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    アーサーが王位を継ぐ日と王妃の葛藤

    #魔法使いの約束
    theWizardsPromise
    #アーサー
    arthur.
    #オズ
    oz.

    虹のたもと山々から雪解け水が流れ始めると、季節は一気に冬から春へと移り変わっていく。
    やわらかく湿った土から新緑が芽生え、冬眠から目覚めた動物たちが人里に姿をあらわすようになる。
    雪がすっかり溶けてなくなると、南の国よりひと呼吸遅れて、中央の国の辺境にも春が訪れるのだった。



    庭師によって丹精に手入れされた庭園の一角に瀟洒な佇まいの四阿があった。四阿では絹のドレスを身にまとった、見目麗しい貴婦人が一冊の本を読んでいる。
    四阿の周りでは淡いピンクやオレンジに染まった春の花が咲き乱れ、庭木に止まった小鳥たちが恋の歌をさえずる。
    降り注ぐ午後の日差しはうとうととまどろんでしまいそうなほど温かい。まるで火にあぶられてとろけていくバターを見ているときのような、ゆったりと心地よい時間が流れている。
    しかし平穏で満ち足りた午後はすぐさま終わりを告げた。パタパタと小走りで四阿までやって来た若い侍女に、貴婦人はつと眉を潜める。
    高貴な身分の人間に仕える者は何があろうとも動揺や焦燥を表に出してはならない、とされている。主人の視野の届く範囲内で駆けるなどみっともないことこの上ない。

    (この子は……一月前に侍女頭が召し上げた娘のはず……。教育が行き届いていないようだから、あとできちんと伝えておかなければ)

    貴婦人は静かに本を閉じて立ち上がった。

    「一体何事かしら? わたくしが四阿にいる間は庭に近付かないように、とおまえたちには言い付けてあるはずなのだけれど」
    「大変申し訳ありません、奥様。ですが……先ほどアーサー殿下がお出でになりまして……」
    「……なんですって?」

    あの子が。一体なぜ。こんな辺境にある屋敷を訪ねてきたというの。貴婦人は胸の内で激しく動揺した。

    「奥様にぜひお目通り願いたいと仰っておいでなのです。……お断りいたしましょうか?」
    「そう、ね」

    強情で頑ななアーサーのことだ。今ここで追い返したとしても、簡単には諦めないだろう。何が目的かは知らないが、しつこく面会を求められて何度も断るのはいささか面倒である。
    ならば今日会ってしまって、アーサーを満足させてしまったほうが気が楽といえる。貴婦人は逡巡したのち静かに頷いた。

    「殿下をこちらまでお通しして」
    「は、はい。かしこまりました」

    主人の返答が意外だったのか、侍女がわずかに目を丸くする。冷たい眼差しを向けると、侍女は短く息を呑み、弾かれたように踵を返したのだった。
    侍女の背中を無表情で見送り、貴婦人は深々とため息を吐き出した。



    「お久しぶりです、母上。最後にお会いしたのは昨年の冬頃でしたが……お変わりはございませんでしたか?」

    侍女に案内されて目の前に現れたアーサーは、左手を腹部に添えて丁寧に礼をした。まさに典雅という言葉が相応しい。美しい身のこなしを目の当たりにした侍女が頬を染め、ほう、と感嘆の吐息を漏らすのが聞こえた。
    目の前に立つのは中央の国の第一王子、アーサー・グランヴェルである。そして彼が母上と呼びかけたことからわかるように、四阿に腰かける貴婦人は王妃と呼ばれる身分の女であった。

    「ええ、万事つつがなく過ごしておりましたわ――アーサー殿下」

    親子の間柄であるというのに、他人行儀な呼び方をされたアーサーはほんの刹那、表情を曇らせた。が、すぐに陰りを打ち消し、秀麗な微笑みを口元に刷く。

    「それはようございました。……今日は母上に贈り物を持って参ったのです。近頃中央の国で有名な洋菓子店から取り寄せました。お口に合えばよいのですが」

    そう言ってアーサーがかたわらに控えるあかがね色の髪をした騎士に目配せを送る。騎士はアーサーの視線を受けると、小さくつぶやいた。

    「グラディアス・プロセーラ」

    騎士が呪文を唱えるのと同時にどこからともなく直方体の紙箱が現れる。紙箱が宙に浮いているのを見て、貴婦人――王妃は、嗚呼、と思う。すっかり忘れていたけれど、元騎士団長から騎士団長に返り咲いた彼もまた魔法使いと呼ばれる生き物なのだった。
    只人ではない、不老長命の生き物たち。
    王妃が黙って見つめていると紙箱は丸テーブルの上に着地した。蓋がひとりでに開き、色味の異なるケーキがふたつ入っているのが見えた。ひとつはクリーム色で、ひとつは紅い。

