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    hidaruun

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    hidaruun

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    さみさに♀/雨さに♀
    バレンタインネタ

    #雨さに
    inTheRain
    #さみさに
    onInformationAndBeliefs

    おやつを届けに来た五月雨ぼわりとした空気が執務室を満たしている。窓は結露ですっかり濡れそぼっていて、窓枠に水が溜まっていた。そろそろ換気をした方が良いのだろうと思いながらも、彼女はパソコンから目を離さないでいた。手はカタカタとキーボードの上を忙しなく動き、時々電卓を叩いたり資料を捲ったりとしていた。そういえば、担当に言われていた書類の判子って打ったっけ。目の前の文字列とはまた別件のことが思い浮かんでしまい、換気の文字はするりと頭から抜けていく。そしてまた部屋はぬくぬくと暖められてゆく。
    適度に休憩を取るように、と歌仙を始め刀達には口を酸っぱくして言われるけれどついつい作業にのめり込んでしまう。仕事の気分なうちに片付けようと思うと丸一日部屋に篭り切りになることもざらだった。今日のお昼の記憶も曖昧だ。この資料が一区切りついたらメールを片付けようと考えていると首筋を隙間風のような冷気が撫でた。扉が開いたのだろうか。そう思いつつも、作業を続けていた彼女の視界の端に何かが動いた。
    「頭」
    低く、短く呼ばれた声に驚いて小さく開けた口に横から何かを突っ込まれる。
    「!?」
    咄嗟に吐き出しそうになったがなんとか手で押さえて堪えきる。口から食べ物を出したくないし、机の上を悲惨なことにしたくなかった。我ながらファインプレーである。
    「んぐ……な」
    押し込まれたものをどうにか咀嚼すると、口の中に広がるのは甘い、甘い何か。
    何事だと突っ込んできた方を向けば五月雨がいつも通りの顔をしてお皿とフォークを持っていた。これまたいつも通り綺麗に正座をして。
    「……え」
    「休憩されませんか」
    もぐもぐとなんとか口に入れられたものを喉に通すと、五月雨がこれもまたいつも通りに何事もなかったかのようにそう言った。
    「いや、今の何」
    「休憩用のおやつです」
    五月雨の持つ皿の上にはフォンダンショコラが乗っていた。
    「えっと……置いといてくれたら食べるんだけど……」
    彼女は仕事に集中していると周りが見えなくなる。だからいつも軽食やらおやつやらは気づいたら机の上に置かれている。歌仙や光忠あたりだろうと後からお礼を言いに行くのもいつものこと。お昼の記憶はあまり無いが、時計を見ればおやつの時間帯。きっと今日もそっとお昼は置かれていたものを彼女は無意識のうちに食べて、誰かがそっと片付けてくれたのだろう。
    そんな風になんとなく放置気味にされていたので、まさか口に無理矢理おやつを突っ込まれるとは思ってもみなかった。珈琲を飲んで喉を落ち着ける。甘さはまだ口に広がっていた。
    「今、食べて頂きたくて」
    「それにしたって強引だよ」
    「申し訳ありません」
    「……もしかして、五月雨が作ったの?」
    「はい」
    なるほど、それで珍しくわざわざ五月雨が持ってきたのかとマグカップを机の定位置に戻す。
    燃費が悪いのか五月雨はよくお腹を空かせては自分で自分の食事を作っている。それは朝に夕に。妙な時間帯に誰かが厨にいるなと思うと五月雨のことが案外ある。このように料理をしている姿はよく見かけるので五月雨がフォンダンショコラを作ったということ自体は不思議ではないが、誰かに振舞っているのはあまり見たことがない気がする。大抵は自分で食べる為のものを作っているのだ。
    「……」
    姿勢よく座っている五月雨の持つ皿の上に食べかけのフォンダンショコラがちょこんと乗っていた。わざわざひとつだけ。自分のを作ったついでとか、そういう気配ではないことはよくわかった。
    「それ……ちょうだい」
