教師傑(28)と生徒悟(17)がくっつくまでの秘密のお話「なあ〜すぐるぅ、俺のこと……お、か、す?」
「はぁ〜〜〜」
風呂上がりに濡れ髪のままバスタオル一枚の俺、対するはソファーで読書用眼鏡をかけて本を読む傑。
「悟、そんな品のないこと言うもんじゃないよ」
「品とか関係ねぇし。なあ犯す〜?」
「犯しません。ほら、髪乾かしてあげるからおいで」
「ちぇ」
毎日手を替え品を替え、こんなに可愛く誘っているのに返ってくるのはため息ばかり。なんで? 俺たち恋人同士じゃないわけ?
俺がぷくりと頬を膨らませると傑は困った顔で手招きした。
「ほら、そのままだと風邪をひくよ」
「引かねぇし」
「拗ねないの。ほら、ここ座って」
傑は、俺が通っている呪術高専で担任を務めている教師、そして俺は生徒。けれど、訳あって今はいわゆる同居中だ。
ちょっと前に学内の寮でボヤ騒ぎがあり、修復までの間だけ傑のマンションに泊めてもらうことにしたのだ。燃えた範囲は結構広く、俺の部屋はなんとか無事だったが、古い壁はいまにも剥がれ落ちそうなほど黒焦げになっていた。
夏油先生ーーもとい傑は、高専からほど遠くない都内のマンションで一人暮らしをしている。一人にしては大きすぎるその部屋は、全体がモノクロで纏められていて荷物も少なく、家具はソファーとベッドとローテーブル。あとは大きめの本棚に呪術やよくわからない学術系の本が並んでいた。まあ、俺がきてから一週間も経たないうちに、良く言うと賑やかに、悪く言えばかなりゴチャゴチャとしてきたが、傑は笑うだけで特に咎めることはなかった。
俺はソファーに座る傑の足の間に割って入り床に腰掛けた。すると傑はわさわさと髪を掻き混ぜて、ドライヤーで乾かしてくれる。これも、ここにきてから毎日のルーティンになっていて俺は結構この時間が好きだ。他人に髪を触られるのなんてまっぴらごめんだが、傑は別。大きな掌で髪を撫でられるのは心地よく、いつも目を瞑ってその時間を楽しんでいる。
しかし、だ。
それとこれとは別問題。第一、俺と傑は恋人同士なのだ。この間告って返事をもらったのだから、絶対に付き合っている、はず。
それは先日の放課後、廊下のド真ん中での出来事だった。
「傑〜ッ、う、う、ぁ、ぅ〜っ! 好き!」
加減ができなくて、多分五〇〇〇デシベルくらいの音量が出たと思う。茹で蛸になりながら肩で息をする俺とは対照的に、傑はちょっと驚いた後、
「ふふ、私も好きだよ。悟」
そう言った。
だというのに、何度「犯す?」だの「セックスしないの?」だの「傑ぅ〜、挿れて?」だの、誘えど誘えど返事はなく、眉間に皺を寄せた傑が大きなため息を漏らすだけ。
この俺の誘いに乗らないなんて、傑ってインポなの? もしかして経験ないとか? いや、それはないよな。結構モテるみたいだし……。
俺はドライヤーの音を聞きながらいつも悶々としているのに、傑は髪を乾かし終わると「明日も任務だろ? おやすみ悟」と額にキスを落として、何でもなかったかのように読書に戻ってしまう。
それが一週間も続いた。
限界。もう我慢ならない。恋人と言ったら、手を繋いだりキスしたり、あとセックスとか、色々するもんじゃないのか。というか俺はしたい。キスも、その先も。
そんな俺の気持ちなんて知らないだろう傑は、本を読みながらヒラヒラと手を振る。俺はわざと足音を立てながら、寝室として使っている空き部屋へと向かい、後ろ手にドアを閉めた。
俺用に、と傑が買ってくれたシングルベッドに腰掛けて、いよいよ決意表明をする。
「こうなったら絶対、ズェ〜ッタイ! この同居期間に傑とセックスしてやる!」
かくして、俺の『傑とセックス大作戦』が幕を開けた。
◆
翌朝。
意外にも朝に弱い傑よりもかなり前に起きた俺は、早速朝食の準備を始めた。
まずは、新妻アピールから始める作戦だ。同級生の野薔薇から借りた女性向け雑誌によると、新婚はとにかくセックスが多いらしい。ならば新婚になりきって、あわよくばセックスに持ち込もうという算段だ。俺は限りなく新妻らしく、塩分控えめの味噌汁に鮭の塩麹焼き、ほうれん草の胡麻和え、そして甘めの卵焼きを作って傑が起きてくるのを待った。
色合いから栄養バランスまで完璧。これが効かない男はいないだろう。俺だって、朝からこんなことされたらめちゃくちゃ嬉しい。我ながら自分の料理スキルに感心しつつ、ひとりで席に着く。
「早く起きないかな〜、寝坊助め」
と独りごちていたら、数分後、傑の寝室へと続くドアが開いた。
「ん、なんかいい匂いがするね」
「傑、おはよ」
「おはよう、悟……って、これ悟が作ったの!?」
きた! これだよ、この反応!
