第1話 ムーンストーンという宝石さあさあと流れる潮風の音と、ざあざあと押し寄せては引く波の音が混ざり合う浜辺。そのすぐ目の前の草原に座る一人。
高い位置でひとつに纏められている髪は、流れる風と夕焼空の先からの光の加減で虹のように輝いていた。手には少し大きな弓。腰には剣と、剣より少し短めの矢筒が掛けられている。
「………」
一つ強い返風が吹いた。それに乗せるようにふうと息を零す。
「おーい、ムーン!」
後方から聞こえる声に、眠たげな目が向く。いっそ眠ったフリをしようかと考えたが、気配がすぐ後ろに来た。
「やあイエロー、ジルコン。どうしたの」
「いや、ただ近くに来たから寄っただけさ」
「お疲れではないですか?ムーン」
ジルコンの問いに「ああ、大丈夫だ」と伝える。
二人で挟むようにムーンと呼んだ者の隣に座る。輝きが増え、目に痛いほどの黄色と暖かい橙の色が夕陽に反射する。
「この調子だと今日は出なそうか?」
イエローが言うと、ムーンがんーとしばし悩む。けれど、すぐに首を振った。
「わからないなぁ、いつも唐突だからな」
言って手には弓を持ったまま、体を投げ出すように寝転がる。
「まあ、確かに」
「今日は出ないといいですね」
2人して、寝転がったムーンを見て笑う。
少々強めに吹いていた風が、いつの間にか止んでいた。
……リィ…
微かに空気の流れが変わる。それを感じてか、反射的にバッと勢いをつけて起き上がる。
その動作の意味を十分に理解していたイエローが立ち上がり、ジルコンも遅れて立った。
「……来たか?」
ムーンが立ち上がりながら警戒する。
「いや、少し感じただけだ。来たとしても…」
斜め上、少し低い雲の辺りに目を向けると小さな一重の黒点が浮かんだ。
「外れてほしいけど…」
呟いた言葉とは裏腹に、後光を煌めかせながら月人たちが姿を現した。
「来たね、イエロー先生呼んで。ジルコン、周辺にボルツいたはずだから呼んできて」
「わかった」
「はい!」
二人が分かれて走り出す。
ムーンはすかさず矢筒の中から矢を二本取り、1本を弓にかけて引く。
ギリギリと限界まで引いて音が鳴る弦を、解放するように指を離した。
月人たちの少し上を通過する。外したのはわざとだ。
それによって気付いた月人たちが矢をこちらに向けてくる。
振り返って走り出す。足はイエロー程ではないが早いほうだと思っていた。その脚力を使って学校の方へ。
「鬼さんこちらってね」
放たれた矢がムーンのいた場所に刺さる。虹の残像が草原を一直線に駆け抜ける。ボルツのことを待つのも良いと思ったが、学校へ向けてのほうが良いと足を回す。
第2波が頭上に来たのを見ると一つ跳躍して避ける。バランスを多少崩したが、転げて衝撃を和らげる。手に残る1本を引いてまた放つ。手前にいた雑が数人霧散した。
「んー、やっぱりこの距離だとねぇ」
数十メートル離れている月人を見て「また早くなったかな」とぼやく。けれど数秒も経たずにまた立って走り出した。
学校が遠くに見えた。
丁度中間で鉢会うか。と思った瞬間、左前方から黒い残像が来てすぐに真横を通過した。
「相変わらず、こういう時ははやいね」
ざっと一陣の風を生み、草を揺らす。
軽い動作でトンっと地面を蹴り上げて、空にいる月人向かって高く飛び上がった。
矢が放たれるが全て剣や髪で弾き、着地した場所にいた雑を切る。
すぐに走り出し中央にいる器を切るため、飛んで剣を縦に凪いだ。
中には何も無く、ただ霧散した。
長く黒い髪が空中で回転し、何事も無かったかのように地面に着地した。それにムーンが駆け寄る。
「ボルツ、お疲れ様」
ボルツと呼ばれた黒い宝石は、ギッと切れ長の目で睨みつけてきた。
「お前はまた!強いくせにそんなもので誘導係りか?」
「だって俺は剣よりも弓のほうが」
言い終わらないうちにボルツが歩き出した。後ろを振り返ると、金剛やほかの宝石たちを連れたイエローが来ていた。
「イエロー、ありがとうな」
走り寄るイエローとは逆に、歩いて顔を合わせる。