    彼女はお皿を受け取ることにした。フォークで崩して溢れたチョコを掬う。口に運べば自然と頬が緩む美味しさだ。しっとりとした生地とほどよく溶けたチョコが濃厚さを引き出して甘さが口の中で広がる。きっとチョコが溶けてないと美味しさを堪能できないのだろう。丁度、温めたところだったから今食べて欲しかったのかもしれない。それなら口に突っ込んで来たことも、まあ許そう。なかなかに驚いたけれど、美味しいし。それに、たったひとつをお皿に乗せて廊下を歩いて持ってきたその様子を想像すると棘々とした気持ちは生まれようがなかった。
    「フォンダンショコラって難しくない?」
    「そうですね。ですが、せっかくだったので」
    「せっかく?」
    「バレンタインというものなのでしょう?今日は」
    「あぁ」
    この本丸では刀剣男士の人数が三十を超えた頃にその行事をするのをやめた。きみの準備が大変すぎる、と歌仙が言い出してくれたから。実際、何かを用意しようとするとなかなかのお金と労力を要する規模だ。日々もお菓子のやり取りはあるし、バレンタインだからとしなくてもいいだろうということになったのだった。だからすっかりこの行事のことは失念していた。
    「バレンタインは季語にもなっているのですね」
    「だからチョコ系のお菓子を作ってみたってことね」
    「そう、ですね……」
    なんだか妙に歯切れが悪い言い方に首をかしげるも五月雨はそれ以上は言葉を続けなかった。
    不思議に思いながらフォンダンショコラをまた一口。上品な甘さが舌の上で転がっていく。美味しい。もしかしてプロの方。そう思えるほどで、ついついフォークが進む。
    「美味しい」
    「上手くできてよかったです」
    「料理得意な方とは思ってたけどお菓子もだったとは」
    「それについては最近練習を少々」
    「そうなんだ。それもバレンタインに合わせてってこと?」
    「……」
    また黙る。まあいいけど、と彼女は一口大に切ってフォークで運ぶ。仕事用に入れていたちょっと苦めの珈琲がちょうど合う。頬を緩めながら順調に食べ進めていると、襟巻きを触ったり耳を触ったりとしていた五月雨が小さく息を吐いて話し出す。
    「……頭の時代ではバレンタインは想い人にチョコレートを贈る日になっているんですよね」
    「まあ、そうね」
    義理チョコやら友チョコやらと種類は増えているようだが、根本のメインテーマは相変わらず引き継がれているらしい。学生の頃はもうちょっとこのイベントではしゃいでたなぁと過去に思いを馳せる。そういう可愛らしいことにも縁遠くなって久しい話だ。
    「なので私も便乗してみようかと思いました」
    「……へ」
    そう思っていたのに、五月雨が淡々とそんなことを言う。ぐるりと何か、話の流れが変わった気がする。
    「季語に合わせてお伝えしようかと。そう思って作りました」
    静かにでもはっきりと、最初と変わらぬ姿勢のままに真っ直ぐにこちらを見つめる紫色が彼女を捉えて離さない。ごくりと、飲み込んだ唾が甘く喉に張り付く。
    「なに、を……」
    口の中に残る甘さが、最初よりずっとずっと甘くなった気がする。どろりともう口の中には無いチョコが溶けて崩れる音がした。
    彼女の掠れた問いかけに五月雨は答えない。誤魔化すようにもう一口と思ったらお皿の上は空になっていた。
    五月雨の言葉が頭の中で反芻する。
    何を、なんて聞くんじゃ無かった。五月雨は何も答えないし。どういうつもりなのか。先程の言葉も、このお皿にあったフォンダンショコラも。ちゃんと考えたいのにうまく思考がまとまらない。ぼわりとした室温が思考に枷をかけている気がする。換気をしようと思っていたのだった、と彼女は関係のないことを思い出す。
    ふと、畳が擦れる音がした。
    気づけば近づいてきていた影が彼女の顔に落ちる。驚いて、食べ終えたにもかかわらず握ったままにしていたフォークをガチャンとお皿にぶつけてしまった。その手を五月雨が掴む。思いの外、強い力だった。
    「頭」
    「えっと……」
    昨日、雪がちらついたとは思えないほどに今ここはとても熱かった。炎天下に晒されているみたいに、ぐるぐると彼女の中を熱が巡る。五月雨の手から伝わる温度も信じられないほどに熱い。
    「……頭、いかがですか?」
    何を問われていて、何を答えたらいいのか。
    甘さと熱に取り巻かれて、彼女は何も分からなくなってしまった。
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