重なる想いBGMも何もない部屋でアイクは一人、椅子に座って本を読んでいる。
自分の周りには茶色く古びた本が並んだ棚がたくさんある。
祖父母の家を思い出させるような独特の懐かしいにおいに包まれながら、目の前の文字に集中する。
「・・・あの、すみません。」
ハッ、と顔をあげると、そこには一人の男性が。
「あぁ、すみません、気づかずに。いらっしゃいませ。」
いらっしゃいませ、というのも、ここは古書店なのだ。
アイクの知り合いのお爺さんが営んでいるのだが、最近どうも体調を悪くしたようで、少しの間アイクが変わりに店番をすることになった。
めったにお客さんは来ないから、好きなだけ本を読んで過ごしていいよ、と告げられていた。
目の前に立つ男性は、自分と年齢も変わらないだろうと思うほどに若い見た目だった。
「・・・あの、店主は?」
さらりと銀髪が光る彼が口にしたのは、この店の主人のことだった。
「あ、ちょっと体調を崩したみたいで休んでるんです。それで私が店番を。」
「そうだったんですね・・・」
「心配しないでください、元気すぎて調子に乗って全力で朝のラジオ体操をしたら腰をやってしまっただけみたいなので。」
はは、と呆れた笑いを溢すと、彼も安心したように笑ってくれた。
「それで、彼に何か御用でしたか?」
目の前の男性に問いかける。
「店主に渡したいものがあって。」
ゴソ、と鞄から原稿用紙を取り出す。
「これは──」
「・・・まだ拙いですが、物語を書いているんです。それで書き上がったら店主に見ていただく約束をしていて。」
「そうだったんですね。これ、渡しておきましょうか?きっとあの人も腰以外は元気で暇してるでしょうし」
「本当ですか?ありがとうございます!」
「ちなみにお名前をお伺いしても?」
「あぁ・・・ファルガー、といいます」
「ありがとうございます。伝えておきますね。」
ファルガーはペコリと頭を下げると店を後にした。
アイクは軽い好奇心から、彼の作品に目を通す。
綺麗な文字と、流れるように読める言葉の表現力に、一気に世界観に引き込まれていった。
気づけば外は真っ暗で、店を閉める時間もとっくに過ぎていた。
預かった原稿をもって急いで店のシャッターを降ろすと、店主のいる病院へと向かった。
「よぉアイク。」
お爺さんが元気そうに片手をあげる。
「元気そうで何よりだよ。」
「はっは、ワシは元気なんやが動くと怒られるからなぁ!」
「すぐベッドから降りようとするのよこの人。」
隣に座る奥さんがため息混じりで話すものだから、思わず想像できる姿に笑ってしまう。
「そうだ、今日お客さんが来てね。ファルガーくんが、原稿を持ってきてくれたよ」
「おぉ!坊主か!暇しとったんじゃ、うれしいのぉ。」
原稿を受け取った彼はそのまま手元に目を写した。
真剣な表情。彼も若い間はいくつかセラー本を出すほどに立派な著者だった。
一度スイッチが入るときっと読み終わるまでは声は届かなくなるのをアイクは知っていたので、奥さんに軽く挨拶をして病室を後にした。
それから数日後、お爺さんからファルガーの原稿を預かると、そこには赤ペンで誤字脱字や、表現の添削がされていた。
あんな陽気なお爺さんだが、文章に対する熱量は熱く、そういうところを本当に尊敬していた。
それをカバンにしまい、任せられた店番へと向かった。
また静かな店で、今度は本を読むのではなく、原稿にペンを走らせるアイク。
ファルガーとお爺さんを見ていると、なんだかまた自分でも筆を取りたいと思ってしまったのだ。
しばらく文字を書いてないのでリハビリにと前回ファルガーと出会った時の話を元に、主人公が一人の男性と出会う話の前置きを執筆してみた。
ふと目の前に影ができる。
また人が来るまで気づかないほど集中していたようだ。
ふと顔をあげると、見知った顔が。
「こんにちは。」
「やぁ、いらっしゃい。ファルガー。」
「あなたも、執筆されるんですね」
「・・・趣味程度、ですよ。あと名乗り忘れていましたね、私はアイクと言います。」
「アイク、さん」
「アイクでいいですよ。」
それから二人で色々話をした。
彼とはかなり趣味や好きな本が似ていることもあり、すぐに打ち解けることができた。
「そうだ、店主から君の作品を預かってきたよ。」
鞄にいれっぱなしだったそれをファルガーに渡す。
「あぁ、ありがとう・・・。すごいな、丁寧に添削してある」
「ほんと、あの人はすごいよ。師匠なんて呼んだら喜んじゃうから絶対に言わないけど、それくらい尊敬してる。」
「ふふ、本人に言わないってところがまた面白い、が納得はいくな。」
「でしょう?・・・さて、そろそろ店を閉める時間かな。」
トントンと自分の使っていた原稿やら何やらを片付けるアイク。
それを見ていたファルガーが声をかける。
「その小説は、書ききるのか?」
「いや、久しぶりに書きたくなっただけだからきっと完成しないよ。ただの落書きさ。」
「・・・よかったら、一緒に書かないか?」
見上げたファルガーの表情は、夕焼けの逆光でよく見えなかった。
別れる時に、自分の持っていた原稿をファルガーに渡す。
交換日記のように、それぞれが一章ずつ続きを書くことになったのだ。
ファルガーも自分の仕事を持っているため、彼は週に一度か二度ほど店を訪れた。
そのたびに原稿が増えるのがアイクの小さな楽しみになっていた。
始まりは、一人の男─イヴ─が満員の喫茶店で、向かいに知らない客と相席になるところから。
毎日その喫茶店に通っていたイヴは、顔見知りのオーナーから相席を頼まれてもちろん、と了承する。
そのまま相手を気にすることなく、イヴはお気に入りの小説を一人で読んでいた。
すると、相席になった相手がこちらに話しかけてくる。
自分の読んでいる本が気になったようだ。
それはかなりマイナーな本でまさかそれを知っている人がいるとは思わず、彼と意気投合したのだった。
彼の名前はヴィルというらしい。イヴは毎日この喫茶店にいることを伝えれば、ヴィルは笑ってまた来ますと約束するのだった。
それからヴィルは何度か喫茶店を訪れるようになり、その度にお互いに好きなものを好きなだけ語り尽くすようになった。
とある日、ヴィルが喫茶店を訪れるがイヴの姿がない。
用事でも出来たのかと思い気に留めてなかったのだが、何度行っても彼に会えることはなかった。オーナーに聞いても所在はわからないという。
ヴィルの胸にはぽっかりと大きな穴が空いてしまったようだった。
連絡先でも交換しとけばよかったとヴィルは後悔する。
いつものように定位置の席でアイスコーヒーを頼むと、ふと机に置かれているナプキンスタンドが目に入る。
そこにはナプキンに隠れて栞が挿さっていた。
気になってそれを手に取ると、見覚えのある深青色の栞。よく見てみると裏になにか文字が書かれている。
『君の気持ちは、僕の気持ち xxx通り-219』
一筆と、どこかの場所を表すような文字列。
ヴィルはコーヒーを飲み干すと、書いてある場所へと向かった。
ヴィルがイヴに会いに行く途中に考えていたのは、なぜこんなにも自分は必死に彼に会いに行こうとしているのだろうかということだった。
喫茶店で定期的に楽しい時間を過ごしていただけだと思っていたのに。
ヴィルは無意識に毎日イヴのことを想い、逢瀬を楽しみにしていたのだ。
書かれている住所であろう場所にたどり着くと、ベランダによく知った人物が立っていた。
「─アイク!」
アイクはベランダに折りたたみ椅子を置いて、暖かい陽射しを浴びながら読書をしていた。
外から自分を呼ぶ声が聞こえて、パタンと本を綴じてベランダから下を覗く。
「やぁファルガー。よく来たね」
にこりと笑うアイク。
「・・・まさか本当に小説のようになるなんて」
「はは。僕はファンタジーより自伝のほうが得意なんだよね。」
アイクは、お爺さんが復帰したタイミングで古書店から姿を消した。
ファルガーに告げることなく。
それでも店主を通じて原稿を彼に送りつけると、ファルガーも返事を返してくれるようになった。
一応お爺さんには悪いとは思っているので原稿を送りつけると同時に菓子折りを一緒に添えると、ファルガーに自分の居場所を伝えないという約束をしっかり守ってくれたのだった。
こっそりとファルガーに恋心を抱いてしまったアイクは、小説の中にその想いを隠すことにした。
そして、自分のお気に入りの本に挟んでいた栞に、住所を記載しておいて古書店に置いてきたのだ。
もし彼がそれに気づけば、自分に会いに来てくれるかもしれないという淡い期待を持って。
小説の中で、アイク─イヴ─の想い人が自分の元へ向かう。という内容を送りつけてから数日後。
本当に、彼が現れたのだ。
「玄関においで」
ベランダから部屋の中へ戻ると、ファルガーを部屋に招く。
小走りで自分のもとへやってくる彼を見て、アイクは内心喜びで溢れていた。
久しぶりに会った彼は、少し髪が伸びたように感じる。
「まぁ、上がりなよ」
部屋に入るファルガー。
うちにこれしかないんだよね、とお気に入りのエナジードリンクの缶を差し出すと、その手を掴まれる。
「・・・アイク」
「なに?ファルガー」
「さっきあなたは、自伝が得意と言った。」
「・・・まぁね。」
「イヴの気持ちは、ヴィルと同じだと。」
「ヴィルの気持ちは、僕にはわからないけど、ね」
最後まで意地の悪い言葉ばかり紡いでしまう。
筆者の気持ちを答えよ、と言われても筆者にも気持ちはがわからないのである。
「じゃあ教えてやるよ、ヴィルの気持ち。」
そう言うと、ファルガーはアイクの腕を引き、ぎゅっと抱きしめた。
ゴトン、とエナジードリンクが床に落ちる。
開けたら吹き出ちゃうなぁ、なんて考えながら、高鳴る鼓動の音を聞こえないフリをした。
さぁ、物語の続きはどうなるのだろうか。