コードギアス/ルルC 端末のディスプレイと殺人的な厚さのレジュメで酷使された目は、解放されてなお焦点がぼやける。ちらりと時刻を確認すると、それさえ後悔しそうになるような時間だった。日付が変わったのは気が付いていたが、まさかこんな時間になっているとは思わなかった。念のため違う時計で確認すれば、やはり寸分違わぬ時刻を示していた。ようやく現実を受け入れて、ルルーシュはのろのろと椅子を引いた。体力勝負はまるで専門外だが、こういった事務処理は破天荒なあの会長率いる生徒会で(幸か不幸か)散々慣らされてしまっていたので、存外対処しきれるものだった。おまけに学生とレジスタンスという二重生活のおかげで、睡眠時間が多少足りなかろうが、何とかなってしまう体になってしまっていた(ただし授業中はありがたく休養時間とさせてもらっていた)(こういう時、学生というのは気楽な身分だったとしみじみ思う)。
かの有名な英雄は、一日三時間しか寝なかったという逸話があるが、俺だって負けてないな、とルルーシュが心中で不毛な張り合いをしてみたところで、誰が何を言うわけでもなかったが。
複雑な心境で、皇帝は執務室を後にした。
ペンドラゴン宮殿の中でも、皇帝が本来使うべき部屋は恐ろしく広く、いっそ非効率な程だったが、その部屋を使うつもりは毛頭無かった。自分が葬った父親の居室を使うなど、悪趣味にも程がある。そういうわけでルルーシュの現在の私室は、彼の立場からすれば場違いな程質素なものだった。
寝室と続き部屋になった控えの間で、カフスボタンを外す。襟も緩めると、大分楽になった。皇帝の装束とは見栄えを重視するものだから、その他の要素はこの際二の次三の次だ。さすがに皇宮内でのデスクワーク中にもマントを着用するわけではないが、宮廷での衣装というのは兎にも角にも肩が凝るものだ。上着とブーツを脱げば、ようやく皇帝の一日も終わりだ。そこでようやくルルーシュは息を吐いた。
皇帝とは、神聖ブリタニア帝国という舞台の上の主演でもある。舞台に上がり続ける限りは、皇帝の仮面を付けなければならない。つまるところ、皇帝というものは『皇帝』という役を演じてみせるのが仕事であるとも言える。
何よりも虚構を嫌っていたあの男が、よく何十年も演じていたものだ、とルルーシュは、父親のその点に関してだけは同情を禁じえなかった。
(俺は役者というよりも脚本家なんだがな)
しかし、書いた脚本を完成させるためには、自分が舞台に上がることも時には必要だ。そして最後に潔く幕を引くのだ。その為の白の皇帝装束だ。さぞ赤い血が映えることだろう。自嘲めいた笑いを、そうして一つ零した。
脚本家兼演出家兼役者というのは、やはり疲れるものだな、とルルーシュは寝室のドアを開ける。間接照明で仄明るくなっていたその部屋には、皇帝の名に見合うだけのサイズのベッドが鎮座しているのだが、問題はそこに先客がいたことだ。
「……おい、そこは俺の寝床だ」
あまり効果がないことは実証済みだったが、それでも声をかけずにはいられない。果たしてそこには、シャツ一枚身に付けただけの少女――というのはあまりにも語弊があるのだが――がしどけなく横たわっていた。
例の正体不明のぬいぐるみを腕に抱え、それに顔を埋めるようにしていた。長い髪が白いシーツの上に散らばり、彼女の身体には大きいシャツの裾から覗く脚は、女性らしい曲線を描いてすらりと伸びている。傍から見れば、実に扇情的な光景なのだが、時と場合、そして人による。狸寝入りを決め込んでいたC.C.の目が悪戯っぽく開かれる。
「何だ、つれないな。せっかく待ってやっていたというのに」
どうやって部屋に入ったか云々は、この魔女に関しては意味を成さない。
「人のベッドで遠慮なく寝転んでいることを、待っているとは言わない」
そうぼやきながら、ルルーシュは着替えることにする。
異性の前での着替えには抵抗があるが、魔女は女の範疇に入らないと思うことにした。いちいち気にしていたら、身が保たない。ただでさえ体力の無さには自信があると言うのに。
「無駄に広いベッドを私が有効活用してやったんだ、ありがたく思え」
「どう感謝しろと?」
それなりの重さの衣装を袖から落とし、代わりに簡素なシャツに腕を通す。脂肪も筋肉もろくに付いていない体躯は、衣服を身に付けてなお線の細さが際立つ。
「一人寝は寂しいだろう?」
「何を……」
C.C.のどこまで冗談だかわからない言動を聞き流して、ルルーシュは彼女をベッドの半分にまで追いやった。不満気な声は無視する。元々自分のベッドだ。文句を言われる筋合いはない。ただ、追い出すことはしなかった。温情と言うよりは、後々の面倒を思っただけのことだったが。
そんなわけで、ベッドの上には二人寝転ぶことになったが、それでもまだ身動きするのに気遣いが不要なほどの余裕はあった。
「……しかし、お前はあれだけデスクワークをしておいて、さらに本を読むのか」
呆れるようにC.C.が目を向ければ、ルルーシュは寝転がりながらペーパーバックを開いていた。
「あれは仕事で、これは娯楽だ」
「活字中毒か」
その言葉に、何とでも言え、とルルーシュはページを繰る。
「これだけ読んだら寝るさ」
やれやれ、とC.C.はようやく寝る体勢になる。互いに背を向けるように横になっているので、表情はわからない。ただ、背中合わせにC.C.は言葉を投げかける。
「なあ」
「何だ」
「お前はやっぱり『ルルーシュ』なんだな」
「何をわかりきったことを」
あまりにも当然のことを言うので、そう答えるしかない。
「ここへ来てからも、寝る前の習慣は変わらないんだな、ということさ」
「俺は俺以外の何者でもない。何時、何処でどうしていようが、な」
ごく自然に返された言葉に、結局そういうことなのだと、C.C.は一人納得した。
棄てられた皇子であろうが、学生であろうが、謀反人であろうが、皇帝であろうが。
彼は彼でしかない。
そして自分にとっては、永い時の果てに出逢った、契約者。いや、共犯者か。
「ル……」
再びC.C.が呼びかけた名前は最後まで音にならなかった。返事が微かな寝息だと気付いたから。彼女の最初にして最後の共犯者は、本の間に指をはさんだまま、目を閉じていた。
「……ああ、お前は変わらないよ」
常ならぬ柔らかな声でC.C.は、目にかかるルルーシュの長い前髪を払ってやった。
夜が明ければ、役者はまた舞台に上がらなければならない。けれど、夜の帳が下りている間は、せいぜい夢見ているが良い。
「おやすみ、ルルーシュ」
照明の電源を落とし、魔女もまた束の間の安らぎに身を委ねた。人の気配と温度をその背中に感じながら。