門梶(まだ始まってない)またこれか、と辟易した。
ついこの間まで病院に監禁されベッドに拘束される生活だったというのにほんの僅かシャバに出たのちにまた病院送りになってしまった。
アドレナリン頼みの鎮痛も効かなくなり、どれだけ鍛えようともいくら立会人たれるフィジカルであろうとも骨折や血管の損傷による炎症や腫れその他は止められない。
「入卍した立会人は全員精密検査と入院!あと歯も入れてね」という新・お屋形様の強権発動により、手当を受けてすぐに復帰しようとしていた立会人も揃って病院送りとなった。
入院生活は退屈である。
女性と規格外サイズを除き何故かまとめて同じ部屋にぶちこまれた全員が一斉にため息を吐き、顔を見合わせ、またため息を吐いた。
「おう、ミイラやんけ門倉」
一つ離れた向こうのベッドから南方が声を掛けて来た。
「おどれも…そこまでサラシ巻いて、モツでも出るんか。ひと山なんぼで売って競馬場で煮てもらえや」
想像したのか、向こうのほうから「うへえ」と銅寺の声が上がった。
「あの~私を挟んでグロい話するのやめてもらっていいですかあ」
「軽傷は黙っててもらっても?。できないならそれ逆パカしますが」
「あ~怖い、ヤンキー嫌いです。このままでは挟まれて私までヤンキーになってしまいます…」
弥鱈はすっくと立ちあがり、がっちりと固定されている門倉の腕めがけて吸い口を「うっかり」落下させた後「こわいこわい~」と言いながらゲーム機片手に出て行った。
見通しのよくなったベッドを超え、南方と門倉は頭だけ動かしてお互いを見て、またため息をついた。
「な~んでワシら6人部屋…」
「まあ…まとめて世話するのが楽なんは分かるが…修学旅行かて…」
一番入口に近い銅寺のベッドで枕がポンと高く浮いた。先ほど歯科治療を受けたばかりで喋る事はできないらしい。
「能輪立会人のとこは嫁さんが来てええね…」
他人の妻だが、からっとした声で「ダーリン!」と呼びかけながら入ってくる様は空気も一気に変わるし、悪くはない。むさくるしく悲しい空間に大輪の花が咲き乱れたようにさえ見えた。
見舞われている本人が爆睡していたとしても勝手に盛り上がって勝手に帰っていくので手間もない。持ち込まれた見舞い品を部屋の全員で看護師に隠れて喰らう事もしばしばあった。
「ヤニも吸えんしな…この光景ちょっと前にも見たわ…」
「目の毒よなあ…」
門倉・南方のベッド脇の側机には二人が吸っている銘柄のカートンが金の延べ棒のそれのように積まれている。
見舞いに押し掛けた門倉傘下の黒服が廊下に溢れたり号泣の合唱が始まってしまうのでこの午前にめでたく出禁となり追加が届く事はないが、「励みにしてください!」とこれだけは置いていかれた。素直に言うと迷惑であった。
あーあ、と二人そろって声が出た。銅寺はまだ枕を上に放って遊んでいる。隣に寝ている真鍋も同じタイミングで歯科治療を受けたため水を飲もうとしては吸い飲みを差し込んだのとは反対側から全部こぼしている。
入卍して以降の日々が遠い昔の事のようだった。今のこの、清潔を極める空間とは真逆にあったから、異世界にでも来てしまったように思う。
「病院食、肉がないよな」
「ワシらの言う肉な、そらポンドで肉出る病院はないわ」
「出してほしいわ賭郎に」
腕の具合を調整して体勢を変えようともぞつく。南方も動きたいようだったが、胴回りをコルセットで固定されそこから襷のようにして肩に固定具が回っているのでどうにもできない。
あー、だの、うー、だのと呻きながら天井を見上げて過ごすこの暮らしも、新・お屋形様と医者のOKが出なければ脱することができない。テレビカードを買うのもだ。テレビ位見放題にしろ!と叫び出したかった。
看護師が開けて行ったカーテンが憎い。そろそろ直射日光に炙られる時間だ。ナースコールはさっき落とした。南方はさっさと寝てしまった。退屈だ。
もう自分もこのまま寝るしかないか…と瞼を閉じる。呼吸の深さを意図的に変えて入眠に励んだ。
*
サッ とでも効果音が付きそうな切り替えで瞼の裏の闇が濃くなった。
看護師が来たのかと思ったが、どうにも匂いが違う。外気の雑多さが部屋に流れ込んできた。あと揚げ物の匂いも。…揚げ物?
