獪岳は機嫌が良かった。エコバッグから新聞紙に包まれたでっかい瓶を五つ取り出し、床下収納からも大小の瓶をいくつか出してシンクに置いていく。そのまましゃがんでシンクの下から我が家で一番大きな鍋を取り出して、コンロの上に置くと首を傾げた。
    「全部ジャムにしたら瓶が足りねぇ」
    「ボウルのいちご、全部ヘタ取ったら鍋から溢れそうなんだけど」
     瓶を買い足してくれたけど、どう見てもいちごの方が多い。
    「少し食べて……それでも多い分は一旦冷凍するか」
    「それ、ヘタ取りしながらオレも思ってた」
    「いちごは追熟しねぇからな、すぐ食べないと。──まぁまずはヘタ取りだ。どうするかはそっから決めてもいい」
     去年まではイチゴは八パック、二箱分もらっていて、全部ジャムにしていた。たくさんくれるのはありがたいけど流石にこの量は多すぎる。ジャム屋じゃないんだしさ。とはいえこのいちごの量は純粋にばぁちゃんの愛情の大きさだ。お年寄りってのはなかなか情報がアップデートされない。一度子供の好物を知ったら、その子が大きくなってもまだそれが一番好きだと思っている。お向かいのばぁちゃんはその典型で、毎年ジャム用のいちごを我が家に届けてくれる。ガキの頃、ばぁちゃんが作ったいちごジャムを食ったオレたちの反応がよほど嬉しかったんだろう。たっぷり作ってやってくれと爺ちゃんに渡していたいちごも、今ではオレたちに直接渡してくる。
     オレは今でも覚えてるんだけど、ばぁちゃんのいちごジャムを初めて食べた時にもの凄い衝撃を受けたんだ。小さく切ったサンドイッチ用の食パンの上には赤い宝石のようないちごがつやつや光ってたくさんのっていて、オレが知ってるいちごジャムとは大違いだった。しかも食べたらいちごの味が口いっぱいに広がって甘酸っぱくて美味しかったんだ。隣で食べていた獪岳もオレと同じことを感じたのか、ほっぺを真っ赤にして夢中になって食べていたっけ。二人で何度もおかわりをして瓶を空にするほど食べたら、翌年からばぁちゃんがいちごをくれるようになったんだ。
     もう十何年も前の話だから今ではいちごジャムが一番の好物じゃなくなってしまったけど、それでもオレはいちごジャムだけは家で作ったのしか食べない。たぶん獪岳もそうだと思う。
    「そういえば獪岳はさ、今は桃が一番好きだってばぁちゃんに言った?」
    「馬鹿か。桃といちごは旬が違う。桃が一番好きだからっていちごを断る理由にはなんねぇよ」
    「いちごも桃も好きってことね」
    「そんなのおまえもだろ」
    「そうだったわ」
     獪岳はシンクで作業をしながら、オレはいちごのヘタ取りをしながらで会話をすると作業に気を取られるのか、お互いさっきよりもとげのない言葉が出てくる。面と向かってだと恥ずかしさとか照れだとかと一緒になんでか負けたくない気持ちも出ちゃってついつい獪岳の口の悪さに乗ってしまう。なんかスイッチでもあんのかな、と考えたところでさっきのキスを思い出した。無心にいちごのヘタを取るオレのどこに獪岳がキスしたくなるポイントがあったのか理解不能なんだけど、それでもさっきみたいにキスしてくるんだからきっと何かがあるんだろう。これはチャンスだ。今なら軽い感じで聞けるかもしれない。
    「ねぇ獪岳。いっつも気になってたんだけどさ、なんで獪岳はオレが作業に集中してる時に限ってさ、キ、キ、キスしてくんの」
    「キキキス」
     イ──ヤァ──噛んだぁ! こんなところで恥ずかしがってもしょーがないのに緊張して肝心な言葉を噛むだなんて! バカバカ、オレのバカぁ!
     チラリと上目遣いで獪岳の背中を見てみるけど特にうろたえる様子もなくて、淡々と瓶を煮る準備を続けている。え、ちょっと無視すんのはやめてくださいよ。オレががんばって聞いてんのにさぁ。
     無慈悲な後ろ姿を見ているうちに恥ずかしかった気持ちがだんだんと冷めていく。それでも何か言ってくれるんじゃないかと未練がましくも拗ねた気持ちで見つめていたら、獪岳は鍋をコンロにのせて点火まで済ませた途端にぐるんとこちらを振り返った。翡翠色の瞳がオレをまっすぐ見つめてくる。
    「な、なに?」
     オレを見るなり獪岳はぎゅうと眉間に眉を寄せ、口をへの字にして向かってきた。
    「えっ、ちょっと、怒ってんの?」
     テーブルの向こうから手をついて身を乗り出してくる。殴られんのかと思って咄嗟に身をすくめたオレの顎を獪岳は片手で掴んで上向かせると、下唇におもいっきり噛み付いてきやがった!
