儚さは、僕だけが知っている「あのさ」
穏やかな沈黙を割いて彼が放ったのは、明らかなる語り始めの文句であった。
「うん、」
ゆったりと微笑んで彼の瞳に視線を移し、その緊張した口が想いをきちんと伝えられることを祈る。
彼は目が合うと一瞬、困ったように瞳を左右に泳がせた。
そうして3秒すると、決意を固めた彼と視線がまた絡まった。
「桜を見に行かないか」
唇の端から笑みが溢れる。
なんて、なんて愛しい提案だろう。
「もちろん、いいよ」
にっこりと笑ってそう告げると、ほっとしたような息をして撫で肩に戻った彼は今度こそいつも通り意気揚々とした様子で僕の手を引いた。
「行こう!家の裏の公園の桜が、今ちょうど満開なんだ!」
その変わりっぷりを可笑しく思って笑いながらも、ひかれるがままに体を動かす。
彼は特別何か羽織ることもせずに一目散に裏口のドアへと向かい、そのドアノブを回した。
途端に広がるのは、非現実的な春色の世界。
風も、日も、全てが計算されたようにあたたかい温度を保っていて。
ふと、視線を斜めにずらすと、あまりに綺麗なときめきを反射する君の瞳。
僕はまた、堪えることもせずに目を細めて笑った。
こんな笑顔を僕にくれるのは、人生でたった君一人だ。
君はすぐに気がついて振り返ると、僕を見てまた弾けるような笑顔を咲かせた。
うっすらと、春の香りが漂って。
目の前の背中には、飛んできた桜がひとつ。
まっすぐ前を向いた彼の優しい茶色の髪が、華やぐように揺れた。