バレンタインのばへし※時空移動の捏造あり。モブ店員が出てきます。
長谷部と山姥切国広は、平成時代のとある年、2月の初旬のとある街にいた。そこは駅に直結した商業施設で、地下1階のバレンタインフェアは女性が通路を埋め尽くしていた。そこでは臨時にチョコレートの販売ブースが並び、店員が自店舗のチョコレートを購入してもらうべく小さく切ったチョコレートを手当たり次第に配布していた。
そこにダークグレーのピンストライプのスーツに紺のトレンチコートを羽織ったへし切長谷部と、戦装束の防具を取り払った姿の山姥切国広がいた。常に纏う布の代わりにパーカのフードを被ったその顔は人だかりを前に青ざめていた。
「おい、ここ、なんだよな……?」
「ああ、そうだ」
そう応じた長谷部の声にも少し硬さが混じっている。
「この混雑は何だ……」
「お前はバレンタインを知らないのか?」
「ばれんたいん?ああ、知らないな」
「バレンタインとはな、はるか昔、皇帝が兵士の結婚を禁じていたにも関わらず聖バレンティヌスが密かに結婚をさせていた。それが発覚して処刑されたことに由来する記念日だ。このことから、恋人たちの誓いの日となったんだ。去年は主からチョコレートを頂いただろう」
「ああ、あれか。確かに食べたな。あれは美味かった。それにしても恋人たち……?あんた、恋人なんかいないだろう」
「後年の日本では恋人たちに限らず日頃の感謝を込めて男女問わずチョコレートを贈るようになったから別に問題ない」
「そうか。で、何故俺がここに連れてこられたんだ」
山姥切国広は、その日は非番であった。特に溜まった仕事もなく、居室で茶を啜っていたら、突然開いた襖の先に長谷部が立っていた。いつもの桔梗色の長衣ではなく燭台切が着ているような服装をしていた。
「おい、山姥切国広。ちょっと付き合え」
その勢いと見慣れない服装に面喰って言葉が出ない。やっと声を絞り出して尋ねた。
「は?いきなりどうしたんだ」
「いいから付き合え。この服装では目立つな……」
頭の先からつま先までしげしげと眺めた後、すっと山姥切国広の布の結び目に手を伸ばしたかと思うと紐を引き、布を取り去った。
「お、おい、何をする。返せ!」
手を伸ばすがわずかな身長差のため、届かない。
「しょうがないからこれを着ろ」
声と共に渡されたのはフードの付いた白いパーカであった。
「上着の下にこれを着てその帽子を被れば何とかならないか」
「いや、何故これを着させられるのかと聞いているんだ」
「そこは後で話すからとにかく来い」
勢いに気圧されて言われるがままに上着を脱ぎ、パーカを着てフードを被り、再び上着を羽織った。
「よし、準備はできたな。さあ来い」
「どこへ行くんだ」
長谷部はその問いには答えずに本丸の正面にある鳥居へと引っ張っていった。この鳥居をくぐることで時間を渡り、時間遡行軍と戦うのであった。通る際に念じた時代、場所に移動することができるため、審神者が本丸外での会議に出席するときなどもこの鳥居を使用していた。
「おい、ここは」
「心配するな。主の許可は取ってある。抜かりはない」
「何の抜かりだ……」
「お前は近侍が長いから、主の好みを把握しているだろうと思ってな……」
山姥切国広は言いにくそうに長谷部から出た言葉で全てを把握した。
「主の喜びそうなちょこれいとを俺に選べというのか」
「その通りだ。理解が早くて助かるな。何か知らないか」
「さあな。自分で考えてみたらどうだ?そら、味見ができるみたいだぞ」
回答が得られないまま促され、人の波に身を投じる。女性店員が甲高い声で売り文句を並べ立て、爪楊枝に刺したチョコレートを配っている。それを受け取り、ぱくりと口に含むと、口の中でとろりと溶け、洋酒の香りが口いっぱいに広がった。その美味しさに長谷部は目を見張った。