足音は少し遠ざかって反対側の、門倉の足元にあたる能輪の方のカーテンも閉めているらしい。遠くで銅寺の「どうも!」という声が聞こえた。
足音は能輪夫人ではない。看護師のサンダルでもない。この病室に来たことのある誰でもないが、革靴を履いて、体重はそこまで重たくない。この歩調はどこかで…
クイズにも早々に飽きた。さっさと目を開け、薄日で霞む人物に目を凝らす。
「あ、起こしちゃいましたか?」
「カジ、…梶様?」
咄嗟に起き上がろうとすると胸をぐいと押され、抵抗する理由もないのでそのままベッドに押し戻された。
「皆さん面会謝絶とかが終わったって聞いたので…なんでこんな大部屋に集められてるんですか?」
それはこっちが聞きたい。序盤では尿瓶を使う局面に各々が見て見ぬふりをしたりしたりもした距離感だ。
「わざわざ立会人の見舞いにいらしたんですか。お屋形様のご協力者ともある方、お忙しいのでは?」
「いやあそれが…僕もマルコも怪我してるし皆さんと同じような扱いだったものでそこまでは…まだ準備期間って感じです」
「そうですか…、?」
「ん?」
動かせない腕の代わりに失敬ながら顎で足元を指す。銅寺が梶の持つ大きなビニール袋に目を輝かせている。
「そうだ、これ皆さんにお見舞いです。おやつの時間と夜中にぐーぐーお腹鳴らしてるって聞いたので」
梶が袋を開けば、安くて甘い油の匂いが病室に充満した。中身は袋いっぱいのホットスナックで、看護師が来れば説教ものだろう。
真鍋も杖を突きながらよたよたと集まって来た。梶は門倉の開いた足の間に掛布団の窪みをみつけ、そこに袋を降ろす。
袋から出てくるのはさながら男子高校生の発想のそれだった。フライドチキンにポテトにメンチカツ…、自分より10もそれ以上も離れた男たちに渡しに来るようなものではない。
が、どういう訳だか今はそれらが「そそる」物にしか思えない。確かに肉を食べたいとは言ったがジャンクフードへの食指は自覚していなかった。
梶は銅寺の腕にどさどさとホットスナックの袋を渡し、真鍋にはゆで卵を渡し、南方と門倉、そして能輪にも同じように振り分けた。
「病院食って栄養のバランスが良いとは言うけど結局簡素じゃないですか?結局お腹すくし、僕も入院してるとき結局毎回しんどかったのそこなんで!」
いつの間にか起きていた南方と視線を交わす。「毎回」と言えるほど入院する人生なのか、と言いたい事は同じのようだった。
銅寺と真鍋の卓では早速宴が開催されていた。真鍋は自分たちよりも歳が上の筈だが、なぜあのノリについて行けるのかがわからない。
南方も寄こされたベーコンを齧り「肉だ…」といたく感動している。
腕を固定されて自由のない身、その祭りに乗り損ねた門倉を察し、梶は残った袋を漁った。
「そんで門倉さんにはこれもあります!」
じゃん、の効果音付きで差し出される。それはそれは真っ赤な林檎だった。
「プロトポロスで食べたのってちょっと外国の林檎ぽかったじゃないですか、これは国産の有名な奴なのででっかいし美味しそうでしょう!」
梶はまた袋を漁る。今度は紙皿とナイフが取り出され、まさか、と目を剥いた。否、剥かれるのは林檎であるのは明白なのだが。
「門倉さんと言えばなんか林檎のイメージなんですよね~」
