ノートンが「青い」薔薇を育てる話「お兄さん、少し見ていきませんか?」
バイトの帰り、花屋の店員に声をかけられノートンは立ち止まる。
こんなところに花屋なんてあっただろうか、花屋があったとしても気にかける性格ではないのだが、恋人への誕生日プレゼントに頭を悩ませていたところにちょうど声がかかったので、ノートンはその店を覗いてみることにした。
店は簡素な建物で、陳列されている品物をざっと眺めても、目の肥えた恋人を唸らせることができるそうな商品は、当然並んでいなかった。
残念そうなノートンの空気を察したのか、店員がさらに言葉を続ける。
「珍しい物はそこに並べていないんですよ。見てほしいのは…これ」
そう言って、店員は奥から何かの苗木を持ってくる。
店員は誇らしそうにしているが、花にさっぱり詳しくないノートンは、その苗木の価値が測れない。
「実はですね…この苗木、世にも珍しい青い薔薇が咲くんです。聞いたことあります?青い薔薇。」
大袈裟な身振りで、店員は青い薔薇の希少価値の高さをノートンに説明する。
従来の「青い薔薇」は、花弁の赤色色素の含有量を少なくしたものなので、薄いピンクか灰色に見えるものがほとんどだった。
しかし、この苗木は違う。
青い花から、青色色素を蓄積する薔薇を作ることに成功した!その苗木だと店員は言う。
そんなに珍しい物が、路肩の簡素な花屋に置いている物だろうかと不穏に思うが、もし、本当に青い薔薇が咲くのなら、恋人への誕生日プレゼントにはピッタリの気がした。
「まいどあり!」
薔薇への理解はてんでないノートンが、この花を咲かせようと決めた話である。
鉢植えを抱えて、部屋に戻る。
ノートンは恋人の家に居候させてもらっている身なので、家主が予定より先に帰っていないか、この苗木のことがバレないか、ヒヤヒヤしていたが、その心配はなさそうだった。
意外なことに恋人はプライベートを気遣っているのか、ノートンの部屋には、あまり立ち入らない。ベランダに隠しておけば、誕生日当日までバレることはないだろう。
日当たりの良い窓際に鉢植えを下ろし、花屋にもらったガーデニングの入門書を開いた。
『薔薇の育て方ってなんだかムズカシそう…。なーんて思ってませんか?
でも!初心者さんでも、ポイントを押さえれば、じつは簡単なんです☆』
失敗すれば、他のプレゼントを準備しなければいけない二度手間になる。
そもそもそう簡単にプレゼントなんて思いつかないし、ノートンは食い入るように入門書に目を通す。
まずは鉢を植え替える必要があるようで、培養土なんかも新しく必要なようだ。
思いがけない出費に、眉間に深い皺が寄った。
恋人の留守を見計らって買い物に行かないといけない。
最大の難関は、水やりだった。
薔薇に水やりをするときは、鉢底から流れ出るくらいたっぷりと水をやらなければいけないそうだ。
流石にノートンの部屋には、水道が通っていない。
たっぷりの水を、恋人に隠れて、どうやって部屋に持ち込むか。
雨でも降ってくれればいいのだが、天候なんてそう都合良く動くものではない。
仕方なしに500mlペットボトルを部屋まで持ち込んだり、自分が水分を取るためだなんて水筒を部屋に持ち込むが、
察しの良すぎる恋人にいつバレるんじゃないかと、要らん気を張って疲れてしまう。
肥料の購入は、財布が痛いものの、恋人が家を留守にするタイミングで行けば良いから、水やりよりも楽だった。
剪定作業も、ノートンの心臓を痛くさせた。
本によると、薔薇は適した時期に枝を切らないと、花が少なくなったり、咲かなくなったりするそうだ。
切るところを間違えても枯れることはないが、少しでも見栄えが悪くなると、恋人を満足させられない気がして、ノートンは中々ハサミに手が伸びなかった。
図書館を何軒か巡って、ガーデニングや植木の本を眺めて、頭の中で、どの程度剪定するか、品種や株の状態は?最終的なシルエットは…なんて考え始めると、全く考えがまとまらない。
薔薇の病気と戦い、アブラムシが湧かないようにブラシで手入れし、ようやく小さな蕾ができた。
ただ、その色は白い。
蕾が白だったら、咲く花の色も白になるはずだ。
次の蕾はきっと、と期待を込めて待つが、一向に青色の蕾は現れない。
もしかして、偽物をつかまされたんじゃないかと、疑念が頭を埋める。
だとしたら…恋人には、白い薔薇をプレゼントするしかない。
この薔薇のためにお金も時間も費やしてしまった。
ノートンには、もう次のプレゼントを準備する余裕はない。
情けなさで、グッ…と唇を噛む。
どうせ自分はそうだ、最初から…恋人の、ジョゼフに相応しいものを準備できるはずなんてなかったんだ。
自罰的な思考で目の前が暗くなる。
けれど、次のプレゼントを準備できないのなら、せめて、この薔薇を少しでも綺麗に咲かせることしか、自分にできることは残されてないだろう。
ジョゼフは自分の惨めな話を聞いて、呆れる?それとも笑うだろうか…。
不安な気持ちのまま、ジョゼフ・ドラソネスの誕生日が来てしまった。
今年は2人で過ごそうと約束し、彼の家を、自分のできる限り華やかに飾り付けた。
食卓には彼の誕生日に相応しい品々が並んでいる。
彼のために用意したプレゼントが霞んでしまいそうだ、なんて薄らと考える。
誕生日のためか嬉しそうなジョゼフとは反対に、ノートンの気は重くなった。
恋人に、アレを渡さなければいけないなんて、死刑を待つ囚人の気分だ。
「ジョゼフさん…。プレゼントがあるんですが、実は…。」
恋人に、たわわに花開いた白い薔薇の鉢植えを差し出す。
結局青い薔薇は咲かなかった。
本当は希少性の高い薔薇をプレゼントしたかったのに…。
ごめんなさい、と心の中で呟いた。
「どうして謝るんだい?…嬉しいよ。」
だから、嬉しい、と言うジョゼフの声に、ハッと顔を上げた。
彼の顔は、満開に咲いた薔薇よりも美しく、喜びに満ちていた。
残念そうじゃない…?なんて、ノートンの顔中に疑問符が浮かぶ。
「君は、青い薔薇を用意したかったかもしれないけれど…私が嬉しかったのは、そうじゃないんだ。」
ジョゼフははにかみながら、嬉しさが溢れんばかりの笑みをたたえて言う。
「君が白い薔薇を、私にプレゼントしてくれたことが嬉しい。君に似合う花だからね。」
花言葉を調べてごらん、とノートンよりも博識な恋人はノートンに促す。
言われるままにスマホで検索した。
「純潔…は、違うし、…尊敬…。も、違うの?」
花言葉をひとつ、ひとつと読み上げるが、ジョゼフは首を横に振る。
残ったのは…。
「私は、あなたにふさわしい」
読み上げる声が震えた。
ジョゼフの腕が、ノートンの体をギュウっと、強く抱きしめる。
恥ずかしさと戸惑いで、頭がいっぱいで、顔が耐えきれないほど赤くなったのが自分でわかる。
「これは、間違えで!勘違いで…」
否定の言葉を捲し立てるが、この恋人は聞いちゃあいない。
「愛してる」なんて、耳元で囁かれたら、ノートンは黙るしかないのだ。
「くっ、…ハッピーバースデー。ジョゼフ、さん」
掠れた声で、誕生日を祝う。
後日、テーブルの上に、黄色い花瓶に添えられて、白い薔薇が揺れていた。