ワンス・アポン・ア・ドリーム 第四話 しとしとと雨が降っている。広い庭の隅っこで、僕は独り、傘も差さずにうずくまって泣いている。
(ごめんなさい……。ごめんなさい、ごめんなさい……)
「天彦?」
「あっ……」
ふいに、柔らかな声と共に雨が止んだ。見上げると、和傘を差し出した母が立っていた。
「お、お母様……」
「もう、ここにいたのね」
優しく微笑みながら母がしゃがむ。ふわりと、雨の匂いに混じって微かに白粉の香りが舞う。
どうしてこの場所が分かったのだろう。今、世界で一番見られたくない人に泣いているところを見られてしまった。慌てて袖で擦ったけれど、余計にポロポロと溢れてしまう。
「あらあら」
クスリと笑いながら、そっと母がハンカチで拭ってくれる。僕の大好きな母の匂い。ますます、ぐにゃりと視界が滲む。
「そんなに擦ってはダメよ。目を傷つけてしまうわ」
「……ご、めんなさ……っ」
僕は謝ることしかできなかった。母はなにも言わず、なにも聞かず、ずっと側にいてくれた。家まで連れて行ってくれ、お風呂に一緒に入ってくれて。僕が泣き疲れて眠るまで、抱きしめてくれて。それでも僕はただ、ひたすらに謝っていた。
ごめんなさい。僕が『普通』じゃなくてごめんなさい。そのせいで悲しませてしまってごめんなさい。
でも――。
「――――――……ぁ」
目を覚ますと、窓の外は暗かった。どうやら夢を見ていたらしい。スマホを見ると朝の五時半で、ああ、今日は曇りなんだなと思った。
少し下半身に違和感があるため、きっと昼過ぎには雨になるだろう。重たい気分を引きずりながら、そろそろ理解さんが起こしに来る時間だとベッドから下りようとする。そのとき、つ……と、なにかが頬を伝った。
「え……?」
指先で拭うと、それは水滴だった。僕は、夢を見ながら泣いていたのだ。
(なん……で……)
あまり思い出したくはない、幼い頃の苦い記憶。でも、大切な思い出でもあった。戻り道が分からなくなるくらい、恐ろしく広い庭。しとしとと降り続ける雨。優しい声。優しい母親。ずっと、謝り続けている自分。
(ああそうか。きっと、あのときから僕は――……)
*
「おはようございまーーーーーーーーーーーーーーーす!!」
と、家中に響き渡るほどの音量で高らかに理解さんが朝の挨拶をし、
「ご飯、できましたよ~♪」
と、依央利さんがウキウキとテーブルに朝食を並べる。今日のメニューは、目玉焼きとベーコンを乗せたリコッタチーズのパンケーキだ。美味しそうな匂いにつられ次々と他の皆も起きてきて、あっという間に食卓が賑やかになる。理解さんと猿川くんはハチミツを渡す渡さないで揉め、依央利さんは大瀬さんにお代わりを強制し、ふみやさんはさっさと自分のパンケーキを平らげ、隣の虎さんの分まで狙っている。
いつもと変わらない、シェアハウスの朝の光景。そしてもう一人、僕の斜め前にもいつもと変わらない人物が。
「んー、美味しい! ベーコンとハチミツのあまじょっぱさがさいっこう! チーズも濃厚だし、依央利くん、テラくんのためにありがとね♪」
「別にテラさんのためだけじゃないですけど。でも、喜んでもらえて良かった~!」
「えっへへ~♡」と二人はにこやかに笑い合う。この、絶妙に噛み合っているのかいないのか分からない会話もいつも通りだ。
例のデザイナーのパーティーへ行ってから、数日。盗作騒動も無事に解決し、再び日常に平穏が戻ってきた。テラさんも完全復活し、コレクションも近いため、以前よりもバリバリと精力的に働いている。
(でも……)
「そうだ、テラさん」
ふみやさんのお皿に八枚目のお代わりのパンケーキを載せながら、依央利さんが話を切り出す。
「近々、テラさんのドレスが戻ってきた記念に皆でお祝いしようって話してたんです。ほら当日、テラさん『疲れたから』ってすぐに部屋に行っちゃったでしょ? 沢山チーズ料理作りますから、どうですか?」
「え?」
話を振られたテラさんは、驚いたように少しだけ目を丸くする。そうしてにっこりと笑みを形作った。
「あーごめん、コレクションまでめちゃめちゃ忙しくて。気持ちだけ受け取っとく。その代わり、当日は皆で見に来てよ。今回いっぱい助けてもらったし。ね?」
パチン☆ とウィンクをし、「ごちそうさま!」とテラさんは椅子から立ち上がる。ハッと僕は顔を上げ、声をかけようと慌てて口を開く。
「あの、テ――!」
「じゃ、依央利くん、お弁当もらってくね。いつもほんとにありがと♪」
「っ、それ……!」
「っと、やば。秘書の子が車で近くまで迎えに来てくてれるんだった。それじゃ!」
「待っ……!」
「行ってきまーす!」とニコニコとご機嫌に手を振り、テラさんは颯爽とリビングから出て行く。朝食から出かけるまで、その間、一度も僕の方を見なかった。
(ま、またなにも話せなかった……)
がっくりとテーブルへ両手を着き肩を落とす。そんな僕の後ろで、ヒソヒソと依央利さんたちがなにやら話し出す。
「……まーたまたフラれたね」
「ええ、またフラれましたね」
「ハッ、ほんと懲りねーヤツ」
「だ、大丈夫なんでしょうか? パーティーのあとからずっとお二人はあんな感じですが……」
「……ですからあれはコントなので。エンタメなので大丈夫です」
(いやいやだから全然コントでもエンタメでもないけど!?)
