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    毛利小五郎をヤバいレベルで捏造した話─II
    前回の続きです。進歩報告を兼ねてます。マシュマロに感想くださると嬉しいです。ちょっとテンション上げ過ぎてしまいました。熱が入り過ぎた。

    やさしいひと 被害者の足取りを一つ一つ確かめる。休日、どこに行ったのか。いつもどうしているのか。目撃者の話から一つ一つ辿って行く。殺されたとされる死亡時刻、その日の被害者はいつも通りではない行動をしていたらしい。
     小五郎はいつも通りではない被害者の足取りではなく、いつも通りの被害者の足取りをなぞっていた。
     被害者の恋人との会話を思い起こす。
     神経質そうな男だった。メガネを何度もカチャカチャと揺らし、苛々している様子だ。

    「知りませんよ。アイツ、仕事のことは何も言いませんし。一々言うような性格でもありませんから」
    「最近何か変わったことはありませんでしたか?」
    「さあ?出張だったんでね。もういいですか?」
    「……ありがとうございます」

     苛立ちを隠さず、迷惑だと顔に書いているような男はバタンと大きな音を立てて扉を閉めた。

    「んだよ、あれ」
    「ま、まあまあ」
    「仮にも恋人が殺されたってのに……」

     爆発処理班から移動してきたという松田刑事と萩原刑事は腑に落ちない反応だ。
     小五郎としては、何も感じなかった。ただ少し、何かが琴線に引っ掛かった。ポケットに入れている遺留品が熱を灯したような気がした。

     被害者は同じルーティンワークを好んでいたらしい。休日は古本屋に行き、本を一冊購入する。お気に入りのカフェに行き、珈琲と共にゆったりと購入したばかりの本を読む。その後は散歩に最適だという公園に行き、道中でキッチンカーで販売されているサンドイッチを購入。公園のベンチでランチをして、ゆるりと歩いて帰宅する。

     同じ足取りを辿る小五郎は古書店に向かった。店主は年季の入った皺がある歳を重ねた老婦人だった。眼鏡のチェーンが揺れ、知的な瞳を優しく細めている。

    「彼女は良く此処に?」
    「えぇ、そうよ。もうずっとそう」
    「彼女が購入している本はありますか?」
    「そうねぇ。あの子、何でも読むから。あぁ、でもここ数年はこの棚かしら?」
    「……棚?」
    「ふふっ、星座の本よ。星に興味があったみたいなの。いつも熱心に見ていたわ。まとめて買わないの?って聞いたら、一つずつ選ぶのが楽しいんですって」
    「そう、ですか」
    「そうそう、これ!この本はよく手に取ってたわ。何度も何度も手に取るから覚えちゃったの」
    「これは、購入されなかったのですか?」
    「そうねぇ。今はやめとくって言ってたわ。でも、いつか買いに来るってね。だから私、この本はずっと置いてるのよ」
    「………一冊、いただけますか」
    「あら?刑事さんも興味があるの?男の人はどちらかといえばこういうのは読まないんじゃないかしら?」
    「そう、ですね。あまり本を読む習慣はありませんが、気になったものでして。いやあ、お恥ずかしいですな!」
    「あらあら」

     戯ける小五郎にクスクスと楽しそうに笑う店主はふと、悲しげに目を伏せた。

    「でも、そうね。もう、買いには来れないのねぇ」
    「………ええ」
    「待っていたのにねぇ。まだ若いのに、読んで欲しかったのにねぇ」
    「…………。」

     悲しい、のだろうか。店主と客。それだけの関係なのに、悲しんでいるのだろうか。東野美保の死を悲しむ人がここにいるのだ。
     何を言えば良いのか分からなくなる。悲しいと思うのは何故。本をなぞる手つきが優しくて、受け取った本がズッシリと重たくて。読まれなかった本が寂しそうに見えた。

    「何か分かりましたか?」
    「いやあ?何も」
    「……何しに行ったんだよ」
    「まあまあ、陣平ちゃん」

     早々に事務的なやり取りをして店の前で待っていた二人は対照的でありながら、思っていることは同じなのだろう。何故、こんなことを?と目が語っている。それに答える言葉を小五郎は持たない。何故、と問われても何故だろう。ただ、知りたかった。被害者の日常が。何を思って生活していたのかを知りたかった。

     個人経営のカフェは珈琲の香りが漂っている。クラシックが流れる空間は大人のお店といった雰囲気がある。若い店主が朗らかに笑って小五郎たちを迎え入れた。

    「ああ、彼女か。よく知ってるよ。常連だからね。ほら、あそこ」
    「……?」
    「窓際のね、花瓶があるだろう?彼女がくれたんだ。どうか飾ってくれないかってね」
    「彼女はこの店を気に入ってらしたんですね」
    「そりゃあもう!うちの一番最初のお客様だよ」
    「そんなに前から?」
    「そうさ。よく、あそこの席に座ってたんだ。彼女の特等席なんだろうね」
    「特等席……」