ザク、と梶が林檎の頭と尻を迷いなく落とす。「は?」という間も無く梶は断ち落とされた切れ端を頬張りながら「甘!」などと言っている。
やけに安定感の出た林檎に刃を当てて大根さながらにかつら剥きをし、そこから等分していった。
「…なんか違うな」
「まあ、でしょうね」
梶の言う「違う」の原因は明白だったのだが、ナイフを取り出した時に立った悪寒が気のせいであった事には感謝した。
「梶様、おそらくそれは…玉ねぎを切る際に有効な手順と形状かと…」
「え!?あ、そっか!そうだこれ…!僕バイトで調理やってたんで…あーそっかこれ玉ねぎだ…あ~…やった…」
梶の顔がカーテンのうす暗い足元にあってもわかるほど真っ赤になる。
なんの疑問もなくやってのけたカットを見て気恥ずかしそうにしてはあうあうと何か言っている。
指を切ったり林檎が変色したりしなかったという方への驚きが勝っているので門倉にはそこまで気になる事でもなかったが梶にとっては失態の分類らしい。
「じゃあもう、はい、あーん」
爆睡している能輪立会人のベッド以外から噴き出した音が聞こえた。
善意とはかくもたちが悪い。梶もおそらくなんの疑問も抱かずにやっているのだろう。だってこの門倉の腕は折れていて、あちこちが固定されているのだから。
あーん、などと言ってやるつもりはなく、しかしなんとなく、口をかぱりと開けた。
ぐい、と押し込まれる林檎に仮の前歯が軋んだが、無味の水と薄すぎる味噌汁以外でようやく訪れた味のある水分に味覚が喜んでいるのがわかる。
少しだけ起こしたベッドの視界は広い。爆睡している能輪立会人はともかく、残りの三人がそれぞれ闇物資をかじりながらこちらに注視しているのもよく見えた。
「まだいけますか?あーん」
また、かぱっと口を開けた。それを何度か繰り返し皿の上は空になる。
ニヤニヤとした目に晒されるのは不愉快だったが、梶の手を断ってこの林檎が他の連中の口に入るのも同じくらい不快に思えた。
結局、いい歳をした男たちの闇物資宴会は早々に看護師に発見され、ほか二人のようには身動きが取れず隠すのが間に合わなかった南方のベーコンが没収されたところでお開きとなった。
残りの林檎は真鍋の元に渡り梶は携帯に呼び出されさっさと帰って行った。
口元に残る淡い甘みを舌で掬う。病院食にもカットされた林檎は出されるし病院食を嘲る訳ではないが、プロトポロスでの日々まで含めて久方ぶりに生きたものを食べた気がした。
「しかし、なんで林檎なんじゃ?」
寝たままで吸い飲みから水を飲む南方は怪訝な顔をしている。ああ、と話しそうになってふと思う所があり、門倉は口をつぐむ。
「…まあ、入院といったらフルーツ、ってイメージなんやろうね」
「ほ~…まあ剥いてくれただけでもよく気が回る人やわ」
そうやね、と適当に返す。
林檎の因果は、餞別にと与えた最初こそマルコが居たがそこからの分は自分と梶しかきっと知らない。
「うかつな男よ…」
まだ自分の周りには林檎の蜜と、梶の洗濯洗剤と汗の匂いが漂っている。
「のう門倉、取り上げられたベーコン思いっきりワシの食いかけなんじゃけど看護婦はアレどうするんじゃろか」
「うっさいわ、腹の肉でも食っとけ」
何を、と笑う南方をさっと無視して薄れていく残り香を深く吸った。