ぜんぶぜんぶ、この出会いの私立夢ノ咲学院。この春から新入生として身を置くことになる学院の門を、ピカピカの制服に身を包んだレオは足取り軽く通り抜けていく。
……いや、ピカピカと言うには少し……かなり語弊があるかもしれない。途中でインスピレーションが湧き上がり通学路にある公園の地べたで作曲をしていたので、膝と肘が土で擦れて汚れている。おまけに買ったばかりのはずのスクールバッグも無くなって手ぶらになっているけれど、いつものことだ。
初日からそんな有様なレオに周囲はギョッとしたような視線を向けていたが、気にせず校舎内へと足を進める。新入生は一度組み分けられた教室に集まってから全員で講堂へ向かう流れらしい。辿り着いた教室の黒板には座席表が貼られていたので、じっとにらめっこをするように自らの名前を探した。どうやら五十音順に端から配置されているようなので、『あ』から順に視線を滑らせていく。
「え〜っと、月永、月永……っと、そこだな! おっ、もう隣に誰か座ってる! 」
振り返った先、ちょうど教室のど真ん中あたり。まだ周囲の生徒はいないようだが、右隣に大層美しい男が座っていた。スラリと伸びた背筋、少しクセのある朝空色の髪をふわふわと遊ばせ、各々の机に置かれたプリントに目を通している。
パチパチと視界に星が瞬く。流石はアイドル育成校、見ているだけでインスピレーションが刺激されるような容姿端麗な生徒が揃っているようだ。レオはパタパタと早足で机に向かうと、その生徒に声をかけた。
「こんにちはっ、初めまして! わはは、お前すっごく綺麗だな! おれは月永レオ、これからよろしくな!」
「うん? あぁ、はい、こんにちは〜。俺は瀬名泉……って、汚ったな! 何したらそんな泥だらけになるわけ!?」
瀬名泉と名乗った男は、レオに視線を移すなり綺麗な顔を歪ませて椅子ごと後ずさった。レオ自身すっかり頭から抜け落ちていた制服の惨状を指摘され、あぁ!と思わず声をあげる。
「さっき公園で作曲した時かも! いやぁ、桜が綺麗だったからインスピレーションが刺激されちゃってさぁ、わはは!」
「笑い事じゃないんだけどぉ! そんな格好で入学式に出るわけ!? 何でも初めが肝心って言うでしょ、ちゃんとしなよ。ティッシュとかハンカチとか持ってないの?」
「う〜ん、鞄に入ってたと思うけど、無くしちゃった!多分公園に置きっぱなしだと思う!」
「はぁ〜!? 馬鹿じゃないの、何コイツ! チョ〜うざぁい! スマホとか財布も入ってるんじゃないの? それ! でも今から探しに行く時間とか無いよねぇ……後でちゃんと取りに行きなよぉ! あぁもう、とりあえずブレザー貸して!」
泉はひったくるようにしてレオからブレザーを奪うと、窓際で軽く土埃をはたいてから持参していたらしい除菌用ウェットティッシュで汚れを拭っていく。数枚抜き取ったあと、パッケージをレオに向かって放り投げる。
「ほら、それ使っていいからさぁ、膝は自分でやりなよねぇ」
「うん、ありがとう!」
「……って、そんな風に擦ったら駄目でしょぉ! もういいからじっとしてて!ったく、なんで俺がこんなことしてやらなきゃならないのかなぁ!?」
ガミガミと言いながらも親切に世話を焼いてくれる、友達第一号はなかなか面白い男のようだで自然と笑みがこぼれる。それが気に障ったのかギロリと睨みつけてくるが、手は止まらないところが余計にチグハグでやっぱり面白いと思うのだ。
「ごめんごめん! お礼に後で曲をプレゼントするよ! おれは天才作曲家だからな!」
「ふうん? まぁ貰ってあげてもいいよ。……はい、おしまい。さっきよりはマシになったよ。一生恩に着てよねぇ」
満足げな表情で差し出されたブレザーを受け取って羽織れば、かすかにアルコールの匂いがする。ピンッ、とそれがレオの頭の中にある弦を弾いたようにメロディが溢れ出した。
「湧いてきた湧いてきた、インスピレーションが! 題してウェットティッシュの歌! これお前のペン? ちょっと貸して! 待ってて、今すぐ世界一の名曲に仕立て上げてやるから!」
「ダサッ! っていうか意味わかんないんだけど! もう今から入学式始まるんだけど! 聞いてんのぉ!?」
泉の怒鳴り声が教室中にこだまする。けれどもそれがレオに届くことはとうとう無かったので……泉は不審なクラスメートを見捨て、入学式へ向かったのだった。
◆
