Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    nanahashi777

    @nanahashi777

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 11

    nanahashi777

    ☆quiet follow

    泡沫の黄金を知るまでのジャーニー4 誰が為のアストロノーツか?

     ――ちょっと情報を整理しようか? 私がこめかみを押さえながら言った言葉に彼は頷き、前のめりになっていた身体を元に戻した。未だ、彼の瞳は揺れているままだ。
     それから、情報整理の一環として年齢を尋ね、私が知る彼の年齢よりも、確実に五つは若い数字を口に出された時、私はこの奇妙な状況がある程度掴めた気がした。

    「……つまり、今の君の精神年齢は、私が知る“ロナルド”という男よりも数年分若い。ちょっと違うけど、今の君から見ると、今この時間は未来といっていいんじゃないかな」
    「み、未来……」
    「まあすぐに理解しろって言う方が無茶な話なんだから、すぐに受け入れなくてもいいんじゃない」

     というか私がこの状況を説明して欲しいよ。そんな言葉を目の前の彼に言っても無駄なので、ぐっと押し殺す。頭が痛い気がする。
     頭に大量にはてなマークを浮かべながら、それでも手探りで状況を掴もうとしている若造に、私はぽつぽつと、彼が今置かれている状況と、私との関係を伝えた。そうでもしないと彼はまた私を殺しそうだったからだ。ろくなもんじゃない。
     それにしたって、君は私と一緒に暮らしていた、と言った時のロナルド君の顔ときたら! 地球が明日隕石で滅ぶぐらいに信じられない、といった表情を崩さないまま、実に訝しげに私の顔を覗き込んでいた。

    「お、俺の理想とする退治人生活じゃねえんだけど。少なくとも俺の将来設計に吸血鬼と暮らす計画はなかったぞ……どうなってんだ俺? ていうかアンタもよく退治人と暮らしてるな。退治される心配とかしなかったのかよ」
    「まあ酷い時には一日に二十回は死んだけど、まあそこそこ上手くやってたと思うよ」
    「……ひょっとしてドMだったりする?」
    「違うわアホ!! めちゃくちゃ言うんじゃない!」

     暫くして、ヌヌヌイ!? と遅れて目覚めてきたジョンが、昨日までとは打って変わって賑やかなロナルド君の姿を見て困惑と少しばかりの歓喜に満ちた鳴き声を上げた。

    「アルマジロ!? なんで!?」
    「私の使い魔のジョンだよ。因みに君は私とジョンの固い絆を切り裂こうとしていた」
    「ほんとなんでお前俺と一緒に住んでたんだ??」
    「……いやホントなんでだろうね?」

     でもジョンの可愛さなら分かるかも……と真剣に略奪を吟味し始めた若造に対し、「やめんかアホ」とチョップを入れ、反動で死んだ。
     ロナルド君には呆れられたが、こんな会話の応酬を続けるのはいつぶりだろう? と、少しだけ心が昂っていた自分がいた事は、紛れもない事実だった。

    「――ここまでのアンタの話を纏めると、ここは俺が知ってるよりも未来で、俺はどっかの吸血鬼のせいで一日しか記憶が保たない身体で、眼帯しててさ、おまけにここでアンタに世話になりながら暮らしてるって事でいいのか?」
    「なんか一気に盛られすぎの情報量だと思うけど、そう説明する以外にはないなあ」
    「ヌー!!ヌヌヌ!」
    「ジョンもそうだって言ってる」
    「なんかまだ夢の中にいるみてえな感じなんだけどさ。でも、これは現実なんだよな?」
    「非常に興味深い事にね」
    「何がそんなに興味ぶけえんだよ」
    「だって、昨日までの君は、寝たら全てがリセットされていたんだ。だが、今日は違う。君は、数年前の記憶を覚えているんだろう。私からしたら、不思議で堪らない」

     これも記憶補強剤を服用した効果なのだろうか? まさか数年前の私と出会う前の彼の人格になるなんて想像してもみなかったが。そういう大事な事は事前に教えておいて欲しかった。
     ロナルド君は納得がいかない顔つきで私の事を見ていた。思考の海に入り込みかけている私と、何も知らない彼の間で、重い沈黙が流れる。
     さて、これから、この夜をどうするべきか。その長ったらしい思考を切り裂いたのは、盛大に彼の腹の鳴る音だった。
     かなりの音量で鳴り響いたそれに、二人と一匹は互いに目をぱちくりと瞬きさせ、それから、緊張の糸が切れたように笑った。

