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    Wayako

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    Wayako

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    3兄/弟過去捏造のお話。突然あらわれた謎の手紙から、拳兄が過去を振り返っています。
    書き終わる前に解釈違い他を起こしたので、途中でポーイ!基本的に勿体ない精神での投稿なので、ご容赦下さい…。

    ※時代、地域設定などはがばがばに書いてます。
    ※能力の詳細もかなり、がばがば。
    ※👒さんをかなりヤバめの毒親として書いてますので、苦手なかたはご注意ください。

    ゆるーーい目でよんでいただけたら幸いです…

    みちしるべさて、どうしたもんかね。
    手の中にある手紙をくるり、とまわし、ケンは考えた。
    お手紙、そういって過言ない大きさの薄く汚れた薄茶色の封筒は、年月を経たような年期を帯びている。後ろは蜜蝋で閉じてあり、これまた年代を感じさせた。今時、蜜蝋でなんて使うかね。
    送り主の名前はなし。
    どう考えても怪しい。
    しかし、それは間違いなく、ケンに当てられたものであった。
    もう一度、手紙の正面を見る。そこには懐かしく忌まわしい、故郷の言語の筆記体で『兄さんへ』と書かれていた。

    「不思議だねぇ。弟くん、何か新しい能力にめざめたのかい?」
    Y談のおっさんが飲んでいた酒を置いてひょいっと手紙をとり、高くあげた手からそれをはなす。手紙はひらひらと舞い落ち、屋台の机へと着地した。
    まさしく、こうだ。
    この小汚ない手紙は、何の前触れもなく、屋台で連れだって飲むY談おじさんとケンの上から降ってきた。不思議に思いすぐに回りを見渡したが居るのは自分達と屋台の親父くらいで、二人とも何も知らない。加えて此方を向いていた親父曰く、だいたいケンの頭上10センチ上から現れたらしい。

    まさしく、何もない空間から突然降ってきたのだった。

    書かれた文字について何も話していないのに弟と出したY談おじさんに、本当にどこまで知ってるんだか、空恐ろしいおっさんだぜ、とケンは思ったが何も言わずに、手紙を拾い上げる。
    故郷の文字を知り、使い、自分を兄と呼ぶのであれば、送り主はたった一人だが、それもどうも釈然としない。今はデジタルの時代で、言いたいことがあるならRIENなり電話なりできるだろうに、なぜ手紙なのか。自分達、吸血鬼は何の前触れもなく超自然的な能力に目覚めることがある。畏怖高めな攻撃的な能力もあれば、使いどころが分からない、どころか意味不明な変態能力のことも多い。ここ新横浜で起こる事件の大半はそんな能力によるものだ。
    Y談おじさんの言うように弟が突然新しい能力に目覚めたのだとしても、おかしなことではないが、手紙とは一体何の能力か。ただでさえ噛んだ相手をビキニにするというよくわからん能力なのにこれ以上謎をふやさないで欲しい。

    考えれば考えるほどドツボにはまったようで、ケンはとりあえず手紙の封をきることにした。手紙ならば、読めばおおよそ分かるであろう。
    懐かしい蜜蝋の感触、それを横に割いて口を開けると封筒と同じ色の便箋が内に折られて入っている。取り出し、かさつくその紙を開くと、宛名と同じ故郷の筆記体が短い文章を彩っていた。