「いやいや、なんてことないさ。でもボルツが早かったんだな、良かった」
心底ホッとしたように息を吐く。それを見てムーンは視線をイエローの後ろにいる金剛を見る。ボルツを撫でていたらしい手が離れて、手招きをしているのが見えた。軽い足取りで歩み寄る。
「今回もよくやってくれた、ムーンストーン」
「いえいえ、これが俺の役割ですから」
手袋を付けた手で撫でられる。手袋越しでも加減を間違えば開くかもしれないのを、絶妙な加減で撫ぜる。
目を瞑って甘んじて受けていると、とても痛いくらいの視線が刺さる。瞼を上げてその方へ移すと、先ほどと同じような顔のボルツが。
金剛が撫でるのを止めるタイミングでボルツへ近づく。その隣にはダイヤモンドがいた。
「ボルツさ、諦めてくれない?」
「いやだ」
かなり食い気味で否定され、ダメかと肩を竦ませる。ダイヤが仲裁に入ろうとしたのか、間に立つように側に来た。
「俺はこの体制で3000年近くやってる。お前より硬さやへき開とかは負けるけど、上手くやってきた」
「それも続かなくなる時が来る」
ダイヤがあわあわとどう入るか迷う。後ろの最年長や金剛、ほかの宝石たちに助けを求めるがどれも諦めの色を含んでいる。
「そんな気にするなら、ボルツとムーンが組んでみたらいいんじゃない?」
何時どこにいたのか、末の薄荷が金剛の後ろから覗き見るように言った。
その案に一瞬考える素振りをしたムーンだが、すぐに首を横に降った。
「無理無理、これをずっとやってきたから今更組むとか考えられないな」
「僕もこんなやつ無理だ」
それぞれ否定の答え。ある意味似ているところがあるのでは、という言葉は誰しも飲み込んだ。
睨み合う二人の頭を、金剛が撫でて止める。
「…そろそろ帰ろうか」
金剛の一声で皆が学校へと踵を返す。
「あー、つっかれた」
「今日はひとつだけでよかったね」
「夕時に来てくれてよかったわ」
など、それぞれ疲れの色が出ている様子。それを列の後方から見ているムーンが笑う。
足元の草のカサカサという音とともに、ムーンに近づいたのはダイヤだった。
「なんか言い合いしたあとの恒例みたいになってるけど、あまり弟のこと気にしないであげて?」
「気にしてないって、大丈夫だよダイヤ。どれだけ一緒にいると思ってるのさ」
「ほんと?」と覗き込んでくる眩い光に、「だって」と続ける。
「この言い合いをした日の夜、部屋でまたやっちまったって変に拗ねてるの知ってるんだからな」
「拗ねてない!」
ダイヤとは反対の方から反論が飛んだ。見ると肩をわなわなと震わせるボルツ。
「ダイヤおまえ!余計なことを言うな!」
言うが早いか学校に走り出してしまう。皆を抜いて学校に一番乗りした彼のこのあとのことを考えると、部屋にすぐに篭ってしまうだろう。
ダイヤとムーンが互いに見合って笑った。
next
『この星は6度流星が訪れ、6度欠けて6個の月を産み痩せ衰え、陸がひとつの浜辺しかなくなった。このときすべての生物は海へ逃げ、貧しい浜辺には不毛な環境に適した生物が現れた。
月がまだひとつだった頃繁栄した生物のうち、逃げ遅れ海に沈んだ者が海底に棲う微小な生物に食われ無機物に生まれ変わり、長い時をかけ規則的に配列し結晶となり再び浜辺に打ち上げられた。
それが我々である。』
図書室でいつ誰が書いたものかわからない本をパタン、と閉じる。灯り代わりのクラゲが一瞬明滅して、目に沁みるような白を灯す。
「何読んでたの?」
いきなり気配もなく後ろから話しかけられる。ムーンはそれを分かっていたのか、驚きもせずくるりと後ろを振り返る。
ゴースト・クオーツだった。
「ああ、昔のものだよ。俺たちの成り立ち」
「それね。もういつ誰が書いたなんて、覚えてないわ」
「俺もだよ」
言って、本を元にあった場所に戻すため椅子から立ち上がる。
棚の奥の奥。普段誰も触れないような場所。5段ある棚のその一番上に戻す。棚の間から出てまた椅子に座った。ゴーストが作業している所を、頬杖をつきながら眺める。
