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    小栗ビュン

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    小栗ビュン

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    6話中5話目。西谷夕編。

    #HQ
    #東西
    eastWest
    #東峰旭
    dongfengxu
    #西谷夕
    nishitaniYuki

    海獣のバラード~この果て~旭さんは大きな仕事を任されたり、小さな仕事で苦戦したり、時々ぼんやりしながら一生懸命働いていた。その時々というのは、多分自分達と同じ顔をした、あの親子のことを思っているんだろう。それは俺も同じで、この一年でふたつの国をゆっくり回ったけれど、海を見かける度にあの親子や先輩と同じ顔をしたふたりを思い出した。

    あの旅は、旭さんとの生活を変えた大事件だった。結局誰にもあの旅のことは話していない。しばらくは、旭さん自身も俺もあの親子の話をすることを控えていたような気がする。信じているけれど、その後がどうなったのか、やはり心の底で怯えていたんだろうと思う。

    「元気かな」って呟いて、「きっとめっちゃ育ってますよ」とか話したり、「早く夏になるといいね」って言って自分達と同じ顔をした海獣達を信じることにおさまった。

    今もきっと日本海にいる。

    アサヒさんは北の海に住んでいたようだけれど、住む場所が変わって何か不便にしていないだろうか。俺と同じ顔をしたイルカは、起きてくれただろうか。ずっと寝ている俺の顔というのが、いまいち想像がつかない。

    旭さんは、正月休みに、イルカの刺繍が入ったベビー服を作っていたっけ。



    旭さんの誕生日を祝ってから、冬は俺はめっちゃ暑い国に飛んだ。怪物魚を釣った。でも、もっとデカい尾ひれも背びれも知っているから、やっぱりあの親子を思い出した。

    春は旭さんの大きな仕事があるから、俺は東京に残った。三日ぐらい寝ない日の旭さんは、よく俺の乳を吸った。乳を吸わなくなった頃に仕事が片付いたようで、一週間ぐらい寝て過ごしてた。ついでに俺のケツは多分どこか壊れたと思ったね。

    ケツの無事がなんとなくわかったところで、変な祭りがあるという小さな国に俺は飛んだ。その変な祭りの衣装を着て写真を撮って旭さんに送ってあげると、帰国する頃にはその変な衣装をモチーフにしたベビー服が出来ていた。

    季節が変わる事に、ベビー服が増える。

    さあ、初夏だ。動画の収入がどーんと入ってきたので、俺が旭さんに休みを与えて日本海への旅を提案した。

    「もう、いいっすよね?」

    聞いてみた。そしたら、旭さんはムズムズしてますっていう顔で嬉しそうに言ったんだ。

    「もう、いいよなあ。」

    自分が作っていたベビー服を抱き締めて、俺の顔を見て嬉しそうに言ったよ。

    さあ、海の底へ、行ってビュン。




    いつもの調子で荷物をパッキングしていたら、旭さんがたくさんの「備え」を車に積んでくれた。浮き輪、ビーチバレーボール。俺がずっと言っていた、写真を撮りたいって言葉を覚えててくれていた。防水なんとかというカメラを借りてきてくれた。優しい。俺はなんて優しい彼氏を持ってしまったんだ。優しくてユーモアがあって、懐が深くてとても可愛い。そんな彼氏と、大切な友人達に会いに行くことにした。

    道中、旭さんは、あの時このサービスエリアに寄ったんだとか、この歌を歌って眠気を飛ばしたんだとか色んな話をしてくれた。ドッグランにも寄ったけれど、平日ということもあり、犬がいなくて落ち込んでいた。

    「犬、飼いますか?」

    「いや、もう少し、俺が家にいられるようになってからかなあ。」

    デザイン事務所に泊まり込むことだってある。だからペットの世話ができない日だってある。俺が旅を辞めればいいだけの話だけれど、旭さんの頭のなかには、そんなことがひとつもないことを知っている。

    「じゃあ、俺たちがもう少し大人になったら飼いましょう!」

    「そうだね。」

    そう言って、メロンパンをかじった。表面がザクザクしているので、どうしても顔にくっつくし、こぼれていく。今から犬の名前はどんなものがいいかを話したり、キスしてくれるんだと思ったら頬についてたパンくずを舐めてとってもらったり。夏にメロンパンはちょっと水分が不足しまくりだった。メロンパンの後に、アイスを買って、再出発。運転代わろうかって言ったけど、さりげなく断られた。