     二人掛けの席から見る窓の外はどんな景色なのだろうか。彼女はいつも何を見ていたのだろうか。

    「……彼女はいつも何を?」
    「いつもかい?あの席で珈琲を飲みながら本を読んでたよ。時々、本から顔を上げて窓の外を見てたかなぁ」
    「珈琲は、これですか?」
    「いや?これだね。ウチで頼むのは彼女くらいだから」
    「へぇ……」

     浅煎りオリジナルブレンド、と書かれたメニュー表の文字を暫し眺める。深煎りブランドの方が人気らしく、頼むのは彼女くらいだと笑うマスターに一つ頷いた。

    「これ、一つ」

     彼女が座る席に座り、古書店の老婦人から購入した小説を開く。星に関する本だが、御伽噺のような童話のような優しいイラストが散りばめられている。正直なところ星に興味はない。特段気を惹かれる内容でもない。だけど小五郎は運ばれてきた珈琲を飲みながら頁を捲る。
     時折窓の外を眺めてみる。疎に人が通り過ぎる。お年寄りが散歩をしていたり、若い二人組が通りがかったり。外回りだろうか。営業らしきサラリーマンが袖を捲り上げている。クラシックが流れる店内とは異なり、騒々しくも穏やかに感じた。
     一口飲んだ酸味が強く感じる浅煎りの珈琲はここが現実だと教えてくれるようだった。

    「休憩かよ。何しに来たんだか」
    「陣平ちゃん!……ところでこれ、経費で落ちるの?」
    「落ちてたまるか」
    「やっぱり?自腹かぁ……」

     あ、いたんだ。後ろの席に座っていた二人の存在をスッカリ忘れていた小五郎である。
     ぶつくさ言いながらも目暮警部に言われているからか、離れる気はないらしい。小五郎の好きなようにさせてくれている。
     なんとなく、懐かしい感覚だ。思えばバディを組んだ先輩も最初、こんな感じだった。

    『お前それよぉ、事件と関係あんのかよ』
    『……さあ。でも、気になるので』
    『これだから新人は……』
    『先輩の捜査のついでで構いませんから。勝手にやりますので』
    『止める気はねぇんだな?』
    『はい』
    『クソ扱い辛い奴が来たもんだ』

     嫌味っぽく言うが、面と向かって言う先輩は渋々であれど小五郎から目を離すことはなかった。松田刑事と萩原刑事。二人を見ていると、何故か懐かしさが込み上げる。先輩の姿と重なった気がして目を擦るが、気がしただけだった。

     半分ほど読み進めた小説を閉じる。なんとなく星座の知識が増えたような増えてないような。カフェを出てから公園へと向かう。二人は勝手についてきているらしいので、そのままだ。声をかけるのも変な気がして、どういう対応をして良いのか悩む。

     おそらく、小五郎は混乱していた。混乱、というよりかは戸惑いと言い表す方が正確かもしれない。まだ未熟な道化の仮面は馴染みきっていない。聞き込みの際に戯けた言動をするが、剥き出しの青年、毛利小五郎が滲み出している。おそらく、先輩の前では取り繕うことが少なかったからだろうか。刑事として最初の事件を担当してから、小五郎は今まで被っていた道化の仮面を上手く付けられなくなっている。一度剥がれ、再構築している最中なのだ。
     中年であった毛利小五郎は再構築した仮面を馴染ませ、自分の一部とし、新たなアイデンティティを確立した自分自身であったのだろう。
     青年の毛利小五郎にとっては未来の毛利小五郎が得たものを眩しく思う。今の毛利小五郎には持ち得ない人間らしさ。それを素直に羨ましいと思う。過程は同じはずだ。いずれ辿り着けると分かっているから、その未来があると知ったから。ほんの少し喜ばしく思ってしまった。

     公園に向かう道中でキッチンカーを見つけた。おそらく、被害者の彼女がいつも立ち寄っていたサンドイッチの店だろう。具材を自分で選べるらしい。種類が豊富というわけではないが、自分で組み合わせられるのは楽しい。
     被害者の顔写真を見せながら形式的な質問を終える。キッチンカーの主人は年若い女性だった。分かりきっていたことだが、有力な証言は得られない。そもそも、ほぼ関係ないとされているのだから当然ではある。
     気落ちすることもなく、メニュー表を眺めていれば、ふと店に貼られてる限定の数々が目に付いた。

    「カップル限定子供限定シニア限定女子高生限定男子高生限定……あっ、親友限定ってあるよ陣平ちゃん!」
    「陣平ちゃん言うな。ホイップクリーム増量サービス、ねぇ……」
    「それ女子高生限定じゃね?」

