AWAY,AWAY,AWAY from HOME グレイグ7日目7日目
瞼の外が明るい。朝だ。
思いっきり伸びをすると、体中の固まった筋肉が悲鳴を上げた。
雇い主がソファーで眠っているのに自分だけ寝室で眠るわけにもいかず、ホメロスの眠るソファーに寄りかかって寝ていたが、さすがに体のあちこちが痛い。
時計を確認するとまだ起きるには少し早い時間だったが、もう起きることにする。
背中のソファーで眠るホメロスの顔を覗き込む。
金色の睫毛が朝日に当たってキラキラとしていて、きれいだな、と思った。
「こうしてみるとかわいい顔をしているのだがなぁ」
昨日の酒量からしても、まだしばらく起きないだろう。
彼が起きる前に二日酔いでも食べられるような朝食の準備をしておいてやろう。あと、薬も。
そうしてキッチンに立って気が付いたが、(当たり前なのだが)昨日と同じ服だった。
そんなに汚れているわけでもないが、昨日は通常の労働に加えて酔いつぶれた姫を抱えて運ぶという重労働を行ったのだ。出来れば着替えたい。
とは言っても、泊る予定はなかったので当然着替えなどない。
「むう。どうしたものか」
ここはやはり今着ているものを洗うしかないか。
人の家で着ているものを全て脱いで更に洗濯するというのはさすがに多少抵抗があるが…、まぁ、リビングの眠り姫が起きてくるまでには終わるだろう。
そもそもこんなことになった原因は姫にあるのだ。
自分を納得させて、俺はランドリールームに向かった。
朝食には二日酔いでも食べられるようスープを作り、薬と水を持ってリビングへ向かうと、ソファーに寝ていた姫が起き上がったのが見えた。
「ホメロス。起きたのか?気分はどうだ」
その後ろ頭に向かって声をかけると、ホメロスはゆっくりとこちらを振り向いた。
若干焦点の定まらない視線が自分を捉えると、寝起きでぼんやりしていたその顔がみるみる険しくなっていった。
「どうし…」
た、と言いかけたところで、今の自分の格好を思い出し血の気が引いた。
「ち、違うのだ。これは、その、服を洗っている間、着るものがなくてな。
お前の服を借りようかとも思ったが、さすがにサイズがアレでな、お前が起きてくるまでには乾燥まで終わるだろうと思っていたのだが」
彼が起きるまでとは言え流石に全裸というわけにはいかないので、バスタオルだけは腰に巻いているが。
侮蔑の眼差しを向けてくるホメロスに、必死に言い訳を続ける。
頼む、そんな目で見ないでくれ。
やはりエプロンだけでもしておくべきだっただろうか。
一瞬、そんな考えが頭をよぎったが、直ぐに思い直した。
落ち着け。それではただの変態だ。
「い、いや、エプロンだけでもしようかとも思ったのだが、この格好にエプロンだけというのもどうかと思ってな、いや、裸エプロンというのも男のロマンではあるが、それはあくまでやってもらう場合での話であって、自分でやるものではないというか」
我ながら何を言っているのか分からなくなってきた。
ホメロスの視線がますます冷たくなる。
寒い。服を着ていないからではなく、寒い。とにかく寒い。
必死に言い訳を続けていると、ランドリールームから、乾燥機の終わりを知らせる電子音が聞こえてきた。
どうしてあと5分早く終わってくれなかったのだ。
もはやホメロスの顔を見ることもできず、彼を一人リビングに残して俺はランドリールームへ走った。
「それで、だな。さっきの格好はだな、着替えがないので仕方なく服を洗濯していただけであって、お前が起きるまでには全部終わるだろうと思っていたのだが予想以上にお前が早く起きてきたから、いや、決してホメロスが起きたのが悪いとかそういうことが言いたいわけではないのだがそもそも泊ったのもお前が心配だったからであって決してお前に不埒なことをしようとしていたとかそういうわけでは」
こんなに必死に言い訳を続けているというのに、目の前の男はこっちのことなど気にする様子もなく俺が作ったキノコのスープを啜っている。
気にしていないというのならそれはそれでいいのだが。
「ところでお前は酔うといつもああなのか?」
スープを食べ終わったホメロスがこちらを見た。
そして少し考える仕草をした後、こちらの言葉で「どういう意味だ」と言った。
「いや、あんな、…その、酔うと、誰彼構わずキ…するのかと」
もごもごと言い淀んでいると、今度は「分からない、もう一度」と言われた。
「その、だから…誰にでもキスするのかと聞いている!」
思わず大きな声が出て、ホメロスの細い目が見開かれた。
「お、俺は何もしていないぞ!!だが、酔う度にあのように隙だらけになっているのでは、
ちょっと危機意識が足りないのではないかというか危険なのではないかというか」
