ここは前夜祭「その不細工な顔いい加減やめてもらえませんか」
「ひっでぇ〜!シンジュクナンバーワンホストに向かって不細工って!」
更に唇を尖らせるも幻太郎は涼しい顔をしてお茶を啜るのみだった。先程、一二三特製の絶品麻婆豆腐と酢豚に棒棒鶏の中華三昧コースを食べ「もうこれ以上食べたら死ぬ……」とまで言っていた恋人は現在、お茶請けの羊羹をぱくりと口に入れている。満腹じゃなかったのかよ、と心の中で突っ込むが、消化するスピードはやっぱり二十代半ばだな〜若いなぁ〜なんて思ったりして。彼との年齢差に自然と頬が緩んでしまう。一二三はこの年下の恋人が可愛くて仕方がないのだ。
「だってさぁ〜!ディビジョンをシャッフルって、ぜってぇ幻太郎と一緒になれるって思ってたのにぃ〜!」
「まだそれ言っているんですか。リーダー抜けたとしても十二人いるんですよ。一緒になれる確率の方が低いですよ」
「そうだけどさぁ〜。え、じゃあ幻太郎は?期待してなかった?」
「別に。むしろ貴方と一緒になる可能性を考えたら肝が冷えました。貴方、小生と一緒になったら周りの目も気にせずに引っ付くでしょうし」
図星を指されて思わず「うっ」と唸る。一二三と幻太郎が交際していることは親しい人物以外には話していない。そのため公衆面前でイチャつくなどもっての外だ、と幻太郎は言いたいのだろう。
「そ、そこは大人だし我慢するよん」と誤魔化すも「どうだか」と返され、幻太郎には全てを見透かされているようだった。
「それにこの組み合わせも〝あえて〟だと思いますよ」
幻太郎の言ったことに麻天狼のリーダー、神宮寺寂雷の『テレビ局の企画とはいえ、言の葉党の息はかかっていると思いますよ。彼女らは余計な混乱を避けるために〝親しい人物同士〟は組ませないと思います』という言葉を思い出す。
一二三たちは中王区の開催するラップバトルに参加する身だ。当然、彼女らは一二三たちの素行調査もしているだろうし、いくらうまく隠しても交友関係だって筒抜けだろう。つまり意図的に一二三と幻太郎は別のチームになった可能性もある、ということだ。まあ幻太郎の言う通り、言の葉党の思惑がなかったとしても、組み合わせはくじ引きのため一緒のチームになる可能性は低いのだが。それでも少し期待させてくれても良いじゃないか。
「うげ、中王区も意地悪い〜!」
「お上の言うことは絶対ですから」
「まあね〜。あ、てかてか幻太郎んとこヌルサラいるじゃん〜!」
「そうなんです。白膠木さんはバラエティ番組をあまり観ない小生ですら知っている人物ですからね。お会いできるのが楽しみです」
幻太郎の言葉に聞き捨てならないという風に眉を顰める。彼もそれに気付いたのか「何でござんしょう」などと飄々と問いかけてくるのがまた癪に触る。俺が嫉妬深いの知っているくせして。
「……幻太郎、ヌルサラの話術でほだされないでよ」
「は、はあ〜?何を言ってんですか貴方は」
「だって幻太郎ですら知ってる有名人っしょ。ぜってぇ面白いし、幻太郎が口説かれたらって思うと……」
「あのですね!白膠木さんの名誉のために言いますが、ジャケットを羽織った貴方じゃないんですし、彼が見境なく口説くとは思えませんよ!それに小生に対して恋情を抱く変わり者なんて貴方ぐらいですよ!」
「あー!またそういうこと言うー!幻太郎は自分の魅力とガードの緩さを自覚してないんだって!」
「寝言は寝て言ってください!第一、これは仕事みたいなものですよ!恋だの愛だのそんな雰囲気になるはずがないでしょう!」
「分かんないじゃん!なる可能性もなくなくなくない?」
ああ、もう!と彼は吐き捨てると一気に羊羹を平らげた。苛立った様子の幻太郎に再び唇を尖らせる。そりゃあ幻太郎が浮気するとは思ってはいないし、信じているけど……それでも、誰からか横恋慕されないか、と憂いてしまうのは愛ゆえだとどうして分かってくれないのか。
「じゃあ幻太郎はさ、不安になんないの?俺っちが他の人と組んで」
「そもそも元から別のチームでしょうに」
「そうだけどさぁ〜」