     客層に合わせてサービスしているらしい。なるほど、と頷く。限定品に弱いのはどこの層でも一緒だ。お得感は大事なのだろう。多分。
     店主の女性は柔らかい笑顔を浮かべた。

    「これね、あの人の発案なんです。限定だとお得感があるし、なんか楽しいじゃない!って」
    「そうですか……。彼女はいつもこの店に?」
    「ええ。毎週決まった日に来てくださってたの」
    「彼女がいつも買うものはどれです?」
    「え?これ、ですけど……」
    「では、これを一つ」
    「え、ええ……?構いませんが、女性向けですし、かなり甘いですよ?」
    「はい。頑張ります」
    「えええ……?」

     甘党に大人気とポップがある生クリームカスタードサンドにちょっと怯んだのは内緒だ。ぼうっと店主の手付きを眺める。生クリームがとんでもない量だ。ちょっと自信がない。頑張るしかない。小五郎は別に甘党ではないので。
     
    「キッチンカーは私の夢だったんです」

     店主が懐かしむように言葉を紡いだ。

    「でも、駄目ですね。夢ばかりで現実は甘くなかった。お客さんもそんなに来ないし、これはもう無理かなって時に彼女が来たんです」
    「…………。」
    「限定品をやってみたらどうかって言われた時、どうせ変わらないって思ったんです。でもね、最後の機会にって思いきってやってみたの。どうせ同じならって。そうしたら、いつのまにか話題になって、口コミで広がって……」
    「………そう、でしたか」
    「恩人なんですよ。だから、そう、なんていうか。こんなに突然いなくなるなんて思ってなかった」

     俯いた店主の顔は見えない。小五郎には何をどうすれば良いのか分からない。沈黙が続く。届けるにしても、どうやって?何を言えば良いのだろうか。分からないのに。その悲しみを寂しさを小五郎は理解できない。だから、何も言えない。そんな自分が嫌で、分からないことが分からなくて、奥歯を噛み締める。

    「なんて、ちょっと湿っぽくなってしまいましたね!はい、甘党限定フルーツサンド!かなり甘いので……無理は禁物ですよ?」
    「残しません。頑張ります」

     パッと顔を上げた店主は泣いてなかった。ほんの少し震える声を気づかなかったことにして、手渡された紙袋を受け取った。しれっと購入していた松田刑事は生クリームをさらに増やし、カブトムシを捕まえた少年のように目を輝かせていたが些細なことだ。萩原刑事がドン引きしていたが些細なことだ。小五郎は何も気づかず店を後にした。

     公園は思っていたよりも広く長閑だ。並木道沿いにあるベンチに腰掛ける。一つ隣のベンチに腰掛けた松田刑事と萩原刑事は微妙な顔をしながらサンドイッチに齧り付いていた。小五郎もぼんやりしながら齧り付く。
     散歩をしている婦人にウォーキング中の若者。井戸端会議というより老人会のような有様のお年寄りたち。はしゃいで走る子供たち。その空間はのんびりとしていて、優しくて。殺伐とした世界から隔絶されたような穏やかさ。
     
    「散歩か?散歩をしに来たのか?犯人捕まえなきゃいけねぇのに、んでこんな……」
    「陣平ちゃんや」
    「陣平ちゃん言うなや研二ちゃん」
    「それ何個め?」
    「三つ目」
    「なんだかんだでエンジョイしてんじゃん」

     サンドイッチは甘ったるくて重たいが、頑張れば食べきれなくもない。めちゃくちゃ頑張れば。本当に、めちゃくちゃ頑張ったら。
     彼女はいつもこの景色を見ていたのか。何を思って、一人で見ていたのだろう。穏やかな空気に仕事の疲れを癒していたのだろうか。
     でも、なんとなく。それだけではないような気がしている。
     頑張って飲み込んで、自販機で購入したブラックコーヒーで流し込む。甘くて苦い。
     ふと空を見上げると、なんの変哲もない青空と浮雲が目に焼き付いた。







    「なんですか。こっちは疲れてるんですけど」
    「申し訳ありません。捜査にご協力をお願いしたく」
    「全てお話しましたよね?まだ何か?」
    「サンドイッチはお好きですか?」
    「は?サンドイッチ?」

