おとなのなやみ『五条さん、また夏油さんが――』
こんな書き出しで伊地知から連絡が来ていた。本当に急ぎの連絡は電話で入れてくるはずなので、命に別条があったわけではない。でもあれだけ僕を面倒に思っている(らしい)伊地知が僕にわざわざ連絡を寄越すということは、僕にしか対応できないということだ。
「あー、今回は駅前のスーパーね」
はいはい、と場所を確認し、運転席に座る補助監督にそこへ向かうよう指示を出した。そこからはたぶん歩いて帰るから先に戻っていいと告げると「高専まではそれなりにありますけど、大丈夫ですか?」と聞き返される。確かに本当に歩けば一時間は余裕でかかる距離だけど、多分帰りは空を飛んで帰るので問題ない。
車から降り、黒塗りの乗用車が来た道を戻っていく様子を眺めてからスーパーへと足を向ける。一応入る前に軽く土埃がついてないか確認をして店内に入った。時間帯は丁度夕方、近所の住人が夕食の買い出しに出向き店内はそれなりに人がいる。いつも通りちらちらと投げかけられる視線を素通りして店内を見回した。前回は菓子パンのコーナーに居たけど、今回はどこかな。
「あ、いた」
お惣菜コーナーに立ちつくす黒い塊を発見し近づいていく。ただでさえ人が集まるコーナーなのに、夕方のスーパーにそぐわない大男が立ちつくしている様は明らかに浮いていて。一定の距離を置きながら周りを人が行きかっていた。
「すーぐる! 何してんのー?」
難しい顔をしてお惣菜を見つめながら立ちつくす黒づくめの長髪大男(+黒い拡張ピアス付き)にこれまた黒づくめの白髪目隠し大男(+イケメンオーラ)が近づいたもんだから、さらに周囲の人が、わっ、と距離を取った。いいね、その感覚は生き物として正しいよ。
がばりと傑の肩に手をかけ顔を覗き込むと、口元を大きな手で覆い隠しながら眉間に深い皺を刻んでいる。そんなに皺寄せてたら頭痛くなんない?
「ね、なーに悩んでんの」
「……どちらにすべきか、決めかねていて」
目の前にはキラッキラと油をまとった上海焼きそば(もちろん大盛)とテラテラと輝く餡が眩しい天津炒飯(これも当然大盛)が鎮座している。
「えぇ~……なんか油凄くて美味しくなさそうじゃない?」
「何言ってるんだ、こういうジャンクそうなのがまたいいんじゃないか。スーパーのお惣菜でしか味わえない、カップ麺とはまた違った"チープさ"という栄養が詰まってるんだよこれには」
「傑、僕より普通に失礼なこと言ってる自覚ある?」
どちらにすべきか、とぶつぶつ言いながらまた目の前のものに視線を戻す。そんな真剣に悩まなくても、傑なら両方食べられるんだから買っちゃえばいいのに。そういうと、一層傑の眉間に深く皺が刻まれた。えぇ、僕そんなおかしなこと言った?別にすごい高いって訳でもないんでしょどうせ。あ、今軽く舌打ちした?ねぇ、したよね舌打ち!
「なんでそんなに怖い顔すんの」
「……君には分からないさ」
「ッお前さぁ! 僕がそういう系の台詞全部地雷なの知ってるよね⁉ それ知ってて言う方がどうかしてると思うんですけど⁉」
一気に声を張り上げた僕に周囲の視線が集まる。そりゃ二メートル近い大男からこんな声出たら何かと思うよね、うん、わかる。でも僕もこれだけは譲れないからマジで。周囲の迷惑とか気にする余裕もないくらい、毎回根気強く否定しとかないといけないって本能が言うんだよね。寧ろ周囲の迷惑を考えて、カッコつけの傑が弁えてくれるのなら喜んで駄々こねるね。
「だって君は気にしたことないだろう」
「何を」
僕の機嫌がちょっぴり悪くなったのを察したのか、傑が小さめな音量で話し出す。もちろん僕はそんなの無視して少し声を張って聞き返した。
「その、フクイとか……」
「フクイ? ……福井?」
「ベタな勘違いしてるんじゃないだろうな、地名じゃないぞ」
「皆の出身地とか考えちゃった。え、フクイって何? 何の話?」
「だから、フクイは腹囲だよ、ここ」
そういって傑が自分の腹の周りをくるくる撫でる。あ、あぁ!腹囲ね!……でもなんで今さら?
