(治角名)悪いけどこの男は俺のだからね「治くん、ちょっとええかな」
昼ご飯を食べ終え鞄から取り出した治が菓子パンを嬉しそうにかじろうとした、そのタイミングで声をかけられ見なくて機嫌が急降下したのがわかった。
あーあ。今日のパンは昔からあるあの銀色の包みに入ったチョコがかかったパン。
クリームとチョコの塩梅がちょうどええねんと治のお気に入りのやつ。
「なん?」
「ごめん、ちょっとええかな」
ほんと女の子ってすごいなあっていつも思う。
聞き返されても引き下がらないし、ごめんって言ってるけど全然ごめんって思ってないよね。まあ覚悟して告白しに来てるんだから引き下がれないのかもしれないけどさ。
それに治がもの食べているときに声かけるとか、絶対だめじゃん。
とはいえ治も何かわかってんだし聞き返してやるなって感じだけど。
意味なく口にくわえたままだった残り少ないフルーツオレをずずっと吸いあげた。
侑と治は基本的に直接口で伝える以外の告白を受け付けない。
机や鞄に手紙を忍ばせたり、プレゼントに入れても無視、だから手紙を手渡そうとしたら「これなに?」と聞かれてその場で告白する羽目になる。
「返事くらいしてやりなよ」
「やって勝手に渡してきた手紙にいちいち返事しなあかんの?自分で聞きにきたらええやん。それに何で話を聞くほうがわざわざ指定する場所に行かなあかんのん?」
「せや」
「こんなんでもええんやからなあ」
「宮ンズの彼女っていうステータス目当てだよね」
思わず銀と顔を見合わせるけれど、それでも引く手は数多だ。
昼休み、部活に行く前、下手したら暗くなってるのに部活が終わった後に近づいてきたかと思うと「ちょっとええかな」と言って物陰へと連れていく。
彼らが入学当初は告白さえすればまあまあの確率で、彼女というステータスは手に入った。もしくはセフレ。
あいつらそれなりに遊んでたからね。
でも学年が変わった頃からその勝率は限りなくゼロに近くなっている。
けれどそれにまだ彼女たちは気づいてないらしい。
「んーまあええけど」だった答えが変わったことは知られているけれど、それでもええからって告白してくるらしい。
「やから何?」
おいおい治、顔くらいあげなよ。パンしか見てないじゃん。
3組の子だっけ。肩まで伸ばした髪はさらりとした黒のストレート、制服も着崩してないし、ぎゅっと握った手は小さくて柔らかそう。
おとなしそうだけど、でも自分を見ようともしない治から一歩も引く気はないみたい。
教室の外からのぞき込んでいるのは友達かな。
治に告白してくるのってこういう子か、3年のちょっと色気のあるおねーさん。
侑はどっちかというと学年でもハデ目で声がでかい女。
ま、どうでもいいけど。
「えっと……ちょっと外出られへんかな」
「ここでは言われへんことなん?それやったら別に聞きたないし」
「……あ、うん」
治に向けられていた目がちらりとこちらに向けられる。
気を利かせろってこと?いいよ?
「あ、ごめ」
今気がつきましたって顔をして、わずかに腰を浮かせる素振りをしたら「は?どこいくん?」と治は俺の手を握る。
ここでさ、手を握るんだよね。こいつ。
「でも、ねえ?」
告白するのに俺じゃまだよね?って笑顔を向けて、俺はわかってるんだよというアピールをしておく。俺じゃないよ。治が止めてるんだからね?
「ええよ、ここにおって」
「でも」
「すーな」
「……ごめんね」
上目遣いで困った子をしたら「ううん。邪魔してごめんな」と困りながらも返してくれた。はい茶番終了。
まあここで角名君どっか行ってなんて言える女はいないだろうし、言っちゃったらそこで試合終了だからね。
「ほんでなに?」
「あの、えっと」
何度か口ごもったけれど彼女は治が好きだということ、そして付き合ってほしいとちゃんと伝えた。結構気が強いんだな。この子。
「悪いけど」
「答えはすぐやなくてもええねん」
「いや、悪いけど俺付き合うてるやつおるから」
「それでもええから」
「そいつ以外と付き合う気もないし、セックスする気もないから」
「セッ……」
あまりにもストレートな回答にしばし言葉を失ったものの、もしその子と別れることがあればなんて口にするんだからすごいなあって顔をまじまじと見つめてしまった。
桃色に染まった頬は触れたら柔らかいんだろうなあ。
涙目になってしまったから、こっそりつけてるアイメイクが取れなきゃいいけど。
「ないで」
「ない?」
「別れることないから。絶対に」
この世に絶対なんてものはないよ。治。
声には出てないと思うけど治は怖い顔をしてこっちを見た。
冬の空、ちょっと翳り始めた空みたいな灰色のいつも眠たげな眼がまっすぐに俺を射抜く。
「何があっても別れへんで。やから悪いけど」
もうこの話は終わりとばかりにそう言うと、治は手にしていたパンに噛りついた。
そう話している間、ずっとこの男の片手はパンを、もう片方の手は俺の手を握ったままだった。
さすがにそこまで言われて食い下がるほど厚顔無恥ではなかったようで、わかったって言うと彼女は踵を返して教室を出て行った。
外からわーとかえーとか声がしたけど、もう治はそんなのどうでもいいって顔をして握ったままの手にぎゅっと力を入れた。
つきあうようになって、しばらくしたころから治は告白を俺の前で受けるようになった。それを嫌だという女の子には「ほな俺もいらんわ」と、それでもと口にする女の子には「付き合っている相手がいるから」ときっぱりと断る。
そして告白を受けるときは必ず俺の身体のどこかに触れている。
「そのうち女の子のほうがよかったって言うんでしょ」
「まあそのときはきっぱり別れてあげるから」
付き合うときに口にした言葉のせいなのか、それとも。
「治」
「んー」
柔らかく握りこまれた掌をわずかに動かし、こちらからも握り返す。
「おいしい?」
「おん。食う?」
「ん、ちょうだい」
あーんと開いた唇に触れたのはパンではなく、治の長い舌。
ぺろりと舐めると、すなはどこもかも甘いなあと笑う。
告白を横で聞かせながらお前は何を考えてるの。
聞かされるたびにこの男の未来を奪ってるのだぞと言われているような心地になりながらも、それでも俺の心の奥に浮かぶのは「この男は俺のものだ」というほの暗い歓び。
絶対なんてこの世にないんだよ。治。
いつかお前は「悪いけど」って俺に向かって言うのかもしれないけど、でも悪いけどこの手は離してあげられないからね。
「甘くなんてないよ」
すこしだけ残ったパンを全部口に放り込むと、俺はゆったりと笑った。