    「ルージュベリーのケーキと、群青レモンのケーキです。母上はどちらをお食べになりますか?」
    「……では、ルージュベリーのケーキをいただくわ」

    ルージュベリーのケーキは子供の頃から王妃の大好物だ。もしかしたらアーサーはそれを承知の上で、ケーキを選んだのだろうか。そこまで考えて王妃は自嘲の笑みを浮かべた。

    (偶然に決まっているわ。アーサーがわたくしを喜ばせようなどと考えるはずはないのだから)

    かつて自分はアーサーに対してひどい仕打ちをした。腹を痛めて生んだ子供の死を願い、猛吹雪の山の中に置き去りにした。
    そのことをアーサーが恨めしく思っていないはずがない。彼がグランヴェル城に舞い戻った日、王妃は恐ろしくて眠れなかった。
    アーサーは復讐のために戻ってきたのだとしか思えなかった。体を八つ裂きにされるよりも深い苦痛を与えられるのだと信じて疑わなかった。
    しかしどれだけ日が過ぎようとも、王妃の身には何も起こらなかった。城内でたまに顔を合わせる度にアーサーは王妃を「母上」と呼び、屈託のない輝かしい笑顔を振りまいた。
    まるで軋轢などどこにもないかのように、アーサーは良き息子で在ろうとした。
    居室にこもりがちな王妃を気にかけ、政務の合間を縫って何度も訊ねてくるアーサーに嫌気が差した。
    自分は惨めで矮小で愚かしい人間だと思い知らされるようで辛かった。
    許されないことをしたというのに、恨まれていないのが耐え難かった。
    あのまま城にいれば、自分の心は静かに病んで壊れてしまっていただろう。もうこれ以上苦しみたくはない。
    ずっと、ずっと。アーサーが生まれたときからずっと、口さがない者たちの中傷と呪詛と陰口に傷付けられてきた。それでも精一杯王妃の務めを果たしてきた。だからもう心の赴くまま――自由に生きても構わないはずだ。
    夫である国王が天に召されたとき、王妃の胸に強烈な衝動が込み上げてきた。ずっと蓋をしていた感情があふれ出し、彼女は城を出ることを決めた。
    南の国と中央の国の境には王族が所有する別荘がいくつかある。信用の置ける召使いたちを十数人ばかり連れて、王妃は国王の葬式が終わるとすぐに住まいを別荘へと移したのだった。

    「お茶の用意を整えてちょうだい。今すぐに」

    アーサーに見惚れたまま、棒立ちになっている侍女に少しだけ語調を強くして命じる。と、彼女は頬を赤らめて厨房に駆けて行こうとした。それを「待て」とアーサーが制止する。

    「母上、よろしければ私にお茶を淹れさせてください」
    「じきに国王となる者が、召使いのように振る舞うのはおやめなさい」

    険を含んだ物言いに侍女と騎士の顔が強ばる。しかしアーサーは堪えたふうもなく、にこにこと笑っていた。

    「今はまだ私は第一王子に過ぎません。そして王妃である母上は私よりも貴き方です。であれば――私が母上に仕えるのは何もおかしいことではありません」
    「………………」

    ああ言えばこう言う。口が達者なところは今は亡き国王にそっくりである。言い合いをしたところで、自分の負けは見えている。アーサーの粘り強さと渋とさは筋金入りだ。何せ吹雪の中に捨て置かれても生還した子供なのだから。

    「殿下のお好きなように」

    急に何もかも面倒くさくなって、王妃は投げやりに答えた。するとアーサーはパアアアと顔を輝かせ、四阿に足を踏み入れてきた。

    「カイン、おまえは下がってくれ。母上と内密に話したいことがあるんだ」
    「はっ」

    わたくしのほうには積もる話などないのだけれど。騎士が離れていくのを横目で見ながら、王妃は胸の内でつぶやく。

    「あのう、私はどうすれば……?」

    庭園の片隅で直立不動の姿勢を取った騎士を見て、侍女がおずおずと問いかけてくる。王妃は呆れて口を閉ざした。
    この娘には王族に仕えているという自覚があるのだろうか。何も言われずとも主人の意を汲み取って行動するのが優れた侍女というものだ。なぜこのように鈍くさい娘を侍女頭は雇い入れたのだろう。

    「母上」

    王妃が黙っているとアーサーが小さく呼びかけてきた。二人きりで話がしたいと暗に訴えてくる。王妃はため息を噛み殺し、淡々と侍女に告げた。

    「貴方も下がって構わないわ。人手が必要なときはわたくしから声をかけると侍女頭に伝えてちょうだい」
    「は、はい。かしこまりました」

    年若の侍女はひどくぎこちないカーテシーを披露すると、スカートの裾を揺らして庭園をあとにした。彼女の背中を見送り、王妃はぽつりとつぶやく。

    「……早くケーキをいただきたいわ」
    「っ! すぐにお茶をお淹れします。パルノクタン・ニクスジオ!」

    アーサーが呪文を唱えると、丸テーブルの横に茶器が一式現れた。やけに嬉しそうな顔で茶葉をスプーンですくうアーサーから王妃はそっと目を逸らした。



    結果から言ってしまえば、アーサーが手ずから淹れた紅茶は文句の付け様がないほど美味だった。
    しつこすぎない甘さの中にほんの少しだけ混ざる渋みが見事に調和して、まろやかな風味を醸し出している。
    酸味の強いルージュベリーのケーキのお供に相応しい味だった。

