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    ぱしぇりー

    @paxueli

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    ぱしぇりー

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    おとなじゅにあちゃんと未亡人ティーユさんのやつ。2021年7月

     夜も更けたと言うのに、父はまだ起きていた。少し綻びが気になってきた年季もののソファにゆったりと腰掛け、本を開いていた。わたしはリビングの明かりを頼りに水切りカゴからグラスをつかみ水を注ぐと、一気に飲み干して、早々にここを立ち去ろうとした。
     わたしに気づいても振り向きもしない長い髪が、背もたれから滝のように溢れていた。わたしの足は何故かそちらへ向かっていた。声をかけるのも憚られ、しかし背後からのわたしの気配や足音に気づかれた今、ただ立ち去るわけにもいかなかった。ふと、幼い頃は父の髪をおもちゃにしていたのを思い出して、一束すくい上げてみる。

    「なんだら」
     父が驚いたように振り向く。目を合わせぬよう、わたしは下を向いて、適当な理由を考える。
    「白髪が増えたなぁって」
    「……そうか」
     父は手元の本へ目を戻す。怒るわけでも止めさせるわけでもなく、わたしが髪をいじるのをそのままにしていた。
     元より若くはない父だった。ここ数年で一層老け込んだようで、今はもっともっと若くないのだ。先程自らが発した言葉が本当であるのを確かめるように、色の抜けた髪の数を数える。血管の浮いた父の手がページをめくる掠れた音。その節くれ立った指にいつまでも嵌ったままの指輪を思い出して、わたしは指の動くままにつくった細い三つ編みから手を離した。ウェーブのかかった髪は元へ戻らず、そのまま三つ編みの形をしていた。
     その三つ編みをいい加減に解いて、わたしは自室へ向かおうとそこを離れる。
    「マリー」
     呼び止められて、今度はわたしが振り向いた。逆光で、父の顔はよく見えなかった。
    「何?」
     本の小さな文字を追っていた目で、薄暗い空間の少し距離のあるものにピントを合わせるのは難しかったのだろう。父は目頭を押さえて下を向くと、徐にわたしを見上げた。視線が交わる。
     父は目を伏せた。
    「……何でもないだら、おやすみ」

     裸足で歩く床は冷たかった。窮屈なベッドに体を押し込んで、鬱陶しい前髪を払う。窓際に置いたままの空の花瓶が星の明かりを受けて、白い天井に光を投げていた。
     わたしは返事をしなかった。できなかった、と言う方が正しいかもしれない。おやすみの一言も言えないで、短い廊下を巡礼路の中程を歩く旅人のような足取りで通り抜けた。信ずるものを見失いかけている旅人のように。
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