「生のシャンパンを練り込んであるんですよー。シャンパンの風味がすごいでしょ?」
販売員の言葉に曖昧に頷きながら隣の店に目を向ける。
長谷部の隣では山姥切国広がチョコを受け取って試食をしていた。
「うまい……な」
「ああ、美味いな。ところでさっきの答えを聞きたいんだが。主は甘い方がお好みなのか?」
「知らん」
「それとも苦みのある方がお好きなんだろうか?」
「だから知らんと言っている」
人混みに揉まれてゆるゆると進みながら交わされる会話の合間にも、目の前に差し出される試食のチョコを受け取って口に含む。今度はさらりとした口どけとさわやかな後味のショコラだった。
「これは美味いな!先ほどのものも美味かったがこれもなかなか……主はこういったのがお好みだろうか?」
長谷部は主のこととなると普段の落ち着きはどこかへ消え失せてしまう。一方山姥切国広は苛立ちが徐々に態度に現れてきた。
折角の非番にいきなりこのような騒がしいところへ連れてこられて主の好みを教えろと言われて腹が立たないわけがない。それが意中の相手で、自分の気持ちに気付かないままこんなことをしていることにも。その幸せそうな横顔を見ると、ふっと衝動的に手が動く。試食を受け取り今まさに口に運ぼうとしている長谷部の手を引いた。
「おい、どうした」
無言で強く長谷部の手を引き人気のない方へ歩いていく。「関係者以外立入禁止」の看板の横をすり抜けて先へ進む。その看板を見た長谷部が上ずった声をあげる。
「おい、そこは立入禁止だぞ」
「どうせ誰も来ないさ」
曲がり角を折れて廊下の突き当りまで来ると、掴んでいた腕を壁に縫い留めた。間をおかずに口を塞ぐ。驚きで開かれていた唇は山姥切国広の舌の侵入を簡単に許し、長谷部の舌に絡ませる。先程食べたチョコレートの味を舌に感じた。
「ん、んぅ、ん……ひゃ、んぁ……っん」
何かを言いたげな舌を絡め取って封じ、歯列をなぞって舌の裏を攻めたてる。長谷部の腕が抵抗するように山姥切国広の胸を押して身体が離れる。身体に引き摺られるようにして口が離れた。
「お前、何をする……!」
「さあな。自分が何をしているかよく考えてみろ。チョコは自分で選ぶんだな。俺はあんたがいないと帰れないから、午後3時、さっきの入り口に集合して帰るぞ。いいな」
「あ、ああ、わかった……」
山姥切国広の剣幕に思わず頷いた長谷部は、立ち去る山姥切国広の背中を見送った。
「何をしているかなんて、その言葉、そのまま返してやる……」
濡れた唇を拭いながら長谷部はひとりごちた。
長谷部は主の為にチョコを購入し、どこかで時間を潰していた山姥切国広と合流して本丸へと帰還した。その間2人は一言も口をきかず、重苦しい空気が漂っていた。
それからバレンタインデー当日までの数日間、長谷部と山姥切国広は一言も言葉を交わすことはなかった。最近の出陣は新しく来た者や練度が不足している者の鍛錬が中心で、練度が上限まで達している2人は出番がなかった。また内番や遠征にも割り当てがなかった。もっとも、この本丸の審神者は内番や遠征の当番指定をよく忘れて気が付いた者が善意で畑や馬の当番を行っているときが多かった。このことで歌仙などはよく審神者に苦言を呈していたが、長谷部と山姥切国広にとってはここ数日の審神者のうっかりが逆にありがたかった。廊下ですれ違う時は互いに目を逸らし、食堂では対角線の位置に席を取っていた。
そのあからさまに互いを避ける様子に燭台切や堀川などが心配して声をかけることもあったが、その度にそれぞれなんでもない、と返した。