「今さら何でそんな気にしてんの、ストレスたまったからここ来てんじゃないの?」
「そうだよ!……そうだけど、君は知らないだろう、あの、健康診断の時の冷めた硝子の顔を」
「うん?」
「『あれ夏油、太ったね』って半笑いで同級生に、しかも女性に言われる悲しさが君に分かるか、いや分かるまい」
「昔は良かった。ストレス発散の爆食をしても全く身体には響かないし、翌朝もすっきり目覚められた。でも最近は確実に身体に効いてくるし、翌朝も『あれ、なんか胃が重いな……』とか思うんだぞ、この辛さが悟に分かるのか? いや、分かるまいよ」
すごい反語使ってくるじゃん。え、お前の演説聞いてギャラリーめっちゃ頷いてる奴いるけど。え、あの人小さく拍手してる。
「だからこそ私は今、自分のストレスと腹囲、両方の板挟みにあっていたんだッ……!」
「じゃあ両方食ってさ、その後筋トレの量増やしたらいいじゃん。傑、筋肉達磨なんだから、消費カロリーも高いでしょ」
僕も一緒にやるし、というと「一緒にやったら意味がない」ときた。何でよ、僕が協力してやろうって言ってんのに。
「悟も痩せてしまったらだめじゃないか、相対的に私が膨らんだことは変わらなくなってしまう」
意地でも太ったって言葉使いたくないんだね。膨らんだ、という表現に頭の中では白いあのモコモコしたタイヤのキャラクターが傑の顔をして思い浮かんだ。
「それはいーじゃん別に。僕はどんな傑でも好きだよ? 可愛いじゃん、もこもこ傑」
「っ」
お、いいぞ効いてる。傑の演説を早々に切り上げるために僕は畳みかけた。傑の耳元に口を寄せ、ギャラリーには聞こえない音量で囁く。
「それに、僕と二人ならもっと楽しく運動できるじゃん。僕はそっちの方が嬉しいけど」
「っ」
にんまり口角を吊り上げて下から傑の顔を覗き込むと、顔の中心に全部のパーツをぎゅっと寄せて必死に何かを耐えていた。ハイ、落ちた。何その顔、超面白いじゃん。
「さ、じゃあ話もまとまった所で。両方カゴに入れて早くいこ。邪魔になっちゃうし、ね?」
ひょいと弁当を二つ掴むと傑の足元に置かれていたカゴを持ち上げ放り込む。中にはすでに菓子パンとおにぎりが三つ入っていた。いや、さっきまで悩んでたの何だったんだよ、そんなに悩むなら、そもそも弁当買おうとすんな。
傑の腕をひっぱってレジに向かう途中、ぐんっと思い切り引かれて立ち止まる。ホントに筋肉達磨だな。
「今度はなに? どうしたの?」
「これも買おう」
ひょいひょいと傑がカゴに何かを積んでいく。それはレジ横に置かれた和菓子で、豆大福やらみたらし団子やらもみじ饅頭やら、文字通り手あたり次第放り込まれる。
「ちょちょ、傑、こんなに甘いもの食べらんないじゃん、どうすんの、フクイはいいの?」
「これは悟用だから」
「はぁ?」
当たり前だろう?って顔でこっち見るな。何で僕用?まぁ確かに和菓子好きだけど、僕どうせ食べるならもっと美味しいやつが良いんだけど。
「私は一つ気づきを得たんだ」
「急に何、怖いんだけど」
「私のストレスを満たしながら、腹囲を気にしなくてすむ方法」
「え? だからそれは一緒に運動しようよって」
「悟も太ればいいんだ」
天啓!じゃないのよ、それは何の解決にもなって無くない?
「硝子は悟と私同時に見るだろう。悟が膨らんでいれば、その分私の膨らみ具合が発覚するリスクは下がる」
「それ僕が硝子に笑われるってことじゃないの」
「それに、私も悟が膨らんでくれたら溜飲が下がる」
「そっちが本音だろうお前!」
少しは付き合うけど、こんなに食べないよ、と商品を棚に戻そうとする僕の手をやんわりと傑の手が制止する。するり、周囲には気づかれなくらいの湿度を持った傑の手が僕の手をそのまま撫で上げた。そしてそのまま、先ほど僕がしたように耳元に顔を寄せた傑が囁く。
「私も見てみたいな、もこもこした、触り心地の良い、可愛い悟」
「っ」
僕の反応を嬉しそうに見上げた傑は、商品をちゃんとカゴに戻してレジまで僕の腕を引いていった。結局、そのままレジを通された大量の食品を抱えた僕たちは、案の定傑の手持ちに乗って高専まで戻った。
数か月後、硝子に「息を止めるな、諦めて力を抜け」と諭される傑は、あの時見たみたいに顔のパーツを中心に寄せて悲しい顔をしていた。
「一緒に運動したのにね、何だろうね、やっぱ体質?」
「ッ……今度から健康診断前は騎乗位禁止ね」
「え、何で」
「私が動くやつにしないと。あ、駅弁かな」
「いや多分それ結果的に僕がめっちゃ疲れちゃうやつじゃない?」
「……ッくそ、己の技術が憎い」
「傑クン、サイテー」
end.