the harvest「もうすぐ、収穫祭ですね」
姫君はそう言って、庭の色づき始めた樹々の葉が織りなす木漏れ日のタペストリーの下で微笑んだ。
姫君の小さな騎士は、姫君の話に耳を傾けながら、頬張っていたリンゴの最後の一口、リンゴの芯を飲み込んだ。
収穫祭は、ハイラルの秋の豊穣を願って催されるお祭りだ。その規模や内容は、開催される町や村によってさまざまだが、基本的には農耕を行うハイリア人のお祭りである。
最も華やかな収穫祭が催されるのは、言うまでもなくハイラル城下町で、色々な食べ物の屋台がずらりと広場を埋め尽くし、道行くすべての人に麦酒(子どもにはジュース)が振る舞われる。収穫祭は、これから冬へと向かうハイラルの人びとにとって、冬の厳しさに耐えるための心のよりどころであり、またハイラルの実りの秋を象徴する祭りでもあった。
娯楽らしい娯楽のないハイラルの東の果てにある小さな騎士の故郷でもそれは同じで、その日ばかりはどの家の食卓にも所狭しとご馳走が並べられ、村人たちは広場に集まり輪になって踊るのだ。
何年か前には、近衛騎士である幼い騎士の父が、収穫祭の日にハテノ村の家に戻って来たことがあった。その頃は今よりも各地の魔物の数が少なかったので、宮仕えの身である父も勝手がきいたのだということもあるし、いくら父が宮仕えをする騎士とはいえ、ご近所付き合いで収穫作業を手伝ったり、祭りの運営をしなければならなかったからという事情もあったようだ。だがどちらにせよ、父の参加したその収穫祭は、幼い騎士にとって格別に楽しい思い出となっていた。父は息子に対し、騎士として模範足れと普段厳しく接する人だったが、その日ばかりは優しい父親の顔で、息子を肩車してくれたり、普段田舎で見ないような珍しい食べ物を買ってくれたりした。また、その日は父が祭りのために狩ったという極上ケモノ肉を使った料理が、村のすべての人に振る舞われ、幼い騎士は同じ年頃の村の友人たちから、憧れの眼差しで見られたのだった。
幼い騎士がそんなことを思い出していると、踊りと聞いた姫君が、興味深そうにその大きな緑色の目をきらきらと輝かせた。
「まあ、ダンス?
貴方の故郷の収穫祭では、一体どんなダンスを踊るのですか?」
そう言って、姫君は柔らかく微笑んだ。
その微笑みは、同じ村で暮らしている同い年の女の子の歯が見えるような笑みでも、ましてや貴族のご令嬢が口元を扇で隠しながら値踏みをするように浮かべる笑みでもない。このハイラルで一番眩しい姫君の微笑みに幼い騎士がぼうっと見とれていると、姫君は「それはどんなダンスですか? 流す曲は? テンポは? 貴方も誰かと踊るのですか?」と問いかけてきた。
矢継ぎ早にされる姫君の問いかけに、幼い騎士は気まずそうに頬を掻いた。
「そんな、ダンスっていうほど大層なものじゃないよ。
ただ二人で向かい合って、両手をつないでくるくる回ったり、あるいは大人数で肩を組んで、大きな輪を作って回ったりするだけで」
幼い騎士は姫君にそう説明しながら、いつだったか、姫君が戯れにダンスの成果を披露してくれたときのことを思い出して、心の中で小さく呻いていた。
姫君が授業で教わり、披露してくれたのは、礼儀作法や社交の一環としてのダンスで、辺境の田舎の村人が収穫祭で披露する踊りとはわけが違う。いずれ姫君が成人を迎えたときのデビュタントで、オペラグローブを身につけ、ボールガウンを身に纏って踊るであろうダンスとは全くの別物だ。──そう、姫君の身分に相応しい、ホワイトタイに身を包んだどこかの王侯貴族の子息と姫君が手を取り合って踊るであろうダンスとは。
そんな、幼い騎士の複雑な心中など知らないように、姫君は少し考えた後、「まあ、それは楽しそうですね!」と弾んだ声で目を輝かせて言った。
(──これは、「踊りを見せて」、もしくは、「踊りたい」ってことだな……)
見た目も所作も深窓の姫君そのものだが、実際にはこの姫君が人並外れて好奇心旺盛で、能動的で、ひとたびそうと思い込んだら梃子でも動かない頑固さも持ちあわせているということを、幼い騎士は理解していた。
そして自分が、この姫君のお願い事にひどく弱いのだということも。
「ええと、それじゃあ、教えるというほどのものでもないけど……。
とりあえず手を取って……?」
幼い騎士が恐る恐る両手を差し伸べると、姫君は顔を輝かせてその手を取った。