瀬名泉は努力の人である。レオがそれを知るのにそう時間はかからなかった。
泉の歌は、お世辞にも上手いとは言い難い。聞けばモデル業界出身であり音楽とは無縁の生活を送ってきたというのだから無理もないのだが、プライドの塊のようなこの男はそんな現状を良しとせず、日々研鑽を積んでいる。そんな姿がレオは大好きになっていた。
「セナ! おれと同じユニットに入ろう!」
「はぁ? 嫌。迷惑かけられるのが目に見えてるんだけど?」
「そう言うなって! チェスっていうユニットがあるんだ。おれ、そこに入りたくってさぁ」
「チェス? 知らないなぁ……っていうか、いくつかのユニットのパフォーマンスは見たけど、どこもパッとしないんだよねぇ。これなら既存ユニットに入るより、自分で一から作った方がマシな気がするんだけど」
「それも楽しそうだけど!チェスは音作りとかがすっごい良くてさ! 一緒に見に行こう? なっ? なっ?」
「ちょっと、揺さぶらないでよ! まぁ……そこまで言うなら見に行ってあげてもいいけど。 あんたの才能は本物みたいだし、見る目は確かだろうからねぇ。けど、入るかどうかは別だよぉ」
と、そう言いつつもなんだかんだで結局泉はレオと共にチェスへと加入してくれた。チェスというユニット自体に特段惹かれたわけでは無いようだったが、『あんた一人じゃ心配だから』と憎まれ口を叩きながら加入手続きを手伝ってくれた際、面倒くさそうに泉の名前を記した書類も揃えて提出したものだから、嬉しさのあまり思わず歌いながら壁に作曲してしまったほどだ。
泉と、チェスのみんなと、これから楽しく大好きな音楽を奏でたい、一生懸命アイドルを目指したい。そんなキラキラした夢と希望に満ち溢れた学校生活がずっとずっと続いていくと……レオは信じて疑わなかった。
◆
「はい注目〜。……くまくん、起きろ! 今日から新入りが増えるから顔合わせするって言ったよねぇ? だらしない姿見せないでよねぇ」
「う〜ん……ちゃんと来ただけでもいいでしょ……まだ眠いんだけど」
「ほぉら、新入りちゃんが困ってるわよォ。ごめんなさいね、始めてちょうだい」
「は、はい……えー、こほん。改めまして、朱桜司と申します。これからよろしくお願いいたします、先輩方」
レッスン室の真ん中で礼儀正しくお辞儀をした新入生を、泉はどこか遠いものを見るような気持ちで眺める。まっすぐな目をキラキラと輝かせて、まるで、いつかの誰かさんのようだった。
この学院やKnightsの現実を知って、潰れてしまわなければいいのだが。いや、潰れてしまうならそこまでだ。芸能界でやっていける素質が無かったというだけの話。酔狂にもKnightsを選んで入ってきた新入り、仕方がないから最低限の面倒くらいは見てやってもいい。
「新入りだからって容赦はしないよぉ、ビシバシ鍛えてやるから覚悟してよねぇ」
「はい、leader!」
「……、」
その言葉に、最近眼鏡をやめて髪を金色に染めた嵐が泉に視線を向けているのがわかる。凛月は相変わらずウトウトしていて聞いているのかいないのかわからないが、妙な無言の間ができてしまって司がキョトンとしている。
「……言っておくけど、俺はKnightsのリーダーじゃないから」
「え?」
「ま、代理みたいなもんではあるけどねぇ……本当のリーダーは他にいる。今は色々バカをやらかして停学中だけど」
「そうだったのですか……瀬名先輩が最年長でしたので、てっきりそうなのだと思っていました。停学とは穏やかでは無さそうですが、騎士道精神に溢れるUnitのleaderですから、きっと素晴らしい方なのでしょう。いつかお会いできる日が来るのが楽しみです」
「ふん、ただの作曲馬鹿だよ。ほら、いないやつの話なんかしてても仕方がないし、暫くはこの4人でやってかなきゃいけないんだから、さっさとレッスン始めるよぉ」
パッと話を切り上げて、音響の準備を始める振りをして泉は新入りから顔を背けた。
(そんな日は来ないよ、どうせ。あいつはもう戦えない。勝手に人を巻き込んでおいて、勝手に消えやがった。……あの馬鹿)
未だ学院中からKnightsに向けられる目の色は変わらない。それでも時間は先へと流れていく。だから泉たちは今できることをやるしかない。
王の残した武器の刃を鈍らせないように研ぎ澄ませ、ついでに……レオが座るための王座を守っておくくらいはしてやらなくもない。
いつか来るかもしれない、その時のために。