     翌日、毛利小五郎は被害者の恋人の家を訪れていた。

    「お嫌いですか?」
    「いや、別に……。それが何か?」
    「フルーツサンドは好きですか?」
    「はあ?」
    「生クリームとカスタードクリームに挟まって申し訳程度にしかないフルーツのサンドイッチです。お好きですか?」
    「そ、れはフルーツサンドではないのでは?」
    「甘いものは好きですか?」
    「……なんなんですかさっきから。別に普通ですよ。人並みです」
    「そうですか。彼女は好きだったようですので」
    「…………は?」
    「知りませんか?ここから歩いて行ける距離にある公園近くのキッチンカー。地元人気が根強いらしいですよ」
    「……それ、事件に関係ありませんよね」
    「さあ?関係ないかもしれませんし、関係あるかもしれません」
    「刑事さん。僕はね、暇じゃないんだ。ふざけてるのなら帰ってくれ」
    「……私はふざけてなどいませんが」
    「────っ!」

     バタン、と大きな音を立ててドアが閉められた。パチリと瞬いて、小五郎は一つ頷く。

    「また来ます」

     静かに礼をして、一歩、踏み出す。ぼんやりしながら、今日もまた、彼女の足取りを辿る。昨日と同じ道筋を辿り、彼女と同じことを繰り返す。

     老婦人が経営する小さな古書店に立ち寄る。

    「あら?昨日の。またいらしたの?」
    「星に関する本に興味が湧きまして」
    「嬉しいわ。そうねぇ、これはどう?」
    「……童話、ですか」
    「子供の本だと思う?それは間違いよ。大人だからこそ、こういう本が必要なの」
    「はぁ……」

     本を一冊購入して、若い店主が経営するカフェへと向かう。

    「おや?昨日の刑事さんじゃないか。また来てくれたのかい?」
    「浅煎りのブレンドを一つ。席は、あそこで」
    「まさか、気に入ったのかい?」
    「まあ、そんなところです」

     童話を読みながら、珈琲を飲む。そうしたら次はサンドイッチを買いに。

    「あっ、昨日の!」
    「はい。昨日の、です。フルーツサンドを。甘党限定のもので」
    「……刑事さん、もしかして甘党なんですか?ちゃんと食べきれます?」
    「大丈夫です。食べきりました。また頑張ります」
    「それなら、良いですけど……」

     公園のベンチに座ってサンドイッチを食べ、やっぱり頑張らなくてはいけないような甘さだったのでブラックコーヒーに勇気をもらう。

     翌日、また被害者の恋人の家へと向かう。

    「……またですか。なんなんですか」
    「コーヒーは浅煎りと深煎り、どちらが好きですか?」
    「今度は何」
    「個人的な興味です。あぁ、失礼。中煎りが好きでしたか?」
    「どうでもいいだろ!なんでそんなこと聞くんだよ!」
    「彼女は浅煎りが好きだったようなので」
    「……っ、知らないよそんなこと!」

     バタンと大きな音を立ててドアが閉められる。

    「また来ます」

     小五郎は静かに礼をして、一歩踏み出す。
     そしてまた、繰り返す。同じことを何度でも繰り返していく。

     老婦人が経営する小さな古書店に立ち寄る。

    「まあ、まあまあまあ!またいらしたの?刑事さん、お仕事は?」
    「これも仕事の一環ですので」
    「あらあ?本当かしら?本当かしらあ?」
    「本当です。私は嘘は吐きませんので」
    「うふふ。嘘吐きの言いそうなことね」
    「これは手厳しい」
    「いいわ。いいわ。若い人が来てくれるのは嬉しいもの。それで?今日は何をお探しに?」
    「……星の本を」
    「あら。あらあらあら。本当に興味があるのかしら?どうなのかしら?」
    「興味があるのは本当ですよ」
    「そういうことにしておきましょうかね。そうだ。なら、これなんて如何?」
    「……写真集?」
    「小説を読むのが苦手な人も楽しめるのよ?」
    「そうですか」

     写真集を購入して、若い店主が経営するカフェへと向かう。

    「あれ。また来たのかい?」
    「はい。浅煎りを一つ。席はあそこで」
    「良いけど……。本当に気に入ってくれたのかい?そりゃあ自信を持って出してるが……。言っちゃあなんだけど、ウチは深煎りの方が美味しいよ?」
    「いえ。これが良いんです」
    「そうかい?なら、良いけどねぇ」

     写真集を捲り、珈琲を飲んだらサンドイッチを買いに。

    「えっ、えっ?また来てくださったんですか?」
    「はい。甘党限定フルーツサンドを一つ」
    「刑事さん。実は隠れ甘党ですか?」
    「いえ。そういうわけでは……」
    「今ならサービスでチョコレートソース付きにしますよ!」
    「はぁ……。頑張ります」

     公園のベンチに座ってサンドイッチを食べる。甘さが増してとても頑張らなくてはいけなくなった。ブラックコーヒーがなければ心が折れてたかもしれない。

     翌日もまた、被害者の恋人の家へと向かう。

    「……なんですか。なにがしたいんですか!」
    「本はお好きですか?童話も写真集も悪くないですよ」
    「何の話をしてるんだよ!」
    「星座の本です。星はお好きですか?」
    「はあ?星?」
    「彼女が気に入っていたようなので」
    「だからなんだって言うんだよ!」
    「星にも逸話や言葉があるそうです。中々に興味深い内容でした」
    「……んっとに、なにがしたいんだよ」