    「いやあ、大きくなってるのかなぁ、あの子。」

    まるで自分の子どもを思うみたいに、思い切り顔に出して呟く。

    「名前ついたんすかね?」

    アサヒジュニアの名前とはいかに。気になる。俺的にはめっちゃかっこいいのがいいな。そう思うと、龍之介ってかっこいいよな。ちょっと羨ましい。ドラゴンだもんな。

    「イルカのニシノヤ、起きてるといいなあ。」

    乳に貝殻とかつけてたらどうしよう。外せって言うかもしれない。潔子さんの人魚には外せって言えないけど。間違いなく直視出来ねえ。

    「あの時、元気がないイルカのニシノヤを見てたら、俺、多分しばらく落ち込んでたかも。」

    そう言いながら運転している横顔は、ちょっとせつなそうだった。

    「その先が見えない明日を迎えるって、怖いじゃん。」

    旭さんは続けた。

    「明日どちらかが死ぬかもって思うと、やっぱり毎日、西谷には愛してるって言っていたいかもね。」

    なんだこの男は。何ネガティブなくせにかっこいいことを言っているんだ。言わないけど。

    「じゃあ言ってください。」

    「うん、愛してるよ。」

    「はい、おかわり。」

    「はは、……西谷の人生の最果ては、俺だといいな。」

    「、」

    なんだこの男は。詩人か。

    「果てっていうか、ゴールっていうか、やっぱりホームかな。」

    詩人だな、ポエマー旭だな。

    「死んで旅立つ時は、俺の腕の中じゃないと、嫌だな。」

    「なんで俺が先に死ぬんすか。俺の方が若いのに。」

    「だって、西谷をひとりにしたくないもん。」

    なんだこの男は。
    だってとか言うんじゃありません。
    なんだかそういうツッコミたくさん入れたかったけど、嬉しくて鳥肌立って黙ってるしか出来なかった。

    「死ぬって、めっちゃ準備しなきゃダメっすね。」

    「だよなあ。頼むから、俺のこともできれば一緒に連れてって欲しいくらいだ。」

    「ふふん、旭さん俺の事大好きですね。」

    「……うん、愛してるよ。」

    なんだこの男は。
    なんだそのためた時間は。
    なんなんだ。
    くそ。

    アイスなんて一瞬で汗になった。


    それから山をひとつ越えて、また休憩して、見晴らしのいいサービスエリアで睡眠休憩を取った。旭さん、昔から愛用してるクマのアイマスクをしてるけど、結構ボロボロだな。落ち着くんだろうけど。今度変なアイマスク買ってきてやろうかな。すけべな顔になるやつとか。

    倒したベンチシートで、夏だからエンジンはかけたままエアコンを入れて。アイマスクの下にある口をちょっとだけ吸わせて貰った。不思議なことに、少しだけ海の味がした気がした。

    ああ、呼んでるかもしれない。
    アサヒさんが、呼んでる。
    海もアサヒさんも呼んでいる。

    「にしのやあ、」

    旭さんが笑いながら起きてしまった。もう少し寝かせてあげればよかったんだけど、キスが激しくなってきちゃったし、もう出発したくて仕方がない。

    「旭さん、ほら、アサヒさんが呼んでますよ!」

    「うん、俺も今、夢にニシノヤが出てきた気がしてる。」

    今日は俺も旭さんもロマンチストだ。アイマスクをとって、抱き合ってキスをした。寝てる間に吸った分、物凄く吸われた。昼間だし人の通りが多いから、ここから先は物凄く我慢をして止めておいた。

    キスを終えて顔を離す瞬間の、旭さんの嬉しそうな顔が物凄く好きだ。

    「起こしちゃってすんません。運転代わりますよ。」

    「あ、いいです。」

    なぜいつも断られるのか。

    とりあえず再出発。宿は取っていない。今日も車中泊のつもりだった。後部座席を倒して寝られるようにしてくれた旭さんはやっぱりちょっと「ド」がつくすけべだと思う。

    暗くなってきた。高速道路を降りる。旭さんが前回同じ道をひたすらカーナビを信じて走ってきたことを話してくれた。勝手に出ていく自分を、追ってきてくれた旭さんがいたことを、改めて実感できた気がした。そして今、こうしてついてきてくれる。ふたりで未知の生命体に会いに行ける冒険ができるとは思わなかった。でも、これはその未知の存在と約束していたことなんだ。俺達だからできた約束。旭さんとだからできた冒険。その結末はきっと、めっちゃかっこいいものだっていうのも、信じている。