    「――アーサー殿下」

    ケーキを腹の中に収め、ティーポットの中身は半分ほどなくなった。紅茶とケーキに舌鼓を打っている間、主に喋っていたのはアーサーだ。
    毒にも薬にもならないような近況報告という名の世間話に王妃は静かに耳を傾けていた。けれど間を持たせるための上滑りしていく会話ほど退屈なものはない。
    王妃はこの無駄な時間に終止符を打つべく、核心的な問いを放った。

    「殿下はわたくしにどのような用向きがあって会いにいらしたのかしら? いい加減教えてくださる? わたくし、焦らされるのは好みませんわ」

    穏やかな風が吹いて庭園の花々が揺れる。その平和な光景を眺めながら、王妃はアーサーの出方をうかがった。視界の端でティーカップがソーサーに置かれるのが見える。
    口元に浮かべていた笑みを消し、アーサーはひどく緊張した面持ちで話を切り出した。

    「今日は母上にお願いがあって参りました」
    「…………何かしら」
    「私の即位式にぜひ出席していただきたいのです」
    「そんなことだろうと思いましたわ」

    昨年の冬、中央の国の国王はたくさんの臣下に見守られる中、息を引き取った。国王崩御の報せは瞬く間に国中に行き渡り、中央の国の民はしきたりに則って一月の喪に服した。
    中央の国では国王が死ぬと民草は一ヶ月だけ喪に服すと法によって定められている。王城では一年だ。すべての祭典や行事が中止になり、王城に出入りする者たちは貴色である青の衣服を着用する決まりがある。
    一年の喪が明けて中央の国は新しい王を迎えるべく動き出している。新王に即位するのは先王の長子、第一王子たるアーサーだ。
    魔法使いの国王など前代未聞だ。けれど中央の国の民からの信頼は篤い。賢者の魔法使いとして<大いなる厄災>と戦い続けているアーサーを、多くの者たちが崇拝し、敬愛している。
    時代が変わる。風の向きが変わる。
    今度の新王即位式では21人いる賢者の魔法使いたちが全員集結するらしい。式はかつてないほど華々しく、豪華で、素晴らしいものになるだろう。後世まで語り継がれるほどの。
    新王の母、すなわち王太后となる王妃のもとにも招待状は届いていた。しかし王妃は欠席する旨を書き記して招待状を王城へと送り返したのである。

    「体調が優れぬゆえ欠席されるとお伺いしましたが、それは誠なのでしょうか?」
    「ええ、その通りですとも。近頃足腰がひどく痛むようになりましたの。年老いたこの身には馬車での長旅は厳しいもの。即位式は朝から晩まで続く一大行事ですわ。途中で倒れてしまってはもとも子もありませんから」

    王妃は台本を読み上げるような口調で答えた。
    体力が続かないというのは本当でもあり、嘘でもある。王族の務めを彼女はよくよく理解していた。自分たちは富と繁栄の象徴なのだ。
    立派な国王と王妃の姿を垣間見て国民は奮い立ち、生活を豊かにするために働く。
    国民の心を動かすため、忠誠心を揺るぎないものとするため、人前に出る王妃は微笑みを絶やしてはならない。重いティアラとドレスを身に着け、許しが出るまで踵の高い靴で立っていなければならない。
    愛する夫のためならば、どんなに辛いことでも耐えられた。しかし彼女が心を捧げた男はこの世からいなくなってしまった。ならばもう表舞台に出たくはなかった。
    王城に王妃の居場所はない。この辺境の地にある屋敷で、誰からも忘れ去られて静かな余生を過ごしたい。今王妃が望むのはそれだけだ。
    しかしアーサーは自分の母親が即位式に出席しないことを納得しないだろうと薄々思っていた。王妃の予想は見事に的中した。
    直談判をするためにわざわざやって来るとまでは考えていなかったが。

    「……魔法で瞬間移動が可能になるとしても、ですか? 母上の負担が軽くなるよう、最大限の配慮をするとお約束しても気は変わりませんか? ティアラやドレスに魔法をかけて、重さをなくすこともできます。立っていることが難しければ、魔法で補助することもできるはずです。それでも母上は……即位式にお出でになってはくださいませんか……」

    アーサーの声はどんどん小さくなっていった。眉尻を下げたアーサーが王妃をじっと見つめてくる。捨てられた子犬のようなアーサーに、王妃はぐっと奥歯を噛みしめた。魔法使いにとって約束がどんな意味を持つのか、王妃は知っている。
    胸の奥が痛くて、やるせなくて、どうしたらよいのかわからない。

