言葉の裏側「ぐぁっ─」
シュウは人型の呪いから発する鋭い光に目を眩ませる。
視界は悪いが身体の感覚に影響は無いことを確認すると、服に忍ばせておいた式神を発動させる。
ぎゅっと手を握ると、式神に包み込まれた呪いはギチギチと圧縮されそのまま虚空に消えていった。
「ふぅ・・・。」
シュウはため息をこぼした。
人の呪いを祓う時はどうしても体力を使う。
愛情や憎しみ、恨み、様々な感情からの呪いを鎮めるのは容易いことではなかった。
まれに反発してこちらに呪いをかけてくるモノがいる。
上手く躱せる場合もあるが、どうしても避けきれない場合は何度か呪いをくらってしまうこともあった。
呪いをくらうと、涙がとめどなく溢れたり、食欲が止まらないなど、基本的には祓う相手の核にある混沌が症状として現れるのだった。
それが表にでるのは軽くて1時間程度や、少し厄介なものだと一晩のときもあったが、基本的に1件祓い終わると身体に負担がかかるので、次の仕事まで24時間以上は空けるようにしていた。
その為呪いの反動があっても、シュウの日常生活に大きな支障はなかった。
今日の相手は好きな相手に振り向いてもらえなかったことによる妬みの呪いだったが、症状は出るのだろうか。
しかし今の身体の様子からは特に何も異変は感じず、もしかしたら軽いもので平気だったのかもしれない。
ほ、と胸を撫で下ろし、シュウは愛する彼の待つ家へと向かうのだった。
「ただいまー。」
ガチャリと玄関のドアをあける。
「おかえり、シュウ。」
笑顔でこちらに歩いてくるミスタ。
玄関の土間のほうが少し低い為、普段はほぼ変わらない目線の彼を少し見上げる。
本人には伝えたことがないが、シュウはこうしてミスタに少し見下ろされる瞬間を気に入っていた。
普段は優しい彼の瞳が少し節目がちになって、男らしさが強調されているように感じてドキドキするのだ。
ぎゅ、と軽くハグを交わすとミスタが額にキスを落としてくれる。
「さ、着替えておいでよ」
「うん」
シュウは仕事で汚れた服を着替えに部屋へ向かった。
着替えを済ませ、リビングへと戻る。
「今日の仕事は大変だったん?」
ダイニングテーブルに腰掛けてチョコレートドリンクを飲むミスタがこちらに声をかけた。
─うん、少し大変だったけど大丈夫だよ─
シュウはそう口にした、はずだった。
しかし、耳に聞こえてきた自分の声は、違う言葉を発していた。
「ううん、楽勝だったよ」
「お、そっか、よかったよかった」
ミスタはニコニコと嬉しそうにこちらをみて笑う。
シュウはあれ?と思いきょとんとしていると、それに気づいたミスタも首をかしげる。
「どした?シュウ?」
「え、あっ、いや・・・」
「お腹すいた?今日はなんかデリバリーしよっか。」
ミスタがスマホを取り出してデリバリーサイトを検索しだす。
─うん、僕もお腹すいた。─
「僕はまだお腹すいてないや。」
「あれ?そう?じゃあ俺は先に軽食でも頼もっかな」
おかしい。
自分の発する言葉が、反転している。
シュウは目を泳がせるが、ミスタはスマホを見ている為こちらの様子には気づいていない。
これが、さっきの呪いの効果なのか。
冷や汗が頬を伝う。
「そういえば今日の昼に散歩にいったらさ、マフィンのキッチンカーが来てたから、シュウの分も買っておいた。また明日の朝にでも食べなよ。」
「っ・・・」
声を出すのが怖い。
しばらく黙っていると、ミスタがスマホから顔をあげシュウの方に目をやる。
「シュウ?」
流石に黙っていられず、返事をする。
─あ、ありがとう。─
「そーゆーの、迷惑なんだよね。」
「・・・は?」
ミスタの表情が一瞬で曇る。
「ッ・・・!!」
ビクッと身体が固まる。
全身から血の気が引く。
はっ、はっ、と呼吸が浅くなる。
これ以上ここにいたら、ミスタを傷つけてしまう。
ガタッ─
「おい、シュウ!」
ミスタの顔を見ることもできずに、自室に駆け込んだ。