    満月の光が、今しがた自分が入ってきた窓から部屋に入り、さながらスポットライトのように弟を照らしている。吸血鬼だというのに、光に照らされ泣く姿はまるで天の使いか何かのように儚げで、名は体を表すとはこれかと、納得して、窓辺にある弟の学習机から降りた。
    「ひっ…く、…ふぅ…、っごめんなさい…、ごめんなさい…っ」
    罪悪に歪む赤い瞳から溢れ、頬を伝う涙を止められず、ミカエラは謝り続ける。それを手で強く拭うものだから白い肌は荒れて赤く、更に痛ましい。自分に当てていた冷たいハンカチで、それを拭ってやると押し返され、母に殴られ腫れた頬に戻される。
    「それ、は、兄さんが使って、…ごめんなさい…っ」
    再び謝りはじめるミカエラの頭を抱き寄せ撫でてやると、小さく華奢な身体が震え、するりと抜け出された。
    「、…もう、ここには来ないで…来てくれなくても、大丈夫だから…。」
    背を向け、絞り出すように拒絶を示したミカエラの縮こまった肩は小さく震え、とてもでないが大丈夫とは思えない。
    悲痛に歪み、罪悪に打ちのめされ、献身で嘘をつく弟があまりにも哀れで可哀想で、同時に愛おしい。兄である自分以外食事として血を捧げにくる母の下僕の他、一族の誰もこないこの部屋でどれほど己の無力と孤独に泣き腫らしているか、知らぬ兄ではないというのに。
    肩を抱いて引き寄せ、うつむく顔を脇から覗く。垂れた前髪に隠された柘榴の瞳がこちらを見やると、口をにっと上げて笑ってみせる。
    「兄さんは最強だから大丈夫だ。今日は何する?ミカエラ。」
    そう言ってやると、また泣くものだからその内に目が落ちるんじゃないかと、心配になった。




    母は強い吸血鬼だった。催眠の一族、その歴史上もっとも強く、そして愚かだった。
    幼い頃から能力に目覚め、その強さゆえに親である祖父さえ手を焼くほど我が儘で奔放な女は、一族の本願である『全人類の完全支配』を叶えるのは自分だと、盲信していた。

    自分ほどの強大な吸血鬼が、他にいるものか。

    その為、祖父が不幸にも早死にすると、周囲の反発をおしきり当主の座に若くしてつく。自分が母と人間の男との間に生まれたのはこのあたりだったと聞いている。屋敷の玄関に飾ってある赤ん坊のケンを抱いて微笑む母の肖像画を指差し、二代で当主になり損ねた大伯父が幼いケンに皮肉たっぷりにそう教えてくれた。
    男は支配する領土内の村人だったらしいが、それ以上のことをケンは知らないし、知りたいとも思わない。ただそんなわけで、ケンが物心ついた頃には父はおらず、母はすでに暴君を体現したような、欲にぎらついた女であった。
    ケンを直接的に育てたのは下僕のメイドたちで、同じ屋敷に居た母が直接的にケンに関わることは気が向いたときや、一族由来の催眠術の修行を行うときだけだ。
    「お前は強くなるよ。ケーン。将来、母さんを助けておくれ。」
    時折姿を見せては頭を撫で優しく名前を呼んでくれる母に、この頃は愛されていると信じていた。もっと大きくなり強くなったなら母の隣に立ち、一族をひきいて世界を支配する恐ろしい吸血鬼になる。そんな馬鹿げた夢を本気で信じて、それでも時折、襲いくるどうしようもない寂しさに潰されそうになる日がある。そういった日は殻に籠るよう自身を抱き締めて、一人寂しく棺桶で眠るのだ。能力である結界術が発現したのは、このせいであったと今ならば解る。自分の周囲を覆う球体の空間は決して誰にも犯されず、誰も逃がさず、幼い自分にはその絶対空間は安心できる場所であった。
    しかしそんな可哀想な子の心情など汲める程、母は優しくはなく、無欲でもない。
    特殊な結界術に目覚めたケンに母はそれはそれは喜び、初めてきつく抱き締めてくれた。
    「お前は母さんの自慢の子だよ。」
    たったそれだけで認められたと喜び笑う自分の、なんと無邪気であったことか!!
    今ならば母の言葉の真意を、その醜い笑顔の下から汲み取り、絶望に叫んだことだろう。
    それから、母はいよいよケンの前に姿を見せることがなくり、メイドに居場所を聞こうが、屋敷に時たま訪れる一族の吸血鬼に聞こうが、誰も母の居場所を言うことはなかった。
    月日がたち、少年となったケンの結界術がより強固なものへと進んだ頃、久しく母は姿を表した。
    「お前の兄弟だよ。」
    そう言って大事に胸に抱いた小さく美しい赤子に微笑む母の眼差しに、ケンは初めてぞっと、うすら寒い嫌悪が沸き立ったのを感じた。

