十年後のバースデー「東峰さん、お疲れ様でした。」
春の新作の発表を無事に終えることができて、そのお披露目ショウが終わった会場でただ立ち尽くしていた時だった。後輩の女子社員から労いの言葉を貰い、ふと我にかえる。
「ありがとう、細かいところも手伝ってもらえて、本当に助かった。」
いつの間にか後輩が出来て、追い抜かれたりする焦りも感じて、あっという間の十年間だった。ヘーゼルナッツのような色の柔らかい髪が、微笑んだ際に揺れた。
「お疲れ様でした、先輩。」
「ありがとう。」
それからちらほらと後輩がやってくる。片付けを手伝ってくれる事務所の後輩達を見ていると、つい最近まで一緒にコートの中にいたあいつらを思い出す。あの時から、倍の年齢を生きている。三十代はあっという間だなんて言うけれど、全くその通りだった。俺は最初に入ったデザイン事務所に籍を置きながら、フリーの仕事も手がけて生きている。アパレルデザイナーだけあって、皆個性的な服で働いている姿を見ると、あの二色で統一されたユニフォームを着た排球男児が恋しくなるのは何故だろう。大きな仕事を終えた日に限って、何故懐かしむ感情が強くなるのだろう。
「打ち上げ、楽しみましょうね!」
特に明るい後輩の女性が拳を握って笑いながらトルソーを抱えて走っていく。打ち上げもいいけれど、そろそろ睡眠もとりたいのが正直な話だった。三年生の時の、春高が終わった時並に疲れている。いや、体力が落ちた分今日の方が上回っているか。自分を中心にした内容だったために、用意された打ち上げに参加しないわけにもいかない。だが、家には最愛のパートナーが待っている。
西谷夕、彼も三十の半ばを迎えた。
冒険家として世界各国、日本全国を飛び回った二十代だった。感染病や戦争が始まってしまって帰国できないだなんて危険もあった。けれど、あいつは財布を失くすということだけはしなかったっけ。なんて、日焼けした肌の笑顔を思い出したら、自然と笑みが溢れてくる。
「先輩?」
愛する夫の笑顔に夢中になって、後輩を現実に置き去りにしてしまっていたようだ。
「ああ、ごめんね。」
「お疲れですよね。」
「まあね、でもみんな三徹ずつぐらいはしてるでしょ。」
モデルの個性が強すぎたり、あるはずの物がなくなっていたり、そんなことは日常茶飯事なのだが、この頃は自分の年齢を理由にしてしんどさを感じている気がする。
「無理しないでくださいね。」
気の利くいい後輩だと思う。何でも受け入れて、話を聞いてくれそうな、そんな女性だ。何でもソフトに受け止められる、芯の強い女性だろう。こういう女性こそ、きっとパートナーをしっかりと支えられるのだろうな。
夫婦ではなく、夫夫だなと思い始めた、自分と西谷の関係。お互いにゲイだったわけでもなく、女性経験がなかったわけでもない。西谷なんかは、宿泊先で外国人女性に食われたことは何回かある。そんなところは馬鹿正直に謝ってくるのだが、俺からしたら、言わないでくれた方がよかったよ。そんなこともあった、高校生も含めた十年数年間。俺はこの仕事をして、自分の人生をどこまでも自由にデザインする西谷の存在に、どれほど助けられただろう。常識には囚われず、けれど礼節は忘れない西谷が好きだった。そんな力強い生き方は、遠く離れて会えない時にこそ、「離れているから」俺を奮い立たせてくれた。帰ってきた西谷に褒めて欲しくて、そしてきちんと「おかえり」って受け止めてやりたかったから、目の前にあるものに向かいあえてきたんだ。
「……、顔だけ出して、先に上がらせて貰おうかな。」
「はい。」
どこか安心したように彼女は笑った。
「今日は誕生日なんだよね。」
「え?」
きょとんとした素の表情も、小動物のように愛らしい。
「はは、この歳になって恥ずかしいけど、真ん中誕生日って言うのかな。」
「いい夫婦の日にですか!すごい!」
手を合わせた目を輝かせる姿を見て、帰ったら西谷もこんなふうに笑ってくれるかな、なんて思ったりして。なんだかとてもとても、西谷に会いたくなってきた。一緒に風呂に入って、飯を食って、明日はとことん西谷を抱いて寝ていたい。
「旦那さんによろしくお伝えくださいね。」
そんなこと言ったら、西谷はきっと事務所に変な土産とか持ってくるんだぞ。伝えるけどさ。
この時期だけは、同い年なんだ。ここまで大人になると、年の差なんて何も気にすることはなくなるのだが、先輩だった自分と後輩だった相手の関係はあまり変わらなかったかもしれない。それでいて、最愛のパートナーになった瞬間は、生きててよかったと思えたんだ。
法律が変わったタイミングで、俺と西谷は同じ戸籍のもとに生きることになった。姓は互いのままで、同じ屋根の下で、死ぬまで生きることを選んだのだった。世界に認められたような気がして、素直に嬉しかった日だった。
それが今日という日だったわけだが。
「新しい指輪、注文したんだよね。」
完全なるひとりごとだ。彼女は期待の眼差しで俺を見上げている。
「明日取りに行こうと思ったんだけど、まだ間に合うかな。」
彼女に背中を押されたくて、俺は言っているに違いない。目の前を派手な後輩たちが通り過ぎていく。社長が顔を出す前に、切り上げた方がよいだろう。
けれど、あとひとつだけ呟かせて欲しいな。
「みんなには悪いけど、またみんなとは仕事したいから、許してくれるかな。」
真っ直ぐ帰りたい。ジャケットの中に手を突っ込んで、手を握り締める。
「ごめん、やっぱり帰るわ。今日は、相棒ファーストで。」
その手を出して、後輩を代表して彼女に手を合わせて謝った。弾けるような彼女の笑顔。見送ってくれる彼女に甘えて、社長だけには頭を下げて駆け出していた。
走るって、そろそろしんどい。
もうしんどい。
けれど、走れば間に合うから。
全て今日のうちに、間に合うから。
「西谷ぁ!」
ただいまって駆け込んで、抱き締めて、抱き締められて、いっぱい匂いを吸い込んだ。
明るい未来をくれた、あの頃の世界にも感謝を。
終わり。