不機嫌そうに寝室から出てきた尾形がどっかりとリビングのソファに座った。その手には、折りたたまれた白い紙。嫌な予感がした。
「おい尾形」
声を掛けるが、尾形はふんぞり返ってこちらを一瞥するだけである。残念ながら杉元は、洗い物の真っ最中だった。家事はふたりで分担しようということになって、今夜は尾形が夕飯を準備してくれたので杉元が食器洗いを担った。その時にちょっとした口喧嘩をして、それから無言で尾形が寝室に行ったので、これはふて寝だな、とか思っていたのに。思いもよらず、尾形はすぐにリビングに戻ってきた。だから杉元はまだシンクの前に居たし、手は泡だらけなのですぐに動くことができない状況だった。
尾形が、その白い紙を開く。「尾形へ」。ひどく落ち着いた声だったが、尾形の普段のそれよりもずっとはきはきとした、一字一字を聞かせるようなものだった。
「ついに今日という日を迎えることになりました。まさかあなたとこんなことになるなんて、8年前の俺は思いもしなかったでしょう。それくらい、喧嘩ばかりしていました。けれどそれは、あなたのことを理解したいという気持ちのあらわれ、」
「ウワーーーーーーーー!!!!」
急いで手の泡を流して大雑把に拭くその間も、悪そうな笑みを浮かべながら音読は続いている。その声が聞こえないよう叫び続けながらリビングに走って、尾形の手からその紙をひったくった。
「おい、破れるだろうが」
「じゃあ音読するのやめろ!」
「俺のものを俺がどうしようが俺の勝手だろ」
「そういう問題じゃねえ!!」
顔が熱い。きっと真っ赤になっているだろう。普段なら絶対に言わないような本音がずらりと並ぶ文章を聞かされるなんて羞恥プレイにも程がある。
杉元がこれを読み上げた時、尾形はひとしきり笑って涙を浮かべていた。その涙は、笑いすぎたためなのか別の感情からなのか。未だにわからないが、書いたこと自体に後悔は無い。だが後々こうして事あるごとに引っ張り出してくるようになるなんて、誰が予想出来ただろうか。
杉元が羞恥に震える様子を尾形はじっと見つめて、それからくっくと喉で笑った。ひどく機嫌が良さそうで、さっきの口論なんて馬鹿らしくなってしまった。溜息をつきながら、ほら、と紙切れを返すと、尾形はそれを几帳面に折り畳んだ。そうして立ち上がったと思ったらぐっと胸ぐらを掴まれて、身構える間も無く頬にちゅう、と暖かい感触が触れた。それが何か理解する前にあっさりと解放され、ちらりとこちらを見た表情は悪戯に成功した子どものようだった。寝室に向かった背中はやっぱりどことなく上機嫌だ。
惚れた弱みとはこういう事なんだろう。
再び頬が熱くなってきたのを自覚しつつ、杉元はキッチンへと戻った。