    「……あー、何か食べる?」

     ひとしきり笑った後、私が尋ねると、ロナルド君は酷く照れくさそうに笑った。だってタイミングが完璧だったんだもの。あんなの笑うしかないじゃない。前はそれから照れ隠しで私を殺すまでがワンセットだった。
     キッチンへと向かう途中で気付く。彼の腹の音を聞いたのはもう随分と久しぶりの事だった。たったそれだけの事で、機嫌がよくなる自分は、情けないくらい単純だ。それでいいのか吸血鬼ドラルク。 



     冷蔵庫に残っていた食材で簡単な食事を作って彼の前に皿を置くと、待ってましたと言わんばかりに彼は勢いよくがっつき始めた。まるで野生児である。

    「うま、なんか異常に美味い」
    「そりゃ君今までろくに食べてこなかったじゃない。味がしないとか言って」
    「まじで? 損してるなあ」
    「ほんとだよ。……君は味が分かるの」
    「当然だろ。そうじゃなかったらこんなに喰ってねえよ。おかわり!」
    「もうないわ!」
    「ええ~~ッ!?」
    「こっちだって君の食べる量を作るの久しぶりなんだよ! 察しろ!」

     そう言うと彼は「う……」と押し黙った。そう、それでいい。ここでは私の方が主導権を握っているべきだ。それでも不満そうな表情を隠しもしない顔を見ないようにして、私は彼の前に置かれている、空になって何も残っていない皿を見つめる。前まではセロリを除いてこれが当然の光景だったのに、たった数ヶ月間が開いただけで酷く遠い光景のように感じられた。二百年の内の数ヶ月なんて、それこそ雀の涙にも満たない期間だというのに。何故か彼が関わると、そうは言ってられなくなる。
     

    「なあ、なんでそんな顔してるんだよ」
    「……私がどんな顔してるっていうの」
    「なんか、泣きそうな顔」
    「若造の癖に、いっちょ前に気遣いを見せるんじゃないよ」

     この青二才に気遣われた事実に真正面から向き合ったら、羞恥によってそれだけで死ねそうだ。それだけは避けたい。
     私だって、好きで彼が言うような表情をしているわけじゃないんだ。真っ新になった皿を見るだけで、泣きそうになるなんて、私の知るロナルド君が知ったら数日は煽ってくるだろうと思う。

    「……悪いと思ってるぜ、俺も」
    「なんで君が謝るんだ」
    「だってさ。ちょっとの時間しか一緒にいねえけど、アンタが退治するべき吸血鬼じゃねえって事は分かるよ、まだ新人の俺だって。ヴァモネさんも言ってたんだ。あ、ヴァモネさんって分かる? 俺の師匠」

     知ってるよと口にすれば、彼は少しだけ微笑んで続ける。

    「一概に吸血鬼って言ってもさ、悪い奴ばかりじゃねえって、よく言われたんだ」
    「その割には君、私のことファーストインプレッションで殺そうとしてたじゃない」
    「そ、それはさあ、状況に混乱してたんだよ! 俺だって全部完璧に出来るわけじゃねえ。退治人になったっていったって、まだ兄貴の足元にも及ばねえんだから」
    「兄貴、ねえ」
    「……まあそれはともかくだ。“退治人になるからには、本当に正しい事と、してはならない事を見分けられる目をもつべきだ”ってのを教えられたんだよ。だから俺の思う“正しい”に乗っかって、アンタは悪い奴じゃねえって思う。……だから、アンタには悪いと思うよ。アンタが未来の俺の事、大事にしてるって分かるから」
    「……知った風な口をきく」

     否、別に間違ってはいないのだが。私もこの生活を通して、彼の存在が自分の中で思っていたよりも遥かに大きくなっている事を知ったのだ。片手で数えられる程の年数しか彼と一緒に暮らしていなかったのに、それでもロナルド君は私の全てを塗り替えていった。願わくば、彼にとっても私がそうであれば良い。そんな事を思える位には、私は彼を大事にしているのだろう。
     そうでなければ、悦楽を最上の是とする私が、こんな辺鄙でなにもない生活を受け入れる訳がないのだ。
     それを理解していて尚、彼と同じ顔で、真正面から切り込んで言われると、少したじろぐものがある。