「帰らないの?」
「ちょっと話をしたくてさ」
「昔の愚痴じゃなかったらいいよ」
手を止めたゴーストが、ムーンの向かいに座った。少し考える素振りをしてから、ムーンは口を開いた。
「月がまだひとつだった頃の繁栄した生物って、なんだと思う?」
「ラピスみたいなこと言うのね」
「そんなことない」
目を細めて否定する。その表情にドキリとする。この雰囲気が、まさにラピスのようだと感じたから。
(……)
ゴーストの中の子と呼ばれる宝石も、小さくピキリと反応したがそれまでだった。
眠たげな目を瞑り大きく欠伸をした。そのためすぐにいつもの雰囲気戻り、ゴーストたちも安堵で肩を下ろした。
「眠いから部屋に戻るよ」
「そう…」
少し残念そうな顔をするゴーストの頭を、手袋をつけた手で撫でつける。すり、と擦り寄ってくるゴーストの、いつも隠れている左の目が見えた。少し羨ましそうに見えた目を見て、残るもう片方の手でも頭を撫でた。
「わ、もうグシャグシャになる…」
「中のやつも羨ましそうにしてたから」
「なっ…え…」
ゴーストの顔がコロコロと変わる。中のものとなにかの言い合いをしているのか黙り込んだが、すぐにいつもの薄い表情になってしまった。
珍しいものを見たな、とムーンがニヤリと口角が上がっている。ゴーストは恥ずかしいものを見られたと両手で顔を隠す。が、これまたすぐに顔から退けたと思ったら、表情がいつもよりキツく見えた。
「…絶対粉…」
「え?」
ボソリと呟かれた言葉が一瞬理解出来ずに、思わずギョッとして目を向いた。それを気にしてかしらずか、ゴーストが声を上げる。
「あ、もう…勝手に」
己を見るように体に目を向けたが、また彼らだけの会話になってしまったようで沈黙が降りる。
「…ごめんねムーン」
少し落ち込んだように声も小さくなる。それに大丈夫だとまた頭を撫でた。
「戻るかなぁ…」
本格的に眠くなったのか、何度目かの大きな欠伸をして立ち上がる。用は終わったと出て行こうと入口へ向かう。
「そういえば、今日はもう終わり?」
顔だけ振り向いて問うた。ゴーストも立ち上がり、手に持っていた本を戻そうと棚の前で止まる。
「ええ、一応ね」
笑って棚の間に入る。
「途中まで一緒に行かない?」
手前の本だったのかすぐに顔を出した。
「さっきも言ったけど、昔の愚痴を言わなかったら」
「ダメか」
ニヤっと笑えば、くすくすと笑い声。手で口元を隠して笑う。
「中のやつもダメか?」
「嫌だって言ってる」
「ケチ」
体ごと振り返ると、腕を組んで口を尖らせて言う。こういう所は少しフォスと似ているかも、と碌に話したことのない末っ子を思いながらゴーストは手を合わせた。
「ごめんね?」
「うん、いいよ」
すぐに許しが出る。これはいつものやり取りだ。ちょっと巫山戯たコミュニケーション。わざと怒るフリをしてすぐに許す。
互いにクスクスと笑いあっていたが、満足したらしいムーンが今度こそと手を振る。
「じゃあ、俺はもう寝るよ。おやすみ」
「うん、おやすみ」
薄暗い廊下をコツコツと硬い音を鳴らしながら、部屋に向かった。
* * * * *
日の出、まだ太陽が顔を出したばかりの刻。
「ムーン、朝だよ朝礼遅れる」
ゆさゆさと布越しで揺さぶられる。高く優しい声に浮上しかけた意識が、また沈みかけた。
「あと半日寝かせて」
「ふざけたこと言わないの!」
ばさっと掛けていた布を剥ぎ取られる。流石に目を覚まし、起こしてきた人物を見る。
「今日はオブシディアンだったか」
少し寝癖で乱れた頭を搔く。それを見て、「もう」と口を尖らせたオブシディアンが服を投げた。
「どうせダイヤがいいんでしょ、さっさと準備して」
投げて寄越された服をなんなく受け取り、違うと否定した。
「確かにダイヤもいいけど、オブシディアンも可愛いから寝覚めがいいよ」
寝衣を脱いでインナーに手を通す。そのあいだに弓矢や剣を準備していたオブシディアンがふい、と顔を背けた。
「はいはいそうですか。一応ありがとう」