    「どうしてなのですか」
    「はい?」
    「なぜ殿下はそうまでしてわたくしに関わろうとするのです? わたくしのことなど、放っておけばよいでしょう。自分の息子を愛せずに捨てた母親を軽蔑して、見下して、捨て置けばよいでしょう」
    「そのようなことはできません」
    「なぜですか。血のつながりがあったとしても、わたくしたちは親子ではありませんわ。わたくしはあなたを愛したことなどない。殿下とてそうでしょう。わたくしを母と呼びながら、あなたが本当に慕っている人間は別にいる」
    「……オズ様には育てていただいたご恩があります。オズ様は素晴らしい方です。話せばきっとわかります」
    「わたくしはあの男が恐ろしい。いつかあの男に殺される。ずっとそんなふうに思って生きてきましたわ……。あの男は……殿下を実の息子のように可愛がっておりますもの……」

    北の城に住む大魔法使いは、どのような気紛れか、捨てられていたアーサーを拾って育てた。アーサーに勉学を教え、魔法の使い方を覚えさせ、一人で生きていけるだけの強さを叩き込んだ。
    オズと呼ばれるかの魔法使いは、まるで本当の父親のようにアーサーを育てた。彼がアーサーを大切にしているのは一目瞭然だ。アーサーが危機に陥ると、彼はどこからともなく現れて必ず命を救ってみせた。そんなオズにアーサーは心酔している。
    オズとアーサーはかたい信頼関係で結ばれており、そこに王妃が割って入る隙はない。当たり前だ。王妃が母親としてアーサーにしてやれたことは何もない。愛情を注いだこともなければ、何かを与えたこともないのだから。
    だというのにアーサーは性懲りもなく王妃を母と呼び、距離を縮めようと接触を繰り返してくる。
    アーサーがどんなつもりでそうしているのかがわからない。わからないからこそ、王妃は恐ろしかった。自分が犯した罪を忘れてしまいそうで。自分を許してしまいそうで。怖くてたまらない。
    目尻に浮かんだ涙をアーサーに見られたくなくて、王妃は顏を下に向けた。
    場が静まり返る。長い沈黙が続いたあと、アーサーは苦々しい調子で言った。

    「確かに……私が親と呼ぶべきはオズ様なのかもしれません」
    「っ…………!」

    そのことを頭では理解していたつもりだった。しかし改めて言葉にされてしまうと胸が軋んだ。そんなつもりではなかったと内なる自分が叫んでいる。
    愛してあげたかった。抱き締めてあげたかった。立派に大きく成長していく様をこの目で見守っていたかった。こんなふうになるはずではなかった。
    アーサーが魔法使いとして生まれさえしなければ、大事に育ててあげられた。

    「ですが私は……オズ様の子ではなく、あなたの子です。私の母上はこの世にただ一人、あなただけです。だからこそ、心を通わせることを諦めたくありません」
    「…………え?」

    力強い声がした。凛とした響きを持つ声が王妃の顏を上げさせる。王妃の視線を受け止めて、アーサーは鮮やかに笑ってみせた。

    「即位式に出席してください。私は母上に虹のたもとを見せて差し上げたいのです」
    「虹の……たもと?」
    「はい。母上は言い伝えをご存知ですか? 虹の根元を見たものには幸運が訪れる、というものです」
    「ただのおとぎ話でしょう」
    「私が現実にしてみせます」

    アーサーが頭上を仰ぎ見て天を指す。まぶしそうに目を細めながら、彼は生き生きと語った。

    「私は中央の国の空に虹をかけるつもりでいます。魔法使いと人間たちの架け橋になる虹を。それが私の願いです。私は中央の国を、魔法使いと人間たちがいがみ合わず、お互いに尊重し合いながら暮らせる場所にします。南の国よりも豊かで栄えた国を作ります。誰も見たことがない虹の橋をかけます。その始まりを母上にお見せしたいのです」
    「なぜ……わたくしにこだわるの」
    「私が魔法使いとして生まれてしまったせいで、もっとも苦しんだのが母上だからです」
    「なっ……!?」

    アーサーの言葉を聞いて王妃は激しく動揺した。胸の内に秘めていた想い。どろどろしたわだかまり。本人にはぶつけられず、ずっと持て余していた負の感情。それをアーサーから指摘されるのは想定外だった。

    「もしも私が魔力を持たない人間であったなら、母上は心安らかに過ごせたはずです。私が魔法使いだったとしても第一王子でさえなければ風当りも少しは和らいだはず。……私が魔法使いだったばかりに母上は追い詰められたのでしょう。……魔法使いへの偏見や、王族に圧し掛かる重圧が、母上にそうさせたのです」

    すべては私のせいですとアーサーは夏の湖のように澄んだ目をして言い切った。

    「幼い頃の私は無力でした。一人で苦しむ母上を助けて差し上げられなかった。ですが今の私には力があります。味方も大勢います。魔法使いの子供を生んだ母親が、白い目で見られることのない国を作ります。……ですからどうか自分を責めるのはもうやめてください。母上は誰も殺してなどいない。あなたの手は最初から血に染まってはいないのですから」