手の大きさはさほど変わらないのに、柔らかで滑らかな姫君の手の感触に幼い騎士がどぎまぎしていると、姫君は「それから?」と促すように小首を傾げた。
ここは城の庭だ。村の祭りで演奏好きな誰かが奏でるような、名前も分からない陽気な曲は流れてこない。どうしたものかと幼い騎士が少し考えていると、二人を遠巻きに見ていたコログたちがどこからともなくしゃしゃり出てきて、二人を囃すように手や、手に持ったうちわのような葉っぱを叩き始めた。
(まあ、いいか)
コログたちが手を叩いたり葉っぱを叩いたりして出すリズミカルな音に、姫君も楽しそうだ。そのうち一匹(?)の小さなコログがどこからか、マラカスを持ち出してきてリズミカルに振り始めた。
幼い騎士はそのまま腕の力で姫君を回し始めた。ちょうどコンパスで円を描くように。自分と同じ背丈の少年が見せた力強さに、姫君が驚いたような表情をする。父親から騎士としての訓練を受けているだけあって、幼いながらも体幹はしっかりしていた。
そのうち姫君も、軽やかにステップを踏み始める。幼い騎士もそれに合わせて足を動かし、二人でステップを踏みながらぐるぐる回る。
「楽しい! でも、目が回りそうですね!」
姫君が笑う。白く輝く歯が見えて、唇からは楽しそうな笑い声がこぼれる。瞬きするのも忘れるくらい、一瞬たりとも目が離せなくなるような笑顔で。
回る。回る。二人で踊れば世界が回る。
木漏れ日が、夜会のシャンデリアの灯よりきらめいている。姫君のドレスの裾がひるがえる。
こうして二人で手を取り合って回っていると、まるでこの世界に二人きりになったようだ。
(──いつまでも、こうして踊っていたいな)
幼い騎士が思わずそう考えるくらいに、それは楽しい時間だった。
姫君は楽しそうに笑っていたが、そのうち姫君の足がもつれた。
「あ」
「〜〜〜〜っきゃあ!」
「──わっ」
姫君がよろけて地面に倒れかけたのを、幼い騎士が慌てて庇おうとしたが、さすがに力が足りずに二人で草の上に倒れ込んだ。
「……いてて……」
体勢を入れ替えて姫君の下敷きになり、何とか姫君を庇った幼い騎士は、したたかにぶつけた頭を撫でさすりながら身を起こした。
やがて痛みが引いて我に返った幼い騎士は、自分のすぐ隣、草の上にうつ伏せになったまま動かない姫君に慌てて声をかけた。
「 ゼルダ! 大丈夫」
俯いたまま動かない姫君に、まるでこの世の終わりが訪れたかのように青褪めた幼い騎士だが、姫君から返ってきたのは予想外の反応だった。
「………………うふふふっ」
「……ゼルダ?」
呆然とする幼い騎士をよそに、姫君は仰向けになって、こぼれんばかりの笑顔を見せた。
「リンク! 楽しかったですね! 私、こんなに楽しいダンスは初めて!
これが収穫祭のダンスなんですか?」
「……いや、そういうわけじゃないかな……」
楽しかったのは幼い騎士も姫君と同感だが、騎士が楽しかったのは、踊った相手が姫君だったからに他ならない。そもそも、収穫祭で踊られる踊りは、皆が思い思いに曲に合わせて身体を揺すったり足を踏み鳴らしたりするだけで、「ダンス」と呼ぶほど洗練されたものではない。
騎士の呟きに、姫君は小首を傾げた。たまらなく可愛いらしいその様子に、彼女が楽しかったなら何でもいいかと、幼い騎士は立ち上がって、姫君に恭しい仕草で手を差し伸べた。
姫君は、差し伸べられた手と、作法を知らないながらも懸命に騎士らしく振る舞おうとする少年の幼い顔を交互に見比べた。そうしてゆっくりと微笑んで、差し伸べられたその手を取ると、優雅に立ち上がった。
「リンク」
姫君が騎士の名を呼ぶ。
彼女が自分の名を呼ぶ声を聞いているだけで、幼い騎士の胸には優しい温もりと、愛おしさでいっぱいになり、何物をも恐れないような勇気が漲ってくる。自分の名を呼ぶ声を陶然と聞いていた幼い騎士に、姫君は微笑みかけた。
「──続きを」
その言葉に、幼い騎士はおずおずと、姫君の腰に手を回した。その姿勢は、先ほどの手を繋いで回るだけの踊りよりもずっと、宮中で男女が踊るダンスに近い。腰に回された手の感触に、姫君はくすぐったそうに微笑んだ。
楽団が奏でるような洗練された演奏はない。コログたち以外の観客もいない。だが、二人は構わず、どちらからともなくステップを踏む。
二人が見つめ合うと、お互いの瞳に、お互いの姿が映っているのが見える。
コログたちが自分たちの真似をしてくるくる回っているのに気付くことなく、二人はお互いだけを見つめて、ダンスを踊り続けていた。