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    okusen15

    まほ晶が好き

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    okusen15

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    東 ブランシェット家の執事長の話
    ※ヒス晶♀要素含みます

    ロマンスは針の上 東の国の大貴族、ブランシェット家の執事長の時計は五分遅れている。
     執事長は襟を正しながら鏡を覗き込んだ。整えた髪に乱れがないか、精査する視線は針のように鋭い。真っ白な生え際も、耳あたりの細い毛も、整列した兵隊たちのように、ぴたりと固まっている。
     姿勢を正して鏡と向き合う。変化はない。華やかさはいらない。おしゃべりも必要ない。主人の意を言われずとも汲み取り、黙ってその手足となる。先代の執事長から、役職と一緒に引き継いだ金の懐中時計は、六十年ブランシェット家に仕えてきた彼の誇りだった。
     懐中時計を磨く手つきは慣れていたが、丹念で丁寧だった。細かい彫りの装飾から、かんへ。最後にリューズを磨いて巻くーーそうして一日は始まる。いつも通りの決まった手順。
     しかし、今日の彼はリューズを巻く前に一段引き上げた。指先が慎重にリューズを回す。小さな音を刻みながら長針が動いた。親指に力を入れて押し込むと、針はチッチッチと時間を刻み始める。執事長はポケットに懐中時計をしまって、部屋を出た。
     使用人が住まう館から、主人達が住まう館へ向かう途中から、仕事は始まっている。館と館を繋ぐ廊下を歩きながら、窓のさんの埃がきちんと拭き取られているか、城内の調度品が勝手に無くなっていないか、昨日の記憶と照らし合わせる。ついでにカーテンの下に落ちていた、タッセルの紐を一本つまみあげながら、担当のメイドのニナに頭の中でチェックをつけた。
     毎朝、朝礼を行う一室の扉を開けると、部下の執事たちがそれまでしていた話を一斉に止めた。
    「おほようございます、ルドガー執事長!」
    「おはよう」
     声の揃った挨拶を受け止めて、一番前のまんなかの位置へ。ルドガーが靴音を立てるたび、部下たちの緊張は高まっていった。昨日の自分を今更ながらに振り返り、下手をしていないかーーしていないよな?と心の中で何度も問答を繰り返していた。
    「ーーでは、本日の予定の確認から」
     お咎めの言葉がないと分かると、どことなく部屋の空気が緩んだ。それでも執事長に向けられている顔の全てが、言葉を聞き逃さないように、神経を張り巡らせているのは明らかだった。くしゃみでもしようものなら、罪人を見るような目で見られること間違いなしだった。
     今日の主人たちの予定を確認し終え、問題が起きていないか報告を受け、朝礼が終わる頃には太陽が顔を出していた。定刻だ。それぞれの持ち場へと部屋を出て行く部下たちは、その時も沈黙を守っていた。全員が出ていくまで部屋にいた執事長も、数脚だけある椅子の向きを正し、部屋を出た。
    「ルドガー」
    「エミリー?」
     振り向くと、そこにはススキ色のくせっ毛をふんわりとまとめたエミリーがいた。今年六十になるメイド長のエミリーは、眼鏡越しに灰色の瞳を柔らかくしている。
     エミリーを知らない人なら、優しそうな人だと警戒心を緩めるかもしれないが、その見てくれに心を許しきってはいけないとルドガーは知っていた。エミリーは優しそうに見えるし、実際優しいが、相手が悟られたくないと思っていることを敏感に見抜く天才だった。怪しい客や商人が来たら、まずはエミリーに見てもらえ。ブランシェット家の使用人全員が承知している鉄則だ。無論、主人たちからの信頼も厚い。
     ますます瞳の圧を隠すのがうまくなっているのに、ルドガーは内心たじろいだ。気づけたのは六十年の付き合いがあるからだ。
     老いを知らないのか、こいつは。無意識に咳払いをしてしまい、勝手に気まずくなる。
    「あら。呼びかけただけなのに、何かやましいことでもあるのかしら」
    「何も。そういえば君のとこのニナだが、掃除がちゃんと出来ていないぞ。これが落ちていた」
     ルドガーは逃げるように話題を繰り出して、ポケットからタッセルの紐を取り出した。メイドの教育や管理はエミリーの管轄だ。いつもの数倍の厳しい表情をしても、エミリーは動揺ひとつ見せなかった。風のように軽やかに受け止め、流される。