     バタンとドアが閉められる。

    「また来ます。また、来ますから。何度でも」

     小五郎は一礼して、また一歩踏み出す。


     何回も何回も何度も何度も繰り返す。


     気が付けば一週間、通い詰めていた。


    「ほんっとに、何がしたいんだよ」
    「何、ですか」
    「事件を追うのが仕事だろ?犯人逮捕するのがアンタの、アンタらの仕事だろ!?」
    「はい」
    「話すことは話した!これ以上知っていることなんてないんだよ!僕には!ないんだ……」
    「…………本当に?」
    「は………?」
    「本当に、ありませんか。何も言うことはありませんか。恋人である東野美保さんが殺されて。貴方と当たり前に過ごす日々が奪われて。本当に何も言うことはありませんか。話すことはありませんか」
    「なに、言って……」
    「……貴方は、怒って良いんですよ。泣いて良いんですよ。ふざけるなって。なんで殺されたんだって。返してくれって。そう、叫んで良いんです」
    「…………んだよ、それ」
    「いつから、寝てないんですか?顔色が悪い。私は良く鈍感と言われます。その私ですら分かるほどに、今の貴方は追い詰められている。どうしてですか。なぜですか」
    「………帰ってくれ。もう、良いだろ。アイツが殺された日、僕は出張だった。何も知らなかったんだ。何も……」
    「嫌です」
    「………っ」

     ゆっくりとドアが閉められる。小五郎は黙って閉められるドアを見つめ、一礼した。

    「また来ます。また、明日も来ます」

     一歩、踏み出す。同じ道筋を辿って、繰り返す。
     古書店に寄り、老婦人のおすすめの本を教えてもらう。

    「今日はね、これ。どうかしら?どうかしら?」
    「短編集、ですか」
    「短いお話だけどね。心が温かくなるのよ?」
    「そうですか。では、これを」
    「うふふ。貴方、不思議な人ねぇ」
    「はい?」
    「普段はね、こんな風にお客様とお喋りすることなんてないもの。だけど貴方は……なんでかしら。話したくなっちゃう」
    「はぁ……」
    「なんだか安心するのよ。不思議ねぇ」

     クスクス笑う老婦人はチャリ、と眼鏡のチェーンを揺らしている。
     パチパチと瞬いて、小五郎はゆっくりとポケットに手を入れ、ハンカチに包まれた遺留品を取り出した。

    「あの、このキーホルダーに見覚えはありませんか?」
    「あらぁ?お仕事のお話?」
    「ええ。職務ですので」

     大袈裟な仕草で自分の胸を叩けば、老婦人は可笑しそうに笑った。

    「そうねぇ。そういえば、あの子が本と照らし合わせているのを何度か見たことがあるわ」
    「どの本ですか?」
    「それは、もう分かっているのではなくて?」
    「…………年の功は侮れませんね」
    「そりゃあそうよ。経験値が違うもの」

     茶目っ気にウインクした老婦人に苦笑して、本を一冊購入する。

    「おや、刑事さん。毎日来てるけど、仕事は大丈夫かい?」
    「はい。浅煎りブレンドを一つ。それと」
    「席はあそこだろ?」
    「…………はい」
    「アンタも物好きだなぁ。深煎りは飲まないのかい?」
    「はい。浅煎りで」
    「そうかい」

     薄らと口角を上げた店主は淀みない手つきで珈琲の準備をしている。

    「このキーホルダーに見覚えはありませんか」
    「キーホルダー?いやぁ、さっぱり」
    「そうですか」
    「ん?んん?あ、そういえば」
    「はい?」
    「彼女が時折眺めてたのと似てるよ。いつもは本を読んでるのに、珍しいなぁってね。遠目だから、それかは分からないけど」
    「そうですか……」

     珈琲を飲んで、窓の外を眺める。つい先日、一人の人間がいなくなったとは思えないほどに平和な世界だ。

    「あっ、刑事さん!」
    「フルーツサンドを一つ。甘党限定の」
    「また頑張るんですか?」
    「はい。頑張ります」
    「血糖値上がっちゃいますよ?」
    「運動します」

