差し出されたスコーンはカインにとって毒としか言えなかった。
見るからにたっぷりとチョコチップが入ったスコーンは、絶対においしいとわかる。そもそも作ったのがネロと言う時点で、おいしさは約束されているようなものだ。ごくり、と唾を飲み込む。少し多めにくるみを入れたのだと言う声が右から左へと流れていった。そんなの、絶対においしいやつだ!
手を伸ばしかけて、はっと我に返る。ぎゅっと手を握りしめてスコーンから視線を反らした。食べたくないんじゃない。だけどこれ以上カロリーをとるのは危険だった。さっきネロ特製の唐揚げ弁当をたっぷり食べてしまったばかりだ。さすがにこれ以上はまずい。反らした拍子に目に入ったお腹をさする。
「……何か、調子悪い?」
嫌いなものでもあったかと心配そうに声を掛けられ、慌てて顔を上げた。カインが元気になるようにと弁当を作ってきてくれた友人に首を振る。
「具合悪いわけじゃないし、お弁当はすごくおいしかった!」
だから大丈夫だと笑って見せれば、ネロの顔がほっとしたように緩む。心配をかけてしまったことを反省しながらも、やっぱりスコーンに手は伸ばせなかった。
どうしたんだと言われたところで返せる言葉は一つだ。
「……太った」
原因はわかっている。運動量が減ったのに、食べる量は減っていないからだ。そんなのすぐにお肉に変わってしまうに決まってる。
体を動かせば解決する話だが、今はそうも言ってられない。
レモラバの新曲を作っている真っ最中で、しかも土壇場で二曲も追加で作らなくてはならなくなってしまったのだ。それ自体は構わない。友人の力になれるのはうれしいし、自分の力を試せるいい機会だと思う。だけど二曲目のサビのメロディーラインがどうしてもしっくりこなくて、ここ最近の空き時間はずっとそればかり考えている。走りに行っても、良さそうなフレーズが浮かんでしまえば足が止まってしまうのだ。
結果。ちょっとシャレにならないスピードで体重が増えてしまったのである。
だから、と言いかけたカインの目の前で、スコーンが一つ消えていった。無意識にその行方を追ってしまう。たったの二口で飲み込まれていったスコーンに、思わず咎めるような声が出た。ブラッドリーと名前を呼べば、スコーンを平らげた口がおかしそうに吊り上がる。
「んな顔すんなら食えばいいじゃねえか」
「だから、……太ったって」
「大して変わんねえよ。そこまで気にするようなもんでもねえだろ」
何だかむかっとした。ブラッドリーはきっと、あんまり太ったことがないんだろう。だからそんなことが言えるのだ。
中々うまいともう一度スコーンに伸びた手をつかまえた。そのままお腹の方に引き寄せる。触ればすぐにわかる。こんなにぷにぷになのに変わらないなんて言われたくなかった。
だけど、触れる前に動きが止まる。つかまえていない方のブラッドリーの手が、カインの腕を引き留めていた。
「やめろ。何させようとしてやがる」
顔を顰めたブラッドリーに、ごめんと力を抜いた。冷静になって考えてみれば、普段他の友人によくしていることだからといって、ブラッドリーが不快にならない保証などない。それにきっと、さっきの言葉だってカインを元気付けようとして言ってくれたのかもしれなかった。それに勝手に腹を立ててブラッドリーの嫌がることをしてしまったなんて。
改めて謝ろうと顔を上げれば、不機嫌そうな顔がふいっとそっぽを向く。白と黒の髪が揺れて、――赤く染まった耳が目の前に現れた。
「っ……」
途端に顔が熱くなる。見ていられなくて俯いた。ブラッドリーは友達で後輩で。だけど、ちゃんと男子なのだと、急に気づいてしまった。ちゃんと謝らないとと思うのに、うまく言葉が出てきてくれない。自分の変化に、たぶん一番カインがびっくりしている。
「……ああいうの、他の奴にはすんなよ」
「わ、かった」
ぎこちなく頷く。スコーンのことはすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。