大瀬さんの言葉に、またしてもつい心の中でツッコミを入れる。
全く、皆して好き勝手なことを言って。確かに僕がテラさんに相手にされないことは日常茶飯事だけれど、でも、今回ばかりは本当に今までとは勝手が違うのだ。
数日前のパーティーの帰り。僕は、テラさんにフラれた。それはもうきっぱりと、こっぴどく。正確には、想いを伝えようとした瞬間、思いきり突き飛ばされてしまった。
テラさんの王子様にはなれない、この恋が実ることはない――そう諦めかけていた僕に、彼は王子様みたいだと言ってくれた。頬を染めて目を潤ませて、愛おしそうに微笑んで。抑えきれなくなった僕は思わず抱きしめて、彼も受け入れてくれて、誰もいない夜の公園で、キスをして気持ちが通じ合ったと思っていたのに。
(つまり僕は、また勘違いしたってことで……!)
「――――うわああっ!!」
恥ずかしさのあまり、ガンッ! とテーブルに全力で頭をぶつける。穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。
更にそんな僕に追い打ちをかけるように、例のパーティーの一件以降テラさんはますます忙しくなり、前以上に家に帰って来なくなった。コレクションの準備が大詰めということもあるが、パーティーでの彼の動画がSNS上で広く拡散され、元々カリスマ社長として業界内で知名度のあった彼へ世間の注目が集まり、取材やらなんやらの依頼がひっきりなしに来ているらしい。コレクションのプレス数も増え、急遽、会場を変更までしたという。
僕の告白を拒絶し、翌日から家にもほとんど帰らず、帰っても目も会話も交わさない。メッセージも、さすがにフラれた直後にこちらから送る勇気はなかったし、テラさんから来ることももちろん無かった。皆のお祝いを断ったのもきっと僕がいるからだろう。つまり今度こそ、僕は完全に彼に避けられてしまった。
「まぁでも、今回は僕たちもフラれちゃったけどねー」
テーブルに突っ伏している僕を気にも留めず、依央利さんたちはまだテラさんの話をしている。
「しょうがないですよ、コレクションはもう目の前なんですから。また日を改めて聞いてみましょう」
「んー、そうなんだけどさぁ……」
「え?」
ふいに、視線を感じた。振り返ると、じぃーっと何故か皆がこちらを見つめていた。
「ど、どうしたんです……?」
「どうしたって……なぁ?」
「ああ」
ふみやさんと猿川くんが意味深長に目配せをする。なにやら皆して僕を責め立てているような、不穏な空気だ。
ゴホンと依央利さんが咳払いをする。
「天彦さん、単刀直入に聞きます――――テラさんに、なにしたんですか?」
「――――――――――――――――――――――はい?」
(な、なに、って……)
まさかテラさんのことを言われるとは思わず、驚くと同時にザーッと全身から血の気が引いた。僕が、テラさんに? それは一体なんのことだろう。ここひと月の間だけでも思い当たることがありすぎて、どれのことだか分からない。
「パーティーが終わってから、テラさん、明らかに天彦さんのこと避けてますよね? テラさんが天彦さんに塩対応なのはいつものことだけど、今までとは違うっていうか……。それに、天彦さんの様子もおかしいです。パーティーの日も一緒に帰って来なかったですし……。テラさんがお祝い断ったのって、天彦さんのせいでもあるんじゃないですか?」
「え……や、それはその……」
ずもももも……と依央利さんが怖い顔をして詰め寄って来る。ものすごいプレッシャーだ。どうやらあの雨の日のセックスのことを言っているわけではないらしくそのことにはホッとしたが、さすがにここまで怪しまれると隠し通すことは難しい。
(皆、テラさんのことが心配なんだ。でも……)
でも、正直に話してしまうと、僕の想いもフラれたことも、全てバレてしまう。僕自身だってまだ気持ちの整理がついていないのに。
黙ってしまった僕に、皆も次々と説得をしてくる。
「天彦さん、なにかあったなら教えてください!」
「と、虎さん……」
「天彦、どうしてもってんなら俺が吐かしてやってもいーんだぜ?」
「さ、猿川くん……」
「先生は私の相談事をあっさりとバラしたじゃないですか。あのときの口の軽さはどこへ行ったんです?」
「り、理解さん……」
「天彦さん、話さないなら奉仕レベルを強化しますよ……?」
「い、依央利さん……」
「ほら天彦、早く楽になれよ」
「ふ、ふみやさん……」
「天彦さん――あなた、チンコついてます?」
「なっ……!?」
ピシャーン!! と最後の大瀬さんの言葉に全身に衝撃が走った。ショックで目の前が真っ暗だ。ガックリと床に崩れ落ちる。正直理解さんの件はすっかり忘れていたとか依央利さんの奉仕レベルってなんなんだとか色々とツッコみたいことはあったけれど、この、世界セクシー大使でありワールドセクシーアンバサダーである天堂天彦が、まさかチンコの有無を問われるだなんて。
(いや、分かってる。大瀬さんが言いたいのはハッキリしろってことだ……!)
「天彦さん……」
「天彦……」
ずももももも……と今度は皆が詰め寄って来る。僕は涙目になりながらも、最終的に白旗を上げるしかなかった。