    「いっでっ!」
    「そんなに強く噛んでねぇよ」
     言いながらもまた唇を合わせてくる。あ、これマジのやつだ、と一瞬でわかるキス。いや待ってホントに何がスイッチなのコノヒト。ぼやけて見えてもきれいな緑色の瞳からはなんにも伝わってこない。それよりさっきのオレの顔ってめちゃくちゃブサイクだったんじゃないの? 恥ずかしさを堪えて聞いたのにまるっと無視してくれたからめちゃくちゃ拗ねてたのに。ほんっとわかんねぇ。
     そんなことを考えていられたのもほんの数秒間で、オレの頭ン中はすぐに気持ちいいで塗りつぶされていった。舌同士がまるで別の生き物のように絡み合う感触に背筋がゾクゾクして腰がズンと重くなる。いま口に入れるもので何が一番好きかって聞かれたら、絶対獪岳って答えちゃうくらい気持ちよくって、おいしい。
    「はぁっ、あっ、んんっ、まって、獪岳もうムリっ……!」
     酸欠状態に耐えきれなくなって合わさる唇の隙間からなんとかギブアップを伝えるも全然止まってくれないから、目の前の服を強く掴んだ。シャツの胸元を引っ張られて少し獪岳の頭が下がる。それを合図にしたようにオレの口内を蹂躙していた舌が渋々といった感じで出ていってくれた。
    「服にさわんな。果汁がついてべとつくだろうが」
    「はぁっ、はぁ。……ムリ、だって。窒息死、しそうなのに、さぁ」
     息も絶え絶えに言い返すと、鋭い舌打ちが飛んできた。オレに「息継ぎ下手くそ」って言うけど、アンタいっつもオレの息全部吸い込んじゃってんだかんね⁈  そこんとこわかってる?
     なんとか息を整えてテーブルの向こうに立つ獪岳を見た。不機嫌そうに眉が寄っているけどこの顔は知ってる。ちょっと照れてるヤツだ。あ、ちょっと待って。その顔見たらオレも照れちゃうから今はやめてほしい。
    「おまえは……自覚がねぇのか」
    「え、自覚?」
     いきなり己を顧みろと言われても酸素不足の頭はうまく働いてくれない。そんなオレを十分わかってるのか、獪岳は「そこにいろ」と言い置いて居間に行ってしまった。居間と台所を仕切るレトロな型板ガラスの引き戸を眺めていたら、ガラスの向こうでぼやけて動く獪岳が見えた。何してんだろうと思う間もなく獪岳は何かを持って戻ってきた。
    「おまえは一度作業してる自分の顔を見てみろ」
     手に持っていたのはじいちゃんが髭を整えるときに使ってる卓上ミラーで、獪岳はオレの顔がよく見えるよう目の前に置いた。鏡にはまだ頬を真っ赤にしたオレの顔が映っていて、あまりの恥ずかしさに顔を背けた。
    「なにコレ。鏡見ながらヘタ取れってこと?」
    「そんなの気にしてたら作業に集中できねぇだろ。無視して作業してろ。あと、俺は居間にいるからお湯が沸いたら呼べ」
     獪岳様は偉そうな態度で矛盾だらけのことを言いやがる。顔を見ろと言ったり見ながらやるなと言ったりわけがわかんねぇよ。しかもお湯が沸いたら呼べって? ちょっとぉ、オレは火の番もしなきゃなんねーの?