    「着くよ。」

    旭さんの明るい声がした。減速して走る感覚に慣れないまま、あの道の駅に着いたのだった。夏休みに入っているからだろうか、車の数は以前よりも多いせいで明るく感じる。

    「トイレ、トイレ。」

    「俺も。」

    大きく伸びをして、慌ててトイレに駆け込む。用を済ませるととりあえず駐車場から見える海を覗いた。目はいい方だけれど、アサヒさん達の気配はしなかった。人が多いと出て来れないだろう。深夜にならないと出てきてくれないかもしれない。

    「旭さん、少し海岸に降りませんか。」

    「いいよ。」

    旭さんはサンダルに履き替えると、貴重品を車の中に置いて身軽になって海岸へ続く階段を降りていく。遊泳禁止の場所なのを初めて知った。道の駅からの光が届く範囲ではなくて、光が当たらない方向へと歩いていく。夜風が当然だけど潮風で、肌に張り付く感じが去年の秋を思い出させる。

    「無事だといいなあ。」

    無事だということ前提でしか考えていない。そうとしか考えないようにしていた。どんな眠り方をしているのかは、俺達は知らない。けれど、そんなに危ない状況だったら、アサヒさんは「またね」なんて言わないと思うんだ。そこまで強くないのも、どちらの東峰旭に言えることな気がする。

    いや、「またね」でやんわり終わりにするタイプかな。

    「なに?俺の事考えてますって顔してるけど。」

    ついつい顔を見上げて考えていたら、その様子を気づかれしまった。

    「アサヒさんも旭さんも、いい男だなと思って。」

    「あ、それ絶対ウソ。」

    「ウソじゃないっすけど、ちょっとウソです。」

    「あーはいはい。」

    足の指と指の間に砂利が入り込んでくる。夜は涼しい。足元が暗くなってきた。旭さんの手を引いて、夜目が効く俺が先を歩いた。こういう俺はちょっとかっこいい。

    テトラポットに座って、静かな海を眺める。どこかに灯台があることも今知った。真っ直ぐに伸びる灯台の光がくるくると回って暗い海を撫でていく。

    誰に何を話しても信じてくれそうにない物語を見ているようだ。けれど、その物語のなかには、人生早々に出会って惚れ込んでしまった相手がいる。否定もしなければなかったことにもせず、一緒に見届けてくれる奇特な人だ。好きだけじゃ足りないし、愛してるだけでは現せない。感謝に似た気持ちを教えてくれたのは、紛れもないこの人と、かつての仲間達だ。

    言葉はなんとなく出ないまま、暗い海を見つめる時間を過ごす。あたたかいものが食べたくなった頃に立ち上がろうとすると、とても高くて短くて、時々下手くそになる歌が聞こえた。超音波に似たような音。鳴き声。

    「西谷、」

    「はい、聞こえましたね。」

    アサヒさんの声ではない。もっと幼くもっと元気な声だ。イルカの群れがいるのかもしれない。しかしそれよりも、あの子なのではないかという期待を持ってしまう。立ち上がって目をこらす。砂浜を歩いて近づこうとする。気が付けばふたりで手を繋いで、足を濡らして海の中へ進んでいた。潮水がぬるい。

    まるで誰かの体温のようだった。

    声が近付く。胸が高鳴る。あの子まで、もう少し。きっとあと少し。

    旭さんの腕は俺の腰を強く抱いていた。


    「ノヤ!」


    子どもの声。幼稚園児とかその位の子の高い声。

    「いた、」

    旭さんが叫んだ。その視線の先を追う。すると、波の間から、少しだけ顔が見えた。アサヒさんに抱かれていた、あの子。

    「ノヤかか。」

    俺の事だよな。

    「ととぴっぴ。」

    「え?それ俺?」

    旭さんが俺の体を抱いたまま、ものすごく安心した顔でわらってた。この子が元気だということは、ダイチさんやスガさんも含めて元気なのだろう。

    しかし、アサヒさんの姿がない。この子ひとりで来たようだ。以前少しだけ見た時より、なんだかもっと旭さんとアサヒさんに似てきた気がする。水面からちょこんと頭を出すと、俺達を見て大きく笑った。物凄く可愛い。旭さんなんか隣でもう泣いている。