    弟のミカエラが来てから、三人親子で過ごすことが多くなった。母に手ずから教えを乞い、甘える幼い弟に嫉妬しないわけではなかったが、兄を慕って後ろを付いて回る姿は可愛らしく、子供のいない屋敷で一人過ごしたケンの孤独に温かなぬくもりをくれる。母も常に屋敷に居り、兄弟で尋ねれば上機嫌に優しく頭を撫でて、どうしたのかと聞いてくれた。たったこれだけのことが、ケンには途方もなく嬉しかった。
    このままミカエラと母と、幸せに暮らしていけるのだと信じていた。

    しかし、その幸せも数年の内に、よりにもよって母に打ち砕かれる。

    ケンが結界術を覚えた年と同じになってもミカエラに特別な能力は発現せず、覚えた催眠術さえも弱かった。対象と一番強く繋がる血を介した催眠でさえ、下僕の意識を完全に支配することができず、人数も多くは操れない。一族の中でも平凡そのもの、むしろ弱いものだ。
    そんなミカエラに母はあからさまに苛つき、ついには手をあげるようになった。時に叩き、蹴り、突飛ばし、ひどいときは踏みつけ金切り声をあげ怒鳴り付ける。その度に痛みに泣いて許しを乞うミカエラをケンは助け、結界の中で抱き締めた。結界の外から睨み付ける母に同じく睨み返せば、そのまま去り、数日は帰らない。その間ミカエラは怯え過ごし、母が来ればまた怯え、そしてまた、能力の低さを責められ、手を上げられる。追い詰められ、自分の無力を呪い泣き叫ぶミカエラを慰め、抱き締めて二人疲れて眠る日々をしばらく過ごしたのち、母はミカエラを屋敷の南端の一室へ引きずり、投げ捨てた。もともと物置きのように使っていたその部屋は日当たりが良く、窓を木で打ち付けて閉じられてるとはいえ入り込む日の熱さはきつく、吸血鬼には居心地のいい場所ではない。そんな部屋に一人、ミカエラは押し込められ、外から鍵を掛けられ、閉じ込められる。
    あまりのことに母に掴みかかり、殴ろうと拳を上げ、ケンの身体が固まった。赤く輝く瞳が冷たくケンを見つめる。手を払らわれると簡単に投げ飛され、それが母の催眠だと気づいてまるで足元から世界が崩れるような衝撃が駆け巡った。

    ケンは今まで、母の催眠を見ることはあっても、かけられたことは一度もなかった。それは、母なりに子を、自分を愛しているからと勝手に思い込んでいた。

    誰だって、母親には愛されていると信じたい。例えひどい親だったとしても、信じていたかった。

    しかし、それは実にあっさりと裏切られ、打ち捨てられ、呆然と転がったケンに母は冷たく、命令を下す。
    「『ここへは二度と近づくんじゃないよ。お前にはもう、弟なんていない。』」
    脳裏に刷り込まれそうになるそれを必死に弾き返し、痛みと絶望に泣き叫ぶ。部屋の扉を叩き泣いて兄を呼ぶ弟を忘れたくない一心で続く頭痛に嘔吐し、それでも睨み付ければその様子に最後は呆れたように母は催眠を解いた。
    「強くおなり。ケーン。母さんをがっかりさせないで。」
    力が抜け、吐瀉物の上に倒れこむケンに目もくれず、母は屋敷を出ていく。
    すれ違い様にはなたれた、いつものこの言葉の意味を、ケンはやっと理解した。

    母にとって自分達は、ただの駒でしかなかったのだ。
    愛情などなく、ただ利用価値があるから育て、親子の真似をしていただけ。
    ケンを産んだのは、きっと気まぐれだったんだろう。それがなまじ特別な才能を持っていたものだから、もう一人と増やし、優秀な駒になるよう育てようとした。
    しかし、それが何の才能のないただの子供と分かった今、手ずから育てる価値がなくなり、邪魔になって捨てたのだ。