ガタガタと震える身体を両手で抱きしめ、ドアの前で座り込む。
「シュウ、開けて。」
ドンドンと叩かれる扉。
ミスタの声は、低く、冷たい。
ミスタを怒らせてしまった。
「・・・・・・。」
恐怖で言葉がでない。
先ほどの言葉が呪いのせいだとはわかっているが、こんな症状は初めてで、さらに人を傷つけてしまうようなことはシュウ自身の信念に反する。
下手に言葉を出して彼をこれ以上怒らせたりしないよう、シュウは黙りこけた。
「ッチ・・・はぁ・・・」
シュウからの返事がないので、扉の向こうでミスタがため息をこぼす。
どうしよう。どうしよう。
混乱したまま扉に体重をかけて、膝に顔を埋めた。
しばらくすると、何度かノックされて続けていた扉がピタリと動きを止める。
ミスタの声も聞こえない。
ついに、呆れられてしまった。
ミスタを傷つけて、嫌われてしまった。
ボロボロと涙が溢れる。
─ミスタ、行かないで、側にいて─
「あっち行ってよ。ほんと、清々する。」
思わず漏れた言葉が、また毒を吐く。
「っ・・・!!」
自分から発する言葉が許せなくて、自分でぎゅっと首に手をかける。
「・・・っか、は」
息が苦しい。
自分の爪が喉に食い込んで刺さっているような気がする。
それでも胸のほうが痛くて、苦しくて、それをかき消すように手に力を入れようとした瞬間。
ドンドンドン!!!
「おい!シュウ!何してんの?!」
ミスタの焦った大声と共にドアが叩かれる。
まさかミスタがそこにいるとは思わず、驚いて手が離れた。
急に息が肺に送り込まれ盛大にむせる。
「─ッ!!っは、ゴホッゴホッ─」
ぽたりと口から涎が落ちる。
視界がぐらぐらと揺れる。
はぁ、はぁ、と肺に空気を送りながら力の入らない身体で壁にもたれると、コンコンと静かにドアがノックされた。
「・・・シュウ、入ってもいい?」
先ほどまでとは違って、いつもの優しいミスタの声。
無理やり入ってこないところがまた、彼の優しさが滲み出ていた。
今すぐ抱きしめてほしくて、シュウは扉に向かってか細く声を出す。
─いいよ─
「だめ・・・!っ・・・ひぐっ・・う゛、あぁ・・・」
自分の言葉が耳に届いた瞬間、シュウは再び泣き崩れた。
もう自分にかかった呪いのことなんて忘れてただただ、心が苦しかった。
シューウ。
シュウくん。
シュウ、泣かないで
しばらく泣き続けているシュウに、扉の向こうでは何度も、何度も、自分の名前を呼んでくれるミスタ。
こちらから迎え入れるまでは、自分からは扉を開けてくることはしないのだろう。
すっかり泣き疲れたおかげで、少し冷静になってくる。
そうだ、これは、呪い。
好きな相手に振り向いてもらえなかった妬みの呪い。
天邪鬼で、うまく気持ちを言葉にできなかったのかな、と思うとそれもまたズキリと胸が痛んだ。
ずび、と鼻をすするシュウ。
「シュウ、落ち着いた?」
ミスタが声をかけてくれる。
しかしここでまた言葉を発しても、きっと反転してしまう。
返事をしたいが、ぐっと言葉を飲み込んだ。
扉の向こうでミスタは、シュウからの返事はないが、彼が言葉を発したくないということを察していた。
「ねぇシュウ、喋らなくて良いからさ。ここ開けてよ。シュウの顔が、見たい」
その言葉を聞いたシュウはゆっくりと身体を起こし、かちゃ、と自室の扉を開ける。
目の前にいたミスタは、眉を下げ、寂しそうに、でも口元は笑っていた。
「やっと、顔、みえた」
「─っ・・・」
耐え切れず彼に抱きつく。
顔が首もとに触れる。
ミスタの温もりと安心するにおいに縋り付く。
「はは、シュウ、そんなに強く抱きしめたら苦しいよ」
そう耳元で笑いながらも、ミスタも同じくらい強く、自分を抱きしめ返してくれた。
ゆっくりと身体が離れると、ミスタは両手をシュウの頬に当て、じ、っと目を合わせる。
「シュウ、大好き。」
「っ・・・・・・・」
今、ここでまた想いを口にすれば反転してしまう。
・・・ということは、逆の言葉を伝えればいいのでは?