剣の具合や弓のしなり具合を確認して、すぐそばの机に置いた。
上を着てズボン部分のボタンをとめて、首元のボタンをとめた。オブシディアンが首に掛けていただけだったネクタイを締める。
「ありがとう」
「どういたしまして。自分で起きてくれればみんな迷惑しないけど?」
「それはなぁ」
少し笑って流す。オブシディアンもいつもの事だとあまり叱るつもりはなかった。
最後に髪を手櫛で軽く梳いて、高い位置で括ったら終わり。剣と矢筒を腰に下げて、弓を手に持つ。
「おまたせ」
「うん、じゃあ行こう」
朝日を反射して、白と黒の輝きが部屋から出た。
部屋からそう遠くはない、いつもの広場にみんなはもう集まっていた。
「今日は早かったな」
ジェードが呆れ顔をしながら言う。ムーンは苦笑し、肩を竦めた。
「今日はオブシディアンだったからね。早くって文句言われて」
「みんな言ってると思いますよ」
ルチルがすぐに切り返すと、「確かに」と薄く笑う。
適当に列に混じると、すぐに金剛が来る。自然と列を並び直し、今日1日の業務が知らされる。
「今日は1日晴れ。月人の出現率は12.1%と若干高めの予想。今日の配置は…」
全員を見渡しながらボルツとダイヤの組とアメシストが入れ替え、それ以外は昨日と同じだとジェードが言う。けれどムーンだけが違う場所へと移動。これは一応いつも通りだった。
「解散」
ジェードの合図で、皆がそれぞれの自分の持ち場へ移動する。
「緒の浜かぁ、遠いなぁ」
ムーンが零すと、アメシストの二人が近づいてきた。
「今日は僕たち近いから」
「何かあったら呼んで?」
「ああ、助かるよ」
一緒に行こうかと誘い、3人で向かう。お互い近くの場所まで、何ともない世間話に花を咲かせる。
例年のあの花はこの場所で群生していて、この生き物がどの場所に集まっている。あの実は今年はどの場所の方が実っていて。ついでに言うとこれらはあまり取らない方が自然のため。
意味があるようであまり無い話をしていると時間や移動が早いようで、すぐに別れなければならなかった。
「こっちの丘なんだ」
「気をつけてね」
「二人もな」
うん、とそれぞれ頷いて歩いていった。二人の姿が少し小さくなったのを見送ると、ムーンも緒の浜へ向けて足を動かす。
己が生まれたとされる、大きな山のような壁。いつ見上げても荘厳な壁は、今日もなりそこないを生み出している。
遠目から見え始めたばかりでもその壁は主張激しく、大きな壁の中からきらきらと鉱石を生み続けていた。
海岸に沿って歩いて、海の細波に耳を澄ませながら壁の手前まで歩いた。
「はあ、いつ見ても凄いとしか言い様がないよな」
見上げた壁の、生まれ続けているなりそこないたち。自分たちみたいに形を保って生まれてくるのはごく稀で、ほとんどが形らしい形をしないで生まれてくる。足元に落ちていた、小さい掌の大きさのサファイアを拾い上げる。コロコロと手で遊ばせる。
「…せっかく生まれても、意思も持たず話せもしないなんて。…なんて」
それ以上は言わなかった。自分もそうだったかもしれない。特に月の名前の自分なんて。
これ以上考えては気が滅入る、と頭を振る。弓を両手に持って上に伸びる。
「さぁ…てっ、また波の音でも聞きながら過ごすか」
壁の横のそこまで高くない崖。よく見て登りやすいところを見つける。登り終えて壁を見ると、まだ高さがある。これを越す高さなんて無いのではないか。一つあるとしても、学校だけではないだろうか。
足を崖に投げ出す形で座り込む。ブラブラと足を揺らすが、すぐに飽きて寝転がる。寝てもいいが、相方がいない自分には少し危ないものだ。それでもなにかと感じやすい体質のおかげか、寝ていても予兆の前に起きている。
「んー、悩みどころだけど…寝るか」
満月が近いせいなのか、昼間はいつもと逆転して眠い。昨夜、月がどこまで満ちていたか確認をしなかった。けれど、確実に満月に近かった記憶はあった。今夜ははてさて、どうだろうか。
とりあえずは予兆がない限りは起きないだろう。そう思い、目を瞑った。