    ケンは絶望と憤怒、己の幼い愚かさと無力さに吠え、泣き叫んで床を転げ回る。喉が爛れ、痛んで掠れても叫び、壁と床を無茶苦茶に殴る拳からも、打ち付ける額からも血が出たが、構わず続ける。

    そうしなければ、このまま狂ってしまいそうだった。

    ひとしきり吠え、暴れて、倒れこむ。荒い息を整えながら、霞んだ視界で、ぼーっと血斑になった壁を見て、いっそこのままなんて、考え

    「…、…おっ、兄、ちゃん…っ…」

    悲痛な声が扉の中から小さく、兄を呼んでいるのに気がついて、今までと違う涙が瞳から溢れた。

    ああ、ああ、すまない

    すまない。俺のかわいい弟よ

    俺が、俺がこんな才能なんてもっていたから、だから、お前をこんな目に

    ごめんなさい

    ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…

    「ごっ…ごめんな、さ゛い、ごさ゛ぃ……っ」
    閉じられた扉にすがり付いて、ケンは何度も、向こうにいる弟に謝り続けた。



    それから母は、屋敷に来てはケンに厳しく修行と冠した、ほぼ拷問のようなものを行うようになった。催眠を掛け、それを弾かせ、弾けなければ死ぬ。母の操る下僕を結界で防ぎ、倒さなければ殺される。
    そういったものが来る度に繰り返され、ケンの能力は嫌でも上がっていった。
    「強くなれ。」
    相変わらずかけられる言葉にもう喜ぶような純粋さはなく、強い嫌悪と憎悪のまま睨みつける。
    「うるせぇ、くそばばぁ。」
    動きを催眠で封じられ、結界もきれたケンに近づいて顔を覗き込む母に悪態をつくと、母は一度微笑み、手に持った扇子で容赦なく頬を殴った。鋭い痛みが走り、すぐに反対側からも殴られる。往復する痛みに耐えていると、扇子が壊れたらしく躾が終る。
    「また、あれに構っているらしいな。」
    「…。」
    「でき損ないにかまける暇があるなら、勉学の一つでもしたらどうだ。」
    壊れた扇子を捨て、後ろに控えていた下僕が持つ本をケンの足元に投げる。分厚い本はその年で勉強するには少し難解なものであったが、持ち込まれた教材を全てこなし、飽き飽きとしていたケンには丁度いいものだった。催眠を解かれ、自由になった身体でそれを拾い上げると、そのまま無言でその場を去った。この母に何を言おうが、無駄だと知っている。

    あれ以来、母はミカエラを名前で呼ぶことさえなくなった。どころか部屋に近づきさえせず、ミカエラが部屋から出ることも禁じ、見つかれば容赦なく引きずり戻す。おかげでミカエラは厠に行くことも躊躇い、我慢できずに粗相をしてケンが訪れるまで羞恥に泣いていることが閉鎖生活の当初ままあった。今では母の視界に入らないよううまく抜け出せるが、母への恐怖からかミカエラはそれ以外に滅多に部屋から出ない。食事について心配もあったが、何かしらの利用価値を見つけたのか、幸い絶たれることはなかった。
    当初、ケンにも母はミカエラに構うことを禁じていたが、母を正しく理解したケンにそれに従う道理はなく、早々にミカエラの部屋の鍵を壊し連れ出した。見つかり戻されるたびに殴られ、新たに鍵を掛けられ、また壊して連れ出す。それを何度も繰り返し、時に窓から侵入し、床下からも飛び出すと母は諦め鍵を掛けなくなった。あいかわらず殴られはしたがそんなものは些細なもので、ミカエラに会えば全てどうでも良かった。しかしそれを見てミカエラが泣いてしまうことがケンの悩みではある。
    抱えた本を持ち、ミカエラの部屋に向かう廊下で従兄弟叔母とかち合った。汚物を見るような目に睨み返せば、反らされて足早に去る。逃げるならばそんな目で見るなよ、と舌打ちすると後ろの扉から視線を感じた。

