夜の訪問ぴっちりと閉めてしまった襖を前に彼女は小さな唸り声をあげていた。
「頭」
「うぅ……あの……あの」
「……許しを、得たと思っていましたが私の思い違いでしたでしょうか」
「それは!……その……それは、違わない…けど」
襖のすぐ向こう側から聞こえる声は五月雨のもの。彼と恋仲になって数ヶ月。
五月雨から部屋を訪れたいという申し出があったのは一度では無い。しかし、咄嗟の返答に彼女が口籠ると五月雨はいつもそれ以上は何も言ってこなかった。
嫌ということでは無い。ただ、ちょっとばかり恥ずかしさとか緊張とか色々と考えてしまっていっぱいいっぱいになるだけで、恋仲になったならそういうことをしたいという欲が彼女の中に全く無い訳でもなくて。ちゃんと返事をしたいといつも思っていた。だから、彼女は今日の昼に「お部屋に伺っても?」と遠慮がちに伝えられた何度目かの言葉に初めて頷いたのだったが………。
ここに来てまた怖気付いてしまった。見慣れている襖の色がよく分からないほどにぐるぐると動揺が駆け巡る。どうして、こうなのだろう。廊下にいる五月雨は襖を無理には開けてこない。いつだって五月雨は彼女が受け入れるのを待ってくれる。告白の時もそうだった。だから今回はなんとか彼女の方からも素直に気持ちを表したいのに上手く行動に移せない。
「頭」
静かに頭を撫でられるような柔らかな声色が襖の向こうから聞こえた。
「今日は部屋に戻りましょうか」
「だ、だめ!行かないで……」
いつだって待ってくれるけれど、五月雨だって何かと思うこともあるだろう。もしかしたら嫌になっているかもしれない。それはもう仕方ないかもしれない。でも、彼女が五月雨を拒絶したいのではない。それだけは、せめて伝えたかった。
意を決して、もう一度息を吸い込んだ彼女はゆっくりと襖を開く。月明かりが差し込んで、冷えた空気が頬をすり抜けていく。目の前に立っていた五月雨は眉を下げて、どこか困ったように微笑んでいた。
「頭」
「あの……」
「急かすつもりはありません」
「でも……その……」
「頭、私は貴女の前ではお利口な犬であろうと思っています」
「え……はい。……ありがとう…?」
「しかし、それには限度もあります」
襖を握り込んでいた彼女の手を五月雨の手が攫う。
「襖の向こうに行けたのであれば、もう取り繕えないかもしれない」
「……」
「……それでも、よろしいですか?」
そっと、内緒話のように耳元で囁かれた言葉に彼女は少し冷えた大きな手を握り返した。