    「いたいた、いきなり飛び出すから焦ったよ。」

    「うわ!」

    顔を出したのは、ダイチさんだった。

    「ダーチ、ととぴっぴ、ノヤかか。」

    色んな名前が並んだが、最初のはダイチさんのことを呼んでいるんだろうな。可愛いな。ダイチさんが抱き上げて捕まえる。

    「しゅが。」

    「はい、スガです。」

    後からスガさんも現れた。アサヒさん程じゃないけと、ふたりともデカイな。

    「はあ!!!」

    するといきなり旭さんが叫んだ。

    「うわあ!出た瞬間叫ぶのやめろ、死ぬ!」

    スガさんが旭さんを叱る。見慣れた光景のような、そうでもないような。

    「西谷ごめん、カメラ、車に忘れた。」

    「いいっすよ、もう会えただけでなんか十分っす!」

    それは正直な気持ち。こうして本当にダイチさんにもスガさんにも会えたし、元気なアサヒさんの子にも会えたのだ。目に焼き付ければそれでいいじゃないか、なんてようやく思えた気がする。撮られる本人達はそういうの嫌いかもしれないし。またチャンスはあるって思いたいし。

    自分と同じ顔をした存在に、また会いたいだなんて思えることが、生きてきてよかったかもって思わせてくれる。こんなに摩訶不思議で楽しいことはない。この生き方を選んでいなかったら、こんなことに遭遇しなかっただろう。

    ダイチさんが小さいアサヒさんを抱っこすると、腕を伸ばして俺達に小さいアサヒさんを近づけた。小さいアサヒさんが、首を伸ばして、俺の口にキスをしてきた。続いて、旭さんにも口を押し付けていた。突然のことに、旭さんは顔を赤くして噴火しそうになっていた。体の中にあの感覚。きっとこれは、海への招待状の仕掛けだ。

    「とと、かか。とと、かか。」

    小さいアサヒさんが、旭さんの手を掴む。俺はスガさんに手を掴まれた。デカい。けど、スガさんてけっこう美人だよなって思う。

    いざ、海の底へ。

    「あの、抱っこしてもいい?」

    めちゃくちゃ照れている旭さんが、小さいアサヒさんに向かって聞いていた。旭さんと人魚の子だと、その大きさってだいぶ差が埋まって見える。

    「きゃー!」

    小さいアサヒさんが、嬉しそうに旭さんの腕と胸に飛び込む。

    「うわあ、可愛い…、うわあ、」

    「ととぴっぴ。」

    水中だとその重さは分からないだろうけど、旭さんは体いっぱいで抱き締めていた。旭さんの幸せそうな顔をしている姿を見て、なんだか少しだけ苦しかった。

    俺では、見せてやれない顔。
    人間は、オス同士じゃ、こんなふうに同じ顔の子どもを授かることはできない。

    ベビー服を作るあたりでわかっていたけど、旭さんはきっと、ものすごくいい父親になる。でも、俺が相手だと、それって叶わないことになる。

    ああ、旭さんは、どんな気持ちで「結婚しよう」なんて言ったんだろう。


    「ほらほら、行くよ。」

    スガさんが俺の腕を引いて海の底へ向かう。旭さんは小さいアサヒさんを抱いたまま、ダイチさんに腕を引かれている。深海からの空気の泡がのぼっていく。

    ぽつぽつとすれ違うように上がってくる泡。

    多分これは。

    きっとそれは。

    少しずつ暗くなっていく。そこから上がってくるものは、そこに居るふたりからの空気の泡だろうな。

    「かか、かか、おっきよぉ。」

    「そうかあ!起きるかあ!」

    ダイチさんが明るい声で言った。

    おっき。
    なるほど、起きるか。
    起きる?

