【ワンドロ】置手紙じゃ許さない【両手いっぱい】 安室透の開く探偵事務所はカフェを兼業している。建物の一階がカフェ、二階が探偵事務所だ。風見裕也はそこの助手兼店員として働いている。
朝、カフェに出勤した風見を待っていたのは『少しあける。あとは宜しく頼む』というなんとも勝手な置手紙だった。
カフェの店主である安室は、こうして時折ふらりと姿を消す。彼が店をあける理由は、買い付ける予定の食材を栽培している農家へ直接足を運び、調査や試食、試作をするためだ。
安室はこだわりが強いタイプであるため、そこへ風見はなんら疑問も抱いていない。ただし、事前に報告されていればという注釈が付く。
「またですか、安室さん」
いつも事前報告なしに旅立ってしまう安室に、流石の風見も頭が痛くなる。カフェで調理を担当している安室が不在となると、提供できるメニューがぐっと減ってしまうのだ。いっそ不在の期間は閉店してしまうかとも思うが、住民の憩いの場所になっていることを考えると容易にその決断をくだすこともできない。
風見は「はあぁ」と大きなため息をつき、通常のカフェメニューを各テーブルから撤去する。そして、安室不在時専用のメニューをキャッシャー下の引き出しから取り出し、テーブルへとセッティングした。
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「ざみっち、バナナチョコホットケーキと紅茶お願いしま~す!」
風見が一人でカフェを切り盛りする際のフードメニューは、ホットケーキに限定される。メニュー表にはホットケーキに何がトッピングされているかの違いしかないラインナップが並んでいる。何を隠そう、風見はそんなに料理が得意でないため、客に提供できるほど自信のある食べ物がホットケーキのみなのだ。
あぁ、そろそろホットケーキを焼き続けるのも勘弁してほしいなぁとカウンター内で風見が思い始めた頃、カフェの扉が『カランカラーン!』と音を立てて開かれた。
「風見さん! ただいま戻りました!
バターンと開かれた扉の向こうから現れたのは、両手で大きな段ボールを抱えたにこにこ顔の安室透だった。
「あ、あむあむおか~」
「かざちゃんがそろそろ腱鞘炎になるって泣いてたよ~~」
帰還した安室はあっという間に女子高生に取り囲まれてしまった。風見は腱鞘炎一歩手前の手でチョコレートソースを握りしめ、安室を睨みつける。安室が不在の間、一人でカフェと探偵事務所を切り盛りしていたのだから少しくらい恨んでも罰は当たらないだろう。
「……おかえりなさい」
そんな風見の睨みなどどこ吹く風で、安室はカウンターへ段ボールをどさりと置く。
「風見さん、見てくださいこのマンゴー! 宮崎と沖縄、それぞれから仕入れてきました。旬の間はこことここから定期的に購入するのでそのつもりでいてくださいね」
つやつやのマンゴー溢れる段ボールの上へ置いていた農園の住所が書かれた紙を、安室は風見の眼前へずいと突き出した。
「安室さん、近すぎて見えません」
眼鏡とゼロ距離の紙に書かれた内容などぼやけて見えない。風見は口の端をひくりと引き攣らせながらもなんとか笑顔を作ろうとした。
本当は安室のことを気持ちよく送り出し、迎えたいのに、本当に、本当にこの人は……この人だけは……と、風見はチョコソースを握っていることも忘れ、両手いっぱいに力を込める。『ぶちゅう』というチョコレートソースの悲鳴は、ほかほかのホットケーキへ向けて吐き出された。