    「あら、ごめんなさい。言っておくわね。ーーところでルドガー、時計を見せてくれない?」
    「……なぜ?君も時計を持っているだろう」
    「修理にだしているのよ。時計の針が、狂ってしまったの」
    「……」
     ルドガーは口髭の下でひくりと唇を歪ませた。エミリーの微笑みは、ニスか何かで固められたように、ぴくりともしない。執事長のルドガーに、こうも強い態度にでれるのは城広しといえど、主人たちか、共に幼い頃からブランシェット家に仕えてきた、エミリーくらいのものだった。
     エミリーは、とうとう吹き出した。額に手を当てて「からかうな」と嗜めるルドガーの声は、いつになく弱々しい。
    「厳格なあなたが、坊っちゃまと晶さまには甘いのを見てるとつい……ねえ?」
    「俺に同意しろと?この流れで」
     いつ気づかれたのかは分からないが、エミリーは知っていたのだろう。ルドガーがわざと懐中時計の針を遅らせていることを。それなのに、何も知らないふりをして話しかけてくるなんてーー本当に意地が悪い。ルドガーはため息をついた。
     それでもエミリーは何のダメージも無さそうにしているのだから、たまらない。優しげなエミリーと厳格なルドガー。二人の実際の力関係において、エミリーに軍配があがるのは、立場が変わっても変わらないことの一つだった。
    「ごめんなさいね。誰にも言わないから安心してちょうだい。でも、あんまりやりすぎると、みんなに知られてしまうわよ」
    「……分かっている」
     耳が痛い言葉に頷く。話は終わりだと背を向け、足早に角を曲がったところで、壁に手をつき、ようやく肩を撫で下ろす。今日は朝から散々だ。
     その後すぐネクタイを締め直し、ヒースクリフの寝室へと向かった。階段を登り、白い扉の前へ。二回、軽くノックをして挨拶をすると、部屋の中が少し騒がしくなる。バタバタ、と急に体を離したような物音。慌てるヒースクリフと晶の声が、かすかに漏れ聞こえる。ルドガーはその全てに素知らぬ顔をしながら、部屋の外で待った。
    「も、もう入っていいよ、ルドガー」
    「失礼したします」
     ヒースクリフはベッドから上半身を起こして、ルドガーの方を向いていた。が、視線は少し外れている。晶はヒースクリフに背を向けてベッドに腰掛け、水をちびちびと飲んでいた。その背中はヒースクリフの大判のストールで覆われている。二人の間の謎の距離感と、頬や耳が健康的に上気しているのに、口元が緩みそうになるのを引き締めた。
     続けて扉からメイドたちが入ってくる。エミリーが手配してくれたのだろう。メイドたちによって身支度のため、晶は別室へ連れて行かれる。カーテンを開け放った窓から清々しい朝日が、ヒースクリフの金髪を輝かせた。
    「ルドガー、ちょっと……」
    「いかがなされましたか?ヒースクリフ坊っちゃま」
     ルドガーは二人分の紅茶を淹れようとしていた手を止めた。こっそりと話しかけてくるヒースクリフは、周りのメイドたちの目を気にしていた。
    「前も、今日も、いつもより遅くに起こしにきてくれる気遣いは嬉しいんだけど、無理しなくていいよ……?」
    「……おや」
     若い恋人たちを思っての気遣いを、聡明な主人は見抜いていたらしい。しかし表情には恥じらいはあっても、気まずさや嫌がっているような気配はない。
     小さい頃からルドガーと関わっているヒースクリフは、彼の時間に厳しいところを知っている。ブランシェット城を訪れる客人たちや、他の使用人たちに示しがつかないようではいけないと、己も他人も律するようなルドガーにとって、負担になっていないかが気がかりだった。小さい頃から変わらない、ヒースクリフの優しさを感じ取ってルドガーは尊く、嬉しく思った。使用人として、主人に気を遣わせるなど失格と分かっていたが。
     それをおくびにもださず、ルドガーは時計を取り出し、片眉をあげて今初めて確認したような顔を作った。
    「これは失礼しました。どうやら、わたくしの時計が遅れていたようです」
     ルドガーの時計を見たヒースクリフが目を丸くする。呆気に取られているヒースクリフにも、他のメイドたちにも気づかれないように、ルドガーは口角をあげた。
     ブランシェット城の執事長、ルドガーの時計は五分遅れている。
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