汚れた身体で綺麗に踊る "要らない"と思った。
"消えたい"と思った。
その方がきっと、周りの人間は自分を必要としてくれるし、もっと多くの人を笑顔に出来る。
なによりもこれ以上あいつらをがっかりさせることはない。
――これが、最大級の望みだった。
***
最近、どうも調子が悪かった。今まで上手に出来ていたことが出来なくなっていた。笑って欲しくて、必要とされたくて、自分の存在を他人の心に刻みたくて、頼りにされたくて、愛されたくて、心配をかけたくなくて、がっかりさせたくなくて、嫌われたくなかったから、ずっとスターでいた。そうしていれば大抵の望みは叶う。病弱の妹を支えて、家族との不和に悩む後輩の背中を押して、ショーが大好きなあいつらを座長として導けば、皆笑ってくれた。必要としてくれた。「愛されている」と感じることが出来た。
全ては人のため。それが巡り巡って自分のためにもなると思えた。
異変に気付いたのは2週間前。咲希に「これからはアタシのためじゃなくて、お兄ちゃん自身のためだけに生きて欲しい」と言われたとき。どんな会話をしていたかは覚えていないが、一瞬、頭が真っ白になった。すぐに思考を戻して「オレはいつだってオレがしたいことだけをしているぞ!」と答えたが咲希は困ったように笑うだけだった。
だって、咲希を笑顔にするのは本当にやりたいことで。そのためならどんなこともしたし、我慢もした。
――"我慢?"なにを?
そう思ってからは今生きている自分がどこにいるのか、なにをしているのか、どんな表情をしているのか、なにもかもがあやふやになる感覚に陥った。ただ、鏡の前に立って自分の顔を確かめたらちゃんと笑っていたから、まだやっていけると思った。
限界に達したのは1週間前。いつも通りステージで3人とショーの練習をしていたとき。仮面の下に隠していた感情が初めて顔を出した。
"期待に応えられなかったら失望される"と。
この日は週末に控えているショーの通しをやっていた。やけに心臓の音がうるさく聞こえて、視界が狭くなって、息が詰まって、自分が今どの位置にいて、どのタイミングで台詞を言えばいいのか分からなくなった。
「司くん……?」
類に名を呼ばれてハッと顔を上げたら、3人が不安そうな目でオレを見ていた。
「次、司の台詞でしょ。なにぼーっとしてるの。……平気?」
「大丈夫?具合悪い?」
「珍しいこともあるものだね。顔色が悪いし、一旦休憩を挟もうか。水を持ってくるから司くんは座ってて」
迷惑をかけてしまった。心配させてしまった。
そう思った瞬間、目の前が真っ暗になった。どうやら倒れてしまったらしく、光が目に入ったときには類の膝の上で横になっていた。類が「おはよう」と言って苦笑いをする。辺りは夕日に包まれており、えむと寧々は帰る準備をしていた。大事な練習を無駄にした。オレのせいで。
腹筋に力を込めて立ち上がり歩き出すと類が「無理しないで」とオレの腕を掴んだ。罪悪感が全身に襲い掛かってきた状態で顔を合わせるなんて出来なかった。だって、「無理はしていない」と言って笑う余裕もなかったのだから。類の手を振り払って、逃げ出した。
帰宅後、家族の誰にも挨拶せずに一直線に部屋に入った。そして、あの曲を流した。
セカイは暗闇に満ちていた。ミクやカイト達も見当たらなかった。オレはその場に座り込んで目を閉じて、ただ一言、こう呟いた。
「――代わりが欲しい」
目の前に現れて哀れむようにオレの頬を撫でたのは、天馬司だった。
さて。ここまで天馬司の想いをつらつらと述べてきたのは、一体誰だろうか。
***
練習で倒れた次の日、司くんは学校に来なかった。僕はもちろん、生徒達もかなり心配している様子で彼の影響力の大きさを改めて感じている。
「……あ」
しかし翌々日の朝、教室の廊下を歩いていると案外呆気なく司くんの姿が見えた。やっと会えたという安堵の気持ちと具合は平気なのかという気持ちが同時に胸を打つ。
「類!」
僕に気づいた司くんが駆け寄ってくる。そして、「おはよう。この前は心配をかけてすまなかった。もう大丈夫だ」と笑った。僕は「司くん」と言いかけたが彼の姿を見てその名前を喉の奥まで飲み込んだ。
「…………おはよう。元気そうでなによりだ」
「スターとしてあんな失態は二度と起こさないから安心してくれ。どんな演出も、週末のステージも、今日からの俺は完璧にこなしてみせる」
「うん。期待しているよ」
昼休みも、放課後も、いつも通りだった。先日の出来事が嘘だったかのように彼は僕の演出にも応えて、ミスもせず、自信満々な表情で僕達と話していた。えむくんは「むむ~?」と不思議そうに彼を凝視していたけれど、すぐに「なんでもないか~」と言っていた。寧々のところへと向かったえむくんの背中を、彼は無表情で見つめていた。
帰り道、更衣室で彼と話しながら着替えを始める。本当に、いつも通り。今日の練習はこうだった、ああだった、次はもっとこうしよう、ああしよう。そんな話を繰り広げる。ボタンを閉めて、「ところで」と呟くと、彼は「なんだ?」と言った。
「君は誰?」
微笑みながら「今日のご飯はなんだと思う?」と聞いているかのように流れるほど自然に問いかけると、目の前の男の目が、朝に会った時と同じ鈍い赤色に光った。気がした。
「…………誰だろうな?」
「問い返すのは卑怯だなあ。分からないから聞いているんだよ」
彼の表情が一気に変わった。司くんのような笑顔はなく、無表情のまま据わった目で僕を睨む。
「――天馬司の望みによって表に出てきた、もう1人の天馬司。とでも言っておこうか」
「……。司くんの望み……だって?」
「完璧じゃない自分はもう必要ないそうだ。自分以上に周囲の人間を幸せに出来る代わりを、心から欲しがっていた」
「俺はずっとあのセカイにいたんだ」という彼の最後の言葉から、司くんの心の底にある闇が垣間見えた気がして、息を呑んだ。「察しが良いな」と低い声で言った彼は腕を僕の後頭部まで伸ばし、思いきり髪の毛を掴んだ。唐突な痛みに顔が歪むが彼はお構いなしに乱暴に頭を引き寄せ、額と額をぶつけた。
「――不完全なオレではなく、今お前の目の前にいる俺こそが、おまえらが望んでいた天馬司だ」
「……な、にを……ッ」
「そうだろう。お前のどんな演出にも応えて、お前を導いて、笑顔にする天馬司が好きで、必要としていて、頼りにしている。そういう態度をとってきたのはお前自身だ、神代類」
「……ッ!」
「俺という存在を作り上げたのはオレじゃない。お前を含め、オレと関わってきた全ての人間だ」
言い訳すら出てこなかった自分を、今までの人生で1番、心の底から憎らしく思った。
赤い瞳は全てを見透かしたかのように僕を嘲笑っていた。