傑はテーブルに並べられた出来立ての食事に目を見開きながら、俺の方を向いた。
「へへっ、作ってみた」
「すごいよ悟! どれも美味しそう」
「冷めないうちに食べようぜ」
「ああ、いただこうかな」
傑は料理に釘付けのようで、「鮭大好きなんだよ」とか「朝から味噌汁なんて最高だね」なんて言いながら俺の向かいの椅子に座る。そして、
「いただきます!」
俺たちは声を揃えて、食事を始めた。
すごい。これは思っていた以上に新婚っぽい。野薔薇の雑誌によると、この後傑は「食事より、きみが食べたくなっちゃったな」と言って「こんな時間からイヤッ」と嫌がる俺を無理やり押し倒してキスするはずだ。さあ、いつでもこい傑!
「うん、この鮭美味しいね」
今か?
「あっ、甘い卵焼きだ。懐かしいなぁ〜」
もうくるか?
「わぁ〜、ほうれん草も絶妙な味付け。悟は料理も最強なんだね」
傑が笑いながら俺の方へと手を伸ばしてきた。き、きた……!
しかし俺の期待とは裏腹に、伸ばされた手は頭へと置かれ、そのまま何度か撫でると、
「偉い偉い。ご馳走様でした」
と言って、傑はさっさと自分の食器を片付けて台所へと向かってしまった。
「なっ」
「ん? どうかした」
「な、なんで」
「ああ、食べるの早かったかな。つい癖で……でもとても美味しかったよ」
「そうじゃねぇ〜!」
「じゃあなに」
「俺を食べたくならないわけ!?」
「え、悟は食べ物じゃないだろ」
「お前限定で食いもんだよ!」
「どういう意味?」
「だ〜か〜ら〜!」
俺は何だか無性にムカムカして、テーブルに手をついて立ち上がった。
「俺はーー」
と言いかけたとき、
「あっ、悟。もう時間だよ。今日の任務は早いから、遅れるとまずいだろ」
「え?」
たしかに時計を見れば、もう約束の時間が迫っていた。ついでに嫌な予感がして放置していたスマホを見ると、補助監督である伊地知から鬼のような着信履歴が表示される。
「ほらほら、早く支度しなさい」
「っ〜!」
こういうときだけ教師面してくるのは本当に嫌になる。しかし、時間が迫っているのは事実だった。
俺は傑に向かって思い切り舌を出し、あっかんべの仕草をしてから
「覚えろよ!」
と叫んで足早に部屋を後にする。
「ほんとにそのセリフ言う人いるんだ……」
と背後から聞こえるのは無視して、手早く身支度を整えると玄関を出た。
くそっ、くそっ、くそっ。
悔しい。
俺が作ったものを美味しいと言ってくれたのは、素直に死ぬほど嬉しかった。傑が俺の料理を食べている姿も新鮮でドキドキした。
でも肝心のその先へは進めない。
「俺って、もしかして魅力ないのかな……」
伊地知の待つ車へと走りながら、溢れそうになる涙をぐっと堪える。
泣いちゃダメだ。
俺は傑の恋人なんだから、このくらいで泣いてたまるもんか。
そう言い聞かせて、もう今朝のことは忘れるようにその日は任務に没頭した。
◆
私は生徒と付き合っている。相手はあの五条家の次期当主、五条悟。
彼とーー生徒と付き合うなんて、私の立場ではあってはならない。けれど幼く、いじらしい彼の精一杯の告白に『ノー』を突きつけられるほど、私の心は冷めていなかった。
むしろ、気づけば彼ばかり目で追っていたし、悟が任務で怪我をしてくると心臓が止まりそうになるくらい苦しくなる。こんな強い感情は二十八年生きてきて初めてのことで、私は自分の衝動をどう抑えればいいのかわからなかった。
だというのに、そんな私の葛藤など露知らず。若く初心な彼は、私のことを誘おうと毎日必死でアピールしてくるのだ。それがなんと愛らしいことか。
本当なら、今すぐにでも抱き潰してしまいたい。口付けて、深く犯して、何度も何度も愛を囁きたい。
けれど、その一線を超えられるほど、もう私は若くはない。悟が挑発するたびに、私が唇を噛んで耐え忍んでいるなんて、彼は知らなくていい。
だから、健気な誘いにも毎度知らぬふりをして流すほかないのだ。一度外れたリミッターには二度と鍵をかけられないことなんて、よく知っている。
だが、今朝は流石に怒らせてしまったかもしれない。
きっと、野薔薇あたりから吹き込まれて新婚生活ごっこでもしてみたかったのだろう。あわよくば、私とのその先まで夢に見ていたかもしれない。
悟の誘いをはぐらかした時、彼は泣きそうな顔をしていて、胸が痛いくらいに締め付けられた。
本当はあのとき、押し倒して、嫌と言っても泣くまで犯してしまいたかった。
けれどそれは許されないのだ。
「悟、大丈夫かな」
台所で二人分の皿を洗いながら、私はまた大きなため息を漏らした。
続く……