テントの隙間から白み始めた空が覗く。
鳥のさえずり、遠くに聞こえる馬の嘶き。
新しく始まる朝の気配の中、イレブンは目を覚ました。
Sweet mess
近くを流れる川で顔を洗い、身支度を整えていると、仲間たちも一人、また一人と起き出してくる。
挨拶を交わし、それぞれが支度を済ませて、ある者は朝餉の用意を、ある者はテントの片付けを、ある者は道具類の確認を。
前の晩に決めていた通り、全員がてきぱきと分担をこなしていく。
これがキャンプで夜を明かした際の習慣となっている。
出来上がった朝食を取りながら、皆で一日の計画を立てるのもそのひとつ。
「今日はどこまで行ってみようか」
「町に着いたら何をしようか」
そんなことを話し合う時間も、常々戦いに身を置く彼らにとっては、大事な憩いのひと時であった。
「ここ、きっと何かあるよ」
最初に食事を終えて地図を眺めていたイレブンが、ある場所を指先でトントンと叩く。
カミュが隣から覗き込むと、キャンプ地から随分と離れた岩場の奥に、ぽっかりとした空き地のようなものが描かれていた。
イレブンには妙に勘が働く時がある。
これまでにもその勘を頼りに進んで、初めて見る素材や隠されたように佇む宝箱を見つけたことが何度もあった。
そのためカミュをはじめとする仲間たちは、『出たよ、イレブンの寄り道好きが』などと軽口は叩くものの、いつも文句を言わずについてきてくれる。
「とりあえずの行き先は決まったわね!」
ベロニカの元気な可愛らしい声に、皆が笑顔で頷いた。
それから数時間後。
勇者の勘と地図を頼りに歩いてきた一行は、朝イレブンの示した場所で、珍しい素材を見つけていた。
「今日も冴えてるな、相棒!」
「イレブン様、流石ですわ!」
仲間たちは事ある毎にイレブンを褒めてくれる。
それが彼には嬉しくも少し恥ずかしくもあり、いつもはにかみの笑みがこぼれた。
ただ、今日の勘は少し外れていたらしい。
「根こそぎ頂いちゃいましょ!」
シルビアの言葉を皮切りに、素材の採取に取り掛かる。
珍しい素材が相手だからか皆いつもよりも集中していたのだが、その集中力が仇となってしまう。
いつの間にか三体の魔物に囲まれていたことに、誰一人として気付けなかったのだ。
「イレブン!」
最初に気付いたカミュが叫ぶ。
イレブンは反射的に背中の両手剣を抜くと、そのままの勢いで魔物に斬り付けた。
(浅い!)
斬撃に手応えのなさを感じ取り、次に備えて体勢を直す。
すると魔物は、仰け反った姿勢から起き上がる反動を利用して攻撃を繰り出す。
狙われたのは、イレブンではなくセーニャだった。
魔物からの重い一撃に、セーニャが倒れる。
これに激昂したベロニカがベギラマを放ち、激しい炎が魔物の群れを包む。
二体は残ったが、セーニャを襲った魔物はその場に崩れ落ちた。
ベロニカは『ふん』と鼻を鳴らすと、すぐさま次の呪文の詠唱に移る。
「もう一発お見舞してあげるわ!」
だが、僅かな隙を突いて魔物が先に呪文を唱えた。周りの空気が一点に集まり、大爆発が起こる。
魔物が唱えたのはイオラで、パーティ全員が大きなダメージを負ってしまった。
回復役を担うセーニャが倒れたことは相当な痛手だった。イレブンのベホイミとシルビアのリホイミでは、全員分の回復など到底間に合わず、今度はベロニカが倒れた。
「お前は回復に専念しろ!」
イレブンにそう叫びながらカミュが魔物に飛び掛かり、左手の短剣にありったけの力を込めて魔物の脳天に突き刺す。
「ギャアァァァ!」
魔物は聞くに堪えない悲鳴を上げながら消滅していく。
「よしっ」
カミュが小さく口角を上げた。
残る魔物はあと一体。イレブン、カミュ、シルビアはアイコンタクトをとって頷いた。
イレブンが両手剣で、シルビアが盾で巧みに攻撃を往なすと、カミュが持ち前の素早さで魔物に接近する。
先程のように魔物の脳天目掛けて飛び掛かるが、この魔物が恐ろしく強かった。
宙に浮いたカミュの体に、真横から巨大な拳を打ち込んだのだ。
避けようもなく、諸に攻撃を受けるカミュ。回復も間に合わず、彼もついに倒れてしまう。
(こんなに強いなんて……レベルが足りなかったのか? 皆を連れてきてしまった僕のせいだ!)
狼狽え、己を責めながらもイレブンは戦う。
今の支えは、同じく残ったシルビアだけだった。
「イレブンちゃん! 最悪アタシが倒れても、アナタさえ残ればなんとかなるわ! 頑張るのよ!」
三人もの仲間が倒れた不安と焦燥感の中でも、シルビアの存在はイレブンの心を奮い立たせてくれた。
イレブンとシルビアは今、恋仲にある。
(この人まで倒れてしまったら──)
シルビアまで失いたくないイレブンと、そんなイレブンを守りたいシルビア。
二人の息の合った連続攻撃に、魔物が徐々に弱っていくのがわかる。
(もう少しで勝てる……!)
イレブンが確信した時、魔物が放った光の塊が飛んでくるのが見えた。
「っ!」
「いやんっ!」
イレブンはギリギリのところで回避したが、シルビアは避けきれずに直撃してしまった。
「シルビアさん!」
イレブンは慌ててシルビアを見る。
直撃はしたものの、彼は辛うじて立ち続けていた。
(良かった、大したダメージじゃなかったみたいだ……)
イレブンは少しほっとした。
けれども、よくよく見るとシルビアの様子がどうにもおかしい。目はとろりと虚ろで、体は自由が利いていないのか、ふらふらしている。
(まさかシルビアさん……混乱してる?)
そのまさかである。魔物が放ったのはメダパニの呪文だったのだ。
混乱状態に陥ると、時として仲間すら傷つけてしまうことがある。
シルビアもそうしようとしているのか、ゆらりとイレブンの方に向き直った。
(くる……!)
イレブンは両手剣で防御の構えをとろうとするが、シルビアはそれよりも速く間合いに入り込んだ。
斬り掛かられるのを覚悟した瞬間、シルビアに握り潰されそうなほどに片手首を捕まれ、その力の強さに思わず剣を落としてしまう。
(しまった!)
そう思った途端、シルビアに抱き寄せられ唇を奪われた。
一瞬の内に余りに多くのことが起こったせいか、イレブンは反応しきれず、シルビアにされるがままになってしまった。
重ねた唇から強引に舌を割り入れ、そのまま激しく絡めるシルビア。
右腕でイレブンの腰を抱き、左手はイレブンの後頭部に添えて、息継ぎする暇も与えないほどに決して離すまいとしている。
シルビアとのキスはいつも甘く優しく包み込むようで、その度にイレブンを蕩けさせる。
しかし今はいつものそれと全く違う、貪るように激しく熱く、イレブンがこれまで味わったことがないくらいに情熱的なものだった。
それに加えて、シルビアの香油と血と汗の混じった匂いが、次第にイレブンの意識を混濁させる。
戦闘の最中なのに、そんなことはどうでもいい、なんて思い始めてしまうくらい、少年は虜になっていった。
やがて唇が離れると二人とも息を切らし、頬を紅潮させていた。
シルビアはイレブンを抱き寄せたままで、尚も離そうとはしない。
そして今度は、イレブンの首筋にその唇を這わせた。
「んっ……」
イレブンから甘い声が漏れる。激しい口づけの後で、体が敏感になっているらしい。
全身は熱く火照り、頭は熱に浮かされたようにぼんやりとしていた。
シルビアは首筋に吸い付いたまま、イレブンのベルトに手をかける。器用な男はそれをあっという間に外し、イレブンの腹に手を滑り込ませた。
敏感な体がびくりと震える。
だがその時、シルビアの背後に迫る影を、イレブンの目は捉えた。
(そうだ、魔物……!)
はっと戦闘中であることを思い出したが、今だシルビアに抱き竦められている体を動かすことは叶わない。
それでも、ここでやられてたまるか、と魔物に向けて手を伸ばし、持ち得る力の全てを込めて呪文を唱えた。
「メラミ!」
火事場の馬鹿力というものか、あるいは勇者の奇跡なのか。
運良く呪文が暴走し、炎が魔物を呑み込んでいく。断末魔とともに、魔物は跡形もなく消え去った。
「ごめんなさい! アタシったら、なんてことを……」
魔物が消え失せたことで正気を取り戻したシルビアは、目に涙を溜めながら謝罪した。
イレブンは首を横に振る。
「元はと言えば、僕が悪いんだ。シルビアさんのせいじゃないよ。それに……」
(嫌じゃ、なかった……)
思い出して口籠もるイレブンを見て、申し訳なさと気恥ずかしさが、シルビアの胸に押し寄せる。
(まさか戦闘中に、自分を抑えられなくなるなんて……)
混乱状態とは言っても、意識を完全に手放す訳ではない。
靄がかった意識の中、不安からかどうしようもなくイレブンを求めてしまったのは、他でもない自分だった。
(欲求不満かしらね……)
シルビアの顔に自嘲気味な苦笑いが浮かぶけれど、イレブンに悟らせまいと努めて普段通りに振る舞う。
「さて、急いで皆を生き返らせてあげなきゃ!」
ところが、歩き出そうとするシルビアの服をイレブンが掴んだ。
「ごめん……あの、僕、ちょっと動けないかも……」
潤んだ目に紅潮したままの頬、もじもじとした様子。
シルビアは全てを察した。
「……“それ“はアタシのせいだもの。カミュちゃんたちには悪いけど、先に責任を取らせて頂くわ。 ……ね?」
シルビアはイレブンを抱え上げて、その額に口づける。
「シルビアさん、嬉しそう……」
訝しげに言うイレブンだが、目と目が合うと笑みをこぼし、近くの町へとルーラを唱えた。
宿屋の主人は棺桶を引き摺る二人組に大層驚き、大変な旅をしてきたのだろう、と大急ぎで部屋を用意してくれた。
こうして棺桶の三人が蘇るのは翌日となり、イレブンとシルビアは仲間たちへの罪悪感を覚えたが、それは二人だけの秘密にしておくのだった。