あなたの11ケタ 授業も任務もないからと、高専内の自分のテリトリーで午後のスイーツタイムを楽しんでいた五条のスマートフォンが鳴った。のんびりとした所作でポケットから取り出し画面を見ると『非通知』の文字。なんとなく胸騒ぎがして躊躇わず出る。
「ご、五条さん…!!」
「なに伊地知、今日は調査任務って言ってなかった?」
電話の向こうはよく知る相手、補助監督の伊地知だった。彼は今日は呪霊の目撃があった現場へと単独調査に出ているはずだ。
「手短に言います。今呪詛師に襲われています…!」
五条は目隠しの下で片眉を上げた。伊地知の声色は固く、少し震えている。非通知で着信があったということはおそらく公衆電話からかけてきているはずだ。スマホが使えない状況。事態は緊迫しているのだろうと察せられる。
「で、状況は? 話す余裕ある?」
調査に出ていた伊地知が現場をひと通り確認し終えたところで、別の補助監督から着信があったのだという。呪霊の祓除任務中に突然呪詛師が現れて攻撃を受けた。同行していた呪術師は負傷、撤退を試みたが呪詛師から追われており、至急応援を頼みたいとのことだった。その補助監督はこの春入ったばかりの新人で、伊地知の判断を仰ごうと必死の思いで電話してきたようだ。
元々その任務は呪詛師の関与は全く疑われていない、3級相当の単純な祓除だったはずだ。呪詛師とは偶然出くわしたのか、それとも……。
様々なパターンを想定しながら、伊地知は高専に救助要請をかけた。しかし到着にはしばらく時間がかかってしまうだろう。幸か不幸か、彼らの現場の一番近くにいるのは伊地知だった。
「そんで合流したけどオマエも一緒に追われて電話ボックスに逃げ込んだってワケ?」
五条の大きなため息が聞こえてきて、伊地知は肩をすくめた。帰ったらマジビンタでは済まなさそうだ。
――そもそも帰れるのだろうか。
大人3人がぎゅうぎゅうに詰まった電話ボックスの周りに伊地知は帳を下ろしていた。中に入れない呪詛師は物理的にそれを壊そうと執拗に攻撃しているようで、破壊音と衝撃が伊地知たちを蝕んでいく。このままでは数分も保たないかもしれない。
「ところで、なんで僕にかけてきたの?」
「なんでって…」
「ヘルプ呼んでるんでしょ? 応援が来るまでの暇潰し?」
「この状況でそれ言います…!?」
「ええ〜教えてくれないと僕わかんなーい」
「うう…」
「ほらほら、どうしてほしいか言いなよ」
「………ッ、五条さん、助けてくださいっ…!!」
「…よくできました」
通話が切れたと伊地知が思った次の瞬間、帳の外で轟音がした。大気がビリビリと震え地面が揺れる。どうやら帳そのものは破れていないようだ。
「ヒッ」
つぷん、と帳の中に腕が入ってきて、電話ボックスの扉が開けられた。その手に腕を掴まれた伊地知はそのまま引っ張り出されてたたらを踏む。倒れ込みそうになったところをガッチリとした身体に支えられた。知っているにおいがする。
「伊地知見っけ」
目隠しをずらしながら五条が笑った。
「五条さん、ありがとうございました」
伊地知ともう一人の補助監督が深々と頭を下げるのを五条は満足げに眺めていた。
「呪霊もいたからついでに祓っといたよ」
その言葉に伊地知がハッと顔を上げて周囲を見回す。
「山半分削れてるじゃないですかぁ…」
「まあ適当にごまかしといてよ」
伊地知たちが先程まで逃げ回っていた山道は更地になっていた。呪詛師の姿も見えない。
「適当って…はぁ…落石からの土砂崩れですかね…役所に何と言ったら…」
「ほら帰るよ」
五条が踊るように先頭を歩いていく。しばらくするとくるりと振り返って手を差し出した。
「スマホ落ちてた、オマエのでしょ?」
「ああっ助かりました! 呪詛師の攻撃で落としてしまって…」
「帰ったらマジデコピンな」
山のふもとまで下りたところで、停めてあった車に二手に分かれて乗り込んだ。伊地知専用と化した公用車の後部座席に五条が脚を広げて悠々と座る。
「五条さん本当に今日はありがとうございました」
「ホントオマエは無茶するね。学生の時も似たようなことあったよな?」
「…そうでしたね」
「五条さん助けて、って公衆電話からかけてきてさ。手帳に僕の番号が書いてあったからよかったものの…」
「あの時は五条さんが手帳に勝手に書いてくれてて助かりました」
「言ってくれるね。今回はどうしたの?」
「どう…とは?」
アクセルを踏まれた車がゆっくりと加速していく。
「スマホ落としたのによく僕の番号がわかったね。また手帳にでも書いてた?」
「いえ、覚えてたので…」
「…なにそれ」
「だってずっと番号変わらないじゃないですか。覚えちゃったんですよ」
「あっそ……」
それきり五条は黙ってしまった。機嫌を損ねたのかと伊地知は一瞬焦ったが、ミラー越しに見えた五条の口元が弧を描いていたのでホッと一息ついたのだった。