図書館の静けさの中、整理するために積み上げた本を太宰は一冊一冊手に取ってぱらぱらと捲る。確認をして本を閉じると小さく溜息をついた。
「人間って、ほんと、不思議だね。どうしてこうも、苦しんだり、憎んだり、救おうとしたりするんだろうね」
司書は棚から本を戻しながら、落ち着いた声で応じた。
「それを知るために、本を読むんじゃないんですか」
太宰作品の愛好者でもある彼女は、助手の当番になった太宰と度々問答をするのが日常となっていた。
本を数冊持ったまま、机に向かう太宰に司書は言った。
「……なぜ太宰先生は、二足歩行して、手先が器用で、少し他より頭が回るだけの、自己正当化に思考を費やす動物の一種に、夢を見ているんですか」
太宰は少しの間黙っていた。司書は本を手で支えてぶら下げるようにしたまま太宰を見つめる。
ふっと笑って、太宰が持っていた本を積み上げる。
「それでも綺麗なんだよ、そういう動物が。自分の矛盾に苦しんで、時々、誰かを本気で愛したりするから。司書も、そう思ったことない?」
司書は静かに本を抱えて、太宰の頭に目をやった。
「私は本の中にしか、それを見たことがありません」
太宰は少し顔を伏せて笑った。
「本も、人間が書いたものだからさ」
別の本を手に取って、埃をはらうように手でさする。
「俺は、まだ少し、人間を信じてみたいんだ」
「……信じたい、か」
司書は本を棚に戻しながら、太宰の言葉を静かに繰り返した。
図書館の窓から差し込む夕暮れの光が、木製の床を柔らかく照らしていた。
「太宰先生。信じるって、どこからがそれなんですか。見捨てないこと? 諦めないこと? それとも、壊されてももう一度拾い上げること?」
太宰は答えなかった。右側に積み上げた本を少しずつ左側に移動させていた手を止めて司書を見た。窓の外に広がる街の屋根を、鴉がぴょんぴょんと跳ねて渡る。
「それとも、信じること自体が……ただの癖なんですか?」
「……癖、か。面白いね、司書は。たしかに、俺の信じるって感覚は、もう自分でもわからないんだ。癖かもしれない。救われたいって、無意識に思ってるだけかも」
「誰にですか。人間にですか?」
太宰はふっと笑った。
「そうかもしれないし、違うかもしれない。でもさ、司書。俺、人間が自分で自分を諦めてしまったら、もう誰にも拾えないと思ってる。だからね……せめて俺が、人間を信じてみたい」
司書は歩み寄り、埃を払うような仕草で、机の上を軽くなぞった。
「あなたがそうやって信じるたびに、また裏切られると思ってるんです。なのに、やめない。壊れかけの器を抱えて、また水を汲みに行くようなことを、あなたはずっと繰り返してる」
「うん。バカだよな」
太宰は柔らかく笑った。
司書はしばらく黙っていたが、やがてポツリと呟く。
「でも、壊れかけの器が水を運ぶのを見たときだけ、私は少しだけ……人間のことを、見てみようかなって思うんです」
太宰は振り向いた。珍しく、彼の目がほんの少しだけ見開かれる。
「それって……もしかして、今の俺に夢を見てくれた?」
「……見てなんかいません。ただ、少しだけ、目を逸らさずに見ようと思っただけです」
「ふふ、そっか」
窓の外で、小さく風鈴が鳴った。
小さな季節の知らせに鴉が啼いて、羽音を残して飛び去った。