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    ao510c

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    ひろラハ小説をちょっとずつ書いています。あと半分!
    ※グ・ラハの過去を一部、ひどい方に捏造した話。ややむごい。

    新しい太陽の燃える海 エオルゼアを取り囲む五つの海に、一隻の幽霊船が漂っている。乗っているのは船長たった一人。彷徨い続ける亡霊は、七年に一度だけ上陸を許される。その日、貞淑を捧げてくれる乙女を見つけられれば、運命から解放されるのだ。そうでなければ世界の終わりまで彷徨い続けるのがさだめ。
     柔らかい客席に腰かけて、そんなオペラを見た。趣味ではなかったが、引き込まれた。
     イシュガルドの劇場は、外気などまるで感じさせない作りだ。分厚い石造りの壁に囲まれ、温かく、穏やかな照明に照らされている。高い天井、美しいシャンデリア、毛足の長いカーペット。どれをとっても非日常だ。そこに、管弦楽の甘やかで荘厳な音色が響く。完全に貴族のための会だった。
     そこに紛れ込んだ冒険者とグ・ラハはそろいのタキシードを着て、かしこまっている。チケットをくれたのはフォルタン伯爵だ。アルトアレールと一緒に観覧するつもりが、都合が合わなくなってしまったらしい。どんな巡り合わせか、冒険者はちょうどチケットのやり場を探していた伯爵のもとを訪ねた。趣味か、と問われれば全く違う。しかし、誘いたい相手なら心当たりがある。
     冒険者がこの観劇に誘うと、グ・ラハ・ティアは飛び上がって喜んでくれた。もともとイシュガルドに行ってみたい気持ちがあったようで、フォルタン伯爵が夕飯にも招いてくれるとなれば、喜びはひとしおだったらしい。
     目を輝かせる彼を伴って最初にしたのが、衣装を見繕うことだ。何せ、フォルタン伯爵の名代である。妙な格好では居られない。
    「イシュガルドの貴族向け劇場でオペラなんて。どんな格好で行ったらいいんだ?」
    「普段通りは、まずいな。一着仕立てよう」
     それで冒険者は、二人分のダークスーツを仕立てた。黒いウールのジャケットに、紺色のネクタイとこじゃれた柄のポケットチーフを揃えたのである。
     エレゼンばかりのイシュガルドで、ヒューランとミコッテの二人連れはそれでなくとも目立つ。周囲より頭一つ二つは背が低いし、骨格も違う。下手な格好をすれば、体つきばかり立派な子どもが胸を張っているように見えるのがオチだ。
     しかし、冒険者はそうしなかった。裁縫師ギルドのマスター、レドレント・ローズにも相談して、エレゼンの貴族たちの中で見劣りしない、また、その場で浮くこともないコーディネイトを成立させたのである。
     もともと冒険者は貴族たちに顔が知られている。元暁の血盟の二人がしゃれた格好で劇場のロビーに入ると、人々は色めきだった視線で二人の行方を追った。周囲の視線は、自席につくまでついてきた。
     柔らかいクッションの座席に背中をぴったりつけ、冒険者とグ・ラハは視線を交わした。自然と笑みが零れた。
     貴族たちは顔見知りと出会うたび、あちこちでおしゃべりをしている。客席はゆっくり埋まり、ざわめきはなかなか収まらなかった。それでも、こういった遊びになれた貴族たちはしおどきをわきまえている。やがて声はひそやかになり、静まっていった。場内が暗がりに沈み、ステージだけが明るくなる。
     出演者たちは、入れ替わり立ち替わりステージに上がってくる。そして、朗々と歌った。冒険者やグ・ラハが知っている軍歌よりずっと格調高い歌声は迫力があり、優美だ。ただし言葉が古式ゆかしく、難解である。グ・ラハが終始目を輝かせている中、冒険者はあくびを噛み殺す事になった。
     まじめな顔をしているのは得意なほうだ。それに、隣で目を輝かせているグ・ラハを見るのは、悪くない。赤い耳が機嫌良さそうにはためき、座席の座面に沿って垂らされた赤い尾が、冒険者の腿をはたはたと叩く。思わず頬が緩んだ。
     ただ、冒険者とてずっとグ・ラハをみている訳にはいかなかった。
     二時間半ほどのオペラの終盤、幽霊船の船長は己を愛してくれる女性を見つける。しかし彼女には恋人がいた。恋人に心変わりを責められる女性を物陰から見た船長は、再び航海に出る。