    「いいから黙ってやれ」
    「いやまだなんも言ってませんけどね⁈」
    「思いっきり顔に書いてあるんだよ」
    「げっ、どこどこ」
     慌てて顔をペタペタ触っていると、ばーかと言う声と共に頭の上にゲンコツを落とされた。キスしてくるくらいだから当たり前なんだろうけど、やっぱり今日の獪岳は機嫌がいい。そのままオレの髪をくしゃりと混ぜて、本当に居間に行ってしまった。
    「なんか誤魔化された気がする……?」
     とりあえず仕切り直そうとベタベタする手をシンクで洗って、隣のコンロに置いてる鍋を見た。鍋の中では大量の瓶が水に沈められ、水温をゆっくりと上げ始めたところだった。
    「要はオレのヘタ取りが先に終わればいいんだよね。よおっし、負けねーよ?」
     ここにいない獪岳に宣戦布告をしてやる気を漲らせたオレは、まずテーブルの上のボウルと鍋の配置を整えることにした。いちごが取りやすい左斜め上の位置にボウル、右手のすぐ近くにヘタを入れるビニール袋、左手のそばにイチゴを入れる鍋を腕の長さに合わせて置き直した。我ながら完璧な配置だと思う。イスに腰かけ袖をまくり、左手で一ついちごを取った。ヘタ取り器でヘタが取りやすいようにいちごのヘタを右側にしていちごを持つ。ヘタ取り器の形状はとげぬきに似ているのでヘタを根元から摘めばすぐに取れた。取ったヘタは右に置いたビニール袋に入れていちごは左に置いた鍋に入れる。左手をそのままボウルにスライドしてまたいちごを取れば無駄な動きがひとつもない。
    「何このパーフェクトな流れ。オレってば天才じゃないの?」
     自画自賛するオレにイヤミを言う人間はここにいないから、鼻歌を歌いながらヘタ取りを進めた。数回繰り返すうちに一定のリズムができあがり、しばらくしてオレはこの単純な作業に没頭していった。
     
     作業を始めて随分経った頃、手に取ったいちごのぐにゃりとした感触で作業が止まった。傷み具合を確かめようと少し視線を上げたら、目の前に置かれていた鏡に下唇を突き出しムスッとした表情のオレが映っているのが見えた。
    「うっそぉ、オレこんな顔して作業してんの⁈」
     夢中でやってんだからもっと楽しそうな顔してるんだと思ってたのに。だってさ、獪岳がチューしてくるくらいなんだよ? もっとこう色気とか可愛げのある表情してるんだと思うじゃないの。いやこれさぁ、こんな顔、喧嘩してふてくされてる時とほとんど変わんねーじゃん。えっ、アノヒトこんな顔にチューしたいって思っちゃうわけ?
    「……獪岳って趣味悪いんだ」
     なんて言ってみるけど首から上は火が出てんじゃないかってくらい熱いし、心臓はバクバク音を立ててるし、オレの意思に反して顔がぐにゃぐにゃとニヤけてしょうがない。
     へーほぉーふーん。そっかぁ。ふふふふふ、うぃひひひひ。
     獪岳に気持ち悪いって嫌がられるあの笑い声が勝手に口から漏れてしまう。いやいや無理でしょ。こんなの顔が笑っちゃってしょうがないっての!
     こんなにゴキゲンな気分になると俄然やる気も湧いてくる。残り僅かないちごはさっさとヘタを取ってしまって任務完了だ。ベタベタな手をシンクで洗うついでに鍋の湯を確認した。いいタイミングなのかもうちょっとで沸騰しそうだった。
    「おーい、獪岳ぅ。もうお湯沸くよー」
     居間に向かって声をかけるも返事がなく、引き戸が開く音もしない。
    「ちょっとぉ、聞こえてるー?」
     まさか獪岳ってば寝てるんじゃないの。
     コンロの火を少し小さくしてガラス戸に近づけば、型板ガラスの向こうでゴロリと動く黒い塊が見えた。
    「やっぱ寝てんじゃん」
     いつもならオレにだけさせてーとかクソ獪岳って思うんだけど、今のオレは最高に機嫌がいいので優しく起こしてさしあげよう。感謝したまえ獪岳くん。
     オレはガラス戸を静かに開けて居間の中にいる黒い塊を探した。なにげなくテレビの前に目を遣ると、黒い塊が半分に折った座布団を枕に寝転んでいるのを見つけた。
    「獪岳、お湯沸いたよ」
     頭の横にしゃがんで呼びかけてみたけど獪岳はピクリとも動かない。
    「これ起こして機嫌悪くなるやつだったらどうしよう」
     寝起きが悪いパターンを想像しながらじっと顔を覗き込んだ。あーやっぱまつ毛長いなーとか結構色白なんだよなぁなんて、正直に顔の良さを褒める感想しか出てこない。ほんっと、顔はいいんだよコノヒトは。いや別に顔だけが好きなんじゃないけどね。でもまぁそれにしたって顔がいいのはまちがいない。
     すっと通った鼻筋に薄くて凛々しい唇。今は眠っているせいか少し幼く見える寝顔に何かが足りないような気がする。なんだろう、何が足りないってんだ。別に顔のパーツはちゃんとそろってるし、ニキビもないし傷もない。すやすやと気持ちよさそうに眠ってるだけなのに。
     なぞなぞみたいな問いにオレは頭をひねった。起きていると見えて眠っていると見えないもの、なーんだ。
     ああ、目だ。
     あのピカピカに磨き上げた翡翠のような瞳が見えないんだ。オレが獪岳の中で一等好きな美しい緑色が見たいのに、今は見ることができないんだ。
     人間っていうのは勝手なもんだな。見えないとなると俄然見たくなるものらしい。目を覚ませ、目を開けろと穴が開くほど見つめて念じてしまう。そんなの待ってないで声をかければいいだろうと炭治郎だったら言うんだろうけど、獪岳は寝起きが悪いんだよ? 殺されたくないじゃん!
