Wonderful nightmare太宰がいつも座っているこの木製の椅子は洋館で埃を被っていた古い椅子を檀が磨きあげたものだ。年季が入っているが上質なものらしく問題なく使えているこの椅子で太宰はよく本を読んでいる。
シンプルな作業机に前腕をおいて開いたページに連なる文字を大宰は熱心に追っていく。
これらは此処に住み着いたときに備え付けの家具の中から二人が選びだした数少ないものの一部だ。生活に使えないと判断した残りの家具は、使わない部屋を倉庫の代わりにして押し込んである。
太宰が読み終わり本を閉じたその時、すぐそばの窓から小さな音がして顔を上げると一匹の蝙蝠がガラス越しに大宰を見つめていた。椅子から立ち上がった彼がいつも通り窓を開けると隙間から入り込んだ蝙蝠が太宰の目の前でその小さな身体を変えて青い髪の男が姿を現した。
「ただいま」
檀は人型になった体で太宰を見つめて
「おかえり」
太宰のその返事を聞くと満足そうに微笑んだ檀が彼へとみやげ話を始めた。
檀は動物の血と、久しぶりに人間の血も飲んできたのだという。「当分は血を飲まなくて済む」と良いながら檀は外套を脱いで彼がいつも使っている椅子の背にかけると腰を下ろした。
檀と太宰は普段の食事は動物の血を飲み、たまに人間からも血を頂いていた。
吸血鬼となった当初に二人でさまざまな手段を用いて情報収集をしたところ、吸血鬼に血を吸われると吸血鬼になるのは吸血の際に被食者の体内に吸血鬼の唾液が混入するために起こる現象であることを知った檀と太宰は、唾液を体内に入れずに血を飲む術を身につけて人の血を頂くことにした。それを知った時は「蚊に刺されたら痒くなるのは蚊の唾液が体内に入るせいらしいが、それみたいだな」と二人で笑うとともに何とか吸血鬼としてやっていけそうだと胸を撫で下ろした。動物の血で飢えをしのげても人間の血を全く飲まないのは吸血鬼の生理的に難しいという情報も知ったからだ。
「それにしても吸血鬼は不老不死というが、意外と弱点が多いよな」
「胸に杭を打たれたら死ぬらしいしな」
「十字架やニンニクを見ただけで「うげっ!」ってなるし」
「日光を浴びただけで灰になるんだからだいぶ弱い」
椅子に座って駄弁る檀と太宰の笑い声が二人だけの洋館に響く。
「でも夜目が利くようになったのはいいよな」
檀が立ち上がりホールへと足を向ける。
「夜はさ、誰もいないから世界を一人占めした気分にならないか?」
軽い足どりで進みながら首を回して笑顔を向ける檀に、太宰も立ち上がってその後を追う。
「たしかに人気のない夜空を飛ぶのは気持ちいいかも」
「だろ?」
夜の空や海を思い浮かべながら、その静けさと神秘的な暗さに檀は思いを馳せる。どこまでも続く人気のない空を飛び、冷えた空気と星の光を堪能するのは吸血鬼にならなければ味わえなかったものだろうと檀は口元を綻ばせると目蓋の裏に情景を描く。
「ああでも檀とだから二人占めか」
コツッと鳴った靴音と声に檀が目蓋を開ける。二人が浴びることができる僅かな自然光である月の明かりを背にして太宰が笑いながら手を差しだしてきた。その手を取って立ち上がった檀の体が、クルッと回った太宰に引かれて回る。
そのまま出鱈目なステップで三、四歩移動して太宰の足が滑って檀を下敷きにして二人はドサッと倒れこんだ。吸血鬼になってから異様な頑丈さを得た身体は痛みもしなかった。
太宰の笑い声をすぐ横で聞きながら笑う檀は目を閉じる。
重なる胸の左右から心音が響く。
(吸血鬼は不死じゃない)
いつかハンターに捕まるか、もしくは生に飽くる日がくるのか。
(その時もきっと一緒だ)
この音が杭を打たれるか、日を浴びるか、銀の弾丸に撃ちぬかれて止まるまで。
(こうして二人で)
夜空を覆っていく分厚い雲が月と星を遮って暗幕が下りるように二人の姿を闇に隠していく。
闇に沈む廃墟の二人は互いの声を聞きながら夜を過ごす。