    ケンが青年中期へとさしかかったこの頃、母の暴虐は領土内へおさまらずどんどんと外へ向かっており、人間と吸血鬼のバランスを崩壊させ、同胞の吸血鬼にも嫌われた母の影響で地方の催眠一族は居場所を追われ、この屋敷へと逃げこんでいた。一族の長たる母に罵倒と抗議を繰り返しては返り討ちにあい、住み着き、母の子である自分を軽蔑と侮辱に満ちた視線で見る親族たちをケンは同じく、軽蔑した。

    大人のくせに

    恐らく扉の隙間から見てるだろう大伯父を無視して、歩を進めるとミカエラの待つ部屋につく。短くノックして、ドアを開けるとミカエラがベッドにふせってしゃくり声をあげていた。部屋に棺桶すら渡されなかったミカエラは、まるで人間がするように放置されていたベッドで寝るようになっていた。
    「また泣いてんのか、ミカエラ。」
    近づいて、脇に腰掛け頭を撫でてやる。跳ねて傷んだ自分の髪とは違い、真っ直ぐに落ちる黒髪をかきあげると、枕に埋もれた顔が半分だけ出て濡れそぼった赤い瞳がこちらを見やる。少年と呼べる年になった弟の母によく似た美しい顔立ちに少し複雑な心境になるが、それでも弟は弟、違うものだ。
    「…兄さん、また、怪我…」
    「いつものことだろ。心配するな、俺は最強だから。」
    修行の音から、屋敷に母が居ることに気づいて怯えたんだろう。泣いて縮こまるミカエラに笑い、いつもの言葉をかける。こうすると、ミカエラは安心するようで、ケンはことあるごとにそう言い聞かせていた。
    「さ、新しい本があるから、一緒に読むぞ。」
    片手に持った本を開けると、ミカエラが隣から覗き込む。母から渡された本はケンからミカエラへと譲られ、勉強も二人でしていた。教えては、教えられ、ミカエラのほうが得意な分野もある。そんなことも母はきっと知らないのだろう。
    それがケンの今の日常であり、このまま変らずここで弟を守り、死ぬのだと。変らぬ日々が続くことを思っていた。



    あの日の衝撃を、ケンは生涯忘れないだろう。

    その日は夜の早い内から母が屋敷に居座り、そして終始不機嫌であった。別段それは珍しいことではないので、大怪我をする前に適当な場所で修行をきりあげる。この頃には厳しくとも母が本当に自分を殺す気はないと分かり、手を抜くことを覚えた。早々にミカエラの部屋に引っ込み、今日は裏の山のベリーが食べ頃であるからと外出を渋る弟を説得して二人、窓から出たところで、玄関に来客があったのが見えた。黒いマントに黒い髪をふたつ、角のように立たせた男は厳しい顔で屋敷内へと案内される。この屋敷に来客など珍しく、おまけにそれが吸血鬼となると一族以外でははじめてのことだった。なんとも言えぬ不気味さに弟と戻り、部屋で絵でも書こうかと画材を取り出し揃えたところで母の怒声が響きわたった。次いで激しく争う音が聞こえてきて、急ぎミカエラを抱き締め結界を張る。音はすぐに止み、危険が去ったことに安堵しながら何事があったか気になったケンは怯えるミカエラを部屋に止め、一人客間へと向かった。その間、廊下に呆然とたちつくす下僕のメイドの様子に母に何かがあったのを察し足を早める。
    客間につくと、ぴりぴりと酷い緊張が扉越しからでも分かり恐怖を覚えた。覚悟を決め、そっと覗き込むと、ケンは驚愕した。

    悔しく顔をゆがめ、倒れこむ母の上に大きな白銀の狼が低く唸り、今にも噛みつかんと牙を向いている。
    「聞け。ガブリエラ。その時代錯誤の野望を捨てねば、待つのは破滅だぞ。」
    グルルと喉を鳴らす様とは真逆の、それでいて強い怒りを感じる静かな声に、母の顔がさらに醜く歪みいつもの金切り声が上がる。
    「人間に媚び諂うなど!竜の一族も腑抜けたものだな!!」
    「時代を読めと言っているのだ!!このままでは一族諸とも滅びるぞ!お前も親ならば、子に残すものを考えろ!!」
    吠え合い、縺れて離れると狼は吸血鬼へと姿を変え、母を一別し、ため息を吐いた。
    「…これが最後だ。ガブリエラ。……警告はしたぞ。」
    扉へと向かってくる男から逃げるよう、ケンは自室へと我武者羅に走り出した。