『ミスタなんてだいきらい』
頭の中で反対の言葉を並べてみるが、嘘でもそんなことは口にしたくなかった。
プルプルと頭を振るシュウ。
「ねぇシュウ。大丈夫だから。俺の目見ながら、言葉にしてみて」
よしよしと頭を撫でて、シュウの瞼に軽くキスを落とすミスタ。
「───・・・。」
吸い込まれそうな彼の蒼い瞳を見ながら、こくり、と小さく頷く。
─ミスタ、大好き─
「ミスタなんて、大っ嫌い」
やっぱり。
言いたくなかったのに。
ぷるぷると唇が震え、視界がぼやける。
「ははっ。泣かないの。大好きって言ったんでしょ、わかってるよ」
「・・・なんで・・・」
「なんでって・・・。顔にかいてる。」
ミスタは笑いながら、シュウを見つめる。
そして、よいしょ、とミスタはシュウを持ち上げてリビングまで連れて行く。
ぽすん、とソファに座るミスタと、その上にまたがるようにして向かい合わせに降ろされる。
「じゃ、俺とおしゃべりね」
「!?!?」
彼は何を言っているのだ。
口をひらけば思ってもないことばかりで、あなたを傷つけることしか言えないのに。
左右に首を振れば、むぎゅ、と顔を掴まれてまたしてもじっと目をあわせてくるミスタ。
「どうせ今回も呪いの類でしょ?いつもみたいにそのうち治るよ。
それに、シュウが心から思ってることを話せば、ちゃんと俺には伝わるの。だから、大丈夫。」
そう。
呪いにかかって涙が止まらなかった時、ずっと隣で涙を拭ってくれたのは彼で。
食べても食べてもお腹が空いてしまう時も、ニコニコしながら食事を出してくれたのも彼で。
今日もこうして、自分の側にいてくれるのは、ミスタなのだ。
彼なら、自分の全てを受け入れてくれる。
頬に添えられたミスタの手に、そっと自分のそれを重ねて、すり寄せた。
「・・・今日の相手は厄介だった?」
「ううん、全然余裕だった」
「明日はゆっくりできるんでしょ?」
「明日も忙しいから邪魔しないで」
「朝は買ってきたマフィン食べて、何しようか」
「マフィン嫌いなんだよね。1人にしてほしいな」
「ははっ。反転してるとはいえシュウからそんな言葉聞くの初めてだからちょっと新鮮」
「っ!!」
ごくりと息を呑むシュウ。
不安そうにゆらりと揺れる紫の瞳を見て、ミスタはぎゅっと手を握り、シュウの鼻先にキスを落とす。
「ほら、わかってるから、話、続けて。」
「・・・ずっと文句言いたかった。おかげで悪口言えてスッキリしたよ」
「ん〜・・・それはごめん。でもなんか俺の勘?だけど、ずっと喋らないままだったらそれ治んないんじゃないかなーって。」
ちゃんと自分のことを思って、この会話をさせているのかと、シュウは素直に驚いた。
さすが探偵だけある、洞察力や勘はかなり鋭い。
「・・・そういうとこほんと嫌い。」
ぽつりと零れる反転言葉。その顔は言葉とは真逆に、真っ赤に染まっていた。
「・・・俺も、シュウが大好き。」
ミスタはまた笑って、シュウを引き寄せる。
重なる唇。何度も、何度も、重ねあう。
言葉ではなく、身体で、自分の気持ちを伝えるように。
「はぁ・・・っ」
苦しくて顔を離す。
そのままこてん、とミスタの胸に頭を埋めた。
「ふふ。かーわい」
よしよし、と頭を撫でてくるミスタ。
なんだか彼が愛おしくてたまらなくなる。
反転してる今なら、普段いえないことも、伝えられるかも。
そう思って、ぽつりと彼の胸に言葉を漏らした。
「・・・・・・愛してる、ミスタ」
あ、れ?
「えっ・・・?!」
ミスタはガバッとシュウの肩を持ち身体を引き離す。
お互いの視線が重なる。
「・・・・・・シュウ?」
「あ、え・・・と」
また、顔を真っ赤にして黙り込むシュウ。
ミスタはぱちくりと瞬きをすると、ゆっくり口を開いた。
「・・・おなか、すいた?」
「・・・すいた」
「もう、体は平気?」
「へ、いき」
「俺のこと、好き?」
「・・・・・・好き」
「シュウ、愛してる」
「ぼくも・・・ミスタのこと愛してる」
ふふ、と2人でおでこをくっつけて笑い合う。
そしてまた視線が重なると、シュウは静かに目を閉じた。