    「でも、間違っちゃいないだろ。だってアンタ、俺と妹をファミレスに連れて行ってくれた、兄貴と同じ顔してるんだ」
    「……はは、そうかい」

     乾いた笑いが、部屋の中に溶けて消えていった。




     この辺りには吸血鬼はいないのか? と、少し状況に慣れてきたのだろう彼が私に問うた。いない(正確には滅多に外に出ないので、いたとしても目撃した事がない)と言えば、彼は勇んで「見回りに行く!」と発言した。いないって言ったじゃない。

    「多分アンタは悪い奴じゃねえって言ったけど、それと信用できるかどうかは話が別だ」

     とは彼の弁である。じゃあ私がなんて答えようとも外には行く予定だったんじゃないか。

     記憶を毎日無くす、昨日までのロナルド君は、ごく稀に外へ行く事を望んだ。が、周囲が何もない森に囲まれているのを一目確認すると、さっさと戻ってくるのが常だった。だからこうして、彼が自ら進んで森の中を歩いている光景は、久しぶりに見る。

    「こういう場所には陸クリオネだったり吸血カブトムシだったりがいる場合が多いから、人気が無いといっても油断は出来ねえんだよ。アンタだって知ってるだろ」
    「どっちも君が油断して散々な目に遭ってるのを見た事があるけど」
    「まじで大丈夫なの未来の俺!?」

     俺の華麗な人生設計が……と頭を抱えて前を歩く彼を見ながら、私は愉しくなって言葉を続ける事にした。

    「どんな設計してたのか教えてよ」
    「やだよ、絶対アンタ笑うだろ、てかもう笑ってんだよ顔が。ちょっとは隠す努力をしろよ」
    「いや……ちょっと……無理かな……」

     笑ってんじゃねーよ! と喚くロナルド君だったが、暫くしたらかっとなった怒りも収まってきたのか、ぽつぽつと彼の当初の設計を語り始めてくれた。

    「まず当面の目標は師匠から独り立ちして、事務所を構える事だろ? そんで、千体ぐらい悪い吸血鬼を退治して、金を稼ぐ!」
    「おお……叶ってる事と無茶苦茶な夢が半々ずつくらいあるな」

     結構努力家じゃない、と私が続けようとした言葉は、それから不意に彼が続けた言葉によって掻き消されてしまった。

    「それから……兄貴を守れるような退治人になりたい。兄貴みたいな退治人になりたい。なあ、アンタは兄貴を知ってるんだろ? 師匠の事も知ってるんだから」
    「知ってるよ」

     知ってるどころか君の事に関して結構な圧を掛けられて私は死んだよ、とまでは言わないでおいた。それを言ったら今度は彼に「高潔な兄貴がそんな事するわけねだろーーッ!!」とエルボーを掛けられる事は目に見えて分かっているからだ。

    「兄貴は本当に凄い退治人だったんだ! でも、俺が調子に乗ったせいで銃が握れなくなって、兄貴の輝く人生を奪ったのは俺なんだ。だから、本当なら、兄貴の人生を滅茶苦茶にした俺が、夢なんて語る資格はないのかもしれないけど、それでも、兄貴が俺達を今まで守ってくれていたみたいに、いつかは俺が兄貴を守れるようになりたい……まだ、全然、兄貴には遠いんだけどな」

     がさがさと、あちこちに生えた地面の雑草を掻き分けるように蹴りながら、ロナルド君はそんな事を言った。それ絶対君の勘違いも入ってるぞ、なんて言っても、今の彼の耳には届かないのだろう。だって彼は私の事を見ていない。ただ前というの名の、自らが作り出した罪と罰を見ている。
     彼の口から、兄の名前が出る度に、私の中に黒い靄が溜まっているのを感じていた。目の前の彼に向けて考えたってどうしようもない事だと理解しているのに、それでも押さえられない欲求が、どんどんと膨れあがっていく。真っ新な彼ではなく、例え今日の彼が過去の記憶の断片であったのだとしても、彼がロナルドであるが故に、どうしようもなく感情の行き場を失う。
     「退治人ロナルド」から、「レッドバレット」を無くす事は出来ない。それは彼から兄の話を聞いた瞬間からずっとそうだった。
     どれだけ私が“現在の”ロナルド君の好きな味付けを知っていても、“現在の”好きな映画の展開を知っていても、文章の癖を知っていようと、(……これは多分半田君の方が知ってる)ロナルド君を構成する大半に、「レッドバレット」は深く根付きすぎて、それ故に彼を締め付けて殺そうとしているようだった。――今、私の前を歩く彼を見ていると、余計にそう思う。
     お兄さん、絶対そこまで君に背負い込んで欲しくないと思うよ。そう言葉にするのは簡単だが、言っても無駄だと、私は別の切り口から会話を続ける事にした。