分かっている。こうやってウダウダ子どもみたいに駄々をこねているのも集約すると幻太郎と一緒のチームになりたかったってことなのだ。〝チームの一員〟としての幻太郎の姿が見てみたかった。だから一緒のチームになれた人たちが羨ましくて仕方がなく、悔しいのだ。幻太郎への愛が自身でも推し測れないほど大きいことに今更ながら気付かされる。
妙な沈黙に冷蔵庫のブォンという機械音だけが響く。瞬時にああ駄目だ、と思った。冷蔵庫の機械音なのかそれとも自身の耳鳴りなのか区別がつかない程に気持ちが不安定だ。ドライな彼にウェットな自分。これ以上は考えるのを停止させろ、と頭の中でサイレンが鳴る。
耐え切れなかったのは幻太郎の方で「風呂に入ってきますね」と言って席を立った。
彼の姿が脱衣所に消えた瞬間にはぁ、とため息を吐く。自分の方が愛が大きいなんて分かっていたはずなのに、いざ目の当たりにすると驚くほどに落胆してしまう。普段の一二三ならあっけらかんとした態度を見せるだろうが、何故か今日は繕えない。自身でも思った以上にダメージを負っているようだ。
「駄目だな」と独りごちた瞬間、突として部屋に着信音が響いた。自身のスマートフォンはポケットの中。音は少し離れた畳の上から聞こえる。つまりこの電話は幻太郎にかかってきたものだ。
畳の上をのそりと移動してスマートフォンのディスプレイに目をやる。そこには〝飴村乱数〟と表示されてあった。
「飴村……こんな夜に何だろ」
一瞬、風呂場にいる幻太郎に声をかけようかと悩んだが、彼は風呂中に邪魔されることを酷く嫌う。おそらく〝準備〟をしているためだろう。まあ今日はこんな雰囲気だしセックスする可能性は低いが……それでも風呂場に行くのはやめようと決意したときに着信音は止んだ。
幻太郎が風呂から上がったら着信があったことを教えよう、とお盆に皿と湯飲みを載せた途端、再び着信音が鳴る。先程と同じくディスプレイを覗くとやはり飴村乱数からの着信だった。
二回連続でかかってきたということは何か緊急の連絡なのだろうか。定住を持ち合わせていないギャンブラーに何かあったとか……あいつは年中素寒貧のためスマートフォンや携帯の類も持ち合わせていないだろう。それとも飴村自身に何かあって第三者が着信してきているのか。正直、三人の仲の良さには悋気を起こすこともあるのだが、幻太郎はチームメイトを大切に思っている。大切な人が大切にしているものには一二三もそうでありたい。以前、幻太郎の書生服に口を出した自身とは違うのだ。幻太郎のチームメイトの身に何かあったのだとしたら一二三も助けたい。幻太郎ならばそうするように、一二三だって。
幻太郎の代わりに電話に出よう、と決心したところで見計らったように着信音は止んだ。あれ……何か拍子抜けというか、残念というか、安堵したような。
しかし二度あることは三度ある、という訳で三度目の着信音が鳴り響き、反射的に通話ボタンをタップした。一二三が口を開く前に電話の向こう側の人物は堰を切ったように話し出す。
『あ!ゲンタロー!?やっと繋がった!あのメッセージなんなの〜!?落ち込んだかと思ったら中王区に直談判に行くってびっくりしちゃったよー!そりゃあひふみんと一緒のチームになりたかったのは分かるけどさ〜!やめときな〜。第一、リオーとゲンタローはタイプ違うんだし、ひふみんを取られるかもとか心配しなくて大丈夫なんだってー!素直に甘えてひふみんにいっぱい可愛がってもらいなよ〜!……ねぇ、ゲンタロー、聞いてる〜?』
はっと夢から醒めたように体が跳ねる。飴村乱数の話から察するにもしかして幻太郎も……そうだとしたら嬉しすぎる。おーい、と声をかけてくる人物に、とりあえず挨拶しなくては、と口を開いた。
「あ、えっと。ひふみんでぇ〜す……」
『……さ、さようなら〜!』
「あーー!!ちょっとタンマ、タンマ!!」
『ボクは何も話してないでーす!!じゃあ!!』
「待って待って!今さっき言ったことホントなわけ?」
『答えたらボクがゲンタローに怒られちゃうじゃん!』
「もうそれホントって言ってるようなもんでしょ!幻太郎には内緒にしとくから!」
飴村乱数はヤダヤダー!と言っていたが、俺が「一つ借りで良いから!」と粘ると渋々口を開いた。