    「起きる!?」

    イルカの俺が起きるのか。

    「スガさん、早く!早く!」

    気が急く。足を動かすと、スガさんがスピードを上げてくれた。先に動き出したスガさんを見て、小さいアサヒさんがダイチさんを急かせる。ダイチさんは力強く尾ひれで水を蹴ってグンと進んだ。横目で見ていると、ダイチさんの体はバネのようだ。こっちのダイチさんも、やはりかっこいい。

    灯台の明かりも、星空の明かりも届かなくなる程に暗くなる。


    「アサヒ!やっぱり来てたぞ!」

    ダイチさんが叫んだ。すると水底の方で視線が動いた。何かが見上げてくる。

    見上げてきた顔が、静かに手を動かす。人差し指を唇にあてる。静かにって、言われたようだ。

    スガさんとダイチさんが、ゆっくりと俺達を岩場の上に下ろしてくれた。大きな大きなアサヒさんが、俺の顔をしたイルカを包むように抱き締めていた。

    「久しぶり、本当に来てくれたんだ。」

    アサヒさんが声を潜めて微笑んでくれる。そして旭さんの腕の中にいた小さいアサヒさんが、「お父さん」の腕の中へ潜り込んでいく。潜り込んだと思ったら、「お父さん」と一緒に「お母さん」をあたためるようにくっついた。

    「そろそろ、目が覚めるんだ。」

    「、」

    アサヒさんが嬉しそうに、でも照れたように言った。アサヒさんにとって、目が覚めたら物凄く久しぶりな再会になるんだよな。嬉しいだろうな。俺だったら、多分泣く。アサヒさんと旭さんだったら、絶対泣く。

    「かか、おっき。」

    小さいアサヒさんが「お母さん」の胸に滑り込んでうっとりしている。

    「あれからずっと、アサヒがああしてあっためてたんだ。」

    ダイチさんが言った。

    「あの子に飯の捕まえ方教える以外は、ずっとあの状態な。」

    それはきっと、ダイチさんとスガさんが一緒にいたからできたことだ。自分以外の保護者がいたから、きっとあの子と一緒に今日まで居られたのだろう。

    やっぱり、独りじゃダメな世界のほうが、多いんだな。

    「かか、おっぱい。」

    「まだ乳離れもできなくて。」

    アサヒさんが少しだけ鼻の下を伸ばして自分の子どもの頭を撫でた。頭を撫でられながら、平たい胸に吸い付く。あれで乳が出るのが不思議だ。旭さんの視線が俺の乳に向けられていた。

    「ん?イルカのニシノヤは、栄養的に大丈夫な…んですか。」

    旭さん、ダイチさんに向かってひよって語尾が敬語になってた。

    「ああ、それは、」

    「こうして、」

    ダイチさんが説明しようとすると、アサヒさんが自分の腕を自分の口元まで上げた。何をするのだろうと見ていると、鋭い牙で皮膚を傷つけ真っ赤な血を流した。俺も旭さんも言葉にならなかった。手首に近いところを傷つけて血を流し、傷口をイルカの俺の口元にあてたのだ。まるで血を吸わせているようだ。もう片方の手で、顎を引いて口に隙間を作ってやって流し込む。

    「ちゃんと舌も動いてるんだよ。元気になってきてる証拠。」

    父親が母親に栄養を送り、その栄養を母親は子どもに与えている。

    それぞれが、それぞれに、命を削って。

    この生き物は、なんて強いのだろう。人間では、血を吸っただけではどうにもならない。けれど、命を削って得られるものが違うだけで、きっとこうして親子というものは見えないもので繋がるんだ。それはどこの国も、どこの世界でも同じなのかもしれない。多くの国を渡り歩いても、見てきた命の繋がりは、同じだったことを今知った気がする。

    命の果てを見た気がした。

    果てとは、多分、なくなることじゃないんだ。

    巡る瞬間のことなんじゃないかな。

    ほっぺたがゆるゆるの可愛い顔が、「お母さん」の胸の上で元気に喉を鳴らす動きをしている。物凄く吸われているが、イルカの俺は大丈夫だろうか。子どもって本当に加減を知らないし、しないんだろうな。

    旭さんを見る。やっぱり、泣いてた。水中で涙を流すと、上にしかこぼれていかないから不思議な光景だった。でも、旭さんは優しい顔をしてた。もし、「いいな」って思わせてたら、俺は乳も出ないし子どもを生める性別じゃないから、ちょっと申し訳ない選択をさせたかもしれない。