     弾けるような笑顔で笑う店主はオマケですとフルーツを追加してくれた。生クリームに埋もれて見えなくなったが。

    「このキーホルダーに見覚えはありませんか」
    「キーホルダー?わあ、可愛い!」
    「ペアになっているようでして……」
    「女の子が好きそうなキーホルダーですね!でも、ううん、ごめんなさい。分からないわ」
    「そうですか……」
    「あ、でも。似たようなものなら見たことがあるような?」
    「それは、どこで?」
    「うーん……確か……。あっ、露店!」
    「露店?」
    「公園で決まった曜日に出ている露店なんです!帰りに見かけるんですけど、星のモチーフの小物を販売しているみたいで。そう、そうそう!こんな感じのデザイン!」
    「……その露店はいつ来るのか分かりますか?」
    「え?えーっと……。今日、と明日ですかね?」

     いつも繰り返しの日に、繰り返しでないことが加わった。
     
     




    「あんな捜査があってたまるか!勘弁してくれよ!目暮警部!俺と萩原を外してください!」
    「松田、大声出すなって」
    「お前だって思ってんだろ!」
    「……まあ、否定はしないけど」

     案外長く持ったな、というのが目暮の率直な心であった。目の前で不満をぶちまける二人を眺め、まあそうなるだろうなと想定内のことにいっそ心は穏やかだ。
     席を外して、丁度今し方戻ってきた毛利小五郎は自分のことだと分かっているだろうにぼんやりとデスクに座っている。
     懐かしいな、と思う。この頃の毛利小五郎は人間らしさというものが希薄だった。
     中年の毛利小五郎が得た感情表現という能力が欠けていた。それを支えていたのは、刑事部に配属されてからずっとバディを組んでいた今は亡き自分の部下だ。
     毛利小五郎は何一つ変わっていない。言動は変化したが、その心は、思いは、行動は何一つとして変わっていないのだ。
     目暮から見た毛利小五郎は感情表現が下手くそで、人の心を受け取るのが下手くそな不器用な男である。
     もっと楽に生きられるだろうに、それを良しとしない。真正面から分からないことを分かるまでぶつかろうとする。心が傷だらけになっても、どれほどしんどいやり方だとしても改めようとはしない。そして、彼はそれを成し遂げてしまうからこそ、放ってはおけないのだ。

    「まあまあ、君たち。落ち着きたまえよ」
    「これが落ち着いていられるかってんだ!こうしている間にも犯人がのさばっているかもしれねぇってのに!」
    「犯人に関わりがなさそうな捜査しかしてない気がします。毛利刑事の捜査に意味はあるんでしょうか?」

     思えば自分もこうやって反発していた。今は亡き部下が必死に説得するのを首を傾げるしかなかった。既視感に懐かしい思い出が浮かび上がる。

    『アイツはちゃんと刑事ですよ』
    『確かに有益な情報は得ているがね、犯人確保のためにしては無駄なことが多すぎる』
    『違います。それは、違いますよ』
    『なに?』
    『捜査すれば分かります。被害者にはアイツのような人間が必要なんです。馬鹿で不器用で真っ直ぐで……優しい、アイツのような人間が』
    『くだらんな。犯人確保が被害者のためになる。それが、刑事というものだろう』
    『確かにその通りです。でも、それだけじゃあない。それだけじゃ、いけないんですよ』
    『何が言いたいのかね?』
    『いつのまにか、大事なことを見落としてたんです。分かってたのに、知っていたのに、見ないふりをしていた。それをアイツは真正面から向き合っている。目暮警部補、毛利のような人間は、被害者の救いになる。俺はそれを確信してる』
    『どういうことかね』
    『アイツと一度でも一緒に捜査すれば分かります。組織としては異端かもしれません。でもね、俺は毛利みたいな刑事が一人くらいはいても良いと思うんですよ』
    『随分買っているようだが。君がそこまで言うほどかね』
    『言いますよ。何度だって言ってやります。アイツは、毛利小五郎は、刑事であるべきだ』
    『……君がそこまで言うのなら、様子を見よう。だが、認めたわけではない。それを忘れないように』
    『………っ!警部補!』
    『君は少し、毛利君に入れ込み過ぎている。冷静な判断が出来てないのではないかね?』
    『一度で良い!捜査すれば分かるんだ。小五郎は被害者にとって救いになるんだよ!アイツは、刑事として大事なモンをちゃんと持ってんだよ!』
    『……口の聞き方には気をつけたまえ。上に行きたいのなら』

     バディを組んでいるからか、毛利小五郎を庇い立てる男に、冷たく突き放した自分。なのに、一度毛利小五郎と捜査を行なって仕舞えば、目暮の評価は全く変わっていた。それどころか、いつのまにか犯人確保のみに固執していた自身を恥じることになった。奇妙な偶然の結果だが、その偶然を目暮は心底感謝している。あれがなければ、誤解したままだった。そして、大切なことを見落としていたままだった。

