MintCandy軸IronyPBお昼下がりの眠くなる頃、突然スマホに一件の通知が入った。
送り主は、最近仲良くしてくれてるPicoの友人だ。彼の方から連絡があるのは珍しく、何事かと思い返信をすれば、「直接会って話がしたい」と言われたのだ。
そうして呼び出されたのは彼の住んでいるマンション。
Picoのアパートとは違い、白を基調とした明るくスッキリした、まさにできる男の部屋に足を踏み入れた僕は、すごく緊張していた。
彼はそんな僕を見て、楽にしてくれ。と言ってくれたが、これから何を話されるのかということも相まって、案内された椅子に座ることが精一杯だった。
キッチンから、「紅茶でいいか」と声が響く。
僕はそれに小さく頷く。
じっと待っていることも出来ず、つい部屋を見渡す。Picoとは違う、大人な部屋。いや、決してPicoが子供っぽいというわけではないのだが、それでも雰囲気があまりにも違う部屋に興味を引かれる。
彼がマグカップを二つほど持ちダイニングまでやってくる気配がしたので、見渡していた視線を急いで前に向ける。
彼は僕の目の前にマグカップを置きながら、「砂糖は好きに入れてくれ」と一言添える。
「ありがとう」
「ん」
彼は、僕の正面に腰掛けると、マグカップに入った紅茶を一口啜る。
じっ、と静かに僕を見つめるその目が何故か怖くなって、慌てて目を逸らす。
流れる沈黙。
耐えきれなくなって、僕は彼に問いかけた。
「…話って?」
恐る恐るそう尋ねる。声は震えていたかもしれない。
しかし、彼はなんともないと言った様子で話を進める。
「カイと何かあったのか」
時間が止まる。
正確には止まった気がしただけなのだが、今一番聞かれたく無いことを突かれてしまい、息が詰まる。
「な、なんでそんなこと聞くの…?」
あからさまに動揺しているのがわかるが、そう聞かずにはいられなかった。
何故こんなにも的確に人が避けていることを突いてくるのだろう。
彼の目が、こんなにも怖く感じる日が来るなんて。
「最近、あいつのことあからさまに避けてるだろ?わかりやすすぎるぞ」
「そ、それは…」
目を伏せ、マグカップの中で揺れる紅茶を見つめる。
実際、自覚はあった。
けれど、それを誰かに指摘されるとは思ってもいなかった。ましてや、赤の他人に。
「率直に聞くけど、なんで避けてるんだ?」
全てを見据えたような目。
色を失ったような彼の白目は、Picoに似ているが少し違う。
吸い込まれそうで、見ていると戻って来れない場所まで連れてかれてしまうのではないか。そんなことを思わせる目をしている。
彼に嘘は通じないだろう。直感でわかった。
「ずっと一緒にいるの…変か、な……って」
自分で言って恥ずかしくなり、思わず俯く。
目の前の彼は、驚いたようにぱちくりと瞬きをする。
「今更じゃないか?」
なんてことを言われてしまい、顔から湯気が出る思いだ。
「い、言わないでよ…」
僕は顔を覆い隠しながらそう呟く。
わかってはいたが、実際口にされると言い様のない恥ずかしさに、思わず声が小さくなる。
僕がわかりやすく黙ってしまったのを察してか、彼は話を続ける。
「まぁ、距離は近いとは思うけどな」
「やっぱり…?」
改めて言われてしまうとなおのこと恥ずかしくなる。
つい最近まで、そんな当たり前のこと、気にしたこともなかったが、やはり他人から見ても僕とPicoの距離は近いらしい。
小さい頃から何かと一緒に行動することが多くて、気がついたら大人になるまで、こんな距離感だっただけだ。深い意味は無い。
「Picoは友達だから…一緒にいると楽しくて、それで…」
そう。友達だから。友達は一緒にいると楽しい。
特にPicoは誰にでも優しいし、例外なく僕にも優しい。だから一緒にいる。
今までも幾度となくPicoに助けられた部分も多くある。そう、それだけだ。
「なら別に避ける必要もないじゃないか」
「うっ…」
正論をぶつけられ何も言えなくなる。
「それともなんだ?あいつのこと嫌いになったとかそういう理由か?」
「違うよ!」
ハッとなり慌てて口を抑える。
「ごめん」
「いいよ。気にすんな」
思ったよりも大きな声が出て自分で驚いてしまった。
Picoを嫌いになるなんて、そんなこと有り得るはずがない。
Picoは僕の友人で、親友だ。
けど、最近考える。友人だと思っているのは自分だけなんじゃないか。
Picoは優しいから、僕が家に行くのも、一緒に出かけるのも、一緒に寝たりすることも受け入れてくれているだけなのでは、と。
今まで考えもしなかったことを、時たま考えるようになってしまった。
友人として嫌われることが怖くて、そのせいで体が自然と距離を空けてしまっていたのだ。
「でも、なんで急にそんな風に思ったんだ?あんたらのことなら、今までだってそういう事があってもおかしくなかっただろ」
なんだってこのタイミングなんだ。と聞かれてしまい、僕はまた言葉を詰まらせる。
「そ、それは…」
理由を説明しようにもどこから話せばいいやら。
さすがに、きっかけが「友人の夜の営み話のせい」とは言いづらく、しどろもどろになる。
「と、とにかく!色々あるの!」
説明するのがめんどくさくなり、僕はゴリ押しで話題を変えることにした。
彼もなんとなく理解してくれたのか、それ以上の詮索をすることなく、何も言わずに引いてくれた。
「とはいえ、さすがに何も言わずに避けるのは良くないだろ」
しかし、この場からは逃がしてくれないらしい。
確かに、自分のためにもPicoのためにも、このまま無言で避け続けるのは良くない。
けど、正直なところ自分の本心がわからないのだ。
一緒に行動することが嫌なわけでも、Picoが嫌いなわけでもない。
ただ、Picoの近くにいるとなんとも言えない気持ちになるから避けているのだ。
「嫌なら嫌って言えばいいだろ。なんか言えない理由でもあんのか?」
「ちが…くない、けど」
言えない。
正確には、どう伝えたらいいのかわからない。
近くにはいないで欲しい。けど、近くにはいて欲しい。
そんなあべこべな感情に、自分でも混乱している。
「だ、って…困らせちゃう、から」
ポロッと、自分から零れた思いは、本心だった。
一緒にいたい。けど、一緒にいると苦しい。
そんな自分なんかが近くにいたらPicoを困らせてしまう。
どうしたらいいか、わからなかった。
「それ、あいつには言ったのか?」
首を左右に振り否定する。
言わなくてはならない。けど、言ったら友達じゃなくなってしまう気がして怖かった。
「あいつと知り合ってまだそんなに日が経ってないけどさ、あんたにそれ言われて、困るって思う奴じゃないだろ」
それ、あんたが一番わかってるんじゃないのか?
そう言われて、彼の顔を見る。
優しそうに微笑みながら話を聞いてくれている彼が、嘘を言っているとはとても思えなかった。
Picoは優しい。僕の知っている誰よりも。
それを一番理解しているのは、今までいつも一緒にいた僕だ。
なんで忘れていたんだろうか。
「うん、そうだね」
僕が同意を示すと、彼はにこやかに微笑み返す。
僕は立ち上がりながら、彼にお礼を述べる。
呼び出されたのはこちらのはずなのに、いつの間にか相談に乗って貰ってしまっていた。
彼は僕を玄関まで見送ってくれると、Picoによろしく伝えてくれ、と一言添えた。
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いつもの休日。いつもの部屋。
唯一違うとしたら、いつもいるあいつがいないぐらいだった。
最近、BFにあからさまに避けられている。
何かした自覚はない。本当に突然だ。
いや、もしかしたら気が付かない内に何かしてしまったのかもしれない。
けれど、それを直接本人に聞くことも出来ず、既に一週間が経過しようとしていた。
毎日のように俺のアパートに足を運んでいたBFは、いつしか急に訪れることがなくなり、心配になって連絡をとっても、返ってくるのは素っ気ない返事のみ。
さすがに耐えきれず、友人である"リン"に相談せざるを得なかった。
俺はスマホを取り出すと、リンに電話をかける。
「…ってわけなんだけどよ、なんか知らないか?」
「俺が知るわけねえだろ…」
「だよなぁ…」
返ってきたのは当たり前の反応。
それもそうだ。リンはただの友人で、BFのことは俺を通してたまに顔を合わせて遊ぶ程度だ。どちらかと言うとリンの恋人の方がBFに詳しいまである。
しかし、俺はそいつの連絡先を知らない。
「いつも一緒にいただろ?何か思い当たることないのかよ」
「それがちっとも…本当に急になんだよ」
「隠してた本でもバレたんじゃないか?」
「ばっ…!冗談でもやめろ!一番ヤバイじゃねえかそれ」
スピーカー越しにクスクスと笑う声がする。
とは言いつつも、完全に否定できないのが恐ろしい。
なんなら可能性があるとしたらそこだ。急に冷や汗が湧き出す。…あとで隠し場所見直そう。
「悪い悪い。まぁ、俺は本当に知らない。Rockはどうか知らないけど」
仕方がない。彼ですら知らないというのならもう自分で確かめるしかないだろう。出来るかは分からないが。
リンにお礼を短く告げ、スマホの受話器に指を添える。
「あー、ちょっと待て」
通話を切ろうとした寸前で止められる。
なんだ?と、またスピーカーを耳に当てると、リンは思いついたというようにこう言った。
「俺が聞いてやろうか?」
「…は?」
「だから、俺が直接避けてる理由聞いてやろうかって言ったんだよ」
いや、それはわかっている。
「もちろん、お前がそれでもいいって言うならな。報酬は次のイベントの交通費奢りでいいぞ」
答えはもちろんYESだ。
俺はリンにこれでもかというほどお礼を伝えた。
そんな事があって数日。
あれからリンからも、もちろんBFからも連絡はない。
俺は今までにないくらい私生活がままならなくなっており、ただスマホに映し出されるネットニュースをひたすら見つめる日々を送っていた。
ピコン。
ネットニュースを映し出しているスマホに、突然一件の通知が来る。送り主はリンだった。
『あんたのとこのBFと話した。今からそっち行くとさ』
突然の朗報に、俺はベッドから飛び起きる。
BFが家に来る?
嬉しくて気が動転している。
今まで数え切れないぐらいBFには会っていた。
それなのにも関わらず、一週間ちょっと会えなかっただけでこの有様だ。自分でも引くぐらい、相変わらず拗らせ具合が相当だ。
だが、今はそれでも良かった。
何よりBFにまた会える、それだけで嬉しかった。
家のインターホンがいつ鳴るのか、ソワソワしながら待つ。
時折、玄関のドアの覗き穴からBFがいないか確認しては玄関先でウロウロする。
ピンポーン。
部屋中にインターホンの高らかな音が響く。
聞こえるやいなや、待ってましたと言わんばかりにドアを勢いよく開ける。
目の前には今までずっと見てきた懐かしい顔があった。
「ぴ…」
「BF…!」
思わず抱きつきそうになるが、すんでのところで抑える。
BFはびっくりしたようにこちらを見つめたかと思えば、俯いてしまった。
「……上がれよ」
俺の一言に、BFは少し迷ったようだが、数秒してからいつものように俺の部屋に足を踏み入れた。
いつものように靴を脱ぎ、いつものように部屋に上がり、いつも彼の定位置になっているベッドに腰掛ける。
一週間ちょっとぶりの、短いようで長かった懐かしの光景を、俺は噛み締めるように見つめている。
とりあえず、まずはこの高鳴った胸を抑えるべきだ。
今までどうしていたっけ。
いつもしていた事が急にわからなくなってしまった。
BFの後ろを着いていきながらそんなことを考える。
「コーヒーでいいか?」
「あ…えと、うん」
今まで経験したことがないどぎまぎとした空気に、手が震える。
おかしい。今までずっとやってきたことなのに。
BFが家にいてくれるだけで、こんなにも動揺するなんて。
湯を沸かしている最中ですら、俺の心臓はバクバクと音を鳴らし続ける。落ち着く気配なんて全くない。
BFのために牛乳と砂糖を自分のとは違うマグカップに入れる。
良かった。これだけは忘れることが出来ない。
「悪いな、インスタントで」
「ううん、平気。ありがとう」
BFにコーヒーを渡し、俺は床に座る。
BFは俺の渡したコーヒーを、フーッフーッと冷ますと、そのまま一口啜る。
あちっ、と呟きながらコーヒーを飲む姿は会わなくなった前からと変わらない。
まぁ、一週間程度で変わるわけもないのだが。
訪れる沈黙。いつもなら尽きることの無い会話も、今回ばかりは続くどころか話題すらなかった。
しかし、その沈黙を破ったのはBFだった。
「僕ね、Picoに謝りたくて」
俯きながらそう言う。
「Picoと一緒にいる、ほんとは楽しいのに、迷惑かなって思っちゃって、」
そんなわけない。何故そんなことを考えたのだろうか?だが、今は静かに聞く。
「だから、」
BFは続ける。
「だから…」
声が震え始める。
「僕、」
それはまるで、泣いているような。
「Picoのこと、好きなのにぃ……」
BFは泣いていた。
声を押し殺すように、静かに泣いていた。
「僕、Picoのこと好きなのに…ッ、一緒にいると変なこと考えちゃって、でも、Picoと離れるのは嫌で、だから、だから、」
上手く文がまとまらないのか、継ぎ接ぎになった文を必死に繋げて喋るようなBFはいつもとは全く予想ができない様子だった。
「好きでごめんね……」
気がつけば、俺はBFを抱きしめていた。
苦しい。嬉しすぎて胸が張り裂けそうだ。胸の中でグズグズと泣いているBFが愛おしくてたまらない。
なんでこんなにも尊いのだろうか。
そしてなぜ、彼の一番の友人を演じてきたというのに理解してあげられなかったのだろうか。
そんな自分を、心の底から殴りたい。
けれど、
「大好きだよ…俺も」
今は、俺のためにこんなにも泣いてくれている彼を抱き締める他なかった。