僕の好きな人 ――山田駿は、身勝手である。
「遊ぶぞ冬居ー‼︎」
「やるぞ冬居‼︎」
「行くぞ冬居‼︎」
急な閃きに、気付けば周りを巻き込むその求心力は幼いころから山田さんの得意技だった。成長してからもそれは変わらず、時にはくだらない思いつきに仲間を誘って夢中になる時もあれば、勝利を得るためだったらガラにもなくひとり勉強にだって打ち込む時もあった。どんなことでも楽しそうな顔をして、いつだって一番高いところで笑っている。そんな人だったからこそ、隣に住むよしみか、遊びに、カバディに、そして高校進学に至るまで、強引に引き込まれることにうんざりとしながらも、怖がりな自分が知らない世界に足を踏み入れることができたのだと、冬居は思う。
「駿君」から「山田さん」へと呼び方が変わり、敬語を使うようになってからも、背が伸びて彼のつむじの場所を知ってからも、変わらずずっと、どこにいたって上を目指し突き進む山田さんのことを信じて追いかけてきた。
「決勝リーグまでヴィハーンは使わねぇ。これは俺なりのケジメだ」
関東大会を目前にして、山田さんは部員へ向けてこの大会の方針を明かした。それだけ奥部高校の部員の実力を彼が信頼し、保証しているということでもあった。名門・奥武高校を率いる主将として、そして世界組の黄金時代と呼ばれた世代の六番として、その肩書きに泥を塗らないように。彼がしてきた努力の積み重ねは冬居だって知っている。そしてそれは、夢であるプロになるためへの通過点だということも。
普段のひょうきんな姿とは違い、部活中はわりとちゃんとしている山田さんのことを分かっているからこそ、部員たちはヴィハーンさんの留学のことだって受け入れた。
カバディの試合に出ることができる選手は控えを入れても限られている。つまりは、高校最後の試合にも関わらず、必ずあぶれる部員が出てきてしまうのだ。そんな部員のことも、見えないところで気を配る。そんな山田さんの姿を目にして、すこし感動して見直してしまったこともあったぐらいだ。
――山田駿は、身勝手である。けれど、時々ちゃんと部長だ。
普段からこうだったらいいのになぁ。本当いつも勝手なんだから。ぼんやりと考える冬居の前で、突然山田さんが「この大会でカバディ辞めるわ!」とけろりとした顔で言い出した。
どよめく部員たちの中で、「頑張ってたから、だね……」と漏らしたヴィハーンさんの言葉が、冬居の胸に深く突き刺さる。
何笑ってるんだよ。どうしてそんな顔でいられるんだよ。何、諦めてるんだよ。頑張ってたのは、夢のためじゃないか。歯がゆくて、悔しくて、悲しくて、ふつふつと言葉が冬居の中に沸き起こっていく。唇が震えて、ぐっと拳に力が入る。そんな冬居に気づき制止するヴィハーンさんを背に、山田さんの前へと一歩踏み出した。
「僕は続けるから」
「えっ」
「世界でも勝ってるし」
気が付けば、とんでもないことを宣言してしまっていた。もちろん山田さんは目を見開いて驚いている。
「そんな甘い世界じゃねーんだぞ?」
あたふたしながら冬居を説得しようとする山田さんを前に、そんな世界を夢見て頑張っていたのはあなたでしょ、と喉まで出かかった言葉をぐっと押し込める。
「僕がプロ目指したら、何か問題あるんですか? ――僕の勝手でしょ」
肩を上げ、ムムッと強く唇を噛みしめる山田さんは何か物言いたげだ。そうだよ、悔しいだろ。後ろを走ってたやつに追い抜かれるんだ。そんなことでいいの、駿君は――。
自分でも不思議な感覚だ。こんなにも、怖がりな自分が身を削るようなことを、そして、強く何かを思うことを人前でするなんて初めてだ。けれど、あんな駿君を目の前にしたら、当たり前のように体は動いていた。
今までは、手を引かれる側だった。だから、ちょっとぐらいこっちが手を引いたっていいでしょう。これが最後なんだから。最後ぐらい、頼ってくださいよ。何でもひとりで決めるなんて、寂しいじゃないですか。
駿君と一緒に遊びたい。一緒にカバディをしたい。これを、駿君の最後にしたくない。小さなころから変わらず、これからもずっと、ずっと駿君の夢を一緒に見上げていたい。
悔しさとは別に、胸にほんのりと温かいものが広がっていく。駿君のことを考えるたびにそれは止まらなくて、今にも叫びたくなるぐらいに、冬居の胸は張り裂けそうなほどいっぱいになる。
特別だった。そうだ、昔から、駿君は冬居にとって、特別な人だったのだ。
じっとしていられなくて冬居は体育館の外へ駆け出した。扉から出た瞬間、夏の強い日差しに咄嗟に目を細めた。蒸し暑い空気に包まれて、体中からじわりと汗が流れていく。体の熱は少し引いたけれど、胸の奥はいまだ熱い。あんなこと言って、馬鹿にされるかな。少し心配になる、けれど、なぜだか同時に妙に誇らしくもある。
「本当、身勝手だなぁ……駿君は」
他の部活動の生徒たちの掛け声が、あちらこちらから聞こえる。走る音。何かがぶつかる音。蝉のうるさい鳴き声。それから遠くから、熱い声援が聞こえてくる。いつもと変わらない光景なのに、今年の夏はもう二度とやり直しがきかないのだということは、ここにいる誰もが分かっていることだ。
「冬居!」
三年の先輩から詰め寄られていた駿君が、その集団から何とか逃げ出したのか、冬居の元へ走って近づいてくる。
「おい! さっきのアレ、本気かよ」
「だから言ったじゃないですか。もう決めたんで、僕」
「突然どうしたんだよ! なあ、冬居……?」
ぱちくりと目をまばたたかせた駿君が、不思議そうに冬居の顔を覗き込んでくる。
「駿君に振り回されるのは今に始まった事じゃないし、それに」
駿君の顔を見ていると、また何かが溢れそうになってくる。けれど、まだ、それが何なのかは知らずにいたい。だからまだ、今はこれだけを伝えられたらいい。
「これからだって、駿君に振り回されるぐらい、全然平気です」
いつか駿君が、心から楽しいと笑ってくれるなら。心の火を、また熱く輝かせてくれるなら。それぐらい平気だと思えるのはどうしてか、その答えはこれから冬居も知っていくはずだ。
――山田駿は、身勝手である。
――そして、冬居が、初めて好きになる人だ。