     だからオレは獪岳の顔をずっと見続けてる。少しでもまぶたがピクリと動いて自分で起きてくんないかなーなんて思って見てる。早くあのきれいな緑色に会いたい。お願いだ。起きろ、起きてくれ。
    「起きてよぉ……」
    「起きてほしかったらちゃんと起こせよな」
     情けないオレの呟きが聞こえたのか、獪岳の閉じていた瞼がいきなりぱちりと開いた。恋い焦がれて待っていた、まあるいピカピカの緑色がオレを射貫く。
    「えっ、あっ、ちょっ。おっ、おっ、起きてるぅ⁈」
    「火ぃ使ってんだからマジで寝るかよ。お前はほんっとにバカだな」
     本気で呆れたような口調で俺に悪態をつくくせに、寝っ転がった体勢からちっとも起き上がらない。獪岳を見下ろすことなんてまずないから、すごく新鮮で目が離せない。真下に見えるぱっちりと開いた翡翠色の瞳に目が奪われてしまう。
    「おまえって俺の目が好きだよな」
    「……そんなことないと思うけど」
    「嘘つけ。おまえはキスする時もずーっとオレの目見てんだぞ。どんなに息が続かなくってゼェゼェ言ってても絶対目を逸らさねぇ」
    「うっそだあ」
    「見られてるオレが言ってんだから嘘なわけあるか」
     ガーン。バレてた。あんだけ至近距離だから見えててもオレがガン見してるのはわかんないと思ってたのに。
    「次からは──目ぇ閉じちゃう?」
    「あ? なんで俺だけ見られてなきゃなんねぇんだよ。おまえが閉じないなら俺が閉じるわけないだろ」
     どうやら獪岳は自分だけ目を閉じるつもりはないらしい。まぁ負けず嫌いだもんな。オレが見てんのに自分は閉じるだなんて絶対しねーわ。 
    「ほら。さっさとキスして俺を起こせ。火ぃ付けっぱなんだろ」
    「そんな親切なこと言う獪岳初めてなんだけど。そんなにいちごジャム食べるの楽しみなの?」
    「楽しみにしてんのはおまえだろ。あんだけあったいちご、全部一人でヘタ取りしたじゃねぇか」
    「アンタがやれって言ったんデショ⁈」
     ぶうとふくれたオレを見て、獪岳の瞳孔が僅かに開いた。待ってアンタ本当に俺の不細工なツラが大好きなのね。マジでビックリだわ。
     オレの目は獪岳が持つ二つの宝石に釘付けで、獪岳の手が頬に触れた感触で手を伸ばされていたことに気づいた。二つの翡翠を見つめながらゆっくりと身を屈めていくと、オレが大好きな獪岳の顔が少しずつぼやけいていく。コンロの火を小さくして正解だったな、なんてどうでもいいことを頭の隅で思いながら、オレは今日三回目になる獪岳とのキスに溺れることにした。 
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    タカムラ セイ

    DONE【獪善】せかんどすとーりー
    以前書いたお話のつづきものです。モブが語るので苦手な人にはすまんな、と。
    あらしのよるに
    https://twitter.com/takamura_say/status/1412069089003008000
    つゆのはれまに
    https://poipiku.com/4322980/7075949.html
    上記二つを読んだことがない人は先に読んだ方が楽しめると思います。
    せかんどすとーりー いらっしゃいませ、おひとり様ですか? もしかしてあなたも新しい出会いを求めてここにいらしたのかしら。ふふふ、なんでわかったのかですって? そりゃあお店に入るなりキョロキョロしていたんですもの、一目瞭然だわ。
     ご挨拶がわりにあなたのことを当ててみせましょうか。今のあなたは……一人暮らしでしょ。実家を離れて初めての慣れない一人暮らし。ほーら当たりでしょ。だってあなた、わたしがちょっと前まで一緒に暮らしていた彼と雰囲気が似ているんだもの。
     あらあらどうしたの、そんな困ったような顔をして。えっ、彼とわたしがどんなふうに暮らしていたか知りたいですって? 一体なんでそんなことを? はぁ、わたしのことをちゃんと知りたいからなの? うーん、どうしようかしら。そうねぇ……個人情報に触れることは言えないけれど、すこーしくらいならお話ししてあげてもいいわよ。あなたがわたしをパートナーとして興味を持ってそう言ってくださってるのなら、お話しした方がいいものね。
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