第60回「朝寝」 うっすらとしたまどろみの中、微かに視界に映る紅色を捉える。煩わしさにそれを避けて目の前の白い布に顔を埋める。頭を逸らして避けたはずのそれは再度垂れ下がり、再度頭を振ってぐりぐりと白い布に顔を押しつけた。ふと、柔らかさを感じると想定していた眼前の布が随分と骨身あることに気がついた。その違和感に無精にも閉じかけていた瞼を上げる。視界には想像通りの白い布、と赤い髪。想像と違ったのは、白い布が枕や布団と思うには角張っていることと、赤髪の濃さだ。自身の髪だと思っていたそれが隣で横になっている男のものであると認識するのに数秒かかった。
「・・・・・・」
朝が弱い自覚はない。けれど昨夜の記憶から飲み込みきれない状況に、寝そべったまま右手で自身の前髪を掴む。並べて見比べるとはっきりと色が違う。見紛うたのは寝ぼけ眼であったことと戸の隙間から入る朝日に照らされた故だろう。
次に右手を眼前の胴体に沿わせる。直接触れたことは未だなかったが、この体躯と髪色から予想をつけるのは容易であった。自身と違う太い骨と、布の下にある強靱な筋肉を彷彿とさせる凹凸の感触を暫し味わった。
どれほど経ったか、数秒ほどであったかもしれないその間の余韻を感じる暇もなくその体躯が身を動かした。夢うつつになり始めていた意識では対応できるはずもなく。意図せず頭突きをした形になる。硬い背中と、頭の間に挟まれた右手が痛みが走る。その出来事で漸く意識が明瞭としたのか、しっかりと数度瞬きをした後、認識してから頭の中を浮遊していた言葉を口にした。
「なんで君がここにいるんだ・・・・・・」
昨夜の記憶を思い出す。高杉はこっそりとシミュレーター内に足を踏み入れていた。これは昨日のマスターとの戦闘シミュレーションで使用した場所。遠方に見えた日本家屋がどうにも気になって、再度一人で見に来たのだ。
その家屋に人の気配はなかった。しばらく使われていないことは埃の被った箪笥から確信を持つ。庭も一本の大きな桜の木が植えてあるだけ。ただ日の当たりのいいそこはどうにも心地よく。今夜はここで寝入ろうと布団を勝手に引っ張り出したのだ。シミュレーターを拠点としているサーヴァントも幾人かいるようだし、一晩程度問題ないだろう。
そう判断しての事だったが、こちらを真っ直ぐと射貫く黄色い眼光によれば、どこかのお人好しが高杉の行く先を気にしていたようだ。それでわざわざ探しに来るなんて「返り忠」が嫌いと言うだけはある、といったところか。普段の様相はどう見てもバーサーカーのそれであるのに、こういうところだけ見れば扱いやすいサーヴァントかのようだ。一切、断じてそんなことはないのだけれど。
「来てみたらなかなか詫びさびのある屋敷じゃねぇかと思ってよ」
オレもここで寝ることにした、と続けた言葉を一先ずは飲み込む。何故その思考に至ったのか問うても意味はない。状況だけ見れば高杉だって人のことは言えまい。
「だからといって何故君が僕の布団にいるんだ・・・・・・」
「他になかっただろうが」
そもそもてめぇのじゃねぇ、とこちらを鋭く見やっていた森は身を起こす。身支度を始めた彼は、霊基を構成し直せば一発なのに一つ一つ装備を装着していく。
「おい、てめぇもさっさと着替えろ」
最後に赤い髪を結ぶのを頬杖をつきながら眺めていた高杉の顔面に、布が投げつけられる。昨夜脱いでそのままになっていた着物だ。
「そう急ぐことないんじゃないか?」
「あ? 何のためにきてやったと思ってんだ」
案にマスターにさっさと顔を出せと告げた視線に、いそいそと着物に袖を通していく。殆ど窓がないカルデアと違い、仮想といえどここには朝日が入り込む。もう少しこれを堪能していたかったのだがそうはさせてくれないようだ。仕方なしと腰布を絞めようと立ち上がると背後から髪を軽く引かれる。反射的に振り向こうとした頭は大きな手のひらに制止された。
「じっとしてろ」
言うが早いか、手早く結ばれた高杉の髪をしゅるりと手ぐしを通して整える。そして一瞬で興味を無くしたかのように布団をたたみ始めた。
なんのことはない、ただそれだけの出来事。気にも留めなかったこの結び目を、解くのが惜しくなるのはもう少し先の話。