お題:「魔法」「ぶん殴る」8/14「ルーク、てめえはほんとうにかっこいいな」
「は?」
「あ?」
僕の、相棒が、変です。
普段、意地悪な、いやちょっと過激な、まあ少々、口の悪い相棒が僕のことをドギーと呼んだり、おすわり、と言って犬か何かのように扱ったり、犬くさいだの甘いものの食べすぎで体がマシュマロみたいになってきただの、僕がメロウな気持ちになって愛の言葉を囁けばクサイこと言いやがると鼻で笑ったり。とにかく普段そんな調子なのだけれど、まあ相棒である僕は君がちょっと照れやさんで正直になることができなくて不器用な感情表現になってしまうんだってことは勿論ちゃんと理解している。だから君が何を言っても僕には君が只々、愛おしいとしか思えないワケなのだけれど。でも、たまには、君が想っているそのままの気持ちを口にしてくれたら、嬉しいかな。ほんのちょっとでいいから、はずれまんじゅうよりも甘い君の唇から、もっともっとスイートで甘ったるい言葉を、聴いてみたい、そう、思っていた。
「……思っていたけどまさかこんなに破壊力があるなんて思わなかった!!」
「長ったらしいモノローグぜんぶ声にでてんだよ何がはずれまんじゅうよりも甘い唇だ、てめえの唇のほうがもっと甘くてキスするたびに俺の唇がとろけそうになんだよ!」
そう言って、今、自分の口からでた言葉に驚いたように口をあんぐりとあけたまま、アーロンの顔は一瞬にして青ざめた。そして青くなったアーロンの顔は少しづく赤くなって、首も、頬も、耳も、真っ赤になって、アーロンは絶叫と共にソファに顔からダイブした。
「アーロン大丈夫か?! リトマス試験紙みたいなことになってたぞ君の顔。しっかりしてくれ、顔をみせてよ、アーロン」
ルークがアーロンの肩をつかんで揺さぶるが、アーロンの体はソファに沈んだまま微動だにしない。肩をつかんだ手につたわってくるアーロンの身体の熱はいつもより少し高くて、その熱にもっとふれたくて、ルークはうつ伏せになったままのアーロンの耳にそっと、唇をちかづけた。
「アーロン、起きてよ、起きないと、君の可愛い耳を食べちゃうぞ」
「食べてくれ」
ルークは氷点下の空のしたで凍りついた彫像のように固まった。額に汗が滲み、動悸が激しくなる。
「、アーロン! 君ほんとうにどうしたんだ?! いやものすごく嬉しいけど遠慮なくこのまま食べちゃいたいけれどでもちょっと心臓が爆発しそうなんだが?! アーロン、君、」
「わかんねえよ! わかんねえけどてめえのことが好きで好きでたまらない、いますぐここで抱いてほしい」
ルークは四散爆発した。そう、ルーク自身も思ったが、勢いよくソファから跳ね起きたアーロンに胸倉を掴まれた身体はどうやら手も足も所定の位置にくっついたまま無事のようだ。でも、心臓が、無事ではない。そして、ルークの胸倉を掴むアーロンの腕は震えて、額にはいまにも破裂して血が噴きだしてしまいそうなほど血管が浮きあがり、怒りなのか困惑なのか、すべての感情がない交ぜになったような顔は昨夜の夕食に食べたトマトよりも真っ赤だった。
“今まで俺が言ったことは全部デタラメだ、何故だかわからねえがまったくこれっぽっちも思ってもいないことが口からでてきちまう、いいか、全部ウソだ、だから忘れろ、クソドギー!!”