    アーサーが王妃を見つめる顏は優しかった。やわらかくて、焼き立てのパンのように温かい微笑みを彼は惜しげもなく振りまいた。
    王妃は瞬きを繰り返した。そうでもしないと涙がこぼれてしまいそうだった。

    「……ずいぶん耳障りの良い詭弁ですこと」
    「実はこれは死の間際に父上が話してくださったことなのですが――」

    私を吹雪の中に置き去りにしたあと、母上は決して子を作ろうとなさらなかったとか。
    したり顏で唇を動かしたアーサーに王妃は硬直した。それは夫と交わした秘密の約束だ。決して誰にも話さないでくださいませ、と懇願しておいたのに――!
    王妃はわなわなと体を震わせた。これほどまでに怒りを感じるのは久しぶりだ。

    「う、嘘です。真っ赤な嘘ですわ。陛下がそのようなことを仰るわけがありません!」
    「私はこの話を聞いたときに思いました」

    王妃の言葉をアーサーはどこ吹く風とばかりに聞き流した。

    「母上はずっと私の命を惜しんでくださっていた。私は望まれない子供ではなかったのだと。だからこそ、王城に帰還した私にどのように接すればよいのかわからず、身動きが取れなくなってしまったのだということもわかりました」
    「……、……っ!」
    「私もずっと悩んでいたのですが、まずは行動しなければ何も変えられないと気付きました。シャイロックはムルが大好きで大嫌いだそうで。そういった在り方もあるのだと知りました」
    「な、何をわけのわからないことを、」
    「母上が幸せな余生を過ごせるよう、私は全力を尽くします。かつては死を願ったけれど、生きていてよかったと思っていただけるような自慢の息子になります。ですからどうか、私の晴れ姿を見にグランヴェル城へお越しください。……時間の許す限り、お待ちしていますから」
    「…………」

    王妃は何も答えられなかった。アーサーの誠意にどのように応えればよいのか皆目見当もつかなかった。王妃が迷っている間に彼は暇を告げ、赤い髪の騎士と共に庭園から去っていった。

    「わたくしが王城に参じたところで、みなの迷惑になるだけだわ……」

    王城で腫物に触るような扱いをされるのはご免だ。即位式など誰が行くものか。王妃はフンと鼻を鳴らして、すっかり冷めてしまった紅茶を一息に呷った。



    なんの変哲もない朝がやって来て、一日が始まった。
    身支度を整えた王妃は食堂に向かい、上座に腰かけて朝食が運ばれてくるのを待つ。
    今日の朝食はエッグベネディクトとカボチャの冷製スープだった。
    この屋敷には王妃と身分を等しくする者はいない。したがって王妃と食事を共にする者は皆無だ。
    給仕の者たちに見守られながら、王妃は黙々と朝食を食べ進めた。
    食堂は静かで、聞こえるのは衣擦れの音と、王妃の息遣いくらいだった。
    エッグベネディクトとスープを平らげると、料理長がデザートを運んでくる。今日のデザートは月光樹の実のコンポートだった。
    侍女頭が王妃のかたわらで紅茶の用意をし、執事が今日の予定を確認してくる。

    「奥様、今日はどのように過ごされるおつもりですか?」
    「そうね……」

    問いかけられて王妃は考え込む。特にやりたいことがあるわけでもなく、やらねばならないことがあるわけでもない。
    日がな一日ぼんやりと過ごして夜が訪れるのを待つ。変わり映えのない退屈な日常を王妃は愛していた。

    「部屋で適当に時間を潰すわ。昼食の時間になったら呼んでちょうだい」

    いつもなら王妃の返答を聞いた執事は「かしこまりました」と言って下がっていく。しかし今日は勝手が違った。

    「……それでよろしいのですか?」

    物言いたげな顔をした執事が念を押すように問いかけてくる。王妃は首を傾げた。執事がなぜ食い下がるのか、王妃にはわからなかった。

    「なぜそのようなことを聞くのです?」
    「――今日が特別な日だと承知しているからだ」

    問いかけに答えたのは執事ではなかった。厳かで温かみなど欠片もない声が背後から聞こえる。

    「っ……!?」

    反射的に振り返り、王妃は目を見開いた。
    恐ろしさに呼吸が止まり、睫毛が凍りつく。
    今は春であるはずなのに、吹雪の中に立っているような錯覚を覚えた。
    真冬の気配をまとった男。世界最強の魔法使い。オズは鋭い眼光を宿して、王妃の目と鼻の先に立っていた。
    王妃は深呼吸をして、なんとか動揺を鎮めた。ドレスの裾を払って立ち上がる。頭一つ分高い位置にあるオズの顔を、王妃は精一杯睨みつけた。

