【降風･ワンドロ】君は家であり伴侶であり【瞬く間】「君、いい奥さんになりそうだよな」

　小さな会議室で顔を突き合わせていた風見の優先事項第一位である人物が、隠しきれない疲れた表情をしてそんなことを宣った。自分が女性ではありませんとか、それ他の人に言ったらヘルプラインされますよとか言いたいことはいくつか浮かんだが、風見はそれらをすべて飲み込んでただ上司の顔を観察する。
　例の爆弾事件犯の逃走から首輪型爆弾など一連の事から体へのダメージや疲れは見えるが、瞳はしっかりとしており正気は失っていないようだ。本日集まった理由である事件についての資料の突き合わせもひと段落ついたところである状況から、ここはジョークとして受け止めるのが吉か。

「はぁ、降谷さんこそ料理スキルの高さを見れば良い奥さんになられるのでは？」

　己へなんの気まぐれか、時折上司からもたらされる弁当を頭へ思い描く。ボリュームも栄養バランスも百点満点のそれは、店に出しても恥ずかしくないできだ。降谷の作るご飯は、バランスも何もない料理とも呼べない調理しかしない風見からすると異次元の域だ。
　この場において『いい奥さん』と評するのであれば風見ではなく十中八九降谷だろう。

「そうか？　僕は君が待っていてくれる方が絶対帰るぞって気になるがな」

　帰るというキーワードに、家事などのスキルを思い浮かべていた風見は思考に急ブレーキをかける。

「？　今、いい奥さんの話をしているんですよね？」
「もちろん」

　真っすぐな言葉とは裏腹に、どこか捻じれたものの気配を感じた風見は、典型的な奥さん像について降谷が話しているという想定を早々に捨てた。仕事柄風見は右腕や女房役と呼ばれることもあるが、それも降谷の意図するところではないのだろう。
　降谷の意図するところを正しく知ろうと風見は黙り込む。降谷は開いたままのファイルの上で頬杖をつき、机に乗った風見の指先へちらりと視線向けた。

「君は降谷僕を信じているだろう」
「はい」

　躊躇することなくすぐさま返ってきた返事に、降谷はよしよしと頷く。

「信じてくれる人の居るところへ戻りたい。その気持ちは別になんら不思議ものじゃない」

　その言葉でようやく降谷からの言葉を自分の言語に置き換えることのできた風見は「あっ、なるほど」と表情をぱっと明るくする。

「ご褒美のために頑張るとか、好きな人のためなら人一倍力が出るとかそういう話ですよね。えー……それは分かりましたが、それがどういい奥さんに繋がるんですか？」

　風見が降谷の正義を信じていることも、必ずこちらへ帰ってくると思っていることも事実だが、それがどう『いい奥さん』に繋がるのか結局分からず、風見はかしげていた首を逆に倒す。
　そんな風見をじっと見つめた降谷は「おや」という表情をしたかと思えば、しばらく思考を巡らせてから「それもそうだな」と頷いた。

「え？」
「確かに、僕が君に待っていて欲しいという話と『いい奥さん』にあまりつながりはないな」
「えっ、ないんですか」

　ここまで引っ張っておいてなんてオチという状況だというのに、降谷は口元で「うん、ないな」とさらに繰り返す。やはりその場で思いついただけの雑談だったのだと風見もかしげていた首を元に戻した。
　結局この会話は何だったんだと風見が脱力感を感じている間に、降谷は「君にとっての当然が僕には心地いいという話さ」と付け加えて笑い、「この事件ヤマについてだが、あとのことは任せる。じゃぁ、もう行くよ」と椅子から立ち上がり会議室の扉へと足を向けた。

「はい。降谷さん、お気をつけて行ってらっしゃいませ」

　バタンと閉じられた扉から気配が遠ざかったのを確認した風見は、椅子からずるずると滑り落ちる。

「あの人は自分がとんでもないことを言ったって自覚があるのか？」

　なんでもないことのように一瞬の間に投げてよこされた言葉は、風見の心へ深く刺さったまましばらく抜けそうにない。