青いままで 大人がどうして酒を飲むのか、ようやくわかった気がします。
そんなことを言って、空の酒瓶をカウンターに転がしたミチルの頬は赤い。既に店主は消え、あとは二人でごゆっくりと囁いた声だけがブラッドリーの耳にこびり付いている。数年前ならば、奪うことを信条とする北の魔法使いに無人の店を任せるようなことは一切なかった。ブラッドリーが弟か弟子のようにミチルをかわいがっていて、酔いつぶれかけた彼の前で粗野な行動をしないことを見通しているのだ、西のバー店主は。ちら、とミチルの首元にも視線を寄越す。今は頬と同様、真っ赤に染まっているものの、兄ほどではないが、彼もまた酒に強かった。が、まだ若い。同じ瓶からほとんど同じ量の酒を飲んでいたにも関わらず、ブラッドリーは涼しい表情をしているままだ。魔法だけではなく、酒の飲み方もこいつに教えてやらなきゃならねえのかよ。内心、面倒くさそうに呟きながら、それも悪くないとまた酒を煽った。
「おう、なんだ? 大人が酒を飲む理由ってのは」
「お酒を飲むより苦いことが、たくさんあるから、それを、ごまかしたくて」
「…………若い飲み方だ」
普段の正義感が滲み出た、ハッキリとした物言いはなりを潜め、ミチルの口からぽろぽろとこぼれ落ちる言葉。とろけて、空気中に散らばって。そんな話し方をするような少年ではなかった。若さ故のまっすぐな価値観のままでは汚い世の中では生きていけず、朱に交わって生きていくことも選べない。どっちつかずの青臭さを存分に持て余した青年がむにゃむにゃと唇を動かすのを、見ていた。自分にもこんな頃があったのだろうか、と振り返ろうとしても、ブラッドリーにとっての「こんな頃」にあたる月日は遠い昔過ぎて、思い出すことすら出来なかった。
「若いって、わるいことですか」
まだ話す元気はあるらしい。ミチルはムキになって、少し語調を強めた。ブラッドリーが好ましく思った少年の頃の彼がほんの少しだけ戻ってきたような気がして、わずかに頬が緩む。グラスを持ち上げればからん、と音が鳴る。そのままひとくち、蒸留酒を流し込んだ。ミチルの若さに、乾杯。言ってやらないが、そんな気分だった。
「いいや、悪かねえよ。年寄りにはなれても若くはなれねえからな」
自身を嘲るような口調、また酒を口に含む。大人って。ミチルは、アルコールの浮遊感に任せた思考を繰り返す。大人って、寂しい生き物だ。ボクはまだ、大人になりきれない。酒を飲んでも、懐かしい故郷に帰ることが少なくなっても。子供時代を象徴するような思い出と自分が切り離されていくのに、大人たりえる要素を掴み取る事は出来ないままだ。そうやって、生きて、生きながらえて、寂しさを手に入れたならば、大人なんだろう。そんなことを思う。
ぼんやりしているうちに片付けられたのか、ミチルのグラスはもうカウンターになかった。まだ、飲みたかった。飲んでいたかった。ブラッドリーの手元、わずかに残る、透き通った茶色の液体が恋しくてじっと見つめる。彼は、聡い男だ。ミチルの視線に目ざとく気づいて、にやりと口角をあげる。ゆっくりとした動きでそのグラスを持ち上げ、からん、また音が鳴る。口元に持っていき、一気に飲み干した。
ああ。ミチルの喉が鳴る。欲しかったのに、それが。今、喉が渇いてたまらない。渇望のままに合わせたピンク色の瞳が、挑発をするように煌めいたので。ミチルは、許された。許されたとばかりに、酒でほんの少しだけ潤ったブラッドリーの唇に噛み付いた。わずかに開いた唇から舌を差し入れて、口内に残った液体を探る。もう嚥下されてしまったとわかれば、味を楽しむように、長いキスをした。
歯列を辿り、舌を絡め、口蓋をつつく。こんなキスを覚えさせられたというのに、子供ではいられず、大人にもなれない潔癖さを保っている矛盾が可笑しくて、ブラッドリーは笑う。もう少しこのまま、青いままで苦しんでいるミチルを眺め続けるのは、悪くない。