朝露とタバコ朝の光が、まだ冷たい。
縁側に腰かけた太宰は、湯呑を両手で包みながらぼんやりと庭を眺めている。
その姿は、まるで借り物の体で生きているように頼りない。
「……また誰かに言われたのか?」
隣に座った檀が、火のついていない煙草を口にくわえたまま問いかけた。
太宰は視線を動かさず、かすかに笑った。
「“弱者を甘やかしてる”ってさ。ありがたいね。俺の文章を読んで、いちばん手厳しい読者が批評してくれるなんて」
太宰は遠くの空を眺めている。
檀は煙草を指先で弄びながら、庭の草の葉をじっと見た。
朝露が光るその先に、二匹の蟻がせわしなく行き交っている。
「人の弱さを見て見ぬふりするほうが、ずっと簡単だ。突き放せば、楽だ。正論ってやつは、誰かの心を潰す時に便利だから」
「……俺は、ただ見てるだけさ。崖から落ちそうな人間を、下から見上げてるような気分。手も出さず、ただ、“そのままでいい”って、そう囁いてるような――」
「それができるやつは、そうそういない。たいていは、見下すか、切り捨てるか、同情して支配するか、だ」
檀はようやく火をつけ、煙をふっと吐いた。
「お前は、そのどれでもなかった。弱いままの誰かを、見つめつづけた」
太宰が少し顔を上げて、檀を見た。
その目の奥には、言葉にならない何かが波打っている。
理解か、安堵か、あるいは少しの諦めか。
「……お前は楽観的だね」
「お前は、悲観の中にしか真実がないと思ってる。でもな、悲しみも笑いも、全部あって人間だ」
冷えた空気の中、檀のタバコの火から細く煙が立ちのぼり、灰がぱらりと落ちた。
「俺は全部抱えて、笑ってたい」
縁側に沈む朝の静寂の中、しばらくの沈黙。
その後、太宰が小さく、息を吐くように言った。
「……ありがとう。檀は、変わらないね」
「そっちこそ。生きて、書いて、悩んで、疲れて、笑って……また、俺にくだらない自虐でも聞かせてくれ」
太宰は笑った。
朝の光の中、その笑みはほんの少しだけ、柔らかかった。