    『どうでした?小五郎は。なんて、言うまでもないって感じですね。アイツ、凄いでしょ』
    『………否定はせんよ』
    『またまた〜、気に入ったんでしょ。そりゃあ気に入りますよ。俺が気に入ってんだから』
    『言い方に気をつけたまえ。……前に言ったことに関しては謝罪しよう。すまなかった』
    『……まあ、捜査しなきゃ、あれを見てなきゃ警部補が思うのも無理はないです。分かってんですよ。でも、なんか、悔しくて』
    『気持ちは分かるが……あれでは仕方がないだろう。現状、誰も毛利君と組みたがらない。私もこうした偶然がなければ、遠慮していただろうからね』
    『そうなんですけど。そうなんですけどね?分かっちゃあいるんですけどね?ま、その代わり俺が同行するんで良いんですけど。でもやっぱ、悔しいんですよね。アイツのしていることは真っ当で、刑事として無関係じゃない。きっと、本当は、やらなきゃいけなかったことなんですよ』
    『そう、だな。恥ずかしながら私もいつのまにか忘れていた。それを痛感したよ。君の言う通り、毛利君のような刑事が一人くらいいても良いだろうな』
    『……言っておきますけど、アイツのバディは俺ですからね?』
    『分かっておるわ!上司を威圧するんじゃない!全く……』
    『へへっ、すんません』
    『反省しとらんだろう』
    『バレました?』
    『全く、君は……』

     不満を溢し訴えかける二人を見る。まだ若い二人だ。頭の回転が良く、勘も良い。なにより真っ直ぐな心根と素直さ、柔軟性がある。
     固定概念に囚われがちな人間は論外だが、ある程度の規則を守る姿勢は必要だ。目暮班には柔軟性に溢れた人間が揃っている。だから、正直なところ毛利と組ませるのはこの二人でなくても良かった。この二人でなくとも毛利とやっていけるだろう。一度捜査して仕舞えば、彼の異質さに気づくだろうから。しかし、それだけではいけない。毛利には、真正面からぶつけられる気の強く反骨精神が旺盛な人間が必要だ。
     かつての部下とはタイプが違うようで似ている二人。
     松田刑事は情に厚く硬派だが一匹狼のきらいがある。そこを萩原刑事が緩急剤のように和らげて上手く立ち回っている。また、二人とも負けず嫌いで物怖じしない。そしてなにより、我は強いが柔軟性があり、周りをよく見ている。
     伊達刑事でも良いのだが、彼は見守る姿勢が板についている。毛利小五郎の人間らしさを引き摺り出すには、少々物足りない。跳ねっ返りが強いの方が双方の刺激になる。
     この頃の毛利小五郎であれば尚更に。
     そこまで考えて、目暮は苦笑し、未だぼんやりと遺留品を見つめる毛利刑事に目を向けた。

    「毛利君。進展はあったのかね?」
    「はい。目暮警部補殿」

     聞いていたのだろう。仮にも自分のことで不満をぶちまけられたというのに、彼は感情の揺れ動きが少なく、希薄だ。おそらく、意識の外側に置いているのだろう。彼の頭は今、被害者のことしかないのだろうから。

    「あと、どれくらいかかりそうかね?」
    「早くて明日かと」
    「よろしい。報告はするように」
    「はい」

     こくりと頷いた毛利はやはり何も変わってはいなかった。

    「それと、今の私は警部だ。間違えないように」
    「……はい。警部殿」

     所々抜けているのも変わってはいなかった。





     翌日、被害者の恋人の家へと向かう。

    「何回やっても同じだろ。何の証拠にもならないキーホルダーに拘ったところで……」
    「まあ、確かに。犯人に繋がる証拠ではないよね」

     刑事は単独行動厳禁。だから、松田刑事と萩原刑事は毎日同じような行動をする小五郎の後を追いかける。辟易としながらも、不満を溢しながらも、同行していた。
     小五郎のやり方は万人受けするものではない。刑事らしくないと思うし、似たようなことなんて幾らでも言われてきた。それでも、変える気はない。変えられない。
     ポケットに入れている遺留品が熱を持つ。軽いはずのキーホルダーは重たい。それでも、伝えるべきなのではないかと思ったから。そしてなにより、知りたかったから。理解できるかは分からないけれど、知ることはできるはずだから。
     
    「……またアンタかよ」
    「はい。また、です」

     インターホンを鳴らせば、心なしか草臥れた顔の恋人の男が顔を出した。

    「…………今日は何。また泣いて良いとか言い出すのかよ」
    「いいえ。今日は、キーホルダーについて」
    「……キーホルダー?」

     ポケットから、遺留品を丁寧に取り出す。初めて、男が目を見開いた。

    「……見覚え、ありますか」
    「…………アンタ、しつこいんだよ」
    「すみません」
    「事件と関係あんのかよ。ないだろ。アイツが殺されたことに関係ないだろ」
    「はい。ありません」
    「だったらっ!」
    「でも、貴方には関係があります」