アーロンは適当にそのへんから引っ張りだしてきた書類の裏に、そう書きなぐった。“クソドギー”の文字だけがやたらと大きく、太く強調されたアーロンの殴り書きをようやく判読して、ルークはがっくりと肩を落とした。
「……そんなコトある?! いやまあ、今までもさんざんいろいろな目にあってきたから今更何が起こっても不思議じゃないけど……何だあ、そっかあ……やっと君があまえてくれたんだと思ったのだけれど」
“冗談はてめえの胃袋と顔だけにしとけやドギー”
「いつもの君すぎる……」
ルークはため息をつきながらも、少し安堵していた。何度もとまりそうになった心臓がこのままでは本当にもちそうにない。黙っていても、どんな小憎らしい口をきいても、何をしても可愛くて愛おしい君に、あんなふうに甘い言葉を囁かれたら、心臓がいくつあってもたりない。
「……ねえ、アーロン、」
“黙れ、てめえは黙っていてもクソうるせえんだよ”
ルークはちょっと不服そうに口を尖らせて、でも、ちょっと、何か喋ってくれないかな、とほんの少しの下心を密かに抱きながら横目でみたアーロンが唇を噛みしめてあまりにも真剣な顔をしていたので、千切れそうなほど首を左右に振りながらその下心を改めて、この冗談なのか夢なのか解らない問題と真剣に向き合おうと背筋を伸ばした。
“絶対にあのクソ詐欺師のせいだ”
「説明不可能な不思議を何でもチェズレイの所為にするのはよくないぞ、チェズレイだって魔法使いじゃないんだから」
「あのクソ詐欺師を庇うのか?! てめえにはいつだって俺のことだけを信じていて欲しいのに!」
「もちろん君のことを誰よりも何よりもいちばんに信じています!!」
“違う!!” もはや文字と言えないような文字で紙に書きなぐったアーロンの手の中でペンが音をたてて砕けた。
「……嬉しくて床をころげまわりたいくらいなんだけど、僕の心臓が限界なので、真剣に考えよう」
昨夜までは特に変わりはなかった。朝起きて、いちばん最初に交わした会話から既に異変があった。ルークが起きたときアーロンはまだ眠っていた。程なくして目がさめたアーロンの起床からこれまでの行動にも特におかしなところはない。口のなかにいれたのは歯をみがいたときの歯磨粉と口をゆすぐ水、朝食もまだ食べていない。
「あ、」
アーロンの筆記を頷きながら目で追っていたルークが何かを思いだしたように一瞬、かたまった。アーロンが鬼の形相でルークを睨む。
「……いや、別にたいしたことでは、……その、起きるとき、隣で眠っている君の唇に、キス、を、しました」
アーロンが手のひらをにぎったりひらいたり、拳の準備をしているのを目の端で捉えながらルークはあわててその手を制した。
「いや、でも、いつものことだよ、いつもは何もなかっただろう?!」
「いつも、してるのか」
つい、いらぬ告白をしてしまったが後にはひけず、ルークはひらきなおって胸を張った。
「かわいいかわいい恋人の寝顔だぞ?! そんなのキスしたくなるに決まってるじゃないか!」
「……俺だって、してえよ」
「何て?!」
即、ルークの顔にぐしゃぐしゃになった紙が叩きつけられた。そこには “今のは、ぶん殴るぞ、て言ったんだ!!” と、書いてあった。
先程から天国と地獄を行き来しているような気分だ、そう思いながらルークはあるひとつの可能性に気付いた。いやまさか、でもそれしか考えられない、いやでも、と、自分のなかで何度も肯定と否定を繰返して、それがあまりにも荒唐無稽な考えであることに加えてどう考えてもこれはアーロンに“ぶん殴られる”ぞ、と唸りながら天を仰いだり俯いたりをくり返しているルークの奇行をアーロンは黙ったまま訝し気な目でみていた。その視線に気付いたルークは覚悟を決めて深く、深呼吸をした。