    「お兄さんの話は今まで散々聞いてきたけど、君、ご両親の事は覚えてないの」

     彼の口から、不自然な程その話題を聞いた事が無かった。兄が親代わりであったという事は聞いた事こそあれ、それ以外はからっきしだ。
     彼は意外そうに背後を振り返って口を開く。

    「え? うーん、俺が小っさい頃には二人ともいたのは覚えてるけど。……なんかさ、無理矢理思い出そうとすると靄が掛かったみてえに思い出せねえんだよなあ」

     なんでだろう? と首を傾げる彼に対し、「私に言われても知らないよ」と言えば「だよなあ」と諦めに似た言葉が返ってくる。心なしか、彼の背中が先ほどまでより一回り小さく見える。
     それから暫くの間、分かりやすく口数が減った彼の背中を見ながら、私はだらだらと冷や汗を流していた。

     (――あ、まずい。地雷を踏んだ。しかも踏んでも盛大に爆発しないタイプ。この話題はひょっとしたら彼の兄の事よりもよっぽどまずいぞ)

     ただでさえ今の彼は不安定の極みなんだ。ここで下手に刺激して、記憶が二度と戻らないとかそんな状況になったら溜まったモンじゃないぞ!!

    「ゴホン、あーーッ!! あんな所にチスイオオガエルが!!!」
    「何だって!?」

     真っ赤な嘘である。後で私が殺されたとしても、ここで彼の気が少しでも逸れる方が良い。そんなドラちゃんの涙無しには語れない献身である。
     ――だが、私の声に続くと想定していた彼の「なんだ、どこにもいねえじゃねえか」、という言葉は、いつまで経っても返ってこなかった。それどころか、ずっと歩き続けてきた彼が突然立ち止まるものだから、私は思いきり鼻をぶつけてしまった。その反動で私は死ぬが、すぐに鮮やかに復活する。

    「……ロナルド君?」
     
     へこみそうになった鼻をさすりながら、私は背後から彼に呼びかける。

    「……おい、どこがチスイオオガエルだよ」 

     きっぱりと言い切った彼に対し、頭上に疑問符を浮かべながら、私は彼の視線の先を見る。

     そこには「ゴボゴボ」とドロドロになった液体状の身体を這いずらせて、周囲の木々を荒らし尽くしている、とにかくでかい、ホラー映画に出てくる化け物みたいな吸血鬼がいた。

    「なんで?!!?!?」
    「お前が先に見つけたんだろうが!!」



     私が一度灰になって復活するまでのその一瞬の間に、ロナルド君は奴に対して懐から拳銃を取り出して何発か麻酔弾を撃ち込んでいた。ただ、多少は効いているとはいえ、液体の身体には、致命傷にはなり得ない。幾分か動きが鈍くなったものの、まだ動き続けていた。
     とりあえず襲われて怪我をする前に逃げなければ、と二人同時に走り出す。

    「アンタサテツも知ってるよな!? 俺、これと似たような状況になった事があるんだよ。アイツと出会ったばっかりの時! 多分、あのカエルみたいなのはその時と同じ奴だ。なんでこんなとこにいるのかわかんねえけど」
    「ああ、聞いた事があるけど……その時はどうやったの?」
    「モノを投げて怯んでる内にヴァモネさんが上下を切断して倒した。多分、隙が出来た時に範囲が広い物理技じゃないと倒せない奴だ」
    「じゃあどうやって倒すの。言っておくけど私は役に立たないぞ」
    「知ってるよ。……変身とか出来ねえ? ほら、刀になるとか」
    「できたら苦労しとらんわ!」
    「だよなあ、なんかそんな感じするわ」

     それ悪口じゃない!? 体力が無い故に肩で息をしながら問い詰めようとロナルド君の方を見た。
     私の記憶の中では体力がありあまってピンピンしている姿しか見た事が無い彼もまた、同じように肩で息をしている。そりゃ、ずっとろくに身体を動かさずに、ご飯もちゃんと食べれてなかったのだから体力も落ちてるか、私の思考回路がそう結論を組み立てていくのと同時に、嫌な予感で一杯になる。ひょっとしてこれ、本当の本当にやばいのでは?