     息を飲んでみたのはここからだ。
     幽霊船の船長に貞淑を捧げると決めた乙女は、海に身を投げた。冒険者はできるなら駆けだして、彼女を止めたいと願った。
     乙女の艇身によって、船長は曙光の中に融け、消えていく。さだめを解かれ、救済されたのだ。
     冒険者の頭の隅に、アルバートとエメトセルク、そして水晶公の存在がよぎった。魂だけの存在になってノルヴラントを百年彷徨ったアルバート、艇身をもって冒険者を救おうとした水晶公、古代からつい先日まで苦しみ続けたエメトセルク。彼らを順番に船長や乙女に重ね、最後に自分を船長に重ねた。エオルゼアの英雄。ひとところに留まれず、彷徨い続けるさだめ。
    「面白かったな」
     終演後、鳴りやまない拍手の中で明るく笑うグ・ラハにややこわばった笑みを返し、冒険者は頷いた。
    「ああ、面白かった」
     観劇を終え二人は連れだって移動した。道中は雪が舞っていたため、都市内エーテライトを最大限に利用した移動だ。
     フォルタン伯爵邸で少し休み、広間に案内されて夕食となった。この席で、グ・ラハは終始、緊張した様子だった。
    「テーブルマナーって、いまいち苦手だ」
    「勉強してただろ?」
    「実践となると違うんだよ」 生真面目な顔で言うグ・ラハを見ているだけで、冒険者の表情は緩むいっぽうだ。冒険者は器用で物覚えがいい。とはいえ、系統だった学問の面ではからきしであるから、グ・ラハの知恵を垣間見るたび、下を巻いてきた。これは、珍しく自分が教える側に立てるかも知れない。
     白いクロスが引かれたテーブルの向こうにフォルタン伯爵が座っている。こちら側には冒険者とグ・ラハ。シャンデリアの灯りに照らされた部屋に、食事の湯気が漂っていた。また、時折暖炉の火が小さな音を立ててはぜる。温かい空間だ。
    「今日は素晴らしい公演のチケットをありがとうございました」
     先ほどの衝撃からすでに立ち直った冒険者は、すらすらと礼を口にした。フォルタン伯爵は微笑を浮かべて頷く。
    「楽しんで頂けたようで安心した」
     優しい声音で応じるフォルタン伯爵は、冒険者にとって身元を保証してくれる後見人であり、イシュガルドでの冒険を経た今では、第二の父親のような人だ。召使たちも、冒険者を家族のように扱ってくれる。この家は居心地が良かった。 ただし同時に、冒険者が特に気を使う場所でもある。甘え過ぎてはいけない、と強く思う。だから、ここで寝起きする機会は稀だ。
    「貴方の帰宅に」
     今夜の乾杯にあたって、フォルタン伯爵はこう言い添えた。
    「ありがとうございます」
     冒険者は笑ってグラスを傾けた。グ・ラハが難しい顔をしているのは、緊張しているからだとばかり思っていた。



     割り振られた寝室に下がって、二人はスーツからパジャマに着替えた。柔らかい絹でできたシャツとパンツのそろいだった。
    「尻尾の穴があけてある!」
    「お前を見て用意してくれたんだろうな」
     執事やメイドたちは、そういったもてなしに抜かりない。痒いところに手が届き、気配り、先回りの得意な者たちがこの部屋の世話をしてくれている。
     証左に、なんの説明もしていないのにベッドが二つある部屋に通された。ベッドの上にはそれぞれパジャマが置いてあり、グ・ラハのパジャマに至っては先述の通り、尻尾の穴まであけて、きれいな縫い目で処理してあった。恐れ入る。
     ここはかなり大切な客を通す部屋なのだろう。濃赤のびろうどでできたカーテンと、柔らかいカーペットが特徴的だ。大胆な柄のある壁紙に、白いシーツが敷かれたベッド。ベッドの足側には、金色の細長い布、ベッドスローがアクセントとしてかけてある。ベッドとベッドの間にはマホガニーのナイトテーブルがあって、水差しが用意されていた。部屋の温かさを慮って冷たい水を用意してくれたようで、クリスタルの容器は結露している。
     また、窓辺にはこれもびろうど張りのソファーと透かし彫りが見事な木製のローテーブルが据えてあった。加えてパウダールームとシャワーまであるのだから、贅を凝らした部屋だ。
     グ・ラハは落ち着かない様子で部屋の中を見て回り、眉尻を下げた。
    「なんというか……手間かけて申し訳ないな」
    「喜んでくれてたし、いいんじゃないか」
