乾杯と誓い「お前さ、何も考えないで生きてりゃ、もっと長生きできたんじゃないか」
檀がそう言ったのは、酒の匂いがほのかに残る夜だった。
二人して縁側に腰を下ろして、黙って星を眺めていた。
太宰は缶ビールを片手に、草の匂いのする風に目を細めている。
「そうかもしれないね」
太宰は、ゆっくりと応じた。
頷きながら、笑っていた。
いつもの、皮肉とも弱音ともつかない、あの笑い方だ。
「なあ、俺は本気でそう思うんだよ。お前がもっとこう……鈍感で、器用で、人の目なんか気にせず笑える奴だったら……」
「だったら?」
「死なずに済んだんじゃねえかって、思うんだよ」
太宰は、しばらく黙っていた。
どこか遠くを見ていた。
「……それができたら、きっと、俺はもう俺じゃない」
「……」
「“何も考えないで生きる”ことが、俺には一番の死なんだ」
檀は返す言葉を失った。
太宰の声は静かで、でも酷く冷たかった。
「笑って、空気読んで、波風立てずに“幸せそう”なふりをしてさ。そうやって生きてたら、きっと、お前に出会わなかったよ」
「……太宰」
「お前は、ちゃんと見てくれた。考えすぎてぐちゃぐちゃになってる俺を、笑いながら、逃げずに、そばにいた。そんな人、お前しかいなかったよ」
太宰は、かすかに目を伏せた。
檀は言葉を呑み込んで、ただ彼の横顔を見つめる。
「だからさ、長生きはできなかったかもしれないけど──俺は、俺として生きられたよ」
夜風が、ふたりの間をすり抜けた。
虫の声が、さっきよりも遠くなっていた。
しばらくの沈黙の後、檀は缶を持ち上げて、静かに言った。
「……なら、乾杯だな。生きるのが面倒くせえお前に」
太宰は、またあの笑い方をした。
「うん、ありがとう。面倒くさくて、ごめん」
缶がぶつかる音が、小さく響いた。
「笑って、空気読んで、波風立てずに“幸せそう”なふりをしてさ。そうやって生きてたら、きっと、お前に出会わなかったよ」
太宰のその一言に、檀は返せなかった。
それがどれほどの本音か、どれほどの代償か、痛いほど分かっていたからだ。
──この男は、自分を壊してでも、自分であり続けた。
わかっていた。わかっていたのに、助けられなかった。
檀の胸の奥に、何度も噛みついてくる後悔の塊がある。
思い出すたびに、「俺は、もっとできたんじゃないか」と思う。
酒を干した。風が吹いた。あの夜と同じ、少し生ぬるい風だった。
「……なあ、太宰」
「ん?」
「お前がいなくなってから、俺、ずっと考えてたよ」
「へえ、珍しい」
冗談めかして返す声に、檀はかすかに笑って、それから真っ直ぐな声で言った。
「俺は、今度は絶対に守る」
「……」
「また生まれ変わって、またお前が、同じように笑って、同じように壊れそうになったら──」
「うん」
「今度は俺が、ちゃんと抱きしめる。逃げねえし、置いていかない」
太宰は、少し目を丸くして、それから照れ隠しのように缶を口に運んだ。
「……また俺がめんどくさくなっても?」
「知ってるよ。めんどくさいのなんか。百も承知だ」
「また“死にたい”って言っても?」
「お前が生きたいって言うまで、そばにいる」
太宰はふっと笑って、夕闇の向こうを見つめた。
「じゃあ、今度は……ちゃんと、生きるよ」
「うん。お前は生きろ。俺がついてる」
約束のような、呪文のような言葉が、夜風に溶けていった。
檀はその言葉を、誰よりも本気で信じていた。