    「はーッ、明日の、俺に言っとけ……! 体力元に、戻せって……!」
    「今本気でそう思った!!」

     青白い顔で凄まれると説得力がある。両手を膝に置いて震えている彼を見る。不安だ。だが、眼帯によって片方だけしか見えない彼の瞳にはまだ、光が宿っていた。

    「……ここはまず生き残る事を優先しよう。新横浜からここまで車でかっ飛ばしてどれくらいかかる?」
    「大体一時間くらいだ」
    「よし、じゃあまずはギルドに連絡してくれ。吸対でも良い。こんな辺鄙な地の退治人を頼るよりもシンヨコの奴らの方が確実だ。本当は俺が倒せれば一番良いんだが、この状況じゃそうも言ってられねえ。とにかく時間を稼ごう」
    「……わかった。君の提案に乗ろう」

     それからなんとかスマートフォンが電波を受信する場所を探し、天高く掲げながら救援メールを一斉送信する。

    「……救援は来そうか? 出来れば来るまでにある程度弱らせておきてえな……」
    「何か案があるのか?」
    「アンタが囮になって、その隙に俺が奴の頭部に銃弾を撃ち込む」
    「人の心がないのか君には!? というか、銃弾はさっき効かなかったじゃないか」
    「それは液状の身体にだ。多分、あの固い頭部の部分には刺さる。というか前は刺さった。今回も刺さるはずだ」
    「……本気か?」
    「本気と書いてマジだ」

     彼の目は本気の本気であった。……冗談じゃないぞ、と断り切れないのが、本当に嫌だった。
     奴の麻酔が切れてきて、再度暴れ出したら俺達もまた動くぞ、と彼は勇む。

     ――それから、遠くから奴の物音が激しく聞こえてくるまでの三十分間は本当に長かった。

     ポツポツと、動き出す前に彼と何にもならない会話を繰り返した。

    「夜明けまであと何時間だ」
    「まだ夜は始まったばかりだよ」
    「……なあ。俺って、強い退治人だった?」
    「ああ――」
    「あ、やっぱ無し、言うな。夢が壊れる」

     自分なら強くなって当然! とかいう様な若造であれば、私も皮肉を返せるというのに。それきり彼はその話題を切ってしまった。 

    「……本当なら俺が囮になってやりてえけど、この体力と目じゃ使い物にならない。アンタはすぐ死ぬが、その分復活も早い」
    「死ぬけどね!?」
    「うるせえ! 命を有効活用しろ! ほら、いけ!」
    「ひええ、横暴!! 後で覚えてろよ!!」
    「ああ、後があったらな!!」

     お互いにそう叫んで、今が死に時だと私は走り出した。本当は死ぬ程やりたくなかったが、そうも言ってられない状態だった。どっちにしろ私は先にここで死ぬか後で彼に殺されるかの違いなのだ。

     私の視界に、あの吸血鬼が姿を見せる。幸いな事に、まだ私の姿には気付いていないようだった。それも今からの行為で全てが無になるのだが!

    「やーい! でかいだけのデカブツが! お前がここにいるせいで私は今大変な事になっているんだぞ! 責任を追及させて貰うぞこの単細胞生物!!」

     自分に出せる最大音量の声で、私は奴に向かって叫んだ。その声に反応して、奴はゆっくりと私の方を見る。「ゴポポゴ」と、気持ちの悪い鳴き声で轟きながら、じろりとその顔は私を間違いなく捉えていた。

    「ギャーー!!! 死ぬ! 絶対死ぬ!! ジョーーーン!!」

     叫んだはいいもののジョンは塔で一人留守番をする役目を真っ当中である。死ぬ! 死ぬぞ!!
     普段から低い体温を更に低くさせて、私は叫ぶだけ叫んで走った。足が縺れてこけそうになる。その度に死にそうになるのをギリギリのラインで堪えて、私はただロナルド君の事を待った。私にここまで身体を張らせておいて、失敗するなんて許さないからな!!

     ――ドン!!