    母が負けた。
    母が負けた。
    母が負けた。

    ひどく息を切らし、転がり込んだ自室でケンは再び世界が崩壊する感覚に襲われていた。心臓が煩く跳ね、余すことなく全身に血が巡り熱く、苦しい。ひゅー、ひゅーと口から息を吸い込むがまるで肺に入っていかない。床に這いつくばってもがき、必死に立ち上がるとケンは棚からトランクを引っ張りだして、そのまま乱雑に物を詰め始めた。

    ケンにとって母は絶対的な強者であり、支配者であった。誰が挑もうとそれをはね除け、踏み潰す。そんな母を嫌悪し、同時に勝てぬと無意識に自分を縛り付け、諦めていた。自分はここで死ぬのだと。一生母からは逃げられぬ、逃げぬと。

    それが、あの恐ろしい吸血鬼により、覆された。

    母は絶対ではなく、ここの外には自分の知らない世界がある。知りたい世界がある。

    それは生まれた時から、実はケンの中にずっとあったものだった。

    劇的な衝動のままに、ケンはここを出ることを決意した。トランクを片手に走って、着の身着のまま整えもせず、普段着の洋装で玄関を出る。先ほどの騒動で怒りのままに暴れる母とそれを抑える親族たちとで屋敷は混乱しており、誰もケンを止めるものはいなかった。

    ここを出る。ここを出ていく。ここから出ていく。

    目を血走らせて、脂汗をかきながら玄関に立つ。ここから一歩、踏み出すことの意味の恐怖で足がすくみ、固まる。長年縛られ続けた呪いがケンを踏みとどまらせ、足が動かない。荒い呼吸を繰り返し、動けない自分の情けなさが悔しく、唇を噛みしめると牙が刺さり血が流れた。

    ここを出る。ここを出ていく。ここから出ていく!!俺は!!ここから!!出ていく!!!

    一歩踏み出そうとした瞬間

    「兄さん…!!」

    涙を流し、怯えるミカエラが腰につよく抱きついてきた。

    「何をしてるの…?」
    部屋で待ってろと言ったのに、帰らないケンを心配したのだろう。玄関に立つ兄の異様な様子に何かを感じたのか、その顔は怯えに疑念と懇願と困惑が混ざり合い、千切らんばかりに服を掴んだ手は震えている。


    俺が出ていったら、ミカエラはどうなるのか?
    しかし、このまま共に出ていったらどうなるのか?

    ケンも外の世界の全てを知らないわけではない。吸血鬼が人間にとってどういった存在で、それを退治するハンターの存在も知っている。しかもまがりなりにも自分はあの母の子供なのだ。バレたら同胞からもいい顔はされぬであろう。
    そんな中にツテもなにもない子供が飛び込もうとしているのだから、いつ野垂れ死にしてもおかしくはない。そんな危険に可愛い弟を連れ出すのか?
    しかし、今しかないのだ。今を逃せば、母は俺を逃がさない。そしてあの狼の吸血鬼が言ったとおり、一族諸とも滅ぶのだろう。母が警告など聞くわけがない。今ここで飛び出し、外でミカエラと生きる術を、場所を作らねばならない。二人で生きるために!!

    「ミカエラ!」
    しがみつくミカエラをはがし、きつくきつく抱き締めると、首に腕を回され抱き返される。肩口に染みる涙が辛く、決意がゆらぎそうだった。
    「っ…絶対、絶対に迎えに来る!迎えに来るから、まっていてくれ…!!」
    泣いて力の限り縋りつくミカエラを無理矢理振りほどき、屋敷の外へ走り出す。後ろから聞こえる兄を呼ぶ悲痛な声を無視して、泣きながら必死に走る。森を抜け、村を抜け、屋敷が見えなくなって、足が縺れ転んでも、酸欠で倒れかけても、とにかく走り続けた。

    長く苦しい日々が、突然終わった。



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