「アーロン、どうか怒らないで聴いてくれ。僕はたぶん、君に魔法をかけてしまった。君が、もう少し、ほんのちょっとでいいから自分の感情をそのまままっすぐ僕に向けてくれたらいいと、その……、もう少し、あまえて欲しいな、と、甘い言葉を、君の口から聴きたいなと、そう思ってしまったんだ。……だから、僕が君にキスをしたとき、君から僕に話しかける言葉が全てはずれまんじゅうのように甘くなってしまう魔法を君にかけてしまったのだと思う。すまない、まさか、ほんとうに魔法がかかってしまうなんて……、アーロン、怒ってる……?」
ルークは、鋼鉄の爪が頭上から降ってきても辞さない覚悟でアーロンを見上げた。予想に反してアーロンの顔は穏やかに凪いでいる。というより、なんだかじゃっかん、呆れたような、哀れみを帯びたような、そんな目をしている。
“ルーク、それ本気で言ってるのか”
「だから、謝っている。いくら君から甘い言葉を聴きたいからといってこんなやり方は卑怯だ、君を困らせるなんて……」
ルークに本当に尻尾があったのならば、哀れなほど垂れ下がり、耳はすっかりと寝て、飼い主に怒られた犬のようだっただろう。陽光の匂いのする頭のてっぺんにみえる旋毛は金色の髪の毛のなかできれいに渦を巻いていた。アーロンは、行儀のよいタカチをした旋毛を眺めながら、その髪に触れようとして、そっ、とその手を引込めた。
「……俺から甘い言葉を聴きたい? 抱きしめて欲しい、キスをして欲しい、俺の身体をさわってくれ、この身体の何処もかしこもお前のものにして欲しい、そして、俺の心に触れて欲しい、もう、俺のぜんぶはお前のものなんだから、」
「……やめてくれ、アーロン、」
「甘い言葉が聴きたかったんだろう?」
「違う、君の、心が欲しかったんだ、心からの言葉が、こんな、無理矢理、」
「……無理矢理じゃねえよ」
「え? 何、よく聴こえな、」
あまい、あまい唇。蜂蜜のようにとろける唇が唇を喰む音は小鳥の囀りのよう。かさついた唇が口吻けるたびに濡れてゆく。歯で唇を喰んで、口中に捩込まれたぶあつく熱い舌が貪欲に、震える舌にからみつく。唾液さえも眩暈がするくらいあまく、頭も身体も、すべてが痺れて、あまくておいしくてたまらないスイーツにむしゃぶりつくように、キスをする。いくら食べても飽き足らない、もっと欲しい、もっと食べたい、君の唇。君の身体。君の、すべて。
「……、ロン、」
「……ッ、まだ足りねえのかよ、」
ルークはアーロンに口吻けたままその身体を強く抱きしめた。アーロンもルークの求めにこたえて、ルークの身体を抱きしめる。二人は飽くことなく唇を求めあい、身体がとけてひとつになってしまうくらい、抱き合った。
「……これも、魔法なのかな、」
「さあな」
「魔法でもいいや、て思ってしまった……」
「は、いいんじゃねえか、欲深い奴は、好きだぜ」
「それも、魔法? それとも、」
「……さあ、」
もし、ほんとうにこの奇妙な現象が魔法の所為なのだとしたら、それは、無理矢理に甘い言葉を吐かせる魔法ではなくて、心のおく深く、閉じ込めている、言いたくても、言えない言葉を吐かせる魔法。いつだって、こうやって抱き合ってキスをして、好きだと言いたい。でも、そんなことをしたら、きっと、止まらなくなる。十八年間言えなかった言葉を、すべて、言ってしまうだろう。お前が好きだと、出逢ってから今までずっとお前が好きだったと、もう二度と何処へもいかないでほしい、ずっと、俺のとなりにいてほしい、そんな、言葉を、
「……言えるわけがねえ、」
「何」
「……この魔法はいつ解けるんだろうな」
「ううう……ほんとうにすまない」
「まあ、寝て、朝になりゃ解けてんだろ」
このまま抱きあって、不思議な一日を過ごそう。あまりにもエキセントリックで、どうかしているけれど、長い人生、そんな日もある。でも、どんな一日も、君と過ごしたい。君と過ごす日は、どんな嵐の日でも最高に幸福な一日になるのだから。