    ああ、俺っぽくないな。

    でも、生物のあるべき姿って、なんだろうと思うし。
    旭さんに恋して、愛されて、今があることに間違いなんてないと思う。

    ただ、旭さんが欲しかったものを、俺では差し出せないのなら悔しい。そしてそれが、探してきたら見つかるものでもないのが、また悔しい。

    俺の最果てが、そこなんだとは思いたくないけれど、ひとつの終わりを見た気もする。俺という個体の、生物学的な部分の限界だ。

    限界は、諦めかな。
    達成かな。

    あ、旭さんが俺を見た。
    笑った。
    ダイチさんの腕から抜け出してきて、俺の方へ寄ってきた。そしたら、スガさんが俺の体を離して、旭さんは俺を捕まえた。

    「一緒に見届けようと思って。」

    「、」

    限界って何かな。バレーボールを辞めたことか。それは限界か、達成か。ひとつの旅を終えて旭さんのもとへ帰る瞬間が限界か、達成か。わからないな。でも、目の前のみっつの個体は、なにも終わってはいないし、始まりしか見えてこない。

    終わりは、それぞれの、寂しい時間だけ。

    始まりは、それぞれの、喜びの時間。

    アサヒさんの腕が、口元から離れていく。血が少しだけ水中に漂ったけれど、不思議なことにアサヒさんの手首の傷は薄くなって消えていった。痕は残っているけれど、血は止まった。きっと、毎日与えているうちに、傷痕が残ったのだろう。

    「かか。」

    そういえばこの子の名前ってなんだっけ。

    「ユウ。」

    俺と同じ名前を呼ぶそれは、優しい優しい声だった。

    「……サヒ、さん、」

    その場にいた誰もが、その口元に目を奪われた。喋った。起きた。

    口元から、大粒の空気が漏れていく。
    開いた目から、数滴の涙がのぼっていく。

    「おかえり。」

    静かに見つめあうふたりの間で、涙と泡がのぼっていく。その瞬間の絵は、あたたかくて、どこかせつなくて、でも限りなく幸福に似たようなものを感じられて、俺は旭さんと一緒に少しだけ泣いた。


    「かか、かか、」


    「ユウ、ありがとう。この子は、ちゃんと、受け取ったよ。」


    アサヒさんのその言葉に、イルカの俺は嬉しそうに笑ってた。
    何十年もかけて種をあたためて、実ったものを産み落として。
    そして父親がかけつける頃に託したのかな。
    そういうタイミングがもうかっこいいし、奇跡なんだろうし、繋がっているからこそ起こせるミラクルだ。


    大きな大きなアサヒさんが、起きたばかりの伴侶にキスをしていた。ふたりの間で羨ましそうにふたりの顎を触る子どもの姿がなんとも可愛くて、またその絵に見入ってしまったのだった。

    命のクライマックスのひとつを、見た気がしたかもしれない。








    続く

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    Replies from the creator

    小栗ビュン

    DONE東西真ん中バースデー!!
    大人時代からさらに十年後の東峰旭とモブ女子の会話。
    十年後のバースデー「東峰さん、お疲れ様でした。」

    春の新作の発表を無事に終えることができて、そのお披露目ショウが終わった会場でただ立ち尽くしていた時だった。後輩の女子社員から労いの言葉を貰い、ふと我にかえる。

    「ありがとう、細かいところも手伝ってもらえて、本当に助かった。」

    いつの間にか後輩が出来て、追い抜かれたりする焦りも感じて、あっという間の十年間だった。ヘーゼルナッツのような色の柔らかい髪が、微笑んだ際に揺れた。

    「お疲れ様でした、先輩。」

    「ありがとう。」

    それからちらほらと後輩がやってくる。片付けを手伝ってくれる事務所の後輩達を見ていると、つい最近まで一緒にコートの中にいたあいつらを思い出す。あの時から、倍の年齢を生きている。三十代はあっという間だなんて言うけれど、全くその通りだった。俺は最初に入ったデザイン事務所に籍を置きながら、フリーの仕事も手がけて生きている。アパレルデザイナーだけあって、皆個性的な服で働いている姿を見ると、あの二色で統一されたユニフォームを着た排球男児が恋しくなるのは何故だろう。大きな仕事を終えた日に限って、何故懐かしむ感情が強くなるのだろう。
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