『さっき言った通りだよ。ゲンタロー、ひふみんと一緒のチームが良かったんだって〜。違うチームだって聞いたときはあからさまにテンション下がっててさ〜慰めるの大変だったんだから〜!そうかと思ったら〝このままだとハマの軍人にあの人を取られかねません。一緒のチームにしてもらうように中王区に直談判しに行きます〟とかいうメッセージが届いたんだよー!またいつもの嘘かと思ったんだけど今のゲンタローだったらやりかねないって思って急いで電話かけたんだからー!』
「……それマジ?」
『マジもマジだって〜』
やっばい、嬉しい。心の中で呟いた声はそのまま口から漏れていたらしく『はいはい、ごちそーさま』と呆れた声が返ってきた。
『もう借りだとか貸しだとかどうでも良いからゲンタローを安心させてあげて』という言葉を最後に電話は切れる。もちろんこの電話のやり取りはお互いになかったことにする、という約束を交わして。
スマートフォンを元の位置へ戻すとそのまま畳へ寝そべり、抑え切れない笑みをどうにかしようと口に手を当てる。しかしそれごときでこの喜びを抑え切れるはずもなく、あははと声に出して笑う。
何だ。幻太郎だって不安だったし、一二三と一緒のチームが良かったのだ。中王区に乗り込もうとするぐらいには。強い口調で反論するのだって素直になれず照れ隠しのためだろう。
いつの間にか風呂から上がったのか不意に「ニヤケ面してどうしたんですか?」という幻太郎の声が聞こえた。「んー?ふふふ」と笑いで返すと彼は「え、怖い」と訝しげな表情を浮かべた。怖いと言われようが奇妙と言われようが今は幸せだから良いのだ。
「おいで」と声をかけると彼は首を傾げながらも近付いてくる。素直に来ちゃうんだ。先程、微妙な雰囲気になったことに対してバツが悪いのだろう。そんな彼の考えも透けて見えてますます愛おしさが込み上げる。
一二三の傍らにちょこんと座った幻太郎の腕を引き寄せて寝そべる体の上で抱き締めた。
「うわっ、ちょっと何ですか」
片方の手は彼の腰に、もう片方は彼の後頭部に手を回す。触れた髪は完全に乾いておらず、品の良い香りを纏わせた湿り気を感じた。いつもちゃんと乾かせって言ってんだけどな、と思いつつ今はこの幸せの余韻に浸りたい。小言は後回しだ。
「俺っち、幻太郎に愛されてんなぁ〜って思ってさ」
「……今のやり取りのどこに愛を感じたか不明なんですけど」
「ん〜?それは俺っちだけ知ってれば良いの」
後頭部をよしよしと撫でると体の強張りが抜けた様子でゆっくりと彼の重みがのし掛かる。その苦しみも重みも温もりも幸せも全て覚えておきたい。忘れたくない。忘れない。
「俺っちもね〜幻太郎のこと愛してるよ〜」
「は、はあ?」
「だからさ〜ハマのりおっちのところにいったりしないから安心してよ〜俺っちは幻太郎一筋だよ〜」
「な、何言ってるんですか!何故、ヨコハ……んっっ」
何かを言いたげな幻太郎の唇に自分の唇を押し当ててそれ以上は言葉を紡げないように仕向ける。ほのかに甘い香りと味が唇から伝わり、そうか彼はさっき羊羹を食べていたな、と思い出す。唇のあわいから舌を差し込めばその甘さは更に顕著なものとなり脳を蕩けさせた。わざと水音を鳴らすように舌を動かせば鼻にかかった甘やかな声も鼓膜に届く。トトトトと速まる鼓動はぴたりと寄り添う俺らにはどちらのものか区別がつかなかった。むしろ二人のものが一つになっているのかもしれない。シンクロする鼓動に、重なり合う唇に、触れ合う体に、このまま思考でさえ繋がってしまうのではないかと錯覚を起こす。
徐々に情欲が催されたあたりで不意に彼の唇が離れた。銀糸がぷつりと切れ、名残惜しげに顎へと垂れる。
「あの……お布団行きましょ」
「ふはっ」
先程、言いかけていたことはすっかり頭から抜けているらしい。本当、可愛い。馬鹿にされたと感じたのか「な、何ですか!そっちからキスしてきたくせに!」と顔を真っ赤にさせた姿も愛らしい。
「あ〜違う違う。幻太郎が可愛いくて幸せで嬉しくて笑っただけ!」
赤く染まる頬に唇を落とすと「行こ」と短く告げて彼の手を取った。
その日、幻太郎を朝まで存分に〝可愛がった〟のは言うまでもない。