    「おまえをこの屋敷に招いた覚えはなくってよ。それに……今は食事中。訪ねてくるのなら、先触れを出すのが礼儀というものです」
    「……無礼は認める。だが取次を頼んでいたら手遅れになる」
    「手遅れになる、とは?」
    「わからない振りをするのはやめろ」

    すげなく一刀両断されて王妃は顔をしかめた。ちらり、と執事を一瞥すれば、彼は安堵と不安が入り混じった複雑な表情を浮かべていた。
    言いにくいことを己が言わずに済んだという安心と、主人が今にも怒り出すのではないかという緊張感が漂っている。

    「わたくしにとって今日はいつもと何も変わらない一日ですわ。……王都のほうでは事情が違うでしょうけれど」
    「グランヴェル城ではもうアーサーの即位式が始まっている」
    「だからなんだというのです」

    眉間のしわを深くしたオズを王妃は鼻で笑った。今日はアーサーが中央の国の新王となる日だ。
    そんなことは、執事やオズから教えられなくとも朝目覚めた瞬間にわかっている。

    「アーサー殿下には式に出るつもりはないと伝えてあります」
    「聞いている。……説得しに行ったが、失敗したと」
    「知っているのならおまえがここにいる理由はなんですの? 賢者の魔法使いが式に揃わないとなれば、あの子の立場が悪くなるのではなくて?」
    「私はこれから王城に向かう。――おまえを連れて」
    「…………」

    じり、と王妃は後ずさった。オズから距離を取って身構える。自分をここから連れ去ることなど、オズにとっては赤子の手をひねるよりもたやすいだろう。
    抵抗は無意味だ。しかしこの男の言いなりになるのは――あまりにも悔しい。

    「おまえがいれば、それで十分でしょう」
    「…………」
    「もしもわたくしを無理やりに連れて行くというのであれば、目も当てられないような醜態をさらしてやりますわ。大の字で床に寝転がって、即位式を台無しにしてやります。剣を持って暴れ回って、今度こそあの子を殺してやりますわ。――内心ではわたくしを見下しているくせに、おまえはなぜ善人の真似事をしているの。アーサーを苦しめているわたくしを、殺したくてたまらないくせに、なぜ情けをかけようとするのですか」

    善人の真似事、という言葉にオズの表情がわずかに陰る。それを見て王妃は驚いた。オズがこんなふうに感情を動かすところを、王妃は今まで見たことがなかった。
    オズは少しだけ傷付いているようでもあり、少しだけ悲しんでいるようでもあった。王妃の勘違いかもしれない。だが少なくとも、王妃の発した言葉が彼の神経を刺激したのは確かだった。

    「おまえがいなければ……アーサーが悲しむ。アーサーを悲しませるな」
    「そんなこと……」

    あるはずがない。けれど本当にそうだろうか? アーサーの真心と誠意は疑いようがない。自分は差し出されたものを受け取れないのではなく、頑なに受け取ろうとしていないだけなのではないだろうか。

    「今日ばかりは私たちの祝福だけでは足りない。おまえでなければ、アーサーは喜ばん。……そして迎えに行くのは私でなければならない、と」
    「それは誰の入れ知恵ですか」
    「20人の魔法使いたちだ」
    「…………」
    「…………」

    王妃とオズは向かい合ったまま沈黙した。居心地の悪い膠着状態が永遠に続くかと思われた頃、痺れを切らしたオズが持っていた杖をかざした。

    「私と一緒に来い。従わないのなら……ここにいる者たちを皆殺しにする」
    「ひっ……!」

    オズは本気だった。研ぎ澄まされた殺気に肌が粟立つ。部屋の片隅で小さく悲鳴をあげたのは、例の新米侍女だった。鈍くさくて、気が利かなくて、しょっちゅう王妃をイライラさせる頭痛の種。
    けれど王妃は彼女が嫌いではなかった。
    小鳥のように軽やかにくるくると立ち働くところ。そばかすが散っている素朴な顔立ち。
    何よりも王妃に何度冷たく当たられても、めげずに話しかけてくるところが、アーサーに似ていて、好ましかった。
    これ以上、罪を重ねたくはない。自分のせいで罪のない者たちが死ぬのは忍びない。
    愚かで無様でか弱い人間にも矜持というものがある。
    王妃は嘆息して、羽虫が鳴くような小さな声でつぶやいた。

    「正装の仕度をします。30分ほど客間でお待ちなさい」

    オズが無言で杖を下ろす。執事に先導されて客間へと向かうオズの背中を見届け、王妃はほっと胸を撫で下ろしたのだった。



    着替えと整髪を終えて客間に行くと、オズはすぐさま立ち上がった。一分一秒が惜しいとばかりにオズは王妃の腰を抱き、杖を掲げた。

    「お、おまえ……っ!」
    「――ヴォクスノク」
    「お、奥様!」
    「お待ちくださ――!」

    文句を言う暇もなかった。使用人たちの慌てた声が途切れ、瞬きをする間に視界に映る光景は別のものへと変化していた。
    透き通る青が王妃を包み込んでいる。

    「ここは……」
    「グランヴェル城の真上だ」
    「……そう」

    王妃はおそるおそる目線を下げた。オズの言う通り、眼下には見慣れた城の姿があった。春の陽射しを浴びてグランヴェル城の外壁は真珠のような輝きを放っている。
    普段は一般人の立ち入りが禁止されている内郭は開放されていて、若い新王の姿をひと目見ようと大勢の民衆が詰めかけている。

