二人分のディナーは予約済み「えっ」
驚いたような声が運転席から聞こえてきて、読んでいた資料から顔を上げた。
任務前のブリーフィングタイム。今日の担当補助監督は伊地知君だ。車中でまず任務の概要を口頭で聞いてから資料に目を通すのが私好みのやり方なのだけれど、それを話した覚えはないのにいつの間にか定着していて、彼の観察力には恐れ入るばかりである。ちなみに五条さんは資料はほとんど読まないという。
口頭説明が終わって、さて出発というところだった。事前準備を怠らない彼がタブレットの画面を見ながら唸っている。
「なにかありましたか」
「…今日は7月3日ですよね」
働きすぎで日付や曜日の感覚がなくなるのはよくあることだ。そも労働はクソである。
「そうですが」
「その、七海さん、今日はお誕生日なのでは…?」
「覚えていてくれたんですか」
「ええと…」
ミラーに映る彼の表情を探ると、少し気まずそうだった。大方任務資料の確認ついでに私の情報を見たのだろう。呪術師の任務履歴を見れば疲労度合いや今日のパフォーマンスがなんとなく読める。そのあたりも加味してサポートするのも補助監督の仕事、らしい。
「お、おめでとうございます」
「ありがとう」
ミラー越しに視線が合った。
「誕生日なのに任務に行かせてしまって申し訳ないです」
「まあそれは仕方ないでしょう」
呪霊にとっては呪術師の誕生日など知ったことではない。フー……と大きく息を吐くと伊地知君の肩がびくりと震えた。すると恐る恐るといった雰囲気でこちらに振り返ってくる。
「プレゼントも何も用意できてなくて…七海さんにはお世話になっているので何かしたいのですが、ほしいものはありますか」
下がり眉の困り顔。だが口調ははっきりしていて、意志の固さがうかがえた。元より冗談を言うタイプでないのはわかっているが、本気のようだ。で、あれば。
「伊地知君」
「はい」
「君の時間がほしい」
「は…へ!?」
眼鏡の奥の目が見開かれる。
「この後の予定は」
「任務の後は直帰するつもりでした」
「では食事に付き合ってください」
「わ、私でいいんですか?」
「もちろん。君が嫌でなければ」
「よっ喜んで!」
「そうと決まればさっさと終わらせてしまいましょう」
私がそう言うと伊地知君は慌てて正面に向き直り、車のエンジンを起動させた。体に重力を感じた刹那、緩やかに景色が流れていく。
「あの、本当に私でいいんでしょうか?」
「折角の誕生日ですから。独りで過ごすのも悪くはないですが誰かと一緒の方がいい。特に君なら申し分ないです」
「……」
斜め後ろから見える彼の耳たぶがほんのり赤く染まっている。私の言動でくるくると表情が変わるこの後輩が愛おしいと思い始めたのはいつからだろうか。
上がりかけた口角を資料で隠して、少し不揃いな彼の髪がかかるうなじを眺めてから目を閉じた。