必死の俺の訴えにホメロスは少し眉間に皺を寄せて「お前は何を言っているんだ」と、言った。
心底呆れた表情で。
ちょっと待て。なんで俺が呆れられているんだ。
もしや、こいつは酔った時のことを覚えていないタイプの酔っぱらいか。
なんて質が悪い。
「それじゃホメロス、俺は帰るが…」
リビングのソファーに寝転んで本を読んでいたホメロスに声をかける。
「今日は夕食の他に、明日の朝食も作っておいたから、良かったら明日の朝食べてくれ」
本来は7日分の昼食と夕食のみの契約だが、ほんのサービスだ。
「なんだかんだで一週間あっという間だったな。鍵は明日の朝、旅行会社の人間が取りに来るそうだからその人間に渡してくれ。ゴミや洗濯するものなんかはそのままでいい。」
ホメロスは分かっている、と言って体を起こした。
「ちなみに明日は何時の飛行機で帰るんだ?見送りに行くぞ」
ごく自然なことを言ったつもりだったが、俺の言葉にホメロスは驚いたような顔をした。
「そんなに驚かなくてもいいだろう。仕事の時間と被らなければ行くぞ」
メモとペンを渡すと、ホメロスは戸惑いながらもそこに飛行機の時間と便名を書いてくれた。
このメモ帳もこの一週間で随分使ったな。
受け取ったメモをポケットにしまうと、俺より先にホメロスが玄関に向かった。
今日も駅まで送ってくれるらしい。
車に乗り込み、駅へと向かう道中、ホメロスはいつもに増して寡黙だった。
(自分も彼もいつもそんなに饒舌なわけではないが)
「家に帰るこの時間が、一日で一番好きなんだ」
沈黙を破るように口を開くと、運転する彼の表情がぴくりと動いた。
「運転している時だけは、お前の横顔を見ていても怒られないしな」
どうしてかは分からないが、最近は気が付けば彼の顔を、その表情を、所作をじっと見てしまうことが増えた。確かに美しい顔立ちをしているが、単純に見とれているのとは違う気がする。
許されることなら彼の顔を一日中ずっと見ていたいとすら思う。記憶に焼き付けるように。
だが、当然仕事中はそうもいかないし、彼が自分の視線に気づけば露骨に不審なものを見る目をされるし、ひどいと仕事をしろと蹴られたりもする。
「何を言っているか、きっと全部は分からないだろうが、言わせて欲しい」
彼はこの一週間で随分こちらの言葉が分かるようになったようだが、一体どれだけの言葉がちゃんと伝わっているのだろうか。
「今までは仕事を終えると、何も考えず家に帰って、適当に夕食をとって、寝る。
それだけだった。
だが、今は帰り道でお前のことを思い出すのだ。
どんなことをしていたか、どんな表情をしていたか。
思い出すと、それだけでなぜか嬉しい気持ちになれる。
そして明日またお前に会えるのだと思うと、幸せな気持ちで眠りにつける。
色々ハプニングもあったし、至らぬこともあったと思うが…
この1週間、共に過ごせて俺は本当に楽しかった。
お前もそう思っていてくれたら嬉しい…と、思う。」
素直な気持ちを言っただけなのだが、なんだか愛の告白をしているような面映ゆい気分になってきた。
ホメロスは何も答えなかったが、その横顔は、こころなしか朱くなっているような気がした。
夕日のせいだろうか。
駅について車を降りると、ホメロスも運転席から降りて改札の前までついてきてくれた。
「それではな、ホメロス。またこちらに来ることがあったらうちを使ってくれ」
明日も見送りに行けたら行く、と続けると、ホメロスはなにか呟いて俯いてしまった。
「何か言ったか?」
屈んで顔を覗き込むと、「なんでもない、早く行け」、と手を振られてしまった。
別れの挨拶というより、野良犬を追い払うような仕草だった。
じゃあな、ともう一度言ってから改札をくぐり、ホームへ向かう。
最初はどうなることかと思ったが、なんだかんだであっという間の一週間だったな。
次に会う時までは自分もデルカダール語を少しは話せるようになっておこう。
次は俺のおすすめの店にも連れて行ってやりたいし、キノコ料理のレパートリーも増やしておこう。
次に会うときは。
…次?
次っていつだ?
焦燥感に駆られて振り向くと、まだ改札の向こう側に立ってこちらを見ているホメロスの姿が見えた。
急に振り向いた自分に驚いているように見えた。
「ホメロス!明日!見送りに行くからな!」
大きく手を振り大声でそう告げると、ホメロスは慌てて車に戻って行ってしまった。
そんなに動揺しなくても。
まあいい、取り敢えず、「次」は明日だ。
明日またホメロスに会えるのだと思うと、いつものように少し幸せな気分になった。
突然の大声に驚いている周囲の視線は気にせず、俺はホームへと向かった。