    「どうにか間に合ったようだな。もうすぐあそこのバルコニーにアーサーが現れるはずだ」

    城内で行われる戴冠の儀は既に終わったらしい。
    紆余曲折を経て宰相となったヴィンセントや、ドラモンドに代わって魔法管理大臣となったクックロビン、騎士団長のカインといった重臣たちが、内郭を正面から一望できるバルコニーにずらりと居並び、そのときを今か今かと待っている。
    バルコニーに立つ重臣たちと向かい合うように宙に浮かんでいるのは、賢者の魔法使いたちだった。
    真っ白な衣装に身を包み、それぞれ美しい細工が施された自前の箒に乗って、きれいに整列している。風が吹く度に衣装の裾がたなびくのは、可憐な花びらが舞い踊るのに似ていた。

    「……偽善者として選ばせてやる。ここで人知れずアーサーを待つか、バルコニーで待つか、選べ」
    「……わたくしはここに残ります。早く行っておしまいなさい。民衆への挨拶が終わり次第、わたくしはお暇しますから。よろしくて?」
    「――承知した」

    オズの返答を聞いて王妃の心はわずかに軽くなった。オズは血も涙もない残忍な魔法使いだと言い伝えられている。だが必要もない嘘をつくような男ではないと王妃は知っていた。
    今更、城にいる者たちと馴れ合うつもりは王妃にはない。ほんの少しだけ辛抱すれば、辺境にあるあの屋敷へと帰れるのだ。ならばもう変な意地を張るのはやめようではないか。
    王妃は肩の力を抜いて、もうひとつオズに要求する。

    「何か座れるものを用意してくださる?」
    「……ヴォクスノク」

    オズが呪文を唱える。と、ふかふかのクッションが腰の下に現れた。慎重にそっと体重を預けてみれば、あるかなきかの弾力が返ってくる。王妃は強ばっていた面持ちをゆるめて、クッションに腰かけた。
    王妃が動かなくなると、オズは何もないところから箒を取り出してまたがった。オズの操る箒が弧を描いて降下する。
    オズが賢者の魔法使いたちの列に加わると、ワアアァアアアッ! と民衆から歓声が沸いた。

    「これより第××代国王、アーサー・グランヴェル陛下より式辞を賜る! みな心して聞くがよい!」
    「アーサー陛下万歳!」
    「陛下の御代よとこしえに!」
    「魔法使いの王様ばんざーい!」

    万雷のごとき拍手が鳴り響く中、アーサーはついにバルコニーに姿を現した。堂々とした足取りで前に進み出で、民衆に向かって手を振る。
    民衆たちの興奮は爆発し、歓声は最高潮に達した。期待と憧憬に目を輝かせ、誇らしげにアーサーの名を呼んでいる。

    「――私は中央の国の新王、アーサー・グランヴェルである」

    魔法で大きくしているのか、鼓膜が破れそうなほどの歓声の中でもアーサーの声は王妃にも明瞭に聞き取れた。

    「今日という輝かしい日に私はみなに誓う。……と言いたいところだが、約束を破れば私は魔法を使えなくなってしまう。それはおそらくみなが望むところではないだろう。だから、誓うのではなく、この場では私の所信を表明しよう」

    王妃は思わず半眼になった。なんともまあ気の抜けた演説である。アーサーの欠点はそういうところだ。王族であるはずなのに、何かがずれている。拍手と歓声はいつの間にか止んでおり、民衆たちは呆気に取られた顔でバルコニーを見上げている。

    「私は王子としてこの世に生を受けた。だが今の私を形作ったものは、生まれながらにして与えられていた王子の肩書きや地位だけではない。私は王子でもありながら、魔法使いでもあった。一介の魔法使いではなく、<大いなる厄災>と戦う使命を帯びた賢者の魔法使いだ」

    一旦言葉を切って、アーサーが周りをぐるりと見回す。彼はまだ王妃を見つけていない。できればこのまま見つからずにやり過ごしたいところだ。

    「世界最強の魔法使いと謳われるオズ様に育てられ、賢者様にお仕えしている私は、歴代の国王よりも広い世界を知っている……と思う。みなが魔法使いを畏れる気持ち。魔法使いに憧れる気持ち。どちらもわかるつもりだ。私は私のせいで不幸になった人がいるのを知っているから」