     私が恨み節を吐いた次の瞬間には、一発の重い銃声が森の中に響いた。

    「グギッ」と、何が起こったのかまだ理解できていない吸血鬼が、浅ましく鳴き喚いている。

    「やったか!?」

     銃声の弾道を目で追って、その先で銃を構えているロナルド君の姿を確認する。
     奴はバランスを崩して後ろ向きに倒れかかる。そして吸血鬼の意識の外で無造作に崩れ落ちた、鋭い爪をもった手先が、丁度私が立っている場所に振りかざされた。

     あ、これ完全に死んだ。というか今まで死んでなかった事がまず奇跡なのでは!? 逃げるよりも前にそんな事を考えてしまった私は完全に逃げ遅れてしまった。吸血鬼の影に覆われて、視界がふっと暗くなる。ぎゅっと瞼を固く閉じた。

     ――だが、死んで、身体が砂になる感覚はいつまで経ってもやってこなかった。その代わりに私を襲ったのは誰かに突き飛ばされた衝動と、目を見開いた先に見えた、赤色。

     はっと気付いた時には、この空間には、麻酔が効いて動けなくなっている吸血鬼と、私を庇うために押し出して、代わりに怪我を負った、馬鹿なロナルド君だけが存在していた。

    「な、何してるの……」

     動揺して震えた、実に情けない声で私は彼に問う。

    「何故庇ったんだ。私はすぐ死ぬけど、同時にすぐ復活できるんだぞ。それを君はよく知ってるじゃないか。私に囮になれと言ったのは、君の方じゃないか」
    「は、はは……なんでだろ……? わ、わかんねえ、気付いたら身体が勝手に動いてたんだよ」

     背中に三本の爪傷を負って地面に倒れ伏したまま、ロナルド君は何故か笑いながらそう言っていた。私は彼に駆け寄っては、その頬に手を触れる。それから、少しでも吸血鬼から離れようと、彼を肩で背負いながらゆっくり移動した。

    「馬鹿だ君は、本当に馬鹿だ。どうしてそこまでするんだ」
    「……だって、兄貴だったら、絶対こうしてた、から。でも、俺はまだ駄目だから、怪我した……悪い」
    「私はそんな的外れな謝罪が聞きたいんじゃないわ! それに、兄貴兄貴ってね、そこに君の意思は存在しないのか馬鹿者!」
    「わ、わからねえよ……考えたこと、無いから」
    「じゃあせめて意識を飛ばさないように、救援が来るまで考えておきなよ。もうすぐで一時間だ。それまで、この吸血鬼は私が見ててあげるから」

     せめてもの応急手当として、私のマントを彼に貸して、雑な止血をした。吸血鬼に止血されるなんて、珍百景レベルで珍しい事だ。貴重な栄養源なんだぞ。もっと有り難がっても良いのに、ロナルド君は何も言わない。

     時が流れるのが異様に長く感じられた。私達の間には緊張と沈黙が途切れる事無く流れ続けていた。

     時々、倒れていた吸血鬼が大きく身を捩って動く事があった。その度に、私は近くに転がっていたままだった銃をその手に握りしめていた。

    「……動くんじゃない!」

     多分、私はゲーム以外で初めて拳銃を使って何かを撃った。衝撃で肩が脱臼して、その次の瞬間には死んでいた。よく彼は平然とこんな事ができるな、と感心してしまう。

     ロナルド君は、辛うじて瞳を薄く開けたまま、ただその光景を黙って見ていた。私の手には、彼の銃が握られたままだった。



     それから暫くして、ようやく数名の足音が聞こえてきた。新横浜の退治人ギルドのメンバーが、救援に駆けつけてくれたのである。ものの見事に、私の知らない顔ばかりだった。ひょっとしたらロナルド君なら知っているかもしれないが、今の彼にこれ以上何かを考えさせるのは酷だと思った。
     救援として来た彼らは、実に鮮やかな手口で、吸血鬼を跡形もなく退治した。それから、ロナルド君の応急手当と、搬送を素早く手配していた。

     私から離れる直前、彼はこちらに向かって、今にも消えそうな小さな声で囁いた。

    「なあ、アンタ。俺、もう意識飛んじまいそうなんだけど、まだ考え、纏められてねえんだ……ここで眠ったら、俺、次はどうなるんだろう。なあ、ドラルク。明日も俺は、俺のままでいられるのかな。そうだったら、いいなあ。アンタに、言われた事の答え、出せると思うのに」
     
     はは、と彼は力なく笑った。震える身体で笑われても、何も説得力がない。私は無理矢理笑う彼の瞼を自らの手でゆっくりと覆った。

    「……それは、誰にも分からない。ただ一つ、私から言えるのは、明日も、君の隣に私はいるだろうって事だけだ。私が君の隣にいる限り、私は何時までも君の答えを待っててあげる。だから……安心して、眠ったら良いんだよ」 

     私だって、君と明日を生きたい。続けるべきか迷った言葉は結局音にならず、誰にも届く事無く消えた。

     明日は未だ、不明瞭な事ばかりだ。

    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ❤
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works