     ひゅっと息を呑む音が聞こえた。小五郎は真っ直ぐな目で男を見ていた。それは透明で優しい瞳だった。

    「関係あるんです。貴方は、貴方も、被害者なので」
    「僕が、被害者?」

     呆然とする男へ小五郎は暫し逡巡する。どう言葉にすれば良いのかと、どうまとめれば良いのかと、考える。

    「毎日」

     ポツリと言の葉が溢れた。一つ溢れると後から後から、洪水のように言の葉が溢れだす。

    「毎日、私は『被害者』の元へ通いました。貴方の恋人が過ごした休日を辿りました。彼女は一人でした。一人で古書店で本を購入し、カフェで珈琲を飲んで、サンドイッチ屋に寄り、公園でランチをして帰る。ずっとそうしていました」
    「それが、彼女に会ったことだとでも言うんですか」
    「いいえ。東野美保さんは亡くなっています。亡くなった方に会うことはできません」
    「なに、を」

     奇妙な顔をする男に、小五郎は一度目を伏せ、再度真っ向から相対する。

    「彼女。東野美保さんに関わった方々に会っていました。古書店の老婦人、カフェのマスターである男性、キッチンカーの店主である女性。客と店主という立場ですが、それでも、東野美保さんと関わり、東野美保さんが亡くなったことで何かしらの影響を受けた。悲しいと、寂しいと。心に傷を負った。それは貴方もそうでしょう?」

     まとまらない言の葉を紡ぐ。小五郎は理解できない。何度だって理解できない。

     なぜ、どうして。

    「どうして殺されなくてはならなかったのか。なぜ、彼女は殺されたのか。そして何より、彼女は何を思っていたのか。何を伝えたかったのか。私はそれが知りたい。ごく普通に生きていた彼女が、何を思っていたのかを知りたい」

     真っ当に明日が訪れると思っていた東野美保は、呆気なく亡くなった。来るはずの未来を奪われた。納得できる理由なんて存在しない。ならばせめて、彼女の想いだけは取り零したくない。

    「殺された人間だけが被害者じゃない。殺された人間に関わる人の中に、殺されたことによって何かが変わったなら、その人だって被害者です」

     亡くなったことによって変わった未来。失われた未来。それがあるのであれば、見過ごすことはできない。
     彼ら彼女らは笑っていた。悲しんでいた。
     なぜ。どうして。言いたくとも言えない現実を受け入れて、寂しさを感じながらも明日を待っている。
     
    「ちょっとだけ、私に時間をください」

     お願いしますと頭を下げる。動揺する男の気配がするが、小五郎は頭を上げない。どうしても伝えるべきだと思った。単なる推測だ。事実とは異なるかもしれない。それを事実だと言える人はもうこの世にいない。答え合わせなんてできない。それでも。彼女の想いが遺されたのであれば。伝えるべきだと思う。

    「……頭、上げてください」
    「…………嫌です」
    「アンタ、頑固だなぁ」
    「よく言われます」
    「周りの人は大変そうだ」
    「でしょうね」
    「………少しだけなら」

     頼りない声が上から降り注ぐ。震えていて、掠れて、今にも泣きそうな声だった。

    「少しだけなら、アンタの話、聞いても良い」

     ぎゅっと握られた手。力を込め過ぎて白くなった手が痛々しい。
     ようやく、小五郎は近づけた気がした。東野美保の恋人の男が抱える心に、近づけたような気がしたのだ。
     もっとも、近づけたとして、分からないことに変わりはないのだけれど。



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    Replies from the creator

    kabe

    DOODLEリクエストでいただいたデュースの幼馴染は小説家番外編、鍋パーティーの導入です。三分の一くらいできたので。こういう感じで進んじゃうけど良いです?という気持ちを込めている。
    食材はやってくるもの 本日のグリムは張り切っていた。グリムはオンボロ寮のキッチンの主である。オンボロ寮において、キッチンはグリムの縄張りである。子分といえどもグリムの許可なしに好き勝手できない聖域である。
     グリムは監督生の親分である。親分たるもの、子分を飢えさせるとは言語道断。そしてどうせなら美味いものが食いたい。監督生はツイステッドワンダーランドに来る前までただの男子中学生であった。特技が料理なんてことはなく、本当にごく普通のちょっとドライでやんちゃで一途な男の子だったのだ。つまり料理なんてもんは中学校の家庭科レベル。それもクラスの女子生徒のお手伝いレベル。監督生は率先して洗い物係をしていた。三年間ずっとである。つまり、お察しくださいというわけだ。というわけで、グリムは早々にキッチンの主へと名乗り出た。監督生にやらせるくらいなら自分がした方が美味いものが食べれるので。あと、子分が美味しいと笑う顔は悪くなかったので。
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