    アーサーが胸に手を当てて訥々と語る。ありのままの自分で。飾らない言葉で。理想を紡ぎ出していく。

    「魔法は便利で、強大な力を秘めている。魔法科学が発展すれば、この国はもっと豊かになるだろう。だが、私はそれを望まない」

    きっぱりと言い切ったアーサーに民衆がざわめく。当たり前だ。水は常に低いほうへと流れる。誰もが自分の生活が楽になることを望んでいる。文明の進化を拒むのは愚かだと、魔法を使えない人間たちからは反発が起きるだろう。
    賢者の魔法使いたちは何も言わない。ただじっとアーサーの言葉に耳を傾けている。

    「魔法科学はマナ石を動力としている。マナ石の供給が不足すれば、世界中で魔法使い狩りが始まるだろう。そんな争いに満ちた世界を私は美しいとは思わない」

    アーサーはそう言うけれど、魔法科学の発展は止められないだろう。止まらないだろう。誰かが代わりになるような何かを見つけられなければ。

    「私は新しい国を作る。新しい時代を作る。魔法使いと人間が手と手を取り合って暮らせる豊かな国だ。隣国よりもずっと魔法使いと人間が暮らしやすい国を築きたい。誰もが自由に、奔放に、ありのままに生きていける国を」

    魔法使いが欲望を押し殺すことなく。弱き者への施しを強要されることもなく。他者に優しくしたいものは優しく。力を追い求める者を非難することはせず。人間が魔法使いを排斥することもなく。けれど魔法使いに踏み潰されることもなく。
    譲り合いながら、信念をぶつけ合いながら、生きていける国を作る。

    「私が生きている間に魔法科学を撤廃する。過去の文明に変えてみせる。誰かを、何かを、犠牲にしなくてもいい、もっと素晴らしい技術を必ず生み出してみせる。そのために全力を尽くそう。ただの人間が魔法のような奇跡を起こせるように。魔法使いが人間の営みを脅かさなくなるように。強くたくましい国を作る。そのためにどうか――私に力を貸してくれ」

    アーサーの演説が終わる。最初、民衆たちは戸惑う素振りを見せていた。けれど。
    誰かがどこかで「アーサー王万歳!」と叫んだ。
    誰かがどこかで「魔法使いに栄光を!」と叫んだ。
    誰かがどこかで「人間の意地と強さを見せましょう!」と叫んだ。
    一つだった叫びが幾重にも重なり、やがて大合唱となった。「アーサー王万歳!」と誰もが新しい王を讃えた。それがすべてだった。

    「魔法使いの王から、みなに祝福を授けよう!」

    拍手と歓声が沸き起こる中、箒にまたがったアーサーがバルコニーから飛び出す。それに合わせて20人の魔法使いたちが一斉に上昇した。

    「エアニュー・ランブル!」

    誰かが呪文を唱える。途端に頭上でいくつもの花火が弾けた。色とりどりの美しい花火が生まれては消え、生まれては消えていく。

    「アモレスト・ヴィエッセ」

    花火の隙間をくぐり抜け、数十羽の白い鳩が青空を飛翔する。21人の魔法使いたちが見事な空中演舞を披露しながら、魔法を使って蒼穹を彩る。
    花の雨が降り、魚が宙を泳ぎ、光が躍る。それはめちゃくちゃで、奇天烈で、どんな宝石よりも美しい光景だった。

    「――母上!」

    呼ばれて王妃は反射的に動かした。視線が真正面から絡み合う。アーサーは高速で飛びながら、王妃の真横をすり抜けていった。ついに見つかってしまった。
    空中演舞の最中なため、アーサーは自由に飛ぶことができない。もどかしげにこちらを振り返るアーサーに王妃は思わず笑ってしまった。

    「……っ!!」

    アーサーの頬が興奮で赤くなるのが見えた。心の底から嬉しそうに。幸せそうに。花が咲いたように。笑う。王妃に向かって笑い返す。

    「母上……っ! 来てくださって、ありがと……ござ……っ!」

    アーサーの声は途中で花火の音にかき消されてしまった。けれどアーサーが伝えようとしたことを王妃はきちんと理解していた。
    魔法使いが恐ろしくなくなる国を作る。アーサーがそう言ってくれただけで、もう十分だった。十分に王妃の胸は満たされていた。
    アーサーが作る理想の国を、自分は見られないまま寿命を迎えてしまうのだろうと思うと、少しだけ惜しいような気がした。

    「わたくしはもう……幸せになってもよいのかしら……」

    あの子が許してくれるなら。この腕に抱いてもいいのだろうか。
    目頭が熱くなって視界がぼやける。取るに足らない母親だけれど。どうしようもなく愚かで弱い女だけれど。
    アーサーを我が子と呼んでいいだろうか。

    ――もちろんだとも。

    今は亡き夫の声が聞こえた気がして、王妃は静かに両手で顔を覆った。肩を震わせて泣くただの女に、世界最強の魔法使いが優しい眼差しを投げかけたことなど知る由もなく。
    魔法使いたちの空中演舞が終わるまで、彼女は静かに泣き続けた。
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