インカムから聞こえた上司の声は随分弾んでいる。カインをからかう言葉も絶好調だ。こっちは一々返事をしている余裕なんてないというのに。だからこそ、言っているのかもしれないけれど。この人は本当に。
『俺様が、何だ?』
「っ、いい性格してるなって、言ったんだ!」
少しだけ張り上げた声を冷静に注意されて慌てて口を噤む。進むのを止めて様子を伺って、特に変わりないのを確かめてほっと息を吐いた。こんな狭いダクトの中で見つかったら逃げられない。いや、そもそもダクトに入り込んでいる時点でアウトだ。先の見えない薄暗い通路にため息を吐く。
「これ、本当に必要なことなのか?」
『じゃなきゃ許可なんて出ねえだろ』
「それは、そうなんだが……」
とっとと進め、という声に渋々返事をして手を動かした。滲んだ汗がこめかみを流れている。いくらカインが体力に自信があるからと言って、ほとんど匍匐前進みたいな移動をずっと続けていたら疲れもする。あんたも来ればよかっただろと文句を言ったところで、持ち腐れてた宝を使わせてやるのだなんて言われて終わりだ。実際そうなのだから何も言えない。
この人のところで働くようになってから日は浅いが、体力には自信があると話して採用されたにも関わらず、それを生かした仕事はほとんどできていなかった。カインがしたことと言えば、ちょっと遠出しておいしいお酒を買ってくることくらいのものだ。それだって単なる上司の趣味であって仕事じゃない。だから今回は、カインにとって初めての仕事らしい仕事だと言える。かもしれない。
だけど。
「これ、本当に探偵の仕事なのか? 盗賊と変わらない気がするんだが」
『盗賊と探偵が同時に存在しちゃならねえ法律はねえだろ』
「少なくとも盗賊はだめだろ?!」
また声を上げてしまって注意される。依頼人の名前を出されると大人しくする以外になかった。まじめで誠実そうな青年の顔を思い出す。
——指輪を、取り戻してほしいんです。
一番の宝物だと、本当に大切なものなのだと話すあの青年の力になりたいとは思う。仕事を任せてくれた上司の期待に応えたいと思う。だけどそのやり方が〝奪った奴の会社に潜入して奪い返す〟だとは思わないじゃないか。それが確かに一番確実ではあるんだろうけど。どう考えたって法律ギリギリどころか一発アウトだ。あの人本当に探偵なのかと思わずにはいられないが、こんなところにいるカインだって結局は同じ穴の狢なのはわかっている。
「今までもこんなことしてたのか?」
『さあな』
はぐらかす台詞に顔を顰めるより早く、おまえはどうなんだと言われて反射的にあるわけないだろと返す。
『にしては素直じゃねえか』
「だって、あんたが言ったんだろ」
真っ当に取り戻すための布石なのだと。あの時の言葉は決して嘘じゃなかった。だからカインはそれを信じようと決めたのだ。
全てが正しいとは限らない。だけど、そこに確かな矜持が見えたから。
「俺は、あんたを信じるよ」
汗を拭って前に進む。支給されたスマートウォッチには目的地まであと少しだと表示されている。そう言えば外から聞こえる声も先程までとは違う気がする。もう少しだぞとインカムに呼びかければ、不自然な間が空いて大きくため息を吐かれてしまった。何かあったのかと聞けば、問題ないと返されてほっと胸を撫で下ろす。
『てめえ、酒は』
「飲むが……今言うことか?」
『言うことだろ。一人で祝杯上げさせるつもりかよ』
言われた台詞をじわじわ理解する。思わず声を上げそうになって、その前に静かにしてろと注意されて何だか笑い出したい気分だった。