よく磨いた石を握る カップとソーサーを二セット載せて、ハントの計画を話し合うために設けた席へ運ぶ。何か手伝うことはないかと来るなりそわそわするのを押し込めたはずの小松くんは椅子におらず、窓べりに手をかけて背中を丸めていた。
「なにか面白いものでもあった?」
トレイをテーブルに置き、背後から被さるように小松くんの手元を覗き込む。消命は使っていなかったが、ボクの接近に気付かないほど熱心に何かを眺めていたらしい。
「気配消して近付くのやめてください! 心臓に悪いです!」と怒られてしまったので、一言謝罪して離れた。
椅子を引いて座るよう促してから向かい合う席について、何を見ていたのか再度聞く。小松くんは窓べりで眺めていた物をすくい上げるように手に取り、机の上に置いた。
綿を詰めた小さな薄いクッションに鎮座する黒くて丸い石。小松くんが持つと大きい石だが、ボクが握ったら手の中に隠れてしまうといったサイズ。よく磨かれたそれは光に当たると反射して輝いて見える。
「綺麗な石だなーと思って。前来たときはなかった気がするんですけど、これって占いで使う物だったりしますか?」
占い師=水晶玉に手をかざすイメージがあるのか、小松くんは何か期待しているような顔をしている。
「それはキッスがどこかで拾ってきた物だよ。黒曜石のような物だと思うけど……磨いたら思いの外綺麗になったものだから捨てられなくなってね。置いておくにも、そのへんに雑に転がしておくにはもったいない気がしたからそうしてる。ボクの占いは水晶玉を使わないんだ、小松くんの期待に添えなくてごめんね」
そうなんですかと顔こそ笑っているが、小松くんの電磁波はちょっぴりがっかりしている。
「ココさんの占いは電磁波を読み取って未来を予測するんでしたっけ。そういえばボク、占い師をしているココさんは見たことなかったかも」
「ほとんど店じまい状態になっているし、今日も美食屋として話をするつもりでいたしね。占い師のボクがどんなのか気になるなら久しぶりに店を開けてみようか。しっかり並んでもらうけど、料金の方は友情割りしてあげるからさ」
「と、当然ですよ! 行列無視して入っちゃったらココさんのファンから袋叩きのミンチにされます……!」
言いながら想像して恐ろしくなったのか、小松くんは肩を抱くようにして体を震わせる。
ハントに初めてついてきたときは失禁してたんだぜと酒の席でトリコに言いふらされ、本人も己を小心者だと認識している小松くんだが、友達割引について拒否しないあたり案外図太い神経の持ち主だと思う。
ボクを友人だと思ってくれている証拠でもあるのだろう。実際には存在しない喉につっかえるものを温かい茶で流した。
「占いはまた今度。今はハントのことを話そうじゃないか」
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一度ならず世界を救った料理人でも、雇われ料理長の立場は慎ましいものらしい。グルメ界に行っていた間は給与無し長期休暇の扱いとなり、たくさん休んだ分働きなさいと上から睨まれているのだそうで、七〜八連勤は当たり前で二日以上の休暇申請が通らない状態が少なくとも今年いっぱい続くそうだ。
一日しか無い休みを少しでも長くハントに使えるよう、ボクがキッスに乗って仕事終わりの小松くんを迎えに行き、その足で前乗りするというのが常になったのはいつからだったろう。
「火を焚かないで、テントも張らないで寝るって何回やっても緊張しますね〜!」
地面に直起きした寝袋に入った小松くんは周囲の音に落ち着きなく反応する。
対してボクの寝床は布一枚敷いただけのものだ。
「猛獣の声が気になるかい。知っての通り、ボクは毒人間だからね……寝込みを襲われたことがないから気にしたことがなかったな。怖いなら、もっと近くにおいで」
1メートルほど間隔をあけたところにいる小松くんに呼びかけると、寝袋に入ったまま芋虫のように身を捩って近付いてきた。
「ふー。これなら安心して眠れます! ココさんの顔が近くにあると思うと別の意味で緊張しますけど……」
地球一有害な生き物と言って差し支えないモノと肩が触れる距離にいるというのに、恥ずかしいなどと見当違いな心配事を口にする。たった今、ボクの体から見た目には分からない毒の霧が放出されていない保証はどこにもないのに。
無論、彼を傷つけようなんてつもりは毛頭ないが。
「ボクら裸も見せあってるんだから、今更恥ずかしがることないでしょ小松くん」
「ココさんっ、その言い方だと語弊がァ~!!」
