君に幸せあれ「最初はさあ、長谷部のことなんて四角四面のわからずやなんだろうって思ったんだよね」
加州清光の言葉に長谷部はにやりと不遜な笑みを浮かべ、それで?とばかりにわずかに首を傾けた。
「だってさあマニュアルにはこう書いてあるがいいのか?本来はこうすべきじゃないのか?ことあるごとに言ってきて。ほんと新人の言う言葉じゃないよね。長谷部が言うこともわかるけどやってみないとわからないでしょう?って言えば、過去の実績を見るとうまくいくとは思えないってばっさりなんだもん」
同期入社で同じ営業部へ配属された加州と長谷部は付き合いも長く、二人で飲みに行くこともしばしばで気が合うのだとばかり思っていた光忠は少し驚いた。
入社当時、加州は何もかも見透かしたような長谷部のことを偉そうで面倒臭い男だと、長谷部のほうは人当たりがよく、仕事中も部署を超えていろんな人間から声をかけられる加州のことをへらへらした使えない男だと互いに煙たがっていたのだという。
「初めての契約は絶対先に取ってやるって思ってたけどなかなかうまくいかなくて、長谷部のほうもなんだか苦戦しているみたいでね。明日最後のプレゼンだけどこれは決まらないかもなあって思いながら資料を作っていたら長谷部がこれ使えって資料を置いていったの。見たらびっくりだよ。管理部に頼んでたけど全然出てこなかったデータだったんだよね。長谷部が先に頼んでたってわけじゃなくて過去のデータを見て自分で分析したんだって聞いて二度びっくりしちゃって。お前何なの?って言ったら、このまえのミーティングで言ってたからって言いだして。加州は顧客の懐に入るのはうまいけれど、こういう細かい詰めが甘いからなっていう言葉にはちょっとムッとしたけど自分でもちょっとわかってたことだったから、今までだったから馬鹿にしてってキレてたんだろうけどね」
もしかしてこの男、思っているのと違うのかもしれない。
そう思った加州が長谷部と向き合うようになってわかったのは、長谷部の言葉には悪気がないことと、けれど的を得すぎていて相手によっては反感を買ってしまうこと。
人づきあいが嫌いなのではなくて、あまり上手ではないこと。そしてびっくりするくらい自分のことに対して「熱」がないことだった。
自分に対しての興味が薄いから、他人からどう思われても平気だし、人との交流にも積極的にならない。
営業活動は「やるべきこと」「目標」がはっきりしているから、それをこなせばいいから楽だという。
学生時代の成績がよかったというのもそういうことなのだろう。
「ねえ、何か好きなものないの?やりたいこととかさあ」
飲みに行こうよと誘い出し、二人で飲むことが増えた。
今まで見たことがない笑みも見せるようになって、長谷部という男が存外に可愛い顔をすることも知った。
少しは長谷部も変わるじゃないかなと加州は思っていた。
でも本質は変わらず、周囲に言われるまま勧められるままに長谷部は結婚を前提として、取引先の娘と交際を始めたのだった。
ちっとも好きじゃないくせに。
「だから本当の意味で長谷部を変えたのは長船なんだよね。ちょっとそれは悔しい」
別に長谷部とどうこうなりたいわけじゃないけどさ、友達としてもっとなんかできたんじゃないかなあって思ったこともあるんだよね。
その加州の言葉に長谷部は驚いた表情を浮かべ、光忠はやっぱりこのふたりの間には入れない何かがあるとムスリとした表情になる。
取引先の娘と結婚間近と言われたころ、長谷部は管理部へと異動が決まった。
それはいずれ取引先の頂点に立つだろう男への配慮であり、今後のつながりを期待した会社としての戦略でもあったのだろう。
そして長谷部と入れ替わるように光忠が入社し、自然と光忠が長谷部の顧客を引き継ぐことになった。
中途入社だということもあり、光忠は顧客との引き合わせが終わったら長谷部もすぐに管理部に専念するのだろうと思っていたけれど、
長谷部は細やかに客先へも同行し、顧客情報や自分のやり方を手渡していった。
長谷部に懐いていく光忠、そして吸収した物以上の力を出す光忠が可愛くなってきたのか、長谷部も今まで作ってきたデータや持てるものを渡していく。
光忠を見つめる瞳に、今まで見たことのない熱が見え隠れするようになったことに加州が気づいたころ、社内に震撼が走った。
「長谷部がの婚約が白紙に戻ったらしい」「相手が白紙に戻すように言ったって」「逆玉失敗だな」
「それを聞いたとき、みんなは長谷部のことかわいそうだとか、いい気味だとか言っていたけど俺はああよかったなって思ったんだよ。熱も気持ちもない相手と言われるままに歩む人生って長谷部に似合ってないじゃん」
だから加州は光忠の背を押した。
人に言われるままに、与えられるままに歩いてきた長谷部の手から何もかもが失われた今。
わずかに見せたあの熱だけが長谷部を救うような気がした。
もちろんそう簡単にうまくいくものではないけれど、でもそのわずかな可能性に賭けるように。
「すんなりうまくいくとは思ってなかったけどさあ、ほんとうに何度も何度もいろいろあったよね。お前たち」
ははっと長谷部が笑い、光忠がだってと小さくつぶやく。
近づいては逃げて、逃げたら追って。
ちょっとづつちょっとづつ光忠の熱を長谷部に手渡していった。
夏、秋、冬と季節をひとつづつ越しながら、二人はその距離を限りなくゼロに近づけていった。
そして光忠が長谷部にプロポーズした。
もちろん男同士だから一般的な結婚という形はとれないけれど、それでも二人はともに生きることを決めた。
「よかったと思うよ。形式にこだわる必要はないけれど、でも約束するのは長谷部には必要だよ。だってすぐに怖がるじゃん」
一緒にいたい、一緒に生きたいという気持ちはもちろんある。
でも光忠がプロポーズしようと思ったのは長谷部が不安に思うことを少しでも減らしたいと思ったからだ。
だから結婚してほしいと告げた。
世間に結婚したと伝えるやり方、たとえば養子縁組だとかパートナーシップ制度の利用だとか、今はいくつかの方法があるけれど、それは慎重に考えてほしいと長谷部は言った
「でもね、ちゃんと僕たちが結婚したことを、大事な人には知って欲しい。君と一緒に生きることをその人たちの前で誓いたいんだ」
とある日曜日。こじんまりとしたビストロで。
互いが大事だと思える人間をすこしだけ呼んだ。
特別な衣装も、特別の設えもなにもない。
「でも最初に乾杯だけは頼みたい人がいるんだ」
光忠のその言葉に長谷部も異論はなかった。
天窓から明るい陽の光が降りそそぎ、光が照らす皆の顔は柔らかい笑みをたたえている。
「だから二人から今日のことを聞いて、本当にうれしかった」
長くなっちゃったね。
じゃあと加州清光は手にしていたグラスを高くあげた。
きらりと光ったのはグラスの泡だろうか、それとも。
「結婚おめでとう。お前たちが決めた道が幸せであることを、そして新しい日々が笑顔に満ちたものであることを祈ってる」
乾杯!