     口では彼を宥めながら、冒険者も本音ではグ・ラハに共感している。普段、冒険者が自分だけでイシュガルドに泊る際には雲霧街の安宿を常宿にしている事は伏せた。冒険者とてこの家は好きだ。ただ、少しだけ肩がこる場所でもある。 冒険者はベッドに腰かけ、グ・ラハを呼ぶ。彼は素直に冒険者の隣に腰かけ、首を傾げた。二人の距離は拳一つ分。仲間にしては近すぎるが、恋人としてはまだ少し遠い。冒険者は腕を伸ばし、グ・ラハの髪をそっと撫でる。
    「疲れたか?」
    「?」
    「さっき、硬い顔してた」
     食事の時、気にかかった表情を指摘すると、グ・ラハは眉尻を下げたまま笑った。
    「あんただって」
    「俺?」
    「オペラの時、はじめは眠そうにしてたのに、最後は怖い顔してただろ?」
     この瞬間まで、冒険者はグ・ラハがオペラに夢中で周りなど見ていないに違いないと信じて疑わなかった。しかし、そうではなかったようだ。
    「見てたのか」
    「見てる。いつでも」
     そういって笑う彼の目は静かだ。穏やかで、深みがある。
     敵わないな、と思った。冒険者は息を吐き、肩を丸める。
    「ちょっと重ねてた。自分に」
    「あんたに?」
     首を傾げながら、グ・ラハは冒険者に肩を寄せた。慰める仕草だった。冒険者は首を倒し、グ・ラハの頭に頬を寄せた。ほのかに感じる体温や体重が心地良い。
    「ウルダハを追われた時、もう、ひと所に留まれないと思ったんだよ」
     冒険者はかつて、ナナモ陛下暗殺の濡れ衣を着せられてウルダハを追われた。政変の場を逃れ、亡命した先がこのイシュガルドだ。あの時、かつての名声は地に落ちた。
     グ・ラハは冒険者の背中を撫でる。
    「あんたでもそんなこと思うんだな」
    「うん。でもあの時は、お前の言葉があったから」
    「俺の?」
    「そう。お前が眠ってすぐだったんだ」
     冒険者は人より辛抱強く、へこたれない質である。それにしても限度があって、あの時はさすがにうなだれた。落ち込んだところに凍えるようなイシュガルドの気候は堪えた。しかし、不安そうなタタルと、落ち込み続けるアルフィノの前で、くよくよしている暇はなかった。すぐ、己を奮い立たせてくれる言葉を思い出した。

    『──目が覚めたら真っ先にあんたの名前を探すよ。その名はきっと歴史に残って、オレを導く光になる』

     何があっても、この瞬間にも己を信じて眠り続ける男がいる。彼に、情けない歴史を見せられない。彼の信頼は冒険者の背中を支え、足に力を与えてくれた。
    「お前をがっかりさせられないと思ったら、頑張れた」
    「……大げさだな」
     つれない言葉を口にしながら、グ・ラハの声は震えていた。頬に触れた耳が元気に動いてくすぐったい。冒険者は笑った。
    「それで、お前は?」
     いま話題にしたいのは、落ち込んでいた冒険者の過去ではないのだ。冒険者はグ・ラハの話が聞きたかった。だから、自分の話をしたのだ。改めて促せば、今の告白で緊張がほぐれたのか、グ・ラハは気まずそうにしながら教えてくれた。
    「ああ……あんたにとって、フォルタン伯爵は父親みたいな人なんだろ?」
    「まあ、そうだな?」
    「なんか、いいなって」
     いいな、という声が寂し気だった。
     そういえば、お前の父親は。
     問いかけて、聞けなかった。グ・ラハの耳がへたれている。そういえばこの男は故郷からアラグの資料と共に引き取られ、オールドシャーレアンに籍を移したのだ。故郷や両親を思う晩の一つや二つ、あって不思議はない。冒険者は黙ってグ・ラハを抱き寄せ、布団の中に引きずり込んだ。
     上質なマットレスは、男二人の体重をうけて音もたてず沈み込む。温かい羽毛布団の中で抱き締めてみれば、グ・ラハの身体は少し冷えていた。部屋の中が温かいだけに、意外だ。
     冒険者に手を引かれるまま布団に潜り込んだグ・ラハははじめ、ひどく緊張している様子だった。冒険者は笑い、己の左腕を頭の下に敷いた。枕をグ・ラハの頭の下に据えてやり、右腕で彼の背中を抱けば、ちょうど指先が赤い髪に触れる。そっと頭を撫で続けていると、グ・ラハの身体から余計な力が抜けた。彼は冒険者の胸に顔をうずめた。甘えている、というより、縋りつく仕草だった。
    「ごめん。やっぱりちょっと、疲れたかも」
    「もう寝ろ」
     冒険者はグ・ラハの頭に鼻先を押し付けて囁く。胸元にうずまったグ・ラハが、すう、と息をするのを聞いた。彼は冒険者のにおいを嗅ぎ、心音を聞いているらしかった。照れくさいが、しばらくされるままにしていると、グ・ラハの呼吸が落ち着いてくる。身体から力が抜けるにつれて、息も深いものに変わっていった。まどろんでいるようだ。ただし、彼の眠りは浅い。冒険者が身じろぎすれば、すぐ目を覚ましてしまうだろう。グ・ラハの寝息に耳を傾けながら、冒険者は体を固くして眠りに落ちた。
     その晩、不思議な夢を見た。



     賢人位を得たその日、グ・ラハ・ティアは収蔵品ではなくなった。オールド・シャーレアンに市民権を得た。アラグの遺産、皇血の魔眼の標本ではなくなったのだ。
     これは、多くの資料とともに標本として海を渡ったグ・ラハにとって、人生の転機だった。
     それまで、一人で移動できる範囲は限られていたのだ。どこへ行くにも誰かしらの付き添いが必要で、薄暗くせせこましい部屋で勉強ばかりしていた。
     賢人位をとって、状況は一転した。読める本が増え、また、行動できる範囲も一気に広がった。
     賢人位を受ける式典のために訪れたオールドシャーレアンは改めて美しい街だ。青い切り石の港は美しいカーブを描き、見上げる様なサリャクの像がそびえている。
    「おめでとう」
     誰かの賛辞を、どこか遠くに聞いた。
     それまではよかった。目標にむかって、がむしゃらに勉強していればよかったからだ。わき目も振らず、勉学に打ち込んでいられた。ガラフの支援は十分だったし、衣食住と勉学が保証されれば、グ・ラハにそれ以上の望みはなかった。ただ本が読みたくて賢人を目指した。だから迷った。これからどうする。
     これからも暮らすのに不足ない金をもらえる。勉強もさせてもらえるだろう。
     悩みながら外を歩いて、図書館に向かった。
     そこで、これまで読めなかった本が読めると聞いていたからだ。結局のところ、できることは飢えたように学ぶことだけだった。だから、行動できる範囲が広がったとはいえ、行き先は限られていたのだ。
     図書館、とくに禁書庫は夢のような空間だった。何時間でもここに居られるだろう。そびえる本棚の谷底を酔ったように彷徨い歩いた。それでもバルデシオン分館に顔を出さねばならないから、なんとか数冊に絞り込んだ本を借りて道を急いだ。
     道中にある東屋で、絵本の読み聞かせを見た。年配の女性が絵本を開いており、周囲に子どもたちが集まっていた。そこだけ温かい風が吹いているような気がして、思わず足を止めた。
     話されていたのは、エオルゼアの北に位置する国家、イシュガルドで暮らす騎士たちの物語だ。ドラゴン族と戦い続ける国に興味を持ったのは、この時である。
     グ・ラハは東屋から少し離れた所に立ち、遠巻きに読み聞かせを聞いた。輪の中に入っていくことは、できなかった。
     子どもたちの歓声は素直だった。かつて、吟遊詩人の歌に心を躍らせた幼い己の姿を思い出した。眼前の景色と思い出の景色が重なり合う。子どもたちはどこでも、仲良しの友達と視線を交わして笑いあう。中に馴染めない子どもがいて、そういう子には大人が笑いかけてやる様子も見られた。そこには共感と思いやりがあった。
     グ・ラハの学びは独学だった。講師はなく、一人、孤独に本と向き合い続けるよりほかにない。勉強だけが、孤独を遠ざけてくれた。これに気づくとともに、一切の義務を負わない自分に気づいた。むなしかった。
     欲しい、と思った。魔眼でもなく、賢人でもなく、個人としての価値をだ。家に帰っていく子供たちと迎えに来た親の間にあるような信頼が、腕を組んで歩き微笑み合う恋人たちのような愛が、教師と彼を囲む生徒たちが持つ連帯意識が、グ・ラハにはなかった。故郷では一人の時間が長く、故郷から切り離されてきたこの土地でも一人だった。気づいてしまえばそれは、瞬く間に渇望にかわった。
     己は恵まれている。そして圧倒的に無知だ。他人を知らないのだ。
     人と話す場所が欲しくて、酒場に顔を出すようになった。それも、品のいい酒場は選ばなかった。安くて、汚くて、雑然とした場所を選んだ。その方が、自分の飲み方に合っていたからだ。
     酒を飲むと、幼くなった。騒ぐのが楽しくて、誰彼構わず話しかけた。構ってくれる者もいれば、鬱陶しがる者もいた。また、仕事終わりのグリーナーたちの中にグ・ラハの幼さをおもしろがる者がいて、奢ってもらう機会も多かった。それが危ない橋であるという意識はなかった。
     転落は、すぐそこにあった。
    「そりゃ、さみしいね。養い親とは、食事もしないのかい?」
    「……忙しい、人だから」
     初めにグ・ラハに手をつけたのは、年かさのグリーナーの男だ。親切で、優しい男だった。もし、こんな男が父親だったら、自分はここにはいなかったのではないかと思った。少しだけ、夢を見た。
    「うちにおいでよ。珍しいトームストーンがあるんだ」
    「じゃあ、ちょっとだけ」
     だからだろうか。抱かれた衝撃よりも、夢想を踏みにじられた衝撃の方が強かった。
     のこのこと付いていって、薄暗いアパルトの部屋に上がりこんだ。飲まされた強いアルコールでぐにゃぐにゃになって、ろくな抵抗もできないまま抱かれた。酷い夜だった。グ・ラハは吐きながら母を呼び、父を呼んだ。
     その男とは一度きりだった。それでも、一度抱かれてしまえば、狭い島の狭い人間関係でのことだ。うわさは瞬く間に広まって、相手はいくらでもいた。
     抵抗感があったのは、最初の数回だけだった。あとは慣れて、人肌が恋しくなった。親からも養い親からも満足に与えられなかった愛情の代わりに、誰かの欲でバランスを保とうとした。決まって、女ではなく男が相手だった。歪みは自覚していた。昼は真面目な研究者でいて、週末の夜にだけ、危ない橋を渡るのだ。噴水の横に立って、点滅する街灯を眺める。時々、冷たい雫が身体にあたる。そうして凍えていると、誰かしら、うすら笑いの男が声をかけてくる。誘われるまま彼らの部屋を訪ねた。必ず、朝までに寝床に帰った。
     繰り返しになるが、狭い島の、狭い人間関係の中でのことだ。クルルやガラフに悪癖を指摘されるまで、時間はかからなかった。悪癖を止めることも条件に含めて、クリスタルタワーの調査に送り出された。止める自信はなかった。ただ、現地はオールドシャーレアンやバル島より圧倒的に不衛生だった。フケやシラミのついた男たちにぞっとして、続ける気は失せた。



     頭痛が遠のく。じっとり汗をかいた冒険者は、頭を抱えていた。まだ、布団の中だ。傍に寝ていたグ・ラハが目を開き、冒険者の背中に手を添えている。その、下がり切った眉尻や狼狽えた眼差しが優しい。過去の彼にあった刺々しさがない。
    「おまえ」
     冒険者はうつむいたままグ・ラハを見た。まだ焦りを残す彼の表情はひととき和らいだが、冒険者の険しい顔を見つめるうちに再びこわばっていく。
    「どうしたんだ」
     問われて、冒険者は顔を覆い、深く深呼吸した。今見たものが、まだ信じられない。それでも息を落ち着けると、グ・ラハの顔を覗き込む。グ・ラハは柔らかい表情をしていた。冒険者を気遣うように背中を擦り、声をかけてくれる様は、まるで過去と繋がらない。
     今のは夢か、過去視か。夢であってくれれば、と願った。それは期待であり、逃避だった。
     百年、という歳月を改めて思った。
     ガラフからの援助は十分で、勉強も上手く行っていた中、彼は寂しさを抱いていた。よからぬ交際に手を出すほど、飢えていた。
     クルルとは、ひどい口論をしたようだ。今は、触れない、という事で落ち着いてるのだろうか。
     そして、痛いほどわかった。
     きっとこれは、グ・ラハにとってもう終わっている話だ。昔たまらなく寂しかった、それだけなのだろう。
     冒険者は口ごもった。
    「……なんでもない」
     黙り込んでベッドを降り、隣のベッドに移った。冒険者の胸には嵐が吹き荒れていた。まだ真夜中である。あらためて彼を抱きしめ、眠る気は起きなかった。怒りが収まらなかったからだ。
     彼と関係していた男たちはいま、どうしているだろう。叶うなら一度、殴り飛ばしてやりたい。二度と彼に近づくなと言い含めたい。そうしなければいつか、グ・ラハの過去が彼を追いつめることはないか。
     だが、自分にそんな手出しが許されるだろうか。改めて彼らに出会ったその時、グ・ラハはどうするのだろう。全て過去だと笑うのか?
     グ・ラハは傷ついていた過去に蓋をして、風化を待っているのではないか。彼が誰にも触れさせない傷をひた隠しているのだとすれば、今夜狼藉を働いたのは冒険者だ。 かつて彼はバランスを取ろうとしたのではなかったか。標本としてオールド・シャーレアンに移り住み、賢人になって、アラグの遺跡調査でお目付け役を言い付かる。その過程には凄まじい努力があった。彼はもっとインテリな言動に徹してもおかしくなかった筈だ。しかし、出会った当初、彼は信じられないほど幼かった。何故、どうやって幼さを保っていたのか。
     忌み嫌われたと言う目を持ちながら、氏族に捨てられたとは思わなかったか。ガラフ氏は愛情深かったか。凡ゆる苦境を前にしても、幼い頃に憧れた英雄の姿が輝いていたか。
     意図的に幼さを保とうとしたなら、そこには演技が含まれている。自ら負った義務や、これから雪崩れてくる運命を予感しながら、何も知らぬ振りを続けることで自我を守ろうとする。意味のなさを理解しながら抵抗せずにいられない空しさはどれだけか。今の彼は、襲いきた運命によって全て奪い去られた後ではないか。運命に従順になり、受け入れ、諦めた姿ではないのか。
     彼が向けてくれる視線の穏やかさを前に、冒険者は怯えた。どうしてやることもできない、たとえば美しい廃墟を見た時のような、取り返しのつかなさを感じた。ゆるしてくれ、とも言えない。これで良かった、とも。ただ彼の前に無力だった。
     ひとつ救いがあるとすれば、まだ彼と性的な関係を持っていないことだった。手を出していなくてよかった、と思った。
     貞淑を望んだからではない。自分が彼の過去にいる者たちと同じにならずに済んだことに、ほっとしていた。
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    ao510c

    DOODLEひろラハ習作。ラハ不在。ちょっぴり前作とつながりがある。ひろしが右足を痛めていてたまにすごく痛くなることだけ知っていれば読めます。
    マノーリン 黄色い風が吹いていた。乾いた風に砂が巻かれて黄色い紗のように見えるのだ。
     サファイアアベニュー国際市場では、広い通りの左右に並んだ露天商たちが慌てて品物を布で被う。色とりどりの毛織物がはためき、人の声がけたたましい。行きかう人々は顔を被い、足早に駆け抜けていく。そうしていても砂がかかるのは避けられない。冒険者の口にも砂は滑り込み、不快感が募った。
     珍しい風が吹く日だ。
     冒険者は顔をしかめ、路地へ入った。ひとつ奥の通りに入るだけで、少しばかり黄色い風から逃れられる。左右を埋めるのは石の壁。忌々しい砂を固めて作ったような色の石で、表面はざらついている。狭い路地を挟んで両脇に壁がそびえ立つため、空はひどく狭い。路地の狭さといったら、向かいの家の窓に紐を渡して洗濯物を干せる程なのだ。狭い空を洗濯物が被うと、この通りはさらに閉塞感を増す。とはいえ、今日は布を干した者はいないようで、紐だけが風に揺れていた。風は黄色い帯を描いて見える。見上げていると目にも砂が入りそうで、冒険者はうつむいて足を進めた。
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