横になって肩を抱き、耳元で囁きかけてみると小松くんは勢いよく転がって離れた。かと思うとすぐ同じ移動手段でボクの腕に戻ってきた。
「おかえり小松くん。早く寝ないと明日のハントが辛いよ」
猛獣が警戒して近付いてこない範囲を今のように転がり出てしまわれては困るので惜しい気持ちを押し込めて腕を離し、頭の下に置く。
小松くんの落ち着きを取り戻した電磁波が星空にちらついた。
明かりを灯す人工物がないおかげで星がよく見える。
「ボク、思うんです」
ぽつりと呟いて小松くんは唯一の光源である真円の月を指差した。
「月の模様はもちをつくうさぎだとかカニだとか言いますけど、あの模様に見えるの、実は未知の食材だったりするのかな〜って。子供の頃も考えてましたけど、今ではちょっと、かなーり、アリよりの有り得る気がしてます」
「ふふ、そうだね。もしかすると月そのものが食材だったり、調理器具だったりするかもしれないよ」
「やっぱりココさんも思います?」
「前のボクなら笑っていたかもしれない。……あー、そんなこともないかも。小松くんはどんな障害物があるかも分からない視界の悪いところだろうと食材に引き寄せられる不思議な習性……もとい才能があるからね。例え死相が出ていたとしても、自分を呼ぶ食材の声を優先する」
「たまにチクリと刺してくる言い方は変わりませんね……」
小松くんは毒舌が堪えたフリして唸るが、明日になればボクに言われたことなんて忘れて食材の呼び声に夢中になるだろう。的中率97%の占い師の声より、コンビと食材の声の方が小松くんには響くのだ。
「ねぇ小松くん。いつか──月を捕まえに行ってみるかい?」
ボクと一緒にとは言えなかった。
言わなかった?
そうだ、言わなかった。言う必要など無いはずだ。
だって今、小松くんはボクとふたりきりなのだから。
「はい! いつかトリコさんと確かめに行けたらいいなと思います」
頬が冷たくなった。
小松くんの反応だってなにもおかしなことではない。
現時刻においてはボクとふたりきりだが、小松くんのコンビはトリコである。ボクと行こうとはっきり誘わない文面でハントの提案をすれば、当然コンビの美食屋の名前が出るに決まっている。
「楽しみだなー! 宇宙にはどんな食材があるんだろう」
口で言うだけでなく、電磁波までも鮮やかに色めき立って喜びを表す。小松くんが夢中になって見上げる月の模様が鬼か狼の横顔のように思えて顔ごと目をそらした。
意識が隣のボクではない遠くにある小松くんの大きな目に星が写っている。
ずっと開け続けていることができなくて何十秒に一度瞬きする。大きな目で星を咀嚼する小松くんのカラフルな電磁波が心を散らかしていく。
例えばここで、ボクが馬乗りになって首を絞めてやったらどうなるだろう。
もちろん握力全て使って首を折るなんて品のないことはしない。撫でて愛でるようにそっと手を添えて、ゆっくりと血管を押さえて気道を狭めるつもりだ。
毒を恐れてくれる猛獣に限定されはするが、危険区においてはこれ以上無い安全場所だと言い聞かせて見せつけて刻み込んだ経験則をそれ自らが裏切るような真似をしたら。
きっと、普通にしているだけでも大きい目を限界まで開いてボクを見るだろう。
小松くんよりずっと大きくて重いボクを小松くんが振り払える道理はない。
酸素が回らなくなって顔が赤くなってきたら手を緩めてあげなくては。そうしたら涙の張った目は咳き込みと共に何度も開閉して、広がる星と一緒にボクを食べてくれるだろうか──
頭をもたげた悍ましい思考に口を覆う。
なにもボクは小松くんを殺したいわけじゃない。今ですら小松くんの電磁波が消えた瞬間の絶望を思い出して膝の震えが止まらなくなっているのに、ひとたび小松くんの首を両手で握りこんでしまえば、膝裏から釘を打ち込まれたようにやめられなくなる予感がした。
そうならない3%は、今回に限り有り得ない。
眉間を力ませて目を固く閉じ、ウエストポーチに入れて持ってきていたよく磨いた石を握る。小松くんの目と同じ黒い、輝く石を握る。
カラフルな電磁波は瞼の裏にまで侵食して心を散らかす。
「もし食材だったら、全部食べないで少しはお土産に残しておくれよ」
「はい! お土産楽しみにしててください!」
「……ある程度気をつけてはほしいんだけど、明日のハントも楽しんでくれると嬉しいな。おやすみ小松くん」
「ココさんと行くハント、ボクは楽しいですよ? おやすみなさいココさん」
明日何を見せたって、どんな危険から守ったって、小松くんの脳裏と電磁波にはトリコと月を捕まえに行く楽しい夢がチラつき続けるだろう。
丸い形に整えたおかげで割れない、よく磨いた石を全握力こめて握った。