イマジナリー・ペンフレンド『I』
朝起きて、開いた記憶の無いノートの一行目にはそう書いてあった。
「…僕?」
一人称の『I』なのか、それとも何かの単語の書きかけか。はたまた文字ではないのか。何となく前者が先に浮かんで、シュウはぽつりと声に出してみた。
昨夜の行動を一通り思い出してみるが、やはりノートを取り出した記憶は無い。寝落ちをしたわけでも無いし、姉や妹のいたずらにしては謎である。
シュウは寝起きのぼんやりした頭で、ノートの隣に置いてあるペンを取り、一行下に一単語だけ記した。
『Who』
身内の仕業なら、何かしらリアクションがあるだろう。いたずらを仕返すようにシュウは問いかけ、ペンを置いて自分の部屋を後にした。
次に返事があったのは、同様にシュウが眠りにつき、目が覚めたときだった。
自分の書いた文字の下には、自分の筆跡と全く同じ文字が続いていた。
勿論、シュウには続きを書いた記憶は無い。
『私は貴方から分離した人格の一つです。…光ノ、とでも命名しておきましょう。』
「光ノ、」
二、三度目をぱちぱちとさせ文章を咀嚼する。
別人格。つまり、この文章を書いたのは自分。
全く同じ筆跡だからといって一概に信じられる話では無い。様々な疑問が浮かぶが、次のページを捲った瞬間、見えた文字に動きが固まってしまった。
『闇ノ、私はね、寂しいんです。』
不気味ささえ感じていた別人格は、二言目には赤裸々に感情を吐き出していた。
『人格として生まれた以上、感情があるのです。そして、私は寂しさを覚えてしまったのです』
『だって、私は貴方をよく知っているのに、貴方は私のことを認知していない。当然と言えば当然ですが、それが無性に虚しいのですよ』
『闇ノ、私と話をしませんか?』
自分との対話なんて言えば、漫画みたいで少しワクワクするが、いざそれが現実になると違和感が勝る。
知らぬ間に、自分とは異なる存在が意思を持って、自分とは異なる価値観を持って生きている。
違和感、薄気味悪さ、そして好奇心。
それらは、シュウがペンを取るのに充分な理由だった。
就寝前の時間、机に向かい合い、ペンを手に取ったシュウは、何を書くべきか考えた。
「まずは…返事かな」
『正直言うと、まだ僕は自分の中に自分以外の人格が居るとは思えない。けど、君─光ノと、話をしてみたいと思う。君の退屈凌ぎにでもなればいいな』
一度手を止めて、続きを考える。
とにかく、気になったことを全て聞いてみようと書き出してみた。
『さっそくだけど、前述の通り君についてわからないことが多い。いろいろ質問させて。』
『何故光ノは生まれたの?僕は、精神が参った記憶は無いんだ。』
『随分丁寧な文を書くけど、喋り方も僕と違うのかな。確かに自分の文字だけど、なんだか不思議だね。』
『どうして急に、僕と会話をしようと思ったの?寂しい以外に理由はあったりする?』
ペンを置き、ぐっと伸びをする。とりあえずこんなものか、と文章を読み返して納得する。
一体どんな返事をくれるのだろうか。見知らぬ相手と文通でもするような、ちょっとした期待を込めてシュウは電気を消した。
いつもより少しだけ長い時間眠っていた気がする。そう思いながらスマホのアラームを止め、照明を点ける。
開きっぱなしのノートを見れば、返事が綴られていた。
寝て起きてのタイミングで返事があるのはこれで2回目だ。恐らく光ノは、僕が寝ている間に人格を交換して返事を書いているのだろう。
『我儘に付き合ってくれるのですね。ありがとうございます。…さて、まず貴方の質問に一つずつ答えましょうか。闇ノからすれば、私は未知の存在ですから』
光ノはどうやら、かなりお固い。文章の節々に真面目さをひしひし感じる。
こういうのって、大体自分とは真反対の性格になるものじゃないの?
自分が真面目とは言わないが、対極と言うほどその言葉が離れてはいないはずだ。
現実は通説とは異なるのだな、と妙なリアリティに苦笑しつつ、シュウは返事を読み進める。
『貴方の──私達の立場を考えれば、わかるでしょう。呪術というものは、本人の予想以上に精神を蝕む。…闇ノは、思い出さなくて良いのです。その為に私がいるのですから』
『逆に、闇ノは随分乱れた英語を使いますね。まぁ、構いませんが』
『どうでしょうね。ただの我儘ですよ。それ以上でもそれ以下でもない。でもきっと、闇ノも同じことを考えているはずです。』
当然と言えば当然だが、彼──光ノはやはり僕の無意識下で生まれたらしい。
文章から察するに、呪術で精神を擦り減らした僕が防衛本能故に作り出したようで、何だか急に光ノに申し訳なくなった。
だって、僕を守る為に生まれてきたというのに、彼は僕に認知すらされていなかった。
そりゃ寂しいよね、とシュウは彼の綴った文字列を見つめ直す。
光ノシュウ。